第91話 セドナの民
セドナ丸乗組員の末裔が今も生きているかもしれない。
この知らせに恒星船は大騒ぎとなった。総隊長はすぐさま増援の捜索隊を組織し、あさぎりに送り込んだ。
翌朝、捜索隊を乗せたもう一機の着陸艇がオッドエリアに降り立った。
彼らと協力し、牧野たちはセドナ丸末裔の捜索を開始した。
大腸菌がもっとも豊富なのは川の水だった。そこで牧野たちは要所で大腸菌を測定しながら上流に向かって捜索範囲を広げていった。大腸菌は川筋に沿って何十キロにもわたって検出された。
川を遡るにつれ標高が高くなり、彼らはやがて丘陵地帯に入り込んだ。勢いよく流れる渓流は丘陵に深い谷を刻んでいた。入り組んだ峡谷には植物が密生している上、洞穴が点在しており、姿を隠すにはうってつけの場所だった。伊藤の話では、この辺りは石灰岩質の地形で地下に鍾乳洞が広がっているかもしれないとの事だった。
「この三年間見つからなかったのも無理はない。こんな洞穴に隠れていたら上空からの捜索ではお手上げだもんな」伊藤は言った。
捜索隊はドローンを飛ばして末裔が隠れていそうな場所をしらみつぶしに調べて回った。
「それにしても、奇妙な植物相ですね」近藤が辺りを見回して言った。
彼の言うとおりだった。峡谷地帯の植物は平地とはまた違った意味で異様だった。一見、普通の植物に見えるが、どうやらそれらの多くは食虫植物に類するものらしかった。
あるものは葉状体の表面が粘液でべとつき、そこに小さな生き物が張り付いて溶かされていた。あるものは光合成色素すら失い、白く長い触手状の蔓を四方八方に伸ばしていた。そこにネズミくらいの小動物が触れた瞬間、蔓ははじけるように巻き上がり、一瞬にして獲物を絞め殺した。
なかにはかなり大きなものもあり、うかつに触れれば人間にも危険だと思われた。それは中世の拷問道具、鉄の処女を思わせる巨大な捕獲器を広げて獲物を待ち構えていた。牧野たちはその横をおそるおそる通り過ぎた。
食虫、食肉植物ばかりが生えているのも無理はなかった。土壌の成分を調べた結果、このあたりの土地は極度に痩せていることがわかったのだ。平地に比べ金属汚染の程度は軽かったが、窒素、りんなどの栄養分が枯渇していて植物の生育には適さない土地だった。だからここの植物たちは獲物から栄養分を補給する方向に進化したのだ。
大腸菌を追って捜索を続けてきた彼らは、やがて台地の上から流れ落ちる一筋の滝にたどり着いた。そのほとりで彼らはついに決定的な証拠を発見した。
それは泥の上に残されていた足跡だった。
大きさは長さ二十三センチ、幅は七センチ。土踏まずと五本の小さな足指が認められる。あきらかに人間の裸足の足跡だった。
足跡の歩幅は一メートル足らずで、川に沿って十メートルほど続いていた。
「……確定だな。彼らは今も生きているんだ」牧野は震える声で言った。
「新しいな。ここを歩いてからまだ時間が経っていない。すぐ近くにいるはずだ」伊藤が言った。
今朝、恒星船から増援部隊として駆けつけた橘が言った。
「ここから先は慎重に行動した方がいい。彼らは私たちのことを歓迎しない可能性が高い。今もどこかに隠れながら、こちらの出方をうかがっているかもしれないぞ」
橘の言葉はもっともだった。彼らは自らの宇宙船を破壊した反乱分子の子孫なのだ。油断は禁物だった。
捜索隊員たちは周囲を不安げに見回したが、食虫植物の茂る密林は見通しがきかなかった。
「ちょっと待て。この付近をスキャンする」
橘は防衛ドローンと接続した。彼女はドラゴンスレイヤーに搭乗するための身体改造処置を受け、脳と機械の接続を強化されていた。ドローンに搭載された各種センサーの情報を受容することも、端末やリモコンを介さず意志だけで直接操縦することも可能になっていた。もはやドローンは彼女の体の延長部分だった。
橘は同時に三機のドローンと接続し、赤外線カメラで付近を捜索した。見通しの悪い林の中ではこちらの方が目標を見つけやすかった。
やがて、青と緑の濃淡に染まった視界の中で、こちらから遠ざかっていく赤い熱源を感知した。距離は約百メートル。
「……発見した。今からドローンで追跡する」橘は小声で言った。
ドローンの操縦に集中する橘の周囲に集まり、牧野たちは落ち着かない気持ちで彼女の報告を待った。
「どうした。何が見えてるんだ」伊藤が急かした。
「…………」橘は無言だった。
「なぁ、ちょっとくらい教えてくれたっていいだろ」伊藤はなおも食い下がった。
「静かに。気が散る」
橘に鋭く言い返されて伊藤は口をつぐんだ。
彼女は目を開けていたが、ここにある何も見ていなかった。その意識はほとんどこの場にはないようだった。目の焦点はあっておらず、どこか遠い所を見ているような雰囲気だった。実際、彼女がドローンを通して見ているのはここから何百メートルも離れた密林の奥の風景だった。
十分後。橘はようやく口を開いた。
「……彼らのすみかを突き止めた。この先にある洞窟だ」
橘はドローンを通して見た光景を伝えた。さらに、ドローンのカメラが捉えた映像の録画を各自の端末に送信した。牧野はその映像を再生した。
赤外線のサーモグラフィで表示された林の中を、一人の人物がこちらに背をむけて歩いていた。体型と歩き方から判断して女性だ。むき出しの腕や足は赤く、胴体はオレンジ色や緑になっていることから、衣服を身につけていることがわかる。背後のドローンに気づくこともなく彼女は林の中をゆっくりと歩いていた。
まもなく彼女は林を抜けた。同時にドローンの映像がサーモグラフィから可視光に切り替わった。女性の肌は濃い褐色だった。身にまとっているのは粗末な布で作ったワンピースのような服だった。そして靴をはいておらず裸足だった。
「やはり文明を失って退行していたか」捜索隊の一人が言った。
そこで女性が振り返った。ドローンのかすかな飛行音に気づいたのだろう。
女性は若かった。少女と言ってもいいかもしれない。おそらく十五歳から十七歳くらいだ。少女は美しい顔に怪訝な表情を浮かべ、滞空するドローンに青い瞳を向けていた。黒く長い髪が風に揺れた。
セドナ丸の乗組員はアフリカ人、ヨーロッパ人、アジア人など様々な出自をもつ人々だった。それらの血が何代も混じり合ったら、このような外見になるかもしれない。
少女は身を翻すと、転がる大岩の上を飛び跳ねるようにして走り出した。ドローンはその後を追った。走りながら少女は石を拾い上げドローンに投げつけた。ドローンはそれを苦もなく回避した。あまり少女を怯えさせるのも良くないと判断し、橘はドローンの飛行速度を落とし、距離を空けて追跡をつづけた。
ほどなく少女は台地の崖にあいた洞穴にたどり着いた。
洞穴の入り口の前で、一人の中年男が座り込んで何やら作業をしていた。男は立ち上がり、血相を変えて駆け込んできた少女に声をかけた。男は少女の話を聞いた後、ドローンの方向を見た。黒いあごひげを伸ばした男は険悪な表情でこちらをにらみつけていた。やがて男は少女を急き立てて洞窟の中に姿を消した。
録画された映像はここで終わった。
「あまり歓迎してもらえそうにないですね」近藤が言った。
「このまま強引に彼らと接触するのは良くないでしょうね。なんとか友好的に近づく方法はないだろうか」牧野は言った。
彼らとはなんとしても平和裏にファーストコンタクトをはたす必要がある、と牧野は考えていた。
なぜなら、彼らの祖先は前回のギガバシレウスの大群襲来を経験した可能性が高いからだ。子孫にもその時の記録が伝承や伝説の形で受け継がれているかもしれない。その情報はこれからまもなく迎える大群襲来に備えるために是非とも手に入れたかった。それには友好的な関係と信頼感の樹立が必要だ。
だが、それだけではなかった。
純粋に、牧野は彼らと友人になりたかったのだ。
牧野だけではない。おそらくこれはテレストリアル・スター号隊員全員が共有している感情だろう。七十光年以上におよぶ膨大な距離で他の全人類から隔絶し、さらに多くの仲間を失って、彼らは心の底から孤独だった。彼らは人間との出会いに飢えていた。新しい仲間がほしかったのだ。だからこそ総隊長も急いで捜索隊の増援を送ってきたのだ。
「やっぱりドローンを使うのは良くないな。やめよう。俺たちもちゃんと顔を見せ、同じ人間であることを理解してもらうんだ。もちろん、満面の笑顔でね」
伊藤が言った。