第90話 黄昏の土地にて
着陸艇はオッドエリアの上空に到着した。
日はすでに西の空に傾いていた。橙色の西日に照らされ、平原には木々や岩の影が長く伸びていた。動くものの姿は見えない。
「なんか、うす気味の悪い場所だな」伊藤が言った。
牧野も同意見だった。気のせいか、あたりの風景には何か異様な緊張がみなぎっているように感じられた。
「とにかく、ギガバシレウスがここで産卵している証拠を探そう。卵の殻や、巣の跡がどこかに残っていないだろうか」不吉な予感を振り払うように、牧野は言った。
「前回の飛来から百七十年経ってるからな。卵の殻なんかが残っていたとして、たぶん土に埋もれてるだろう。電磁波を使って地下の構造を調べてみた方がいいと思う」伊藤が言った。
着陸艇は高度を下げると、機体下部に展開したアンテナから電磁波を照射して地下を走査しはじめた。過去に鉱脈調査やサバククジラの研究に使ったのと同じ方法だ。装置の画面に着陸艇直下の地中の断面映像が映し出された。しかし、埋もれた岩石や植物の幹などが点々と見つかる以外、めぼしいものは何もない状態が続いた。
牧野は退屈を覚え、窓の外を見下ろした。
オッドエリアの植物相はこの惑星の他の場所とはまるで異質だった。草原のように一面丈の低い植物で覆われていたが、所々にキノコの傘のような樹冠をもつひどく背の高い大木が生えていた。
宇宙からの観測でも発見されていた直径数十キロにおよぶ暗い色の斑点の正体は植物の巨大な群落だった。ほぼ円形をしたそれは中心の一点から外側に向けて同心円状に成長してきたもののようだった。おそらくこれで単一の個体なのだろう。ここまで成長するのにどれほど時間がかかった事だろう。単一の植物が地平線の彼方まで延々と大地を埋め尽くしている様子はひたすら異様だった。
黒くて異様に足が長い巨大生物がその上に影を落としながらゆっくりと歩み去って行くのが見えた。
「何も見つからねぇな……」地中走査装置の画面を見ていた伊藤があくびをかみ殺しながら言った。
オッドエリアは産卵場所ではなかったのだろうか。
あきらめかけた時、画面に何かが映った。大量の固形物を含んだ地層だ。砕けた陶器や貝殻の欠片のようなものを敷き詰めた地層が地下三メートルのあたりに埋まっていた。その層はかなり広範囲に広がっているようだった。
「おっ、これが卵の殻じゃないのか」伊藤が言った。
「そうかもしれませんね」牧野は言った。
「この層が地表に露出している場所を探そう」伊藤は言った。
やがて、そんな場所が見つかった。
そこは河原だった。河川によって土砂が侵蝕され、川岸の斜面に地層がむき出しになっていた。卵の殻と思われる物体は砕けたタイルのようにあたりに散乱していた。陶器でも貝殻でもないことは一目瞭然だった。
「やっぱり卵の殻だ。やつらはここで卵を産むんだ」伊藤が言った。
「まだギガバシレウスの卵と決まったわけじゃない。降りて調べてみましょう」牧野は言った。
着陸艇は河原に降り立った。
周囲には丈の高い草のような植物が生い茂っていた。夕暮れ時の風に吹かれているのか、植物は大きな音を立ててざわざわと鳴っていた。
いや、風は吹いていなかった。植物たちは自分で動いていた。そもそも、これは本当に植物なのか。ひまわりのように高く伸びた茎の上に、人間の頭部大に膨らんだ大きな実のようなものが載っているが、重みに耐えかねてどれも頭を垂れている。茎も実も表面は黒いタール状の粘液に覆われていた。テュポーンの腐肉が降り注いだ土地に最近発芽したのもこれに似た植物だった。
川の水は少なく、赤錆色でどろりとしていた。川岸に転がる岩も赤や黄色に汚れていた。
「ひどい場所ですね」着陸艇の搭乗口から外の景色を一目見て近藤が言った。
「重金属か何かに汚染されているみたいだな」伊藤が言った。
彼らは着陸艇の外に一歩踏み出した。
川岸はじくじくとした土地で、足を下ろすと靴底が軟泥に沈み込んだ。足を上げると靴の裏に粘液が糸を引いた。牧野は不快さに思わず顔をしかめた。
彼らは軟泥に足を取られながら歩き、卵殻の破片にたどり着いた。そのあたりは泥の中にたくさんの殻の破片が散らばっていた。牧野はそれらを拾い集めた。あとでDNAを抽出して調べればこの殻を残した生物を特定できるだろう。
伊藤は川の水と土壌サンプルを採取していた。はじめて訪れた場所の水や土や生物のサンプルを採取するのはこの星での調査では標準的な手順になっていた。
近藤は例の頭でっかちの奇妙な植物を根元で切り取っていた。近藤の手と服は植物の黒い粘液でべったりと汚れていた。粘液からは異臭がした。
「あんた、ひどい格好だな」伊藤が言った。
「すいません、着陸艇に乗ったらすぐに着替えますんで」近藤はサンプル回収袋に植物を押し込もうと悪戦苦闘しながら言った。切り取られてもその植物はまるで動物のようにじたばたと抵抗してもがいていた。黒い液がさらに飛び散った。
「大丈夫ですか、それって毒とかあるんじゃ……」牧野は言った。
「たぶん大丈夫だと思いますが。この、くそっ」ますます黒く汚れながら近藤は言った。
なんとか袋に密封するとようやく植物はおとなしくなった。その頃には近藤は服だけでなく顔も黒く汚れ、悲惨なありさまになっていた。近藤はうめきながら着陸艇内に駆け込むと汚れた服をあわてて脱ぎ捨てた。近藤のあとに続き、牧野と伊藤たちも着陸艇に戻っていった。
すでにあたりは暗くなりはじめていた。
卵殻には微量のDNA断片が含まれていた。いずれも長い年月を経て寸断されていて、そこから卵の主を特定するのは困難だった。そのため断片化したDNA配列を復元する作業が必要だった。抽出したDNAをPCRで増幅した後で復元装置にかけた。
断片の塩基配列を照合して自動的にDNAがつなぎ合わされるまでしばらく時間がかかる。その間、オッドエリアで採取した環境サンプルの分析を進めることにした。
伊藤の言った通り、この土地の水や土壌はモリブデン、チタン、タンタル、アンチモンなど様々な金属イオンを高濃度で含んでいることが判明した。上流から流れてくる河川が汚染されているわけではなく、金属イオンは元々この土地全体に深く染みこんでいるようだった。地下深くに金属鉱脈があり、そこから帯水層を通じて染み出してきたものかもしれないと伊藤は言った。水や土壌は酸性に傾き、普通の生物にとっては快適な環境とは言いがたい場所だった。
金属は植物にも濃縮して含まれていた。
水や土のサンプルに含まれる環境DNAをメタゲノム解析にかけ、この場所にどんな生物が生息しているのかを調べると、他の地域とは共通点が見られない未知の遺伝子配列が大半を占めていた。
「やはりこの地の生物はあさぎりの一般的な生物とはかけ離れた存在のようですね。興味深い」近藤が言った。
だが、中には既知の遺伝子も含まれていた。
実際、それはあまりにも見慣れた遺伝子配列だった。DNAシーケンサーはその生物を即座に特定した。
「判定結果、エシェリキア・コリ……大腸菌ですね」牧野は言った。
「あーあ、採取のときにコンタミしちまったか。すまねえ」伊藤が言った。
「トイレの後はちゃんと手を洗ってくださいよ」近藤が言った。
「洗ってるって」
「それにしても、やけにシグナルが強いな。そんな大量に混入したのかな」牧野が首をひねった。
「えぇ……、俺の手ってそんなに不潔なのか」伊藤が言った。
着陸艇内の分析調査の模様は衛星回線を通じてリアルタイムで恒星船にも送られていた。
それを見て恒星船にいる高梁が口を挟んできた。これまでの数ヶ月間の調査でも、こうして彼女はモニター画面越しに会話に参加してきたが、今回はなぜかひどく焦っている様子だった。
「その大腸菌、私たちの体にいる菌株じゃない。遺伝子配列が全然違う」
「どういうことなんだ」牧野は言った。
「この探検隊以外の他の誰かが持ち込んだ菌だと思う」
「他の誰かって、いったい誰が……」
しかし、その言葉の途中で牧野は気がついた。
「そう、セドナ丸の人たちの体にいた大腸菌。そうとしか考えられない」高梁は言った。
セドナ丸の乗組員の体にいた大腸菌がなぜここにいるのか。
彼らが着陸した時に外部に漏洩した大腸菌がその後も自然環境中で二百年近く生存し続けたのか。
それとも、彼らの末裔がまだ生きているというのだろうのか。
このオッドエリアで。