第88話 環境調査
百七十年ごとの襲来がこの惑星に何をもたらしたか。牧野たちは議論した。
「おそらく超巨大生物が捕食されることで森林破壊のスピードが抑えられたのだと思います」近藤が言った。
あさぎりの超巨大生物の食性は様々だ。捕食性のもの、植物食のもの、雑食性のもの。オニダイダラは雑食性だ。モリモドキは何も食べず、体に共生させた植物から光合成でつくった有機物をもらって生きている。ただし、体長が百メートルを超える陸生の超巨大生物に、百パーセント捕食だけに頼って生きている種はいない。唯一の例外はギガバシレウスだ。
多くの超巨大生物種は植物から栄養を得ている。
それだけに、超巨大生物相の存在が惑星の植物相に与えている影響は相当大きいと考えられる。
彼らの排泄物や死骸に含まれる養分などが植物の生育にとってプラスとなる面はあるが、食害によるマイナスの影響も甚大だろう。全長数百メートル級の植物食性の超巨大生物が一体いれば、広大な森が根こそぎ食い尽くされてしまうだろう。
あさぎりの植物の異常なまでの生産力の高さをもってしても、超巨大生物の食害により少しずつ森林面積は減少していくだろう。そのまま進むと、それはやがて臨界点を迎える。森林が減ったことで葉から蒸散される水蒸気の量が減少し、雨が減る。さらにむき出しの土壌はやがて流出して保水力の乏しい荒れ地と化し、元には戻らない。惑星全土で乾燥化、砂漠化が進行するだろう。
ギガバシレウスの大群による捕食がなければ、増えすぎた超巨大生物はこの星の緑を食い尽くして生態系を崩壊させ、やがて自らも死に絶える可能性が高い。百七十年に一度襲来するギガバシレウスに間引かれるおかげで、個体数が適度に抑えられ、この星の超巨大生物相が安定して存在し続けられるのかもしれなかった。
それを証明するのは困難だった。
しかし、牧野たちはその難しい仕事に果敢に取り組んだ。
植物学者の近藤は土壌や地層中に含まれる植物遺骸を採取し、そこに含まれる植物の種類を分析した。花粉や胞子、藻類、それに細胞壁を構成する鉱物粒子のような微小なものから、この星の植物の種子に相当するものや樹皮の断片など大きなものまで様々なサンプルを土の中から選り分け、放射性年代測定法でそれらが何年前のものなのかを調べていった。
その結果からは過去にその場所に生えていた植物の種類を知ることができる。過去の植生の変遷をたどることで、環境がどう変化してきたのかを推測することができるのだ。湿潤な密林に生息している植物が見つかれば現在よりも雨が多く温暖だったことがわかるし、草原だけに生育する種類が見つかれば乾燥していたことになる。また、種類の数からは植物相の多様性の豊かさも知ることができた。
昆虫学者の堀口も近藤と同様の調査を行った。ただし、彼が調べたのは昆虫サイズの小動物の遺骸だった。植物と同じく、小動物の種類も過去の環境を推測するのに役だった。植物と動物という違う調査対象からアプローチすることで、結果の精度を高めることが目的だった。
近藤と堀口は複数の調査地点を移動しながら調査を重ねた。
地質学者の伊藤はさらに別の方面から調査に挑んだ。
彼は北極圏に浮かぶ島々、北方群島へと飛んだ。その島の高山地帯にはこの惑星でも数少ない氷河が存在した。氷は一年中溶けず、何百年にわたって降り積もった雪が何十メートルもの分厚い層をなして堆積していた。
伊藤はそこでボーリング装置を組み立てて氷を掘削した。深部から掘り出された円柱状の氷のサンプル、アイスコアには、過去に降った雪とともに当時の空気が気泡となって閉じ込められていた。それは数百年におよぶ大気の変遷を伝えるタイムカプセルだった。伊藤はアイスコアの大気サンプルを採取し、その組成や酸素同位体の比率を測定して、過去の気温の変化や大気中の粒子の変化を調べた。
この惑星の生産性を高めるエンジンの一つは、熱帯域の積層巨木林から発生する森林火災の煤やエアロゾルを栄養源にして増殖する空中藻類だ。それらが高緯度地帯に沈降することで惑星全土に有機物を供給している。アイスコアにはそれらの空中藻類も含まれていた。だが、その量は年によって変動が見られた。藻類が多い年は森林火災の発生が多かったとみられる。森林火災は温暖化により引き起こされやすくなる。つまり、藻類は温暖化の指標として利用できた。
生態学者の牧野は過去三年間に恒星船や地表観測衛星から撮影された惑星表面の画像データを利用し、超巨大生物の食害により失われた森林面積を割り出し、植物食超巨大生物一個体あたりの森林消失速度を算出した。
さらに、オニダイダラの年齢構成のデータから推測される捕食率から逆算し、もしギガバシレウスに捕食されなかった場合に植物食超巨大生物の個体数がどれだけ増加するかを求めた。その数字と森林の消失速度を合わせることで、ギガバシレウスの襲来がなかった場合に予想される森林減少の程度を割り出した。
牧野はさらに、近藤や伊藤たちが集めたデータをもとに生態学的モデルを構築し、シミュレーションを走らせた。そして、超巨大生物相そしてギガバシレウスの存在がこの惑星の環境、そして生物多様性にどのような役割を果たしているのかを確かめた。
彼らの研究は六ヶ月におよんだ。本来であればもっと長期間取り組み、データを増やすべきではあったが、大群接近のタイムリミットは容赦なく迫っていた。彼らは限られた時間を可能な限り研究に注ぎ込んだ。
それでも、堀口が体調を崩し恒星船にもどって治療を受けるなど、調査は途中でいくつものトラブルに見舞われた。北方群島の天候が悪化し、伊藤の氷床調査が数週間にわたって中断を余儀なくされることもあった。
研究データの解析は困難をきわめ、時には相矛盾する結論を導き出した。仮説をすんなりと説明するデータはなかなか得られなかった。惑星というシステムがとてつもなく巨大で複雑なことを考えると当然だ。それでも理論に合致しない理由を考え、モデルの修正を重ねることで少しずつ研究を前に進めていった。
あさぎりで日夜、研究を続ける彼らの頭上では、軌道を周回する恒星船が大群襲来とその後の再定住に向けて着々と準備を進め、月では竜王を殲滅するべく真空崩壊爆弾の製造が刻一刻と進んでいた。そして、外軌道からはおびただしい数のギガバシレウスの群れがこの惑星に向かって接近しつつあった。
そして、結論が導き出された。
「やはり、ギガバシレウスはこの惑星の生態系を持続可能な状態に保つ役割を果たしていた」牧野は言った。
研究結果を総合すると、次のようなシナリオが浮かび上がってきた。
予想通り、この惑星の超巨大生物相は大量の植物を消費し、森林の面積を着実に減少させていた。超巨大生物が増えるにつれて、環境は乾燥化に向かっていた。植物と小動物の種の変遷はそれを明確に裏付けていた。
超巨大生物に摂食された植物バイオマスは呼吸で燃焼され、最終的に二酸化炭素として排出される。光合成を行う植物の減少と、超巨大生物の呼気により大気中の二酸化炭素濃度は少しずつ上昇していた。
それは惑星の平均気温を最終的に二℃から三℃上昇させ、大気の大規模循環パターンを大きく変えた。熱帯の積層巨木林から発生する空中生態系は高緯度地帯まで届かなくなった。それは惑星全体への栄養源供給ラインの機能低下を意味した。空から沈降する微生物や空中生物の死骸から供給される窒素、りん化合物こそがこの星の植物の生産性の高さを下支えしていた。それが衰えることで、植物の成長は減速し、超巨大生物による破壊からの回復力を低下させた。
だが、百五十年から二百年の周期で、森林がめざましく回復した時期があった。大気中の二酸化炭素は光合成により回収されて低下し、惑星全土の気温も低下した。森林からの蒸散の増加で降雨量が増え、世界は再び緑に包まれた。植物と小動物の多様性は大幅に増加した。
この緑化期間は、オニダイダラの年齢構成に見られた個体数減少の時期とほぼ一致していた。つまり、ギガバシレウスの襲来直後に、この惑星の環境は回復していたのだ。
牧野が作成したシミュレーションは、もしギガバシレウスの周期的な襲来がなかった場合にこの惑星がどんな運命をたどるのかを示した。
際限なく増殖する超巨大生物はすべての森を食べ尽くし、数万年で完全な絶滅に至った。大気中の二酸化炭素濃度は上昇し、酸素濃度は急激に低下した。絶滅は超巨大生物だけではなく、植物や小動物にまでおよんだ。あさぎりは微生物しか生存できない死の星と化した。その姿は、彼らが後にしてきた地球を思わせた。
超巨大生物はそれ自体だけでは持続可能な存在ではなかった。ギガバシレウスという頂点捕食者によるコントロールを受けることで繁栄を謳歌していた。ギガバシレウスはこの惑星の生態系で必要不可欠なピースだったのだ。
「みんなありがとう。総隊長に真空崩壊爆弾の使用の中止を提言する」牧野は言った。