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第86話 産卵仮説

 卵らしき物体の大きさは直径約五メートル。

 ほぼ球形だ。表面は硬い物質でなめらかに覆われている。

 牧野は画像を拡大し、その内部を表示させた。

 中に詰まっているのは密度の濃い液体だ。そこにぼんやりとした影のようなものが浮かんでいた。一本の筋とその先端に膨らむ囊胞。目をこらせば発生途中の脊椎と脳に見えなくもない。

 間違いなくこれはギガバシレウスの胚だった。


 ギガバシレウスも生物である以上、何らかの方法で繁殖するのは間違いなかったが、それについてはまったくの謎に包まれていた。今回はじめて、その手がかりがつかめたことになる。

 産卵前の卵の中で胚発生が進んでいるということは、すでに受精が完了していることを意味する。つまり、ギガバシレウスは交尾により体内受精を行う生物だということが明らかになったのだ。


 牧野は興奮を覚えた。

 他の卵についても内部を調べてみたが、そのほとんどに胚のようなものが見つかった。成長段階はどれも同じくらいだった。親が死んで一ヶ月も経っているので、当然生きているものは一つもなかった。

 もし、テュポーンが殺されなかったら、この卵たちはその後どうなったのだろう。発生を続け、小さな竜となって産まれたのだろうか。


 その時、牧野は直感した。

「繁殖……卵……。そうか、そういうことなのか」牧野はつぶやいた。


 ギガバシレウスの大群の目的、それは産卵に違いない。


 DNAや解剖学的特徴の共通点から考えて、彼らの祖先があさぎりの生物なのは確実だ。飛躍的な進化を遂げ宇宙に適応した彼らだが、産卵と子育てにはまだ生まれ故郷のこの惑星が必要なのだ。そう、海洋に適応したウミガメが産卵のために陸地を必要としたのと同じように。

 ウミガメが何千キロも大海原を旅し孤島の砂浜に集団で上陸して卵を産んだように、ギガバシレウスも惑星間宇宙を何億キロも旅し、故郷の惑星に集まって次の世代を産み落とすのだ。

 産卵や繁殖のために長距離を移動する生物は地球にはたくさんいた。ウミガメだけでなく、サケやウナギなどの回遊魚、クジラ、ガンやカモ、ツルやアジサシなどの渡り鳥……。その例はいくらでもあった。ギガバシレウスがそれらと同じ習性を持っていたとしてもおかしくはない。


 そう考えるとギガバシレウスがこの惑星にいなかったのにも納得がいく。産卵の時期以外、彼らは宇宙空間や他の惑星に広く分散して生活しているのだろう。何十年か、何百年かに一度の産卵期に入ると、いっせいにこの星に集まって着陸し、卵を産むのだ。


 牧野はこの説の正しさを確信していた。

 だがそれはまだ仮説に過ぎなかった。さらに調査を進め、証拠を集める必要がある。

 牧野は早くもその準備に着手した。



 牧野は次の研究にとりかかったが、無人機はその場に残し定点観察を続けさせた。


 テュポーンの死骸はその後も腐敗を続けた。

 死骸から流れ出た腐汁の池は大きさを増し、いつの頃からかそのほとりに奇怪な生物群集が育ち始めた。絡み合う管のようなものが密生し、それに不気味な動物たちが群がった。ムカデのように長い体の両側に小さな羽を連ねて空中を漂うもの、ぎくしゃくと多脚をうごめかせるもの。それらの生物を触手で捕まえ大きな口で丸飲みにするもの。いずれも他の場所ではまったく見られない奇妙な生物たちだった。いったいどこから現れたのか全くの謎だった。

 普通の腐肉食の生物が耐えられないほど、高濃度の硫化水素をはじめとした腐敗ガスの中でそれらの生物は急速に増殖していった。


 一体の超巨大生物が死ぬと、莫大な量の有機物が環境中に放出される。それは周囲の土地を汚染し生態系を破壊してしまうほどの影響をおよぼすだろう。だが、この惑星には超巨大生物の死体という生態的地位に適応して進化してきた生物たちがいたのだ。他の生物が近づけないほど腐敗が進んだ巨獣の死骸を分解し、有機物を無機物に変えて大地に還元する役割をはたす生物が。

 かつて地球の深海でもクジラの死骸に群がる特殊な生物たちがいた。骨に穴を掘るゴカイの一種や甲殻類の仲間、特殊な二枚貝などで、彼らは鯨骨生物群集と呼ばれた。それらの生き物は死骸やそれから発生する硫化水素を糧に生きていた。

 牧野たちはこの生物群を竜骨生物群集と名付けた。テュポーンの死骸の周囲に広がる不気味な生物群集は、管や触手を揺らめかせる奇怪な花園のようだった。



 テュポーンの死骸そのものにも変化が生じつつあった。

 内部器官は溶けて崩れ、内蔵や卵などの軟らかい組織は判別不能になった。

 体表を覆う外皮の継ぎ目は緩んでいたが、それでも腐敗ガスのほとんどを閉じ込めるには十分な強度を保持していた。外皮はまるで圧力鍋のように働き、体内に溜まった逃げ場のないガスの圧力をどんどん高めていった。ときおり小規模な噴出でわずかにガスを放出しつつも、圧力は危険なレベルまでに上昇していった。


 ある日、眠っていたオニダイダラが目を覚ました。

 疾走に使う巨大な足を伸ばし、巨体を持ち上げてのっそりと歩き始めた。傷が癒えきっていないため動きは遅い。それでもテュポーンから遠ざかる方向に精一杯進んでいった。まもなく決定的な瞬間が訪れるのを察知したのだろう。


 そして、その時は何の前触れもなくやって来た。

 ある晴れた日の昼下がり、テュポーンの死骸は大爆発を起こした。

 連鎖的に発生した数度の爆発で死骸は粉々に消し飛んだ。赤黒い血煙が火山の噴煙のように空高く立ち上り、爆風は死骸に群がる竜骨生物群集を吹き飛ばした。直前まで映像を送ってきていた無人機はその瞬間に交信を絶った。

 死骸のあった場所にはクレーターが生じた。上空まで舞い上がった多量の腐肉と腐汁と骨片は雨となって降り注ぎ、半径十五キロの土地を赤茶色に汚した。その茶色いシミは軌道上の恒星船からも肉眼で確認できるほどだった。オニダイダラは危うく難を逃れた。



 あたり一面に降り注いだ大量の肉片は周辺一帯の景観を地獄の光景に変貌させた。だが、それらのおびただしい数の肉片にも竜骨生物群集が群がり、少しずつ分解していった。数ヶ月も経つ頃には腐肉はほとんど消えた。

 死骸がなくなると、あれだけたくさんいた竜骨生物群集もやがて数を減らし、静かに消え去った。

 竜王の死を後に伝えるのは、爆発でできたクレーターとバラバラに砕け散った骨片だけだった。



 テュポーンの死骸が終局を迎えた頃、牧野はあさぎりの森の中を歩いていた。テュポーンの死骸からは何千キロも離れた森だった。

 ギガバシレウスの目的が産卵であること、そして、彼らの存在がこの惑星の多様性を生み出すキーストーンであることを証明するための調査だった。

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