第8話 着陸
セドナ丸残骸の調査から七ヶ月後。
牧野は他の第一回地上調査隊のメンバーとともにストラップで固定されて着陸艇の後部区画に収まっていた。
ついに、有人着陸調査の日がやってきたのだ。
テレストリアル・スター号の船腹に取り付けられた格納庫の扉がゆっくりと開いていくと、惑星あさぎりの放つ青い光がその中にまで射し込んできた。
アームで船外に引き出された着陸艇は、青い惑星の周回軌道上にゆっくりと浮かび出た。
「そろそろ行くぞ。準備はいいか」着陸艇のパイロットが船内通信で言った。
「オーケー」「早く出してくれ」後部区画に乗り込んだ地上調査班が口々に応じた。
牧野は座席の上で無言で固くなっていた。実は彼は飛行機が大の苦手だった。
隣の席に座った安全保障班の乾があくびを噛み殺しながら言った。
「ほらリラックス、リラックス。大丈夫だって、着陸艇が墜落する確率なんて、亜光速飛行中の恒星船が事故って一瞬で消滅する確率に比べたら無視できるくらい小さいんだからさ」
「わ、わかってるよ……」
「ま、怖くなったら俺にしがみつけばいいさ。ほら、腕、貸してやるぜ。ははは」
くそっ、馬鹿にしやがって。牧野は歯がみした。
「じゃあ行くぞ。途中、結構揺れるが我慢してくれ。……テレストリアル・スター号、これより惑星あさぎりへの降下を開始する」パイロットが言った。
「幸運を祈る」恒星船のブリッジが応答した。
パイロットは機体後部のスラスターを噴射した。後部を進行方向に向けていた着陸艇はこの噴射で減速し、軌道を離脱しはじめた。それまで並んで浮かんでいたテレストリアル・スター号はみるみる遠ざかっていった。
着陸艇は船首を進行方向に向けると惑星に向けて降下を開始した。
船の前方に、青と白と緑に輝く惑星の曲面が徐々にせり上がってきた。渦巻く雲の頂が陽光を反射して金色に輝いている。
やがて着陸艇は大気圏に突入した。機体が激しく振動し、断熱圧縮で生じた熱で着陸艇の耐熱パネルが加熱され、窓の外を炎が走った。
「うわああああ」牧野は絶叫した。
大気圏突入を切り抜けた着陸艇は機体を空力学的な形状に変形し、軽やかに雲海の上を飛行していた。高熱に晒されていた船体外殻のパネルが冷却していく時のピシピシという音が聞こえる。牧野は放心して、ぐったりとシートに寄りかかっていた。
着陸艇は白い雲の峰を突っ切り、地表へと舞い降りていく。
白い雲を抜けると、そこは海の上だった。
青い海が四方八方にどこまでも広がっていた。海の色は地球よりも色鮮やかなブルーだ。雲の隙間から射し込んだ日差しが海面の波をきらめかせている。陸地は見えない。高度は地上三キロメートル、二キロメートル……。徐々に降下していく。
やがて水平線上に陸地の影が見えてきた。
着陸艇は大きく旋回し、予定された着陸ポイントへと向かっていった。今や着陸艇の高度はかなり低下し、地表の様子が手に取るように見え始めていた。ようやく平常心を取り戻した牧野は座席から身を乗り出し、窓の外に広がる惑星の光景を少しでも見ようと必死になった。
牧野だけではない。他の調査班員たちも争うように窓辺に身を寄せ、貪るように外を眺めていた。
「やれやれ、学者センセーたちも必死だな。これじゃまるで動物園に来た小学生だぜ」乾が言った。
着陸艇は海岸沿いの浅い海の上を海岸線と平行に飛行していた。
「海中に何かあるな」地質学者の伊藤が言った。
牧野にも見えた。それは海中に沈んだ大きな物体で、同心円状の構造を持っていた。巨大な木の切り株のようにも見える。大小様々な大きさのものが一面に点在していた。珊瑚礁に相当するもののようだった。
海上に突き出した険しい岩礁の上空を通過した。その頂に生い茂る植物の周囲に小型の生物が群れ飛んでいるのがチラリと見えたような気がした。牧野がもっとよく見ようと思った時にはすでに岩礁ははるか後方に過ぎ去っていた。
その直後、牧野は驚くべき光景を見た。
着陸艇の進行方向右手の海面に巨大な物体が浮かんでいた。大きい。少なくとも十メートルはあるだろう。
「おい!あれを見ろ!巨大生物だぞ」思わず叫んでいた。
その声に、調査班員たちは一斉にストラップを外し、牧野が指さした側の窓辺に駆け寄った。乾でさえ窓に顔をくっつけている。
「おいおい、ちゃんと着陸するまで席に着いててくれよ。危ないからさ」
パイロットの注意も耳に入らぬ様子で、調査班員たちは興奮した様子で海上を見下ろしていた。
一見、それはクジラに見えた。だがその姿は……。紡錘型の胴体側面には多数の鰭が並び、胴体後部からは長い触手が伸びていた。クジラというよりイカやタコのような軟体動物だろうか。それは黒々とした皮膚をぬめらせて泳いでいたが、やがて波間に消えていった。海中に潜る瞬間、たしかにその背中が七色に発光したのが見えた。
牧野ははじめてこの惑星の生物を肉眼で目撃した興奮にすっかり舞い上がっていた。
「すごい、すごいぞ……。おい!今の見たか」牧野は乾に言った。
「ああ、見たぜ。あれは何なんだ」乾が言った。
「新種だ。衛星の観測では見つかってなかった生物だよ」
その時、パイロットが言った。
「そろそろ着陸だ。全員席についてストラップを締め直してくれよ」
海岸沿いに飛行してきた着陸艇はやがて広大な砂丘の上空にさしかかった。白い砂が波打ち際から数キロ奥の内陸部まで広がっていた。恒星船からの観測で事前に選定された着陸地点がここだった。着陸の妨げになりそうな障害物も植生もなく、絶好の着陸地点と考えられた。
乾が船内通信でパイロットに呼びかけた。
「付近に超巨大生物はいないだろうな。セドナ丸の乗組員が遭遇したようなやつだ」
「ああ、大丈夫だ。レーダーには不審な物体は何も映っていない。スター号、そちらは何か捉えたか?」パイロットは軌道上を周回する恒星船のブリッジに聞いた。
通信によるほんのわずかなタイムラグを置いて、ブリッジの乗組員が答えた。この時、テレストリアル・スター号は惑星の反対側に去りつつあったが、衛星軌道上に展開した複数の通信衛星と地表観測衛星のネットワークを通じて着陸艇の動向をリアルタイムで常時監視する体制が整っていた。
「……光学的観測では着陸艇の百キロメートル四方に異常は見られません。もちろん超巨大生物の影も形もありません。安心して着陸を実行してください」
「了解した」
着陸艇は盛大に砂塵を巻き上げながら慎重に高度を落とし、ついに惑星あさぎりの表面に着陸脚を下ろした。パイロットはエンジンのスイッチを切った。
「……到着だ。みんなお疲れ様」
大気分析の結果は、百年以上昔のセドナ丸の調査結果とほとんど差が無く、窒素74%に酸素が25%、その他二酸化炭素などの微量の成分が合計1%。少なくとも化学的には呼吸可能な大気だった。
だが、彼らは慎重に慎重を重ねるつもりだった。惑星の大気を直接呼吸するのは、地球から連れてきた実験動物のマウスを惑星あさぎりの大気に三日間晒して生命に別状がないことを確認し、その後さらに解剖して組織や細胞レベルで徹底的に観察して、いかなる病変も見られないことを最終確認してからだと決めていた。それまでは屋外活動の際は必ず宇宙服を着用するよう規定で義務付けていた。
調査隊の学者、特に生物学者たちは先を争うように着陸艇のハッチに詰めかけた。
「こらこら、待ちなさいな学者センセイ諸君」彼らの前に安全保障班の乾が立ち塞がった。
「あんたら、ここが超巨大生物の惑星ってこと忘れてないか?のこのこ外に出て行って、貪り食われても知らんぞ。もうちょっと落ち着いて、席に座って待っとけや」
「…………」牧野を含め、学者たちは決まり悪そうに再び腰を下ろした。
乾は自分の端末を操作しながら、パイロットに呼びかけた。
「ナンバー4貨物室のハッチを開けてくれ」
「オーケー、開けたぞ」パイロットが応じた。
「今から防衛ドローンを三機出す。搭載武器はマイクロミサイルと超高出力パルスレーザー。一機だけでも戦術用ヒト型機器の部隊を楽々制圧できるほどの優れもんだ。まずはこいつを飛ばし、安全圏を確保する。人が外に出るのはそれからだ」
数分後。
着陸艇から降り立った牧野は、ヘルメットのバイザー越しに惑星あさぎりの風景を見ていた。起伏する白い砂と、その彼方に打ち寄せる青い波。そしてサファイアのような澄んだブルーの空。
滅びゆく地球、酸素ドーム内の閉ざされた都市、狭苦しい恒星船の船内……。これまで牧野が生きてきた場所はどこも狭く、荒廃していた。だが、それとは対照的に、この星はあまりにも広大で美しかった。
セドナ丸の乗組員たちも、きっと同じように感じたことだろう。
牧野は地面に膝を突き、手の平に白い砂をすくい取った。
それは手の中で宝石のようにきらきらと輝いた。目をこらすと、砂の一粒一粒は複雑な形状を備えていた。バイザーの拡大機能が自動的に働き、拡大図を大きく映し出した。フラクタル図形のように入り組んだそれは明らかに微細な生物の死骸だった。おそらく有孔虫や珪藻のようなプランクトンの死骸が潮流や風で寄せ集まってこの砂丘ができたのだろう。
着陸艇内で詳細な分析を行うため、牧野は砂を採取袋に入れた。
牧野の周囲では、他の隊員たちが機材を下ろしたり、基地の設営に取りかかったりしはじめていた。
機械の動作音に振り向くと、ヒト型作業機器が両腕に機材を抱えて運んでいた。体高は約三メートル。中に人が入って操縦するタイプの重機だ。重さ五トンの荷物を片腕で軽々と持ち上げられる。付属アタッチメントを取り付ければ様々な用途に使用可能だった。操作しているのは植物学者の近藤だった。
「牧野さんもぼーっとしてないで働いてくださいよ!」ヘルメットの無線通信を通して近藤が言った。
「ああ、悪い悪い。今から手伝うよ」
牧野は近藤に詫びた。だが、ようやく新しい世界に到着したのだから、もう少し感慨にふける時間が与えられても良いのではないだろうか。みんな真面目過ぎる。到着早々いそいそと作業を始めたこの船の仲間たちよりも、牧野はこの星の風景に見とれていたセドナ丸の乗員たちのほうに共感を覚えた。
着陸艇に戻ろうとして、牧野はふと、ある物に気がついた。
砂丘の上に、点々と跡がついている。足跡だろうか。それは低い砂丘の向こう側まで一直線に続いていた。
どんな生物の足跡だろう。気になる。今すぐ仕事に戻るべきだが、あと少しくらいなら許されるだろう。
牧野は足跡に沿って歩き出した。