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第84話 キーストーン種

 今回の組織改革で、牧野は科学調査部の主任科学者への配属を命じられた。


 いち研究員からの異例の抜擢だった。もともと主任科学者は量子物理学者の浅井という隊員が務めていたが、彼女は居住区壊滅ですでに死亡しており、そのポジションはしばらく空位となっていた。

 奇異に思いながらも、牧野は総隊長のいる船長室に出頭した。


 清月総隊長は牧野に言った。

「いま最も必要なのが、君が専門とする生態学者の視点なのだよ」


「ギガバシレウスの生態を解明し、弱点を探り出すためでしょうか」牧野は言った。


「それもあるが、私の心情としてはむしろ逆だ。君には彼らとの共存の可能性を探ってもらいたいのだ」


 意外な言葉に牧野は驚いた。総隊長はギガバシレウスを絶滅させることを決意したのではなかったのか。だからこそ真空崩壊爆弾などという物騒な最終兵器の製造に踏み切ったのではなかったのか。

 だが、同時に深い安堵も覚えていた。やはり清月さんはバランス感覚のあるリーダーだった。人類や国家の存続に固執するあまり、最近暴走しているのではないかと牧野は内心で危惧していたからだ。


 総隊長は続けて言った。

「実は向井の話を聞いて、私も少なからず心を動かされた。我々は生物の絶滅という罪を繰り返すためにはるばるここまで来たわけじゃない。彼の言葉はそれを思い出させてくれた。言うまでもないが何よりも大事なのは人間の命だ。それは変わらない。必要とあれば真空崩壊爆弾の使用をためらうつもりもない。だが、竜王たちが比類なき存在であるというのもまた事実だ。むやみに絶滅させて良いはずがない。そう思わないか?」


「まったくその通りです。彼らはライオンやワシやティラノサウルスのように、獰猛ではあると同時に強く人を魅了する生物だと思います。……でも、彼らを滅ぼすべきでない理由はそれだけではないと私は考えています」


「と、いうと?」

「ギガバシレウスたちはあさぎりの生態系の頂点で重要な役割を果たしている可能性があります」



 生態学にはキーストーン種という言葉がある。

 キーストーンとは石造建築物を支える要石(かなめいし)のことだ。まさに要石のように生態系全体を安定化させるのに必要不可欠な種で、その種が欠けることで生態系に大きな悪影響がおよぶ。

 例えばアメリカ大陸北部に生息していたオオカミはシカ類を捕食することで、その地の植生がシカ類に食い尽くされるのを防ぎ、植物の多様性を保護する役割を果たしていた。多様な植物はそれだけ多くの生態系地位を創出し、多様な昆虫や小動物、それを餌にする鳥や獣の生存も可能にする。つまり、オオカミの存在が生態系全体を豊かにしていたのだ。同様の例はラッコやシャチなど地球上でいくつも見つかっていた。


 牧野は続けて言った。

「ギガバシレウスがあさぎり全体のキーストーン種を演じている可能性は十分あると思います。他の大型や超大型生物を捕食して適度に間引くことで、あさぎりの多様性を保っているのです。もし竜王がキーストーン種だったなら、それを排除することで最悪の場合、惑星あさぎりの生態系を崩壊させてしまうかもしれません」


「なるほどな。そうなったらこの星は人類の生存に適した世界ではなくなってしまうかもしれないということか。だが、ギガバシレウスの大群の襲来が一過性の異常現象だという可能性もゼロではない」


「……おっしゃる通りです。そうだったら、ギガバシレウスの存在はこの星に災いしかもたらさないでしょう」


「竜王たちは必要不可欠なキーストーンなのか、それとも駆逐すべき災厄なのか。生態学者の君にそれを見定めてもらうことになる。……できるか」清月は牧野の目をまっすぐに見つめて言った。鋭い眼光が突き刺さってくるかのようだ。


「はい。やります。やってみせます」牧野は総隊長の目を見返して即座に返答した。


「わかった。君ならできると信じているぞ。タイムリミットは大群が集結するまでの約三百日後だ。これが最後のチャンスだ。それまでに真空崩壊爆弾を使用するかどうかを決定しなければならない。残り時間は少ない。すぐに取り掛かってくれ」


「承知しました。全力で取り組みます」牧野は総隊長のもとを辞した。



 責任は果てしなく重い。

 研究の結果が文字通りこの星と人類の未来を左右することになる。間違いは許されない。総隊長には自信満々で返事をしたものの、あの場での一時的な精神の高揚が収まってくると牧野は早くも不安になってきた。



 自室に戻った牧野を高梁が祝ってくれた。

「昇進おめでとう。これから大変になるね。……どうしたの、浮かない顔してるけど」


 牧野は高梁に総隊長とのやり取りを説明した。


「引き受けてはみたものの、本当にできるのかな、と思ってさ。だって、たった三百日しかないんだぜ。生態学の研究はもっと長期間の調査からデータを集めて結論を出すのがふつうだからな。時間が足りなすぎるんだよ。それに人手も全然足りない。こんな状況で果たして信頼できる結果を出せるのだろうか。いや、絶対無理だ」


「じゃあ、今から総隊長のところに行って断ってきたら。やっぱ無理です。ごめんなさい、って」


「いや、それはだめだ。俺はギガバシレウスを滅ぼしたくない。何とかして人類と共存できる道を見つけたい。それは君も一緒だと思うけど。タイムリミットまでに清月さんや他の隊員たちを納得させられる答えを見つけ出さなければ、容赦なく真空崩壊爆弾は使用されてしまうだろう。……俺がやるしかないんだ」


「しょっぱなから気負いすぎだよ。もっとリラックスしたら?一人で全部やるわけじゃないんだから。伊藤さんや近藤さんたちもきっと協力してくれるよ。それに、私も妊娠してるけどまだまだ全然働けるから。心配なんかいらないよ。おまけに無重力だからこの先お腹が大きくなってきても地上より動きやすいと思うし。だから、タカシはいつも通りに冷静に自分のするべきことをすればいいと思う」


 高梁はふわりと室内を漂ってくると牧野に寄り添った。じかに触れた体から伝わる彼女の体温と、彼女の匂いが心地よかった。牧野は徐々に落ち着きを取り戻していった。


「……ありがとう。君がいてくれて助かった」牧野は言った。そして高梁の体に手を回した。

 これから忙しくなる。しばらく二人だけの親密な時間も取れなくなるかもしれない。

「もうしばらく、こうしててもいいか」牧野は言った。

 彼の胸元で高梁が小さくコクンとうなずいた。牧野は部屋の照明を消した。


 抱き合って室内に浮かぶ二人の向こうで、スクリーンに映し出された青と緑の惑星はゆっくりと自転していた。その光が室内をエメラルドグリーンに染め上げた。




 牧野は今後の調査計画で三つの大きな方針を立てた。

 まず一つ目はギガバシレウスの体がどんな仕組みを持っているかを明らかにする。海溝で今も生きているニーズヘッグと、平原に放置されたテュポーンの死骸を調べることで生理機構を解明する。現時点では彼らが実際はどんな生物なのかすらよくわかっていなかった。まずはそれを知ることから始めなければならない。


 次に、ギガバシレウスの大群襲来が過去に起きていなかったかを調べる。同じ現象が過去においても周期的に繰り返されていたとしたら、それは必ず惑星の生態系や地質に何らかの痕跡を残しているはずだった。 

 地質の研究には地質学者の伊藤の協力が是非とも必要だった。生態系の研究は牧野自身が進めることになる。植物に関する調査は近藤に頼もう。この惑星に住む超巨大生物が植物にどれだけインパクトを与えているか調べてもらうのだ。

 向井が健在だったらと思わずにはいられなかった。彼の研究者としてのキャリアは牧野など足元にも及ばないほど立派なものだった。彼がいてくれたらさぞかし頼りになったことだろう。


 そして、三つ目の方針は、ギガバシレウスの大群がやってきた場所の調査だ。第六惑星。そこで彼らはいったい何をしていたのか。木星型の巨大ガス惑星であるその星には何か秘密が隠されているのだろうか。

 この調査には生物学者ではなく惑星天文学者の協力が必要だった。

 そして、第六惑星まで短時間で到達できる高速飛行可能な無人探査機と、ガス惑星の大気圏に突入できる調査プローブの開発にはハードウェア班に依頼する。あさぎり再定住計画に向けた武装強化と新型機器の製造開発でただでさえ多忙な彼らに頭を下げて頼み込んで、何とか作ってもらうしかない。


 これらの調査結果を総合すれば、ギガバシレウスという生物の正体を見極めることができるかもしれない。



 これらのうちで牧野が一番最初に手を付けたのが、テュポーンの死骸の調査だった。

 まずは既存の無人調査機を送り込み、至近距離から観察することにした。特殊な粒子で内部を透視できる装置も搭載しているので、これなら解剖せずとも体内の構造を調べることができる。

 アルファ大陸北部を通過中に恒星船から発射された無人調査機は大気圏に突入し、パラシュートを開いて減速した後、回転翼での飛行を開始して死骸の放置された地点に接近していった。

 牧野は無人機から送られてくる映像を注視した。


 ドラゴンスレイヤーがテュポーンを倒してから既にひと月近くが経過していた。

 森林地帯の上空を飛ぶ無人機の前方にそれが見えてきた。

 二体の超巨大生物が激闘を繰り広げた跡地だ。

 巨大な足で踏み荒らされ、噴射炎に焼かれて荒地のようになっていた周囲の土地はすでに草のような丈の短い植物の緑で覆われていた。やはりこの惑星の植物の回復力と成長速度は地球よりもはるかに早かった。


 その土地の真ん中に二つ並んだ小山が見えた。

 テュポーンの死骸と、オニダイダラだ。

 二体の横たわる位置はあの時とまったく変わっていなかった。

 結局、オニダイダラも死んでしまったのだろうか。

 牧野は二体に向かってさらに無人機を接近させていった。

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