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第78話 絶滅の波

 人新世。人類が造り出した新たな時代。

 しかし、皮肉なことにその新時代は人類にとって快適なものではなかった。


 二十一世紀、全世界のテクノロジー文明は崩壊の危機に瀕した。

 地球全土を支配したとはいえ、人類の文明は生態系ピラミッドの頂点に危なっかしく乗っているに過ぎなかったのだ。その根底となる環境をあまりにも破壊、改変しすぎたつけを人類は払わされることになった。


 気温上昇による気候変動で、これまで作物が栽培されていた地域で降雨量が減少し、世界的な食糧危機が発生した。また、異常気象により激甚災害が多発し、数多くの人命が失われた。

 世界はパニックに陥った。経済は混乱し、軍事的衝突が多発した。いくつもの国家が崩壊し無秩序な野蛮状態へと回帰した。瀕死の大国は国民への統制を強め私権を剥奪することで体制の維持をはかった。ごく少数の世界的な超富豪が情報テクノロジーの力で圧倒的多数の貧民を意のままに支配した。これは新たなる暗黒時代だった。


 悪夢のようなこの時代、一部の人々は事態に真剣に向き合い、環境から徹底的に収奪する、これまでのホモ・サピエンスのあり方が根本的に誤っていたという認識に達した。そして、まったく新しい生き方を模索し始めた。自らの快適さや進歩を制限してでも、持続可能な文明へと舵を切ろうとする者たちが現れたのだ。

 この時、五万年前以来初めて、ホモ・サピエンスは自制を学ぼうとしていた。



 だが、その時起きたのが「宇宙への大躍進」だった。

 二十二世紀初頭、ベイリーやオルロフ、グエンなど、アインシュタインに匹敵するレベルの天才が何人も出現し、理論物理学に大発見が相次いだ。同時に、新テクノロジー開発への投資を惜しまない超富豪のもとで、宇宙工学は飛躍的な進歩を遂げた。

 閉塞状態に陥っていた人類の前に、突如として宇宙への道が開かれたのだ。


 宇宙への進出というイノベーションは世界を救った。滅亡のふちに立っていた人類文明は息を吹き返した。

 月や火星、小惑星には無尽蔵とも思えるほどの資源が眠っていた。先進的な考えを持つ一部の超富豪は早々と活動の拠点を宇宙に移転した。彼らに導かれるように多くの人間が宇宙を目指した。

 アフリカのコンゴでは第一基目の軌道エレベーターが稼働し始めた。月と火星では恒久的な植民都市の建設工事が着工され、やがて、人類初の恒星間探査機がアルファケンタウリ星系を目指して飛び立った。


 だが、それは旧来のホモ・サピエンスの生き方、すなわち環境からの収奪を継続させることになった。結局のところ、「宇宙への大躍進」も、収奪の対象を地球から宇宙に変えただけに過ぎなかった。環境と調和した持続可能な文明という真の変革の芽は、誕生なかばにして摘み取られた。



「……こうして人類は、過去数万年の生き方を宇宙でも繰り返すことになったのだ。すなわち、他の生物を絶滅に追い込む生き方をだ。五万年前のユーラシア大陸で始まった絶滅の波はついに宇宙空間にも拡大していった」向井は言った。


 向井は続けた。

「惑星ニューホームでは、史上はじめて地球外多細胞生物が発見された。それは体長数ミリの線虫のような生物で、マイクロワームと名付けられた。その後、その星でテラフォーミングが開始された。ニューホームの土中に住んでいたマイクロワームはまもなく姿を消した。惑星サファイアでは、極冠の氷の上に生育する繊細な青色藻類が絶滅した。居住区の建設で生息環境が破壊されたことが原因と推測されている。惑星ファティリティでは、核融合発電所の爆発事故で広大な湿原の生態系が消失した……」


「地球外生物の保護をうたう国際条約は存在する。しかし、実際のところ、そんなものには何の実効性もなかった。地球から何十光年も離れた星で違法行為が行われようとも、地球がその行為を止めたり、処罰する手段は何もないからだ。先に挙げた例は正式に報告されただけまだ良心的だったとさえ言える。実際には多くの惑星で種の絶滅や生態系の破壊が黙殺されていることだろう。恒星間移住という巨大プロジェクトの前では、目立たないちっぽけな虫や藻類の命など、たやすく無視されてしまうのだ」


「だが、いくらちっぽけであろうとも、それらの生き物は何億年という独自の進化の歴史を歩んできたのだ。彼らに秘められた謎を解明することができれば、地球だけでなく宇宙全体に適用できる普遍生物学を確立する上で貴重な一ピースとなったに違いない。それは人類の知にとって計り知れない価値をもたらしただろう。だが、その前に彼らは滅ぼされ、その情報は永遠に失われてしまった……」


「…………」皆、向井の話に黙って耳を傾けていた。


「私は、あさぎりに希望を抱いていた。だが、あまりにも楽観的で、理想的に過ぎたようだ。たしかに、この船に乗る私たちは自らの欲望のために他種を絶滅させるほど愚かではないだろう。だが、自らの身に危険がおよぶなると、どうだ。たちまち知性や分別は捨て去られ、昔ながらの絶滅プログラムのスイッチが入ってしまうのだ」



 乾が言った。

「だが、仕方がないだろう。あんたはあのギガバシレウスと人類が共存できるとでも思うのか。攻撃しなければ、滅ぼされるのは俺たちの方なんだぞ」


「君の言うことは正しい。ギガバシレウスと人類の共存は不可能だろう。だから私たちは謙虚にこの星から去るべきなのだ。何度も言うように、この星は彼らのものなのだ」向井が言った。



「……私は、向井さんの言う通りだと思う」高梁が言った。


「えっ、高梁」牧野は驚いた。


「仮にギガバシレウスと共存する何らかの方法が見つかったとして、その先はどうなるのか、考えてみたの。私たちがあさぎりに留まって新しく居住区を作る。だんだん人口が増えてそれが町になる、やがて何万人もが暮らす都市に成長する。そして、そんな都市があさぎりの各地に作られていく。でも、この星には超巨大生物相ギガファウナがいる。たとえ敵意がなくても、オニダイダラが通り過ぎただけで都市は完全に破壊されてしまう。将来、この星に暮らす私たちの子孫はそんな危険を見過ごすつもりはないと思う。たぶん、ギガバシレウスだけでなく、すべての超巨大生物が殺されることになると思う。オニダイダラも、モリモドキも。自分たちの安全と平穏な生活のために……。そうなるくらいなら、向井さんの言う通り、私たちはこの星への居住を諦めるべきだと思う」

 牧野は意外な思いで高梁を見た。ここまではっきりと自分の意見を述べる彼女を見たのは初めてだった。



「……賛同してくれてありがとう」向井が言った。


「私も撤退に賛成します。この星の偉大な生命を滅ぼすくらいなら、勇気を出して撤退の道を選びます。この星は地球の国立公園のような、生物保護の聖域(サンクチュアリ)にして、人類の立ち入りを制限すべきです。この星の豊かな生物相は、全人類にとってかけがえのない財産になるはずです」

 村上という女性隊員が言った。オニダイダラの背部外殻に避難している間、彼女はその超巨大生物を崇拝していた。


 三浦というソフトウェア担当班の隊員が言った。

「僕も向井さんや高梁さんの意見に賛成です。思い出してください、地球を立つ前の説明を。……あの時、清月さんは言いましたよね。何らかの理由であさぎりへの移住が不可能だと判断した場合、ここから七光年離れた赤色矮星を周る地球型惑星に向かうと。今の状況はあさぎりへの移住が不可能だと判断するのに十分な理由たりうると僕は考えます」



 それに対し、平岡が反論した。

「おいおい、正気か。その地球型惑星は地球よりも1.5倍も大きいスーパーアースなんだぞ。地表の重力はあさぎりや地球よりもずっと強い。それに、惑星の表面のほとんどが海だ。環境や生態系の状況もよくわかっていない。そんな星に入植しても将来は決して明るくないだろう。それならば、ここで踏みとどまって戦うべきだ」



「私も平岡に同意する。我々が自然保護の観点からあさぎりを諦めても、近い将来、他国の送り出した恒星船がここにやってくるに違いない。あさぎりを狙っていたのは日本だけではないのだ。そして結局、彼らはこの星系のギガバシレウスを駆逐し、我々の代わりにあさぎりに入植するに違いない。それならば我々がこの星を手に入れておくべきだ」井関が言った。



「私も撤退に断固反対します」植物学者の近藤が言った。

「あさぎりには私の妻が眠っている。彼女を置き去りにするわけにはいきません。それに、彼女を殺した相手に屈するなど耐えられない。あまつさえ、その前から尻尾を巻いて逃げ出すなど……。ありえない。絶対にありえない!そんな選択肢は断固として拒絶する!人類はあの邪悪な怪物どもに勝利し、殺された仲間たちの敵を討たなければならないのだ。撤退など……考えるだけで不愉快だ!そんな考えの者が仲間にいることさえ耐え難い!」

 顔を真っ赤にし、唾を飛ばしながら近藤はまくし立てた。



「皆、意見は様々か。……ヨヴァルト、君はどう考える」清月が意見を求めた。

「そうですね、まだ決断するのは時期尚早かもしれません。ギガバシレウスについての情報が圧倒的に足りない。武器を準備しつつ、情報収集を続けるべきかと考えます」ヨヴァルトは言った。



「ありがとうヨヴァルト。みんなもありがとう。参考になった」清月が言った。


「だが、この星への人類の定住を成功させるという私の信念は揺るがない。全員からの賛同が得られるまで、粘り強く対話を続けていこうと思う。向井、いつでも議論は受け付ける。納得がいくまで話し合おう。以上だ」清月が言った。

 その日の話し合いはこれで終了した。



 自室に戻った牧野は、船外カメラの映し出すあさぎりのリアルタイム映像を見ていた。

 高度七百キロメートルを飛ぶ恒星船の下を惑星あさぎりの地表が流れていく。青緑の海、濃いグリーンの森、白い雲霧……。何度見ても素晴らしい眺めだった。

 この惑星を去りたくなかった。できることなら再び惑星の地上に降り、そこで暮らしたかった。そして、この星に暮らす無数の生物と、彼らの織り成す複雑きわまりない生態系の秘密を解明して一生を送りたかった。


 向井が言ったように、人類はこの惑星でも地球と同じ過ちを繰り返すのだろうか。

 五万年前、アフリカを出た人類がスミロドンやメガラニアといった凶暴な肉食動物を絶滅させたように、ギガバシレウスを滅ぼすのだろうか。そして、惑星全土に植民する過程で、オニダイダラやサバククジラ、その他の超巨大生物相ギガファウナを根絶してしまうのだろうか。マンモスやオオナマケモノと同じように。そして、積層巨木林を切り開き、この惑星の環境を変えてしまうのだろうか。

 本当にそれは避けられない運命なのだろうか。

 牧野にはそうは思えなかった。必ず共存の道はあるはずだ……。




 牧野は物音で目を覚ました。

 何やら部屋の外が騒がしかった。

 端末で時刻を確認する。まだ就寝時間中だ。


 牧野は寝ぼけ眼を擦りながら自室のドアを開けて外を見た。通路にはライトが煌々と灯っていた。通常であれば就寝時間中はライトの照度が落とされ通路は薄暗いはずだった。

 通路の向こうから切迫したやり取りが聞こえた。


 ただならぬ雰囲気に牧野の眠気は一瞬にして覚めた。

 何か事件が起きたのだ。

 通路に沿って並んでいる個室のドアのひとつが開け放たれていて、そこから声が聞こえていた。

 向井の部屋だ。話しているのは橘と清月、そして……ドクターだ。


「いったい何の騒ぎです?」通路の向かい側の部屋から堀口も顔をのぞかせた。


 向井の部屋から人が出てきた。

 無重量状態の通路を、数人が固まって浮かびながらこちらに向かってくる。

 清月と橘が、意識のない向井を両脇から抱き抱えていた。その後ろをドクターのホロ映像が続く。


「何があったんです」牧野はドクターに聞いた。

「向井が自室内で心肺停止状態で発見された。これから万能医療機で蘇生処置を行う」ドクターが言った。

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