第75話 竜王掃討作戦②
ヴリトラを倒した後、恒星船は惑星を一周してベータ大陸北部上空に入った。
次なる標的はそこを縄張りとするオロチだった。
ほどなく成層圏を飛行するオロチが見つかった。
射程圏に入った直後から高出力レーザーによる挑発照射を開始。三十秒後、オロチもやはり恒星船めがけて昇ってきた。
「なんつーか、なりはデカいがしょせん爬虫類ってことか。決まった習性通りの行動しか取れないんだな」
乾が言った。彼はドラゴンスレイヤーに搭乗していたが、通信ネットで他の隊員たちとの会話に参加していた。乾だけではなく、耐G槽の中にいる非戦闘要員も自由に発言することが許されていた。
「……ギガバシレウスは爬虫類ではないし、地球のどんな生物とも根本的に異なった存在だ。見た目からの類推で侮るのはあまりに短絡的だよ」暗く沈んだ声で向井が言った。牧野はその声音に不穏なものを感じた。
「な、なんだよ、そんなのわかってるって」乾は鼻白んで言った。
「接触まであと三十秒。回避機動用意」吉崎が言った。
「アトラトル第二弾装填。発射準備完了」井関が言った。
オロチは恒星船めがけてロケットのように突っ込んでくる。
「ま、どっちにしろこいつも終わりだな。ミンチになって光の速さで吹っ飛べ」乾が言った。
「あれ。オロチ、尾部を前方に向けました。逆噴射です。減速しています」吉崎が言った。
減速したオロチは恒星船の手前で上昇を止めた。そして惑星を周回する軌道に乗り、恒星船のすぐ下を併走して飛びはじめた。
「だめだ。これではアトラトルが撃てない」井関がうめいた。
この状態で下にいるオロチに向けてアトラトルを撃てば、亜光速で飛散したオロチの残骸があさぎりの地上に激突して大災害を引き起こすだろう。惑星そのものを人質に取られたような状態だった。
「あいつ、俺たちが惑星に向けて暗黒兵器を使えないことを見抜いているのか。意外と賢いな」乾が言った。
「でも、我々がオロチに遭遇するのは今回が初めてです。こちらの戦術や攻撃能力を知っているはずがありません」吉崎が言った。
「確かに妙だな。何らかの方法で個体間で情報を共有しているのかもしれんな」清月が言った。
「総隊長、高出力レーザーでの攻撃再開を提案します。暗黒兵器ほどの威力はありませんが、この近距離なら与えるダメージも大きいはずです」井関が言った。
清月がレーザー照射を命じようとしたその時、オロチが恒星船にむけて大きく口を開けた。そして、喉の奥から大量の黒煙とともにオレンジ色の高温ガスを吐き出した。高温ガスの奔流は恒星船めがけて襲いかかった。
「回避しろ」清月が言った。
「間に合いません」吉崎が叫んだ。
「ならばプラズマシールドだ」清月が命じた。
プラズマシールドとは恒星間飛行の際に星間物質から船体を保護するための装置だった。強力な磁場で形成されたプラズマの保護膜が、進行方向から光速に近い相対速度で飛来する微粒子の衝突を防ぐのだ。だが、その性質上シールドで保護されるのは船の前側だけだった。
吉崎は急いでプラズマシールドを起動した。紫色に輝くプラズマの膜が船の前方に出現した。直後、恒星船は黒煙とガスの中に突っ込んだ。軽い衝撃が船体を揺らした。
「後部船体外壁に軽微なダメージ。さいわい航行には支障ありません」
「ガスの温度は約五千度。主成分はケイ酸塩と酸化アルミニウムです。小さな固形粒子も多数含まれています」航宙士たちが言った。
その言葉を裏付けるように、パラパラと無数の小石のようなものが船体に当たる音がした。
「まさか火を吹くとはな。こいつマジでドラゴンじゃないか」乾が言った。
「成分から考えるに、高熱で気化した岩石だろうな。つまり岩石蒸気だ。たぶん、岩を飲み込んで体内の原子炉器官の熱で気化させたものだろう。こんな攻撃手段も擁しているとはびっくりだな」地質学者の伊藤が言った。
周囲の空域はオロチの吐き出した岩石蒸気と、それが冷えて凝結した微細な塵の雲で満たされた。この黒い雲のせいで視界は閉ざされ、レーザーの威力は大幅に減じられた。暗黒星雲のような黒雲は軌道上のかなり広範囲にわたって拡散していた。船は黒雲の中をレーダーを頼りに航行せざるをえなかった。
「奴め、目くらましのつもりか」清月が言った。
恒星船はようやく黒雲から脱出した。オロチはやはり姿を消していた。
「逃げられたか」清月が言った。
航宙士たちは急いでオロチの姿を捜索しはじめた。
その時、吉崎が叫んだ。
「真横です。黒雲の中から飛び出してきます」「何だと」
塵の雲から鋭い歯が並ぶ巨大な口が突き出した。それはまさに恒星船の横腹に嚙みつこうとしていた。
そのとき蛍光グリーンの閃光が走った。光線はギガバシレウスの長い首に命中し、一瞬の抵抗の後、右向きのひねりを加えながら下から上に撃ちぬいた。続けて第二の光線が胴体の中心部に貫入した。二秒後、光線は背中側に突き抜けた。射出口から大量の臓器の破片が火山爆発のように噴出した。
「ふー、ヒヤヒヤしたぜ」乾が言った。
オロチを撃ったのはドラゴンスレイヤーの重力波砲だった。人型兵器の両腕の長大な砲身にスパークが走った。
万一、恒星船が失敗した時に備え、ドラゴンスレイヤーは別行動をとっていた。オロチが挑発に乗って軌道上に昇ってきた時点で大気圏すれすれにまで降下し、そこからずっと狙いを定めていたのだ。
だが、それでもまだオロチは死んでいなかった。最後の力をふりしぼり、死に物狂いの執念で恒星船に向かって突っ込んできた。
しかし、その頃にはもう恒星船は軌道を変更し、暗黒兵器アトラトルの発射態勢を整えていた。
一メートル足らずの亜光速飛翔体が瀕死の巨竜を幾千幾万の破片に変え、宇宙の彼方に消し飛ばした。
「三体目のギガバシレウス、オロチ撃破。あさぎりに残るギガバシレウスはあと三体。ケツァルコアトルとレヴィアタン、そしてニーズヘッグのみか」清月が言った。
「しかし、煙幕を張って身を隠しながら攻撃してくるとはな。やっぱり侮っちゃだめっすね、向井さん」乾が言った。しかし、それに対し向井は答えなかった。
これまで快調に進んできたギガバシレウス掃討戦。
だが、彼らはついに苦戦を強いられることになった。
次の標的はレヴィアタンだった。
レヴィアタンはギガバシレウスたちの中でも変わり者だった。他のギガバシレウスと違って大陸上空ではなく大洋上空を好んで飛び、そして、たやすく挑発作戦に乗らなかった。レーザー照射を受けるとそれはあろうことか海中に身を投じて逃げた。一度目の挑発は不発に終わった。
軌道を周回し、二度目の挑発に入る前に話し合いがもたれた。
「海中深くではレーザーが届かない。核爆雷の投下に切り替えましょう」井関が提案した。
「核か……。できれば避けたいが通常兵器では挑発にすらならないからな。やむをえまい。海中への水素爆弾の投下を開始しろ」清月が言った。
「待ってください!いくら何でもそれは」向井が抗議の声を上げた。
「暗黒兵器に比べれば惑星へのダメージも少ない。しかも陸地から遠く離れた海洋の真ん中だ。生態系への放射能の影響も最小限で済むだろう」清月が言った。
「しかし!」
「今ここでギガバシレウスを殲滅しておかなければ、我々はこの惑星で生き残れないだろう。向井、あさぎりの生態系も大事だが、何より優先されるのは我々人間の命だということを忘れないでくれ」
「…………」向井は沈黙した。
「爆雷発射準備完了しました」井関が言った。
「開始しろ」清月が命じた。
恒星船からあさぎりに向けて水素爆弾を搭載した爆雷が投下された。爆雷は目標となるギガバシレウスを探知し、接近してから起爆するようにプログラムされていた。恒星船からは海中でちかちかと爆発の閃光がきらめき、その後、白い泡のようなキノコ雲が海面を突き破って膨れ上がるのが見えた。
「ふふ、水爆の雨に果たしていつまで耐えられるかな」井関が言った。
「乾、ドラゴンスレイヤーの状況はどうだ」清月が言った。
ドラゴンスレイヤーは大気圏中を飛行していた。
敵が海中から姿を現した瞬間、すぐに叩けるように上空千メートル付近まで降下していた。
「重力波砲はすでに発射可能な状態です。海中から追い出してくれれば、いつでも狙い撃ちにしますよ。……にしても、ずいぶん派手にやらかしてますね、井関さん」乾は水平線上にいくつも立ち上るキノコ雲の群れを眺めてあきれたように言った。
「標的殲滅のためには徹底的にやるまでだ」井関が言った。
その時、レーダー画面に警告表示が点滅した。
航宙士たちが騒ぎ始めた。
「もう一体のギガバシレウスが接近中です。おそらくケツァルコアトルです」
「なんだと」清月が言った。
ケツァルコアトルは普段アルファ大陸南部の積層巨木林上空をテリトリーとしていた。それが今、アルファ大陸とベータ大陸の間に広がる大洋にまで進出してきたのだ。
まさかレヴィアタンとの協同行動か。これまで単独性と考えられてきたギガバシレウスが初めて見せる社会性だった。牧野は事態の推移を興味深く見守った。
「二体同時に来るとはね。まあ、手間が省けていいことだ」乾は言った。
彼は恒星船から送られてくるケツァルコアトルのデータに注意を集中した。
その情報はモニターではなく、彼の視野に直接表示されていた。
ドラゴンスレイヤーの操縦席にはパネルもモニターも、ボタンやスイッチなどの操縦装置もいっさいなかった。機体に搭載されたコンピュータはブレイン-マシンインターフェースを介して操縦者の中枢神経系とダイレクトに接続し、常時大量の情報をやり取りしていた。実質的にドラゴンスレイヤーは乾の身体の延長と化していた。つまり、自分の体を動かす感覚で操縦できるのだ。
悪魔のごとく圧倒的な力をもつ機械と一体化し、自在に操る。それは乾に計り知れない快楽をもたらした。だが、当然それには代償が必要だった。乾はこの機体に乗るために大幅な身体改造手術を受けなければならなかったのだ。人工骨格、人工血液、人工心臓への置換、マイクロプローブの移植によるニューロンの増強など、それは多岐にわたった。万能医療器による手術で、彼の肉体の約三分の一は人工物にすげ替えられ、摘出された元の器官は廃棄された。
ケツァルコアトルは挑発を受けていないにも関わらず衛星軌道への上昇を開始していた。明らかに恒星船の位置を把握しており、そこを攻撃する意図を持っていた。
恒星船は急接近するケツァルコアトルに向けてただちにレーザー照射を開始した。
外皮に含まれる微量元素の違いか、少し緑がかった体色のケツァルコアトルはレーザーに怯むことなく恒星船に直進していった。恒星船との距離はみるみる縮まっていく。他の個体よりも小型だが飛行速度ははるかに勝っていた。
乾は海中に沈んだまま姿を現さないレヴィアタンから目標を変更し、上空のケツァルコアトルに狙いを定めた。
ドラゴンスレイヤーの望遠カメラは後ろに噴射炎を引きながら飛ぶその姿をはっきりと捉えていた。
漆黒の人型兵器は両腕を上げ、重力波砲の長大な砲身を天に振り向けた。
直方体型の砲身が二つに分かれ、内蔵する鏡面体のシリンダーを露出させた。このシリンダー内には重力波の発生源であるマイクロブラックホールが電磁場で封入されていた。重力波の増幅はすでに完了していた。ひとたび乾が念じさえすれば、蛍光グリーンに光るコヒーレントな重力波ビームが発射されるだろう。
だが、それは致命的な判断ミスだった。
ドラゴンスレイヤー直下の海面が突如爆発したかのように弾けた。そこから真上に飛び上がってきたのはレヴィアタンだった。いつの間にか海中を移動し、ドラゴンスレイヤーの下まで忍び寄っていたのだ。
ワニのように細長いレヴィアタンの顎がドラゴンスレイヤーの胴体をしっかりと挟み込んだ。
「くそっ、しまった」乾は叫んだ。
レヴィアタンの鋭い牙がドラゴンスレイヤーの装甲に食い込んだ。数百層におよぶ炭素結晶で構築された装甲板もギガバシレウスの強烈な嚙む力の前にあっけなく砕けた。レヴィアタンはドラゴンスレイヤーを咥えたまま再び海中に没した。
乾は瞬時に機体の被害状況をスキャンした。
ドラゴンスレイヤーの胸から下が竜王の口の中にあり、胸から上と両腕部だけが外にはみ出ていた。乾が搭乗する操縦席も竜王の口腔内だった。
歯は胸部の腹背両面から深く食い込み、内部機構のいくつかを破壊していた。そのため左腕はすでに操作不能に陥っていた。このまま噛む力を強められたら機体は真っ二つに分断されてしまうだろう。そうなるまでの時間的な猶予はほとんどなかった。
レヴィアタンは海中を高速で遊泳していた。かなりの深さらしく周囲はすでに暗黒だった。
乾は決断した。自由に動く右腕の重力波砲でレヴィアタンを倒す。
乾は右腕の重力波砲を後方、竜王の胴体のほうに向けた。
砲身内の鏡面シリンダーが蛍光グリーンに発光し、増幅された重力波エネルギーを解き放とうとした瞬間だった。攻撃を察知したレヴィアタンが大きく頭を振った。その激しい動きで狙いが逸れた。
海中を重力波のビームが走った。
それは海水を押し退け、文字通り海を切り裂いた。
その瞬間、旧約聖書のモーセが紅海を二つに割った時のような、幻想的な光景が出現した。
両側に千メートルの高さにそびえる水の壁の間を、狭い谷が数十キロにわたって一直線に続いていた。
深海底の岩盤は数億年前に形成されて以来、はじめて太陽の光に照らされた。そこにははるか昔に死んだ巨大生物の死骸が横たわっていた。骨格だけを残したそれには腐肉食性の生物がびっしりと群がっていた。乾は以前、地球にもクジラの骨を餌とする鯨骨生物群集と呼ばれる特殊な深海生物がいたと聞いたことがあった。死骸にたかるグロテスクな生物たちは慣れない空気と陽光に触れて苦しげに蠢いていた。
数秒後、水の壁は両側から同時に崩壊し、瞬時に空隙を満たした。
レヴィアタンはなおも海中を突っ走った。
鋭い歯で機体が嚙み砕かれ、破壊される音が上から断続的に聞こえてくる。
もはや一刻の猶予もない。次の一撃で倒せなければ終わりだ。
乾はドラゴンスレイヤーに搭載された第二の禁断の武器を起動した。
両脚部のポッドに装填されたそれはただの小型ミサイルに見えた。だが、それに搭載された弾頭は普通の爆薬ではなかった。核爆弾でもない。それは厳重に隔離された微量の反物質だった。
ドレゴンスレイヤーのコンピューターは一瞬で最適な弾数と着弾地点を割り出した。
乾は両脚のポッドから反物質ミサイルを発射した。
竜王の口腔内に放たれたミサイルは喉の奥に向かって飛んでいった。
ミサイルが着弾した瞬間、反物質を隔離していた電磁場が消失した。数グラムの反物質は何にも隔てられることなく周囲に存在する物質と自由に触れ合った。
次の瞬間、反物質とそれと同量の物質は対消滅により完全にエネルギーに変換された。
強烈な光がほとばしり、核爆発をもしのぐ大爆発がレヴィアタンの体内で続けざまに起きた。
レヴィアタンの顎の力が緩んだ一瞬を見逃さず、乾は歯の間から脱出した。
背後でレヴィアタンの巨体が内側から膨れ上がり、白光を放って爆発四散した。発生した衝撃波がドラゴンスレイヤーを激しく揺さぶった。
一瞬でも脱出が遅れていれば、あるいはミサイルの数が一発でも多すぎれば自分もあの大爆発に巻き込まれて死んでいたに違いない。
ドラゴンスレイヤーは海上に浮上した。
「乾、無事だったか」清月が言った。
「無事です。しかし、ドラゴンスレイヤーを破損させてしまいました。すいません、私の過失です。しかし、レヴィアタンは何とか倒しました」乾は言った。
「うむ、ご苦労だった。機体はまた再製造すればいい」
「それより、そちらは大丈夫でしたか。ケツァルコアトルは?」
「それなんだが、奴は逃げたよ。この惑星の外に」