第74話 竜王掃討作戦①
久しぶりに見る恒星船の姿はすっかり様変わりしていた。
見慣れない装備がいくつも追加され、船体のあちこちからにょきにょきと砲塔のように突き出していた。
「いったい何です、これは」着陸艇内のモニターに映し出された恒星船を見て牧野は言った。
「これも暗黒兵器だ。我々が作ったのはドラゴンスレイヤーだけではない。恒星船の武装も大幅に強化した」清月が言った。
「まるで戦艦ですね」
暗黒兵器。各国政府が秘匿する禁断の超兵器。牧野も知ってはいたが、超古代文明のオーパーツや秘密結社の陰謀などと同じく、荒唐無稽な都市伝説だと思っていた。だが、ドラゴンスレイヤーの重力波砲が見せたとてつもない威力は、暗黒兵器の実在を何よりも雄弁に証明していた。
窓の外を覗くと着陸艇と並走してドラゴンスレイヤーが飛んでいるのが見えた。その姿は青く光るあさぎりを背景に不気味な黒いシルエットとなって浮かび上がっていた。
やがて着陸艇は恒星船にドッキングした。
「みんなご苦労だった。君たちの個室は以前のまま置いてある。着替えや食事も用意した。とにかく今日はゆっくり休んでほしい。明日から作戦行動を開始する」清月が言った。
三年ぶりに戻った恒星船内は少し狭苦しく感じられた。そして、何より実感したのはあらゆる場所が明るく清潔だということだ。
突然、牧野は自分がひどく汚れていることに気付いて衝撃を受けた。それは牧野だけでなかった。塵一つ落ちていない船内との対比で、生存者たちはまるで薄汚れた野蛮人の一団のように見えた。
オニダイダラでの三ヶ月間の避難生活では水が貴重だったため、ネオビーグル号のシャワー室の利用は女性のみに制限されていた。それも許されたのは二日に一回だけだ。牧野などの男性陣は数日に一度、濡らしたタオルで体を拭く程度だった。衣服の洗濯もそれほど頻繁ではなかった。彼らは汗と垢と泥にまみれていた。
「ひょっとして、私ってくさいのかな」高梁が言った。
「いや、全然そんなことないけど。ちなみに俺はどうかな」牧野が言った。
「ごめん、正直に言うけど臭い」「やっぱりな」
「それに髭ぼうぼうで山賊みたいだし」
「そうだろうな。髭剃ってなかったからな」
「あさぎりでは全然気にならなかったのに、変だね」
牧野たちは自転区画にある大浴場で身体を洗った。
自転区画は三ヶ月前のギガバシレウスの攻撃で破壊されたが、その後、完全に元通りに修復されていた。
ここには恒星船内で唯一の浴場があった。船体をリング状に取り巻く自転区画は遠心力によって内部に1Gの疑似重力を生み出しているため、浴槽に湯を張ることができるのだ。他の区画は加速時をのぞいて無重量状態なのでそれは不可能だった。いちおう無重量状態でも機能するシャワーブースは船内各所にあるのだが、湯船にゆったりと浸かれる大浴場のほうが当然人気が高かった。
体にこびりついていた垢を落とした後、熱い湯船に浸かると、体の節々に蓄積していた疲労が溶け出していくようだった。伸び放題になっていた髭もきれいに剃った。風呂上がりに新しい服に袖を通すと、まさに生まれ変わった心地がした。
休憩室のカウチに腰かけて冷たい水を飲みながら待っていると、しばらくして女湯から高梁が出てきた。彼女も見違えるようにさっぱりとしていた。長いこと湯船に浸かっていたらしく頬が赤く染まっていた。
牧野は高梁とラウンジで食事をした後、自室に向かった。生体認証システムが牧野を認識し、ドアが音もなく開いた。部屋の中は三年前、あさぎりに出発した日のままの状態で残されていた。恒星間飛行の七年間を過ごした部屋は懐かしく、久しぶりに自宅に戻ったような気分がした。高梁も一緒に部屋に入った。この三年間の思い出、それにこれから先のことを話し合った。そのうちに眠たくなってきたので、壁に取り付けられた寝袋に二人で潜り込んだ。寝具に包まれた瞬間、牧野はすぐに眠りに落ちた。
翌日、ギガバシレウス掃討作戦が開始された。
清月総隊長は船内放送で告げた。
「これより本船は戦闘態勢に移行する。戦闘時の急加速に備え、非戦闘要員はただちに耐G槽に入るように」
耐G槽は船体の急加速で生じる強烈なGから乗組員の肉体を保護するための設備だ。ずらりと並ぶ槽には一つにつき一人が入るようになっていた。ここを使用するのはあさぎりの星系に到着した時以来だった。
彼らは服を脱いでゴーグルと酸素マスクを装着し、狭いタンクの中に潜り込んだ。蓋が密閉されると、どろりとした粘性の高い液体が注入されて槽内を満たした。彼らはまるで羊水に浮かぶ胎児のような状態になった。液体は冷たく、マスクは息苦しく決して心地よいものではなかった。
ゴーグルには船外カメラの映像やブリッジの様子が映し出されており、スイッチで映像を切り替えることができた。
牧野はブリッジの映像を見た。ブリッジは大幅に改装されていた。そこは以前よりもずいぶんコンパクトな作りになっていた。安全保障班の井関たち、それに操船を担当する吉崎ら航宙士たちの姿が見える。そして当然、清月総隊長もそこにいた。彼らはゴーグルとマスクを装着しウェットスーツのようなものを着て各自の持ち場についていた。
「みんな、準備はいいな。では、開始してくれ」清月が言った。
「了解しました」航宙士が応じた。
ブリッジの壁にあいた穴から透明な液体があふれ出してきた。耐G槽を満たしているものと同じどろりとした液体だ。無重量のブリッジ内で、液体は表面張力で穴の周囲にくっついたまま巨大な水飴のような塊になって膨れ上がり、ブリッジ内の空間を、そしてそこにいる隊員たちを次々に飲み込んでいった。そしてついにブリッジの中を完全に満たした。
彼らはブリッジ全体を大型の耐G槽に作り替えていたのだ。
ギガバシレウスとの最初の戦闘では、総隊長たちはスタードライブの強烈な加速で全身に重傷を負った。その反省から彼らは急加速にも耐えて操船できるようにしたのだった。
「第一のターゲットはベータ大陸南部を生息域とするギガバシレウス、個体名ヴリトラ。索敵を開始しろ」液体に浮かぶ清月が言った。その声はマスクにセットされたマイクに拾われて隊員たちに中継された。
地表監視衛星網のおかげで標的の位置はすぐに判明した。
恒星船はヴリトラを追うためベータ大陸の上を通過する軌道に入った。まだ誰も足を踏み入れていない未知なるベータ大陸。これまで行われたのは衛星や無人機による上空からの調査だけだ。やがて恒星船は赤道を超えて南半球側に進入した。大陸はいちめん濃緑色の積層巨木林で覆われていた。
恒星船のレーダーがヴリトラを探知した。続けてカメラもその姿を捉えた。
牧野はゴーグルを船外カメラの映像に切り替えた。陽光を反射してまばゆく輝く物体が雲海の上空を悠然と飛んでいた。
ブリッジがにわかに慌ただしくなった。
「挑発照射用意」清月が言った。
「高出力レーザー、発射準備完了」安全保障班班長の井関が言った。
「撃て」清月が命じた。
恒星船は高出力レーザー砲を照射した。それはヴリトラの頭部に命中した。普通の物体なら瞬時に蒸発させる高エネルギーのレーザー光線も、やはりギガバシレウスにはほとんど効いていない。だが、不快ではあるらしく、飛行針路を左右に変えてレーザーの焦点から外れようとしている。だが井関はレーザーの発射角度を微調整し、一点に集中してレーザーを浴びせ続けた。照射開始から二十秒が経過した。三十秒、四十秒……。
「まだか。ニーズヘッグはもっと早く反応したぞ」井関が言った。
恒星船がヴリトラの上空を通過する時間は約三分。その間に反応を引き出せなければ作戦は失敗だ。
「あと一分でヴリトラは地平線の向こうに消えます。すでに最接近地点からかなり遠ざかっています」航宙士の吉崎が言った。
「とにかく最後まで照射を続けろ」清月が言った。
成層圏を水平飛行していたヴリトラがついに急角度で上昇しはじめた。尾部から盛大に炎を噴きながら恒星船に向かってくる。
「ようやく反応しましたね」吉崎が言った。
「来やがったな」井関が言った。
レーザーの照射はギガバシレウスを挑発し宇宙におびき出すための手段だった。将来、人類が住むことになる惑星あさぎりにダメージを与えるのは極力避けたい。そのため暗黒兵器を使用するのはやむを得ない場合を除き宇宙空間に制限していた。
「まっすぐ上がってきます。このままだと衝突します!」吉崎が叫んだ。
「ギリギリまで引きつけろ。まだだぞ……」清月が言った。
大きく口を開けたヴリトラが恒星船めがけて突っ込んできた。テュポーンに比べて寸詰まりの頭部はまるでティラノサウルスのようだ。あの顎に噛みつかれたらこの船の隔壁など紙のように容易く引き裂かれるだろう。
「今だ、減速して回避しろ」
恒星船は船首方向にスラスターを噴射し急減速した。その瞬間、船首方向に強力なGがかかった。耐G槽に入っていなければ乗組員たちの身体は隔壁に叩きつけられていただろう。直後、恒星船のすぐ前をヴリトラの巨体が通り過ぎた。
恒星船より高い軌道に達したヴリトラは体の向きを変え、尾部の噴射で上昇にブレーキをかけた。今度は恒星船めがけて急降下してくるつもりだ。
だが、巨竜の速度が低下するこの時こそ、彼らが狙っていた瞬間だった。
「アトラトル、発射」清月が言った。
全長七十センチ足らずの黒い棒状の物体が恒星船から射出された。
暗黒兵器コードBP0065-V。相対論的誘導弾、アトラトル。原理的にそれは超小型の恒星船だった。船から十分に離れると、アトラトルのスタードライブが自動的に起動した。それは強烈な青い閃光を放ち、相対論的速度、すなわち光速に近いスピードにまで一気に加速した。目標は巨竜ヴリトラ。
誰も着弾の瞬間を認識できなかった。
青い閃光を放って誘導弾が消えた次の瞬間、恒星船めがけて急降下していた巨竜もまた姿を消していた。
あたりには破片や残骸さえ浮かんでいなかった。
「ヴリトラはどこだ。どこに消えたんだ」井関が言った。
レーダーの画面を見て吉崎が言った。
「……見つけましたよ、たぶんこれでしょう。本船から五万キロメートル離れたところに無数の小物体が観測されました。なおもすさまじい速度で遠ざかりつつあります」
「五万キロだと、たった数秒間でそこまで吹き飛んだというのか。そんな馬鹿な」井関が言った。
「光速に近い物体が衝突したのです。その運動エネルギーは激烈です。おそらく着弾の瞬間にヴリトラの体の大部分が蒸発したことでしょう。残った残骸も運動量を獲得して光速の数パーセントという速度で飛び散ったと思われます。このまま残骸は星系を離脱し、永遠に宇宙を旅し続けることでしょう」吉崎が言った。その顔には引きつった笑みが浮かんでいた。
「むごいもんだな」清月が重々しく言った。