第73話 清月の決意
牧野は砂浜に座って海を眺めていた。
聞こえるのは寄せては返す波の音だけだ。
波は牧野の足下まで打ち寄せてきては、白い泡となって砕け散った。
波の上を白い飛行生物が飛び交っていた。遠くから見たその姿は地球にいた海鳥のアジサシにそっくりだ。そのうち一体が空中の一点でホバリングしたかと思うと海に飛び込んだ。
数秒後、それは魚のような遊泳生物を捕獲して海中から飛び出してきた。だが、アジサシと違ってそれが獲物を捕まえるのに使ったのは鋭い爪が生えた長い腕だった。それはしっかりと獲物をつかんだまま、砂浜に転がる岩の塊のような物体の上に舞い降りた。そして獲物を頭からばりばりと噛み砕いて食べ始めた。
岩のような物体は浮遊性の群体生物の殻だった。ニーズヘッグが潜む海溝を調査したとき、海中の表層にたくさん浮かんでいるのが見つかったあれだ。おそらく嵐で打ち上げられたものだろう。生物はすでに干からびて死んでいたが、その殻は海辺の飛行生物にとって格好の休憩場所となっているようだった。
その海は湾になっていて、波は穏やかだった。
湾の出口のあたりの空中に、大きな飛行船のようなものが浮かんでいた。空中浮遊生物だ。それは浮遊嚢の下から繊細な触手をカーテンのように垂らしていた。海面すれすれまで垂れ下がる触手には飛行生物が何体か絡まっていた。それは風に流されてゆっくりと漂い去って行った。
ここはアルファ大陸北端部からさらに北の海上に浮かぶ小さな島だった。ギガバシレウスの一体、テュポーンを倒した後、生存者たちはこの島に移住したのだった。
あの後、避難していたネオビーグル号を呼び戻し、生存者たちはお互いに生きて再会できたことを喜び合った。
問題は住む場所だった。それまで彼らが住んでいたオニダイダラの上の村は完全に破壊されてしまった。それに、ギガバシレウスの巨大な死骸を間近に見ながらそこで暮らすのを誰もが嫌がった。また、死骸の腐臭が別の巨大生物を呼び寄せるかもしれないという現実的な危険性もあった。
そこで彼らは移住して恒星船が到着するのを待つことにした。
選ばれたのがこの島だった。ここには大型動物は生息していなかった。たまに巨大なアザラシのような生物が海から砂浜に上がってきたが、それは砂を掘り返して貝のような生き物を漁っているだけの大人しい生物だった。
生存者たちは静かな浜辺で貝のような生物を拾って食べたりしながら、虚脱したように日々を過ごした。これで三日目だった。
重傷を負った近藤には簡易版ドクターがつきっきりで治療に当たっていた。
乾はドラゴンスレイヤーの点検と調整に余念がなかった。これのおかげで彼らはもはや空から襲い来るギガバシレウスを恐れる必要がなくなった。
生存者たちのほとんどはその黒い機体にけっして近寄ろうとはしなかったが、乾と数名の男性隊員だけはまるで新しい玩具に目を輝かせる子供のようにこの新兵器をいたく気に入っている様子だった。
高梁をはじめ、何人かはオニダイダラの安否を気にしていた。彼らが去った時点で、傷ついた超巨大生物はかろうじて生きているような状態だった。
問題はギガバシレウスの死骸だった。
常識の通用しないあの生物だけに、信じがたい再生能力を発揮して復活してくる可能性さえゼロではなかった。当然、跡形も残らないほど徹底的に破壊すべきだという意見が出た。実際、ドラゴンスレイヤーに搭載された重力波砲を用いればそれも可能だっただろう。
だが、意外なことに反対したのは乾だった。
「ダメだ。重力波砲は威力が強すぎる。下手すりゃこの惑星さえ破壊してしまうほどの代物だ。あれほどギリギリの状況じゃなかったら、俺も絶対に使わなかった」
乾がそう言ったのも当然だった。
あの時、上空のドラゴンスレイヤーがギガバシレウスに向けて撃った重力波のビームは、竜王の身体を貫通した後、そのまま惑星あさぎりを地下数百キロの深さまで穿ってマントル層にまで達する穴を開けたのだ。
地底深部の岩石の圧力で穴の大部分は瞬時に塞がったが、その反動で大地震が発生し、その余震は今もまだ続いていた。地質学者の伊藤によれば、長期的にはどんな影響が出てくるか予想がつかないという。最悪、その時に開けられた穴がマントル物質が上昇する通り道となり、近い将来、あの場所で巨大な火山噴火が起きる可能性も否定できないらしい。
強力すぎるが故に、使い勝手が悪い武器だった。
結局、ギガバシレウスの死骸はそのまま残されることになった。向井はむしろそれを喜んだ。ギガバシレウスを研究するための貴重なサンプルが手に入ったことになるからだ。恒星船が到着し、十分な資機材が利用できるようになれば、徹底的に調べるつもりでいるようだった。
「おーい」声が聞こえた。高梁の声だった。
見ると、いっぱいになった袋を抱えて砂浜をこちらに向かって歩いてくる彼女が見えた。裸足で、ズボンの裾を膝の上までまくり上げている。
高梁は牧野のすぐそばまで来ると、重い袋を砂の上に下ろした。
「ほら見て、いっぱい捕まえたよ」高梁が言った。
袋の中をのぞき込むと、貝のような生き物がたくさん入っていた。それは巻き貝でも二枚貝でもなかった。壺のような形の殻を持ち、その模様や形状は色々だ。貝のようなこの生物は波打ち際の砂の中にたくさん生息していた。
「これだけ採れれば今日の昼飯には十分だな」牧野は言った。
「集めるの大変だったんだから。タカシもぼーっとしてないで手伝ってくれればよかったのに」
「ごめん、悪かったな」
「もう、全然反省してないんだから」
牧野と高梁の二人は生存者たちが暮らすキャンプに戻ってきた。
生存者たちは島の植物で屋根を葺いただけの粗末な小屋でこの三日間寝起きしていた。食料は海で拾う貝や海藻で十分に足りたし、水源となるきれいな小川もあったので、ほとんどの者はやることもなく昼間から寝そべったり、キャンプの周囲を散歩したりして所在なく過ごしていた。
その時、キャンプのすぐ横に駐められたネオビーグル号から、小林が興奮した面持ちで飛び出してきた。
「今、恒星船から連絡が入った。あさぎりの衛星軌道に乗ったそうだ。もうすぐ着陸艇が迎えに来るぞ」
その知らせは瞬く間に生存者全員に伝わった。
キャンプ周辺でぼんやりとしていた生存者たちはただちに坂を下り、浜辺に向かって走り出した。
浜辺に集まった生存者たちは空を見上げてひたすら待った。
約一時間後、水平線の上空にちらちらと光る星が見えた。
「……着陸艇だ」平岡が言った。
それは刻一刻と彼らに向かって近づいてきた。はじめは小さな点だったそれは接近するにつれて大きくなり、はっきりと形を判別できるようになっていった。
生存者たちの口から歓声が上がりはじめた。彼らの多くの目には涙があった。飛び跳ねながら着陸艇に大きく手を振っている者もいれば、二人で抱き合って泣き崩れている者もいた。牧野も目頭が熱くなってくるのを感じた。
着陸艇はそんな彼らの上空をいったん通り過ぎた。そして、大きく旋回して戻ってくると、浜辺の上空で停止し、地上に向かってゆっくりと降下しはじめた。
着陸脚が地面に接触した。エンジン音が止んだ。
搭乗口が開いて、タラップが外に迫り出した。
搭乗口に現れた人物を見て、生存者たちは驚きに目を見張った。
「清月総隊長……」
総隊長が直々に迎えに来るとは誰も思っていなかった。そもそも、総隊長があさぎりの土を踏むのは今回が初めてだった。
「遅くなって済まなかった。みんな、よくぞ生き延びてくれた」清月が言った。
総隊長の言葉を聞いた瞬間、牧野は心の底から安堵を覚えた。この人が来たからにはもう大丈夫だ。きっと上手くいく。清月総隊長の存在には人にそう思わせる力があった。
他の生存者たちも牧野と同じように感じているようだった。新人類のヨヴァルトでさえそれは変わらなかった。
清月はまず最初に向井に話しかけた。
「向井、君が生存者たちのリーダーを務めてくれなければ、きっとみんなは生き残れなかっただろう。本当に感謝している。ご苦労だった」
「ありがとうございます。でも、もともと俺はリーダーなんて柄じゃないんですがね。これでやっと肩の荷を下ろせますよ」向井が言った。
彼の表情はこの三ヶ月間見せたことがないほど温和なものに戻っていた。そう、彼はもともとこんな顔をしていたのだったと牧野は思い出した。リーダー役としてかなり無理をしていたのだろう。
それから清月総隊長は生存者の一人一人に声をかけ、ねぎらっていった。牧野と高梁はこの惑星に侵略者微生物の変種がもとから生息していたことを発見した功績を褒め称えられた。
「あの発見がなければヨヴァルトを処断せざるをえなかった。もしそんなことになっていたら、みんなの心に深い傷を残すことになっただろう。それが避けられたのが何よりだ。それにこの知識は将来的に地球の侵略者を抑制する役に立つかも知れない。計り知れない重要な価値をもつ発見だった。二人とも、避難生活中という厳しい条件でよくぞ達成してくれた」
「ありがとうございます」牧野と高梁は言った。彼は胸が熱くなるのを感じた。
「さて、積もる話はたくさんあるが、事前に連絡したとおり、さっそく君たちを恒星船に回収する。だが、その前にどうしても寄らなければならない場所がある。君たちにも同行してもらいたい」清月が言った。
生存者たちは着陸艇に乗り込んだ。着陸艇はネオビーグル号よりもずっと大きく、一度に全員を収容することができた。個人の持ち物はほとんど残っていなかったので、生存者たちは身一つで移動するこことになった。
ネオビーグル号は大気圏外を飛行できないし、着陸艇に積むには大きすぎるのでこの場に残して行かざるを得なかった。そのため、機に積んであった南方探検の標本やサンプルなどは全部着陸艇に積み替える必要があった。
すべての荷物を運び出した後、ネオビーグル号は全電源を停止し、窓や搭乗口をロックした上で全体を防水シートでしっかりとくるまれて保存処置が施された。
この調査機がなければ、この三ヶ月間、彼らは決してこの惑星上で生き残ることができなかっただろう。まさに生存者たちにとって命綱だった。
感慨深い表情でネオビーグル号を見ているのは機械整備担当の松崎と、パイロットの小林だった。
この調査用飛行機の設計、製造段階から深く関わり、その後も南方探検に同行して何度も機体を修理をしてきた松崎と、実際にこの飛行機を操縦し、ここで寝起きしながら恒星船との連絡役を務めてきた小林こそ、この機体に対する思い入れは人一倍強いはずだった。
「しばらくお別れだな」小林が言った。
「必ずまた戻ってくるからな」そう言って松崎はシートの上から機体を軽く叩いた。
「さて、行くとするか」二人はネオビーグル号を後にし、着陸艇に乗り込んだ。
着陸艇は島を離れ、アルファ大陸に向かって南下していった。三十分足らずの飛行の後、着陸艇は森の中の荒れ地に着陸した。
そこは壊滅した居住区の跡地だった。
跡地は伸び放題の植物に埋もれていた。その荒れ方は以前、侵略者微生物の調査で訪れたときよりもひどくなっていた。もはやどこに何があったのか判別するのさえ困難になっていた。
レーザーで植物を刈り払いながら、生存者たちはある目印を探した。建物の瓦礫を積み上げたケルン。犠牲者の遺体を埋葬した場所の目印だ。それはほどなく見つかった。
彼らはケルンの表面に絡みついた蔓を取り去り、周囲に生えた植物をすべて取り除いた。そしてむき出しになった地面に速乾性コンクリートを流し込んだ。コンクリートは数分で完全に固まり、石積みを中心とした小さな広場ができあがった。
平岡の操縦するヒト型重機が着陸艇の貨物室から大きな荷物を運び出した。高さ三メートルほどの大きな箱だ。梱包を取り去ると中から現れたのは磨き抜かれた石板だった。ヒト型重機は大きな石版をケルンの横に据え付けた。
その表面には文字が刻まれていた。
基村重琉、秋葉真理子、落合珪互、飯塚美竿……。それはこの地で命を落とした者たち六十九名の名前だった。
「これは慰霊碑だ。犠牲となった仲間たちの名と裏側の碑文は私が刻み込んだ」
清月総隊長の手には白い菊の花束があった。おそらく恒星船内の水耕農園で栽培されたものだろう。総隊長は花束を慰霊碑の前に置いた。
「この地で失われたかけがえのない仲間たちの冥福を祈ろう。黙祷」
牧野のまぶたの裏側に飯塚美竿の顔が浮かんだ。それに亡くなった多くの隊員たちの顔も。あれから三ヶ月以上が経ち、ようやく落ち着いて彼らを弔うことができた。これまでは生き延びるのに必死で、亡くなった彼らをしのぶ余裕すらなかったことに今更気づいた。周囲からはすすり泣きの声が聞こえていた。
黙祷は終わった。
総隊長は慰霊碑から隊員たちに向き直り、語りかけ始めた。
「私は彼らに謝罪しなければならない。私の認識の甘さと判断の誤りが、彼らの死を招いたのだ。私はこの惑星に地球の常識を当てはめるという誤りを犯した。宇宙は人智を超越した世界なのだ。そのことを決して忘れてはならなかったのだ。そして、自らの手を汚す決断をし、暗黒兵器の製造に踏み切っていれば、彼らが命を失うことはなかっただろう」
「総隊長として、私は彼らの墓前で誓う。仲間たちから二度と犠牲者を出さないことを。そして、不退転の決意を持って、必ずやこの惑星を人類の第二の故郷とすることを。……その第一段階として、この惑星に巣食う残る五体のギガバシレウスを掃討する」
清月総隊長の宣戦布告は、水を打ったように静まりかえる居住区跡地に響き渡った。