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第69話 巨神たちの闘い

 地上に降り立ったテュポーンは、じっとこちらを睨んでいた。

 位置はオニダイダラから見て右方向に十キロ。


 残留組の男たちは村の残骸で声を潜めて話した。

「どうした。襲ってこないぞ」平岡が言った。

「おそらくオニダイダラからの反撃を警戒しているのだろう」向井が言った。


 頭の先から尾の先までの全長や、翼を広げた大きさはテュポーンが勝っていたが、おそらく体重はオニダイダラのほうが上だと思われた。それに、その気になればオニダイダラはかなりの速度で疾走し、巨大な顎で敵を粉砕することもできる。竜王と言えども簡単に手出しできる相手ではないだろう。


 膠着が五分に及んだ時だった。

 オニダイダラの尾部からネオビーグル号が発進した。それはオニダイダラを間に挟んでテュポーンとは正反対の方角に最大の速度で飛び去って行った。さいわい、テュポーンはそれを無視してくれた。


 よかった。これで少なくとも高梁たちは助かるだろう。牧野は胸をなで下ろした。

「とにかく、全滅は避けられたな。あとの問題は我々がどうやって生き残るかだ」向井が言った。


 生存者たちの村は、オニダイダラの背部外殻がひさし状に突き出たオーバーハングの下にあった。ここを攻撃しようと思えば、竜王はそのすぐ手前にあるオニダイダラの頭部を乗り越えなければならない。だが、そこにはすべてを粉砕するダイヤモンドの歯と強力な両顎が待ち構えていた。それを考えると、オニダイダラの上で一番安全な場所はここで間違いないだろう。


 背部外殻の表面を塹壕のように走る亀裂、今では断層線と呼ばれている構造の隙間や、そこに空いた気門の洞穴に身を隠す案も出た。だが、オニダイダラが活発に動くとき、外殻の各部は断層線に沿ってずれ動く。もしそんな場所に隠れていたらすり潰されてしまうだろう。それに活動期のオニダイダラの気門からは高温の排気が噴き出すため気門も隠れ場所としては不適だった。



 ネオビーグル号が飛び去ってからさらに十数分が経過した頃。

 地響きとともにオニダイダラが動き始めた。

 一日に何回かやってくる通常の微動ではない。今回の揺れはかなり大きかった。揺れは上昇する感覚を伴った。オニダイダラが脚を伸ばしたのだ。おそらく背部外殻全体が三十メートルは持ち上がっただろう。


「みんな、準備はできているか!」向井は地響きに負けじと大声で叫んだ。

「大丈夫です!」男たちから返事が返ってきた。


 避難を開始した直後、残留組の男たちは真っ先にある物を装着していた。

 あり合わせの素材で作った転落防止用のハーネス式安全帯だった。万一、オニダイダラが活発に動き出した時のために以前から準備していたものだった。そうなった場合、オニダイダラから振り落とされるのを防ぐため、隊員たちはこれを装着することになっていた。安全帯のフックを固定するための金具は、あらかじめ至る所に打ち込まれていた。

 牧野も村のそばの床面に打ち込まれた金具の輪にフックを固定した。



 相変わらず轟音は続いていた。

 オニダイダラが動きやすいよう、背部外殻の分割された各部がずれ動いている音だろう。オニダイダラの後方からは土煙が立ち上っていた。外殻に営巣していた白い飛行生物も舞い上がり、けたたましく鳴きながら大群をなして上空を旋回していた。


 オニダイダラが一歩足を踏み下ろした。続けてもう一歩。

 その場で右に向かって方向転換をはじめたのだ。

 一歩ごとに下から突き上げる衝撃に跳ね飛ばされ、牧野はもはや立っていることができなかった。大地震のように揺れる床面に手足をついてじっと耐えていることしかできない。

「だめだこれ!やっぱり死ぬ。絶対死ぬ!」堀口が号泣していた。


 少しずつ風景は左に流れ、やがてオニダイダラの頭部の先に竜王の姿が見えてきた。

 ついに二体の超巨大生物、オニダイダラとギガバシレウスは十キロメートルの距離をへだてて正面から向き合った。

 ギガバシレウスの頭の高さは二百メートルに達していると思われた。それはいちだんと巨大さを誇示するかのように大きく翼を広げていた。さらに、顎を全開にして凶暴な牙をむき出しにしていた。尾部の噴射口からは陽炎が立ち上り背景を揺らめかせていた。



 その時、牧野は耳にした。これまでの騒音とは異なる不思議な音色を。

 それは深く響く重低音だった。かろうじて可聴域に届くようなごく低い音だ。まるで巨大なパイプオルガンを演奏しているかのような重厚な音色が鼓膜だけではなく体全体を震動させていた。共鳴で歯と骨がガタガタと鳴った。音はどんどん大きさを増していく。


「なんだ、この音は」向井が叫んだ。

「これは、オニダイダラが鳴いている」ヨヴァルトが言った。

「ぐっ……、耳が、頭が痛い!」堀口が言った。

 男たちは苦痛にうめいた。


 これまで城門のように固く閉ざされていたオニダイダラの大顎がゆっくりと左右に開きはじめた。その内側に林立する角柱状のダイヤモンドの歯列が太陽の光を浴びて燦然と輝いた。

 オニダイダラの重低音の鳴き声が止んだ。一転してあたりは静まり返った。


 オニダイダラとギガバシレウス、両者は臨戦態勢に突入してにらみ合った。まさに一触即発。周辺一帯は極限まで張り詰めた空気に満たされた。この地の生きとし生けるものすべてが激突の瞬間に備えて身を固くしているのが感じられた。



 先に仕掛けたのはオニダイダラだった。

 巨体全体を空中に躍らせるようにして前方の巨竜に向かって突き進んでいく。その衝撃で足元の地面はまるで水面のように波打ち、地平線に向かって波紋を広げていった。数万トンの体重がかかった足は地中深くまでめり込み、土壌の下の岩盤まで打ち砕いて巨大な岩塊を空中高く跳ね上げた。


 激走するオニダイダラの上で哀れな人間たちは必死に耐えていた。テクノロジー文明以前の時代、航海中に大嵐に遭遇した船乗りたちはきっとこんな感じだったのだろう。大波に翻弄されて一気に何メートルも上下を繰り返す甲板で、ひたすら神の慈悲を祈ることしかできなかった人々と同じように、牧野たちも床に這いつくばり、恐怖におびえ、完全に無力だった。

 いや、この状況はそれよりも悪かった。一歩ごとに突き上げる衝撃は全身を激しく打った。目の前に星が踊り、口の中が切れて血の味がにじんだ。もし万一安全帯のロープが切れれば、たちまち振り落とされて確実に死ぬ。

 牧野はここに避難するという最悪のアイデアを最初に思いついた向井を心の底から恨んだ。


 かすむ視界の中で、ギガバシレウスが動き出したのが見えた。

 巨竜は頭を低く下げると、七つの尾部すべてから巨大な火柱を噴き出した。そしてオニダイダラに向かって真正面から突っ込んできた。

 速い。そして低い。地面すれすれだ。翼から発生する衝撃波で地上の森は表土ごとはぎとられ、尾部の噴射炎で焼き尽くされて灰となって後方にばらまかれた。

 ぶつかる。牧野は思わず目を固く閉じた。


 だが、激突の衝撃は予想したほど大きくなかった。

 牧野は目を開けた。ギガバシレウスはまさにオニダイダラのすぐ横をかすめるように通過していくところだった。竜王の翼と巨獣の体が接触して甲高い絶叫が響き渡った。白く広大な翼面と背中が眼下を流れていく。直後、牧野は上昇してきた衝撃波と熱風で空中に吹き飛ばされた。安全帯のロープがピンと張り、肩から床面に叩きつけられた。彼は激痛にうめいた。


 後方に去ったギガバシレウスは百八十度方向を転換し、再びオニダイダラに向かってきた。そして再び翼端を接触させて通り過ぎた。今度は胴体の反対側だった。同じことがその後、四回繰り返された。そのたびに牧野は衝撃波に翻弄された。


 ギガバシレウスの攻撃が止まり、オニダイダラが突進を止めて数分後。

 体中に広がる痛みをこらえ、牧野はなんとか起き上がった。そしてオニダイダラの足元を見降ろして驚愕した。

 オニダイダラの足は水平に大きく切り裂かれていた。硬い外皮に刻まれた傷口から文字通り滝のように大量の血液が流れ落ちていた。


 ギガバシレウスは再び十キロほど離れた地点に着陸していた。

 その翼は変化していた。翼の前縁に沿って短剣のような突起が鋸歯状に並んでいるではないか。あの凶器ですれ違いざまにオニダイダラの足に斬りつけたのだ。



 牧野は悟った。あいつはオニダイダラとの戦い方を十分に心得ている。

 巨大な質量をもつオニダイダラの体当たりをまともに受ければ、その莫大な運動エネルギーの破壊力でおそらくギガバシレウスといえども致命傷を負うだろう。

 だから奴はそれを避け、自分の長所であるスピードを最大限に活かしたヒットアンドアウェイ戦法を採用したのだ。しかも防御の厚い背部外殻ではなく、足を狙っている。そのために奴はオニダイダラが足を伸ばして動き出すのを待っていたのだ。

 こうやってじわじわと切り刻み、失血により衰弱させて動けなくしてから、最後にとどめを刺すのだろう。おそらくこれはギガバシレウスが生まれながらに知っている超巨大生物との戦い方なのだ。


 そして、明らかにオニダイダラはこの戦法に対処する術を持っていなかった。

 これは戦いではない。狩りだ。牧野が目にしているのは同格の捕食者同士の戦いではなく、頂点捕食者であるギガバシレウスが、それより劣位の被食者であるオニダイダラを一方的に狩っている光景なのだ。例えるならば、ティラノサウルスとトリケラトプス、またはサーベルタイガーとマンモスの関係に近い。獲物としては手ごわいが、狩られる側であるという事実は変わらない。



 着陸したギガバシレウスは距離を置き、オニダイダラの様子をつぶさに観察しているようだった。反撃を受けるおそれがなくなるまで衰弱するのを待っているのだ。牧野にはまるでそいつがオニダイダラを嘲笑っているかのように感じられた。

 オニダイダラはもう何分間もまったく動いていなかった。


 ギガバシレウスが再び舞い上がった。しかし、今度は水平方向ではなく、垂直方向に。炎の柱に乗ってまっすぐ空に向かって飛び上がっていく。

 その瞬間、牧野の脳裏に居住区の惨状がよみがえった。

 地中深くに埋設されたシェルターに達するほど、地面を深くえぐる衝突痕(クレーター)

 それが示唆するのは、上空からの急降下攻撃。


 まもなく襲い来る脅威を直観した牧野は叫んだ。

「みんな、伏せろっ!攻撃が来る!」

 牧野は頭を抱えてうずくまり、衝撃に備えた。


 不気味な静寂があたりを包んでいた。十秒、二十秒……。

 今、あいつはどこにいる。どれほど高くまで上昇したのだ。

 頭を上げて確認しようとした次の瞬間、ついにその時が来た。

 それはまさに世界の終末の到来だった。数万トンの質量と重力加速度と数万メートルの高度のもたらす圧倒的な位置エネルギーが、オニダイダラの背中の真ん中に炸裂した。

 牧野は同心円状の衝撃波が空中を広がるのをはっきりと目にした。もし頭上のオーバーハングに守られていなかったら衝撃波の直撃で即死していただろう。

 ばりばりと落雷のような轟音が響いた。それはオニダイダラの背部外殻が割れていく音だった。

 これがとどめの一撃だった。

 人知を超えた巨神たちの戦いの勝敗は決した。



 獲物を仕留めた喜びを味わうかのように、ギガバシレウスはオニダイダラの背中の上にのしかかったままだった。

 牧野は悔しさを覚えていた。

 これまでの三か月間、自分たちを受け入れ、生活の場を提供してくれたこの鷹揚な超巨大生物に、牧野はいつしか深い親しみを覚えていた。いや、それ以前から彼はこの生物とその周囲の生態系を調べてきたのだ。その親しみは愛情と呼んでもよいものにさえなっていた。

 今、オニダイダラが攻撃を受けているのは、おそらく自分たち人間のせいだ。

 原因は不明ながら、ギガバシレウスは人類またはテクノロジーの産物を攻撃する習性を持っているようだ。もし自分たちがオニダイダラの背中に間借りしたりしなければ、このオニダイダラは攻撃を受けることもなかっただろう。

 自分たちのせいでこの偉大な生物の、おそらく数万年におよぶ生涯に終止符が打たれることになるなんて、牧野は耐えられなかった。何とかできないのか。彼は考えた。だが、天地を揺るがす巨神同士の激突に生身の人間が介入する余地などあるはずもなかった。



 その時だった。下方からがちゃがちゃと騒々しい音が聞こえてきた。まるで軍隊が行進しているかのようなこの音には聞き覚えがあった。

 サソリ型生物だ。それも何体もいる。オニダイダラお抱えの兵士たちは主の尊厳を踏みにじる仇敵に向かって外殻をよじ登っていった。

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[良い点] あ、アチい
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