第68話 竜王飛来
全員の端末がいっせいに鳴り出した。
この時ほとんどの隊員はまだ眠りの中にあった。
「何なの、朝っぱらから」
眠い目をこすりながら端末画面を確認した瞬間、隊員たちの眠気は一気に雲散霧消した。
「これは……緊急避難警報だぞ」
「ギガバシレウスだと」
「まさか、そんな。嘘だろおい」
警報発令時、向井はすでに起床していた。彼はすぐに小林に問い合わせた。
「誤報ではありません。ギガバシレウス、個体名テュポーンがこちらに向かってきています。目視で確認しました。そちらからも南東の空に見えるはずです」小林は言った。
向井は外に出てその方角を見た。
夜明けの空に朝日を浴びてギラギラと輝く超巨大生物の姿があった。
「こちらでも確認した。時間がない。プランDで行くしかない」深刻な顔で向井は言った。
生存者たちはギガバシレウスから隠れるためこの場所に避難したが、万一、ここが襲撃を受けた時を想定した行動計画も事前に準備してあった。
状況により何パターンかのプランを考慮していたが、今回はそのうち、接近遭遇が突発的で、接触までの時間的余裕が三十分を切る場合を想定したプランDを採用せざるを得なかった。
その内容は、ネオビーグル号の搭乗人数上限の三十名にさらに追加で十名を加えた四十人でオニダイダラから脱出し、定員超過で乗れない残りの十八名はそのまま残留して嵐が過ぎ去るのを待つというものだった。当然、残留した隊員たちの生存率は低いと予想されるが、全滅を避けるにはそれしか方法がなかった。
脱出するのは女性隊員と子供の全員と、男性隊員の一部だった。残りの男性隊員はすべて残留組だった。
向井と牧野も残留組に属していた。
「気を付けろよ」牧野はそう言って高梁の髪を撫でた。
「わかった。タカシも無事でいてね」高梁が言った。今にも泣きだしそうだ。
「脱出組は早く急げ!最低限の持ち物だけにしろ。別れの挨拶も省略だ」向井が叫んでいた。
「行くぞ高梁。時間がない」通りがかった橘が高梁に呼びかけた。高梁はうなずいた。
「じゃあね。絶対に死なないで。約束だからね」
「ああ、大丈夫だって。絶対生き残るからさ。そっちこそ気を付けてな」
牧野は他の脱出組と一団になって慌ただしく去っていく高梁を見送った。
村には十八人の男たちだけが残された。
「さてと……」
「やれやれ、昨日の今日でこんなことになるとはな」
「まったくだ。恒星船の話を聞いたときは助かったと思ったのに。とんだぬか喜びだったな」
「またこんな目に遭うなんて。もう嫌だよ」
「まだ死ぬと決まったわけじゃないだろ」
「いや、絶対死ぬ。もうだめだ」
「来たぞ」
テュポーンはすぐ目前まで接近していた。
この時、牧野はギガバシレウスという生物種をはじめて肉眼でとらえた。これまで牧野が見た竜王の姿はいずれもモニタ画面ごしの映像だった。それらは驚異的な映像ではあったが、どこか大昔の怪獣特撮映画でも見ているかのようで、現実感が伴なっていなかった。だが今、それは厳然と目の前の世界に存在していた。
その一瞬、牧野は恐怖さえ忘れ去り、圧倒的な畏怖の感情に包まれた。もし神がいるとしたら、この生物こそが最もそれに近いに違いない。
「素晴らしい……」隣で向井がつぶやく声が聞こえた。彼も同じ感情に打たれているようだった。
それはあまりにも巨大だった。
もちろん恒星船や宇宙都市、小惑星などはこれよりも大きい。だが、不思議なことに、それらの命なき機械や岩の塊などよりも、血肉を備えた竜王の方がはるかに巨大に感じられた。そして、その巨大さは偉大さに直結していた。それは理屈を超えて無意識のレベルに作用し、牧野は崇拝の念に体が震えるのを止めることができなかった。
牧野は直感した。おそらく人類は、進化の過程でこの感情を何度も味わっている。中生代、原始的な小型哺乳類だった祖先が巨大恐竜に遭遇した時に覚えた感情か。それとも、更新世、原始的な人類が大型動物に遭遇した時に覚えた感情なのか。
テュポーンがオニダイダラの上空にさしかかった。
彼は呆然と立ち尽くしたまま、首を大きくそらし頭上を延々と通過していく神々しい巨体を見続けた。
いまやその姿が細部まではっきりと見えた。それは結晶質の鱗と鋭い歯と強力な筋肉と鉤爪でできた、宇宙が生み出した究極の殺戮機械だった。
遠目にはドラゴンに見えるその姿も、細部には異質な要素が目に付いた。たとえば複数の個眼が線上に配列した奇妙な眼や、頸部の周囲に放射状に突き出た鋭い針状の突起、それに高温ガスを噴射する尾部周囲を覆う鱗板と、その隙間に密生するワイヤブラシのような金属質の毛などだ。やはりこれは伝説のドラゴンなどではなく異なる進化の道をたどった異星生物なのだ。
巨大な翼と胴体に覆い隠され、空は完全に見えなくなった。周辺一帯は朝から夜に逆戻りした。
その直後、強烈な暴風が叩きつけるように吹き降ろしてきた。村の小屋は一撃にしてすべて倒壊し、壁や屋根はばらばらになって飛ばされた。残留組の男たちは吹き飛ばされまいと地面に伏せた。
暴風はオニダイダラの背の上をネオビーグル号へと急ぐ脱出組にも襲いかかった。通路沿いにあった貯水タンクは壊れ、群生する着生植物は根こそぎ吹き飛ばされて宙を舞った。
その時、崖のふちにいた高梁の足元が崩れた。
百メートル下の地上に向かって転落しかけた彼女に橘がとっさに手を伸ばした。高梁はそれをつかんだ。重みに引きずられ橘は転倒した。高梁の全体重がかかり、橘の肩に激痛が走った。簡易手術で繋いだ腕の傷口が開き、血が流れだした。橘は歯を食いしばって耐えた。そして全力を振り絞り、宙ぶらりんになった高梁を引き上げた。
「……ありがとう。死んだかと思った」地面にへたり込んだまま高梁が言った。
「怪我はないか。先を急ぐぞ」荒い息を吐きながら橘が言った。
「私は大丈夫だけど、橘さん……腕が」高梁は目を見張った。橘の服の袖は流れ出た血で赤黒く染まっていた。
「気にするな。どのみち恒星船が来たら追加手術が必要だった」
テュポーンの巨体はオニダイダラの上空を通り過ぎて行った。周囲は再び明るくなった。
もしかして、たまたま飛来しただけで、自分たち人間を標的にしていたわけではなかったのかもしれない。牧野は思った。竜王はかなり減速していたものの、まだ飛行速度も高度もあり、そのまま地平線に向かって遠ざかっていくように見えた。
「このまま飛び去ってくれ……」
「行け、行ってしまえ」
「頼む、もう戻ってこないでくれ。見逃してくれ」
テュポーンの後姿を見送りながら、残留組の隊員たちは必死に祈った。
だが、祈りもむなしく、やがてテュポーンの飛行高度が目に見えて落ち始めた。そして、竜王はオニダイダラから十キロ以上離れた森の上に堂々と着陸した。
高梁と橘はネオビーグル号に到着した。
機内は避難してきた脱出組の生存者たちでぎっしりだった。普段は研究者しか入らないラボも人でいっぱいだった。乗せられる限りの生存者を詰め込んだ結果だった。満員の機内には恐怖の匂いが立ち込めていた。大人たちの不安を感じ取ったのか、火が付いたように乳児が泣き出した。
「脱出組は全員乗ったか。奴の隙を見て離脱するぞ」パイロットの小林が船内に呼びかけた。
「確認した。全員いる」橘が声を張り上げた。
「わかった。奴は着陸している。今が最大のチャンスかもしれない。発進準備を開始する」
「了解した」
その時、頭を下げながら人混みを押し退けて搭乗口に向かう人物がいた。近藤だった。
「すいません、ちょっと通らせてもらえますか。すいません」
近藤は男性にしては数少ない脱出組の一人だった。近藤の息子の大樹はすでに母親を亡くしていたので、せめて父親だけは残してやらなければという配慮からだった。
「おい、近藤さん、あんたどこに行くつもりだ」機械整備担当の松崎が呼び止めた。エンジニアである彼の機械工学の知識と技術は生存者全員にとってかけがえのないものだったため、脱出組に選ばれていた。
「松崎さん、ちょうどよかった。お願いしたいことがあります。ナノ合成機と一緒に僕を降ろしてもらっていいですか」
「はぁ、あんた何言ってんだ。気が狂ったのか」
「どうしても今、作らなきゃならないです。ここに残る人たちに今こそ必要な物なんです」近藤は必死の形相で言った。
「いったい何なんだ」
「毒ですよ。……見つけたんです、ギガバシレウスを倒せるかもしれない毒物を」




