第6話 星系到着
恒星船テレストリアル・スター号が亜光速から減速するにつれて、星虹となって船の前方に寄り集まっていた星々はしだいに散開していった。
そこに現れたのは馴染みのない星空だった。
青白い若い星の集団と、ガスが拡散しきった惑星状星雲の残骸、燠火のようにぼんやり光る赤色矮星。そして、それらすべてを圧して全天で最も明るく光り輝く黄色い主系列星。恒星船の最も近くに位置する、一見何の変哲もないその星こそが、はるかな距離を踏破してきた恒星船の終着点だった。
恒星船のAI群は人間には不可能な精度と反応速度でもって船の推進システムとリアクターをたくみに制御し、主観時間にして六年間、相対論的速度での航行を続けてきた。だが、まもなくそれも終わる。小天体との衝突も、恒星間空間に潜む自由浮遊惑星に針路を妨げられることもなく、旅は順調に進んだ。操船AIはそのことに達成感に近いものを覚えていた。
船は今、推進ノズルを進行方向へ向けて逆噴射し、猛烈な減速を行いながら目標の星系へ突入しつつあった。この間、乗組員たちは急激な減速で体が潰れるのを防ぐため、粘度の高い液体を満たした耐G槽に身を沈めていた。彼らは頭部に装着したゴーグルで船外の映像や観測データを見守っていることしかできなかった。
そうやって大人しくしてくれていたほうが助かると、この六年間、乗組員たちの健康管理を務めてきた医療AIは思った。閉鎖環境での長期に及ぶ生活で心身に変調を来たさぬよう、医療AI、通称ドクターはクルー157名全員の状態を絶えずモニターし続けてきた。大なり小なり異変の兆候が認められた者は多かった。ドクターはデータベースに保存された膨大な医療データと診断/治療アルゴリズムを用いてそれぞれのケースに適切に対処してきた。
まったく、神経質な霊長類には世話が焼ける。サバンナでの狩猟採取生活に適応した肉体と精神のまま恒星間宇宙を目指すなど無謀と言うほかない。
おや、船の減速が終わったようだ。ドクターは乗組員全員の身体データを瞬時にスキャンした。異常なし。減速により肉体に損傷を負った者はいなかった。耐G槽は完璧に機能し、危険なデルタブイを完全に相殺した。そろそろ彼らを水槽から出す時間だ。ドクターは耐G槽から液体を排出すると、人間たちの体を温水のシャワーで優しく洗浄しはじめた。
惑星間巡航速度にまで減速した船はやがて星系外縁部のオールトの雲にさしかかった。
推進ノズルから伸びる真っ青なプラズマの炎が、針路上に漂う氷の小天体を瞬時に蒸発させていく。テレストリアル・スター号は逆向きに尾を延ばした彗星のように、星系の内側に向かって長楕円軌道を描きながら進入していった。目指すは第二惑星あさぎりだ。
耐G槽を出て、さっぱりとした様子の清月隊長がブリッジに姿を現した。他のクルーたちも次々に持ち場に着いていく。ようやく目的の星系に到着したのだ。これからは艦載AIたちではなく人間が主役を務めることになる。減速中に静まりかえっていたブリッジは一転して、人間たちの声で満たされた。
「現在、第七惑星の軌道を通過。軌道修正のため9番スラスターを5秒間噴射します」
「無人探査機二号機、発射準備完了。五、四、三、二、一。発射」
「第六惑星の撮影に成功しました」
「木星型惑星か。周囲にリングがあるな」
「第六惑星の近傍にいびつな形状の小物体を確認しました」
「セドナ丸の大きさに近いな。材質は?」
「現在確認中……。氷と有機物のスペクトルを確認。金属は含まれていないようです」
「組成から判断すると、惑星の重力に捕らわれた彗星だろう。おそらくセドナ丸ではないな」
「セドナ丸およびその子孫への呼びかけに対する応答、ありません」
「そのまま継続してくれ」
ラウンジでは、今のところ出番のない惑星調査班の生物学者や気候学者たち、それに外交班や軍事・安全保障班の男女が、スクリーンに映し出される惑星の映像を見つめながら待機していた。無人探査機が撮影した氷に覆われた小さな岩石惑星や、木星のような巨大ガス惑星……。主観時間で六年間も恒星間の虚無しか見てこなかった彼らの目はこれらの光景をどん欲に吸収した。
惑星はどれも特徴的な姿をしていた。たとえば巨大ガス惑星は太陽系の木星よりも全体的に色調が緑がかっていて、そこに鮮やかな赤褐色の帯が幾筋も平行に走っていた。ある岩石惑星の表面は真っ黒な物質で覆われ、ほとんど光を反射しなかった。別の惑星は美しい薔薇色に染まり、活発に活動する火山があった。
やがて、スクリーンに小さな青い光点が現れた。
はじめは針の先で突いたような小さな光だったそれは次第に大きさを増していった。
「あれが、惑星あさぎりか」牧野はつぶやいた。
恒星船テレストリアル・スター号は最後の軌道修正の噴射を行い、惑星あさぎりを周回する衛星軌道に乗った。スクリーンの中で、青と緑と純白に包まれた惑星はしだいに大きくなっていった。
「美しい……」
この瞬間、ブリッジに詰めるクルーも、ラウンジの隊員たちも全員が眼下に広がる青い星の姿に目を奪われた。それは失われたかつての地球を彷彿とされる、理想的な生命の星だった。
海洋は深い藍色から明るい青緑までグラデーションをなして変化し、緑の大陸を縁取っていた。大陸を覆う緑色もまた地域によって無限のバリエーションを示していた。そして、白い綿毛のような霧が、それらをすっぽりと包み込んでいた。
あの惑星上に、どんな生物が生息し、どんな環境に生態系を築いているのだろうか。一刻も早く地上に降りて世界を見てみたい。牧野ははやる気持ちを抑えきれなかった。
「恒星間調査船テレストリアル・スター号は惑星あさぎりに到着した。諸君、過酷な長旅によく耐えてくれた」清月隊長は艦内放送で告げた。
その直後、ブリッジだけでなく船全体が乗組員たちの歓声に包まれた。
だが、その時だった。
「あれは何だ?」観測員の一人が惑星上空に謎の物体を発見した。
弧を描く水平線の上に、太陽光を反射して輝く物体が一つ浮かんでいた。それはランダムな方向に自転しているらしく、光の強度は刻一刻と変化していた。
「拡大します」
画面一杯に映し出されたそれを見て、全員が息を呑んだ。
真っ二つに割れた巨大な椀型の推進ノズル、ずたずたに引き裂かれた居住区シリンダー。内臓のように無残にさらけ出された機関部と配管の群れ。遮るもののない真空の宇宙空間で、それは細部に至るまでくっきりとスクリーン上に映し出された。
それはまぎれもなく、消息を絶ったセドナ丸の残骸だった。