第67話 祝宴
深海での生存が確認された、もう一体のギガバシレウス。
これであさぎりに存在する竜王の数は六体に増えた。
ここである隊員が、六体のギガバシレウスに個体名を与えようと提案した。提案は受け入れられ、名称が決定した。いずれも神話上の竜や怪物にちなんだ名前だった。
アルファ大陸東部に生息し、生存者たちの住む地域に接近しつつある最重要監視個体はギリシャ神話の巨大な怪物にちなみテュポーンと名付けられた。
アルファ大陸南部、積層巨木林の上空をなわばりとするケツァルコアトル。
ベータ大陸北部のオロチと、南部のヴリトラ。
アルファ大陸とベータ大陸間の大洋を支配するレヴィアタン。
そして、居住区を壊滅させ、恒星船に焼かれて深海に沈んだ個体には、北欧神話の邪悪な竜、ニーズヘッグの名が与えられた。
海中ドローンはニーズヘッグの動向を監視するため深海に残された。その監視映像は海上に浮かぶブイを経由し、そこから衛星ネットワークを介して生存者たちのもとに送られ続けた。
深海の巨大生物を貪り食った後、ニーズヘッグは眠りについたかのように海溝の底でじっと動かなくなった。その表皮では血流が増大し、失われた外皮の再形成が急速に進みつつあった。隊員たちはその様子を気がかりそうに眺めては話し合った。
「あいつの外皮が完全に再生するまでにどれくらいかかるんだ。それまでに恒星船が間に合うといいんだが」
「だとしても、膨大な海水が邪魔になって軌道上からのレーザー攻撃はできんぞ」
「海溝に核兵器を投下するしかないだろうな。放射能汚染が心配だが、やむをえないだろう」
無人機が持ち帰ったギガバシレウスの貴重な組織サンプルはさっそく分析にかけられた。
すぐに判明した事実は、ギガバシレウスがあさぎりの生物と共通する分子生物学的基盤を持っていた点だった。DNAの塩基の種類、遺伝暗号、タンパク質を構成するアミノ酸の種類はいずれもあさぎりの生物と同じだった。これで竜王があさぎりの生物から進化したことが証明された。
DNAの塩基配列の解析がはじめられたが、ゲノムに含まれる遺伝情報は膨大だった。オニダイダラと比較してその塩基配列の長さは百倍以上もあった。だが、その膨大な遺伝情報の中には、生物とは思えない異常な身体能力や、宇宙空間への適応、それに弱点に関わる秘密が埋もれている可能性があった。この研究は生物学者たちの総力を結集し、最優先で進められた。
それから十日が経過した。
懸念となっていたギガバシレウスの動向は落ちついていた。テュポーンはアルファ大陸東部の本来のなわばりに戻っていたし、ニーズヘッグの外皮はまだ完全再生には至っておらず、近頃は石像と化したように身動き一つしていなかった。緊張をはらんではいるが、比較的平穏な時間が流れていた。
そんな中で、恒星船からうれしい知らせが届いた。
「我々があさぎりに到着する日程が確定した。今から標準時間で百三十五時間後、あさぎりでは約七日後だ。恒星船があさぎりを周回する衛星軌道に乗りしだい、着陸艇で諸君を迎えに行く。これまでの三ヶ月間、よく耐えてくれた」清月総隊長が言った。
この知らせを伝え聞いた生存者たちは大いに安堵した。
「あと一週間か」「私たち、助かるのね」
「一時はどうなることかと思ったけど何とか乗り切れそうだな」
「ニーズヘッグが動き出すのとどっちが先かヒヤヒヤしていたが、一週間なら大丈夫そうだ」
「よかった。本当に良かった」
喜ぶ隊員たちを見ながら向井は言った。
「そうだな……。よし、恒星船の到着一週間前を祝し、今夜は軽いパーティーを開くとしよう」
隊員たちから歓声が上がった。
だが、それに異議を唱える者もいた。近藤だった。
「本当にいいんですか。ギガバシレウスの脅威が完全に去ったわけではないんですよ。あまり気を緩めすぎるのも考え物だと思いますが。まだ我々は奴らに対する有効な対応策を何も打ち出せてないんですよ。私は反対です」いつになくきつい口調だった。
ニーズヘッグが深海で見つかった日以来、近藤は竜王への復讐に燃え、弱点を見つけ出す研究に全精力を注ぎこんでいた。その様子には鬼気迫るものがあった。
「そうだな。たしかに近藤の言う通りではある。だが、これから先のことを考えると、楽しめるのは今が最後かと思ってな」向井が言った。
「どういうことです」近藤が言った。
「恒星船に救出された後、おそらく我々はこの星系を離れることになるだろう」向井は言った。
周りにいた隊員たちの顔に驚きに表情が広がった。向井は続けて言った。
「私は以前、この星からの撤退を否定した。それは清月総隊長の判断すべきことであり、我々はこの星で生存するのに自分たちの全力を尽くすべきであると言った。それはみんなに、恒星船の救いを待つだけで自分では何もしない、受け身で他力本願な人間になってほしくなかったからだ。
だが実際の所、清月総隊長はおそらくこの星からの撤退を真剣に考えているだろう。すでに隊員を半分も失ってしまった今、これ以上の犠牲者を出す可能性は責任者として絶対に許容できないだろう。何よりも隊員の生命を優先した選択肢を選ぶはずだ。
我々を回収したのち、恒星船はギガバシレウスからの攻撃を避けるため、星系外縁部か、もしくは他の恒星系に避難することになると思う。そうなれば、少なくとも当面の間、最悪の場合にはもう二度とこの惑星で暮らすことはできなくなるだろう。そして、物資の限られた恒星船内では、各自の行動の自由はきびしく制限される可能性が高い。そう、この星系に来るまでの恒星間飛行中のようにな。楽しめるのは今しかないと言ったのはそういう理由だ」
人々の間に水を打ったような沈黙が立ち込めた。
「……わかりました。みなさんはパーティーを楽しんでください。私は研究を続けます」近藤はそう言うと去って行った。
「つまり、あさぎりとのお別れパーティーも兼ねてってことか」伊藤が言った。
「向井さんの言う通りだ。たぶん、清月さんならそう決断するだろうな」橘が言った。
「ともかく、そうと決まったら準備に取りかかろう。グズグズしてると日が沈んでしまうぞ」向井は言った。
さっそく隊員たちは手分けしてパーティーの準備を始めた。
村上や成瀬たちを中心とした女性隊員は着生植物のでんぷんを利用した団子や餅のような食べ物を作りはじめた。メインディッシュは、ここ最近オニダイダラの背中にたくさん飛来している鳥のような飛行生物の肉だった。この生物の肉は非常に美味だということがわかっていた。平岡と三浦は銃を担いで鳥型生物が営巣している場所に行くと、数羽を仕留めて戻ってきた。
向井は松崎に話しかけた。
「松崎、ナノ合成機でアルコールは製造できるよな」
「ああ、試験研究用のエタノールならすでに何度か作ってるぞ」
「いや、違うんだ。飲料用アルコール、つまり酒のことなんだ。作れるか?」
「レシピならワインから日本酒、焼酎まであるが。……本当にいいのか」
オニダイダラの背中に移住して以来、向井の命令で飲酒や酒の製造は禁止されていた。絶望的な状況で酒に逃避し、アルコール依存症に陥る者が出るのを恐れたためだ。一部の隊員はそのことで向井に対して怨嗟の声を上げていた。
「構わない。それに解禁するのは今夜だけだ。それなら大丈夫だろう」
「よっしゃ、今すぐ取りかかろう。焼酎でいいか」
日が西に傾く頃、各自が用意した料理や酒を持ち寄って、ささやかな祝宴が始まった。
向井が乾杯の音頭を取った。
「……多くの尊い命が失われた。だが、ここにいる私たちは今日まで生き延びることができた。それは皆の協力のおかげだ。これまで皆には厳しい事を言ってきたし、我慢も強いてきた。だがそれもすべて生存のためだった。許してほしい。あと一週間ではあるが、この惑星でともに過ごす時間を大切にしよう。力強く生き延びた生存者たちに、そして、この素晴らしい惑星に、これが永遠の別れとならぬ事を祈って。乾杯」
牧野は研究を中断し、高梁と一緒に参加していた。
配られた酒の量は少なく、一人につきコップ一杯程度だけだった。
「くそー、これっぽっちかぁ。まあ、ないよりはマシか。ありがたく頂戴するよ。……くぅー、五臓六腑に染み渡るねぇ」伊藤が目に涙を浮かべながらコップの焼酎を飲み干した。
料理を受け取った二人は、浮かれ騒ぐ人々の輪から離れ、村はずれの地面に腰を下ろした。そこからオニダイダラの頭の方向を眺めながら、彼らは二人だけで料理を味わうことにした。
高梁は塩をつけて焼いた鳥形生物の飛翔筋にかぶりついた。
「おいしい!」一口ほおばった高梁が目を見張った。
「うん。うまいな。これまで食べたこの星の生物で一番の味だ。いや、地球の鶏を超えているかもしれない」牧野は同意した。
白い鳥型生物は、飛ぶ姿は一見カモメのように優美だが、近くから見るとその頭部はシュモクザメのようなハンマー型をしていて少しグロテスクだった。
「こんなに美味いと乱獲されないか心配になるね」高梁が言った。
「十九世紀の野蛮人ならきっと捕りすぎて絶滅させてただろうな」牧野が言った。
眼下に広がる平原にはオニダイダラの長い影が落ちていた。
「ここにいられるのもあと七日か。そう思うと寂しいね。私、この場所が気に入ってたから」高梁が言った。
「そうだな。何だかんだで三ヶ月間、ここが俺たちの家だったからな」牧野は言った。
「オニダイダラのことも好きだった。タカシは知ってる?オニダイダラにも表情があるんだよ。私、毎日この場所から顔を見てたら、何となく表情がわかるようになってきたんだ」高梁が牧野のことを名前で呼ぶようになって一月は経っていた。
「本当かぁ。じゃあ、今はどんな顔してるんだ」
高梁は目をすがめてオニダイダラの頭部を見つめた。
「……う~ん、今はリラックスしてるね。機嫌も良さそう」
「そうかな。俺には怒ってるように見えるけど」夕日を浴びて陰影が際立ったオニダイダラの頭部は、牧野の目にはいつもよりも厳めしく見えた。
「やっぱり全然だめだね。タカシは鈍いね」
「悪かったな」
牧野のすぐ側に緑色をした蝶のようなものがひらひらと飛んできた。牧野はそれを素手で捕まえた。
牧野の手の中で、薄緑色の生き物が繊細な翅をふるわせていた。
「擬虫葉だ」牧野は言った。
一部の植物が花粉媒介のために飛ばす、蝶に似た形をした生殖器官。言わば空飛ぶ花だった。
「もうそんな季節なんだね」高梁が言った。
「あれからもう一年か。あさぎりの一年はあっという間だな」
あさぎりの一年は二百三十六日だった。
この惑星上で、隊員たちは次のような暦を採用していた。
地球と同じく一週間は七日、一ヶ月は約三十日としていた。もちろん、あさぎりの二つの月の運行とは全く相関がない。ただ、地球で生まれ育った隊員たちにとって、社会的、生理的な活動を測る時間の単位として便利だから採用しているに過ぎない。
あさぎりには、ひと月の日数が二十九日の月と三十日の月がそれぞれ四ヶ月ずつあり、それらを合わせた八ヶ月で一年が巡っていた。つまり、あさぎりの一年は地球の三分の二しかなかった。
一年前、牧野はオニダイダラの通過後に生える植物、バラムン樹の調査をしていた。その時見つけた擬虫葉を牧野は持ち帰り、当時妊娠中だった飯塚に見せた。結局、彼女はその羽化した姿を見ることはできなかった。
あれから色々な出来事があった。
居住区にモリモドキとその共生生物が侵入し、それを撃退した。
飯塚は男の子を出産した。同時期に何組もの夫婦の間に新しい命が生まれた。この惑星で生を受けた最初の世代だった。
数か月後、ついに調査専用機ネオビーグル号が完成し、南方への探検に出発した。砂漠地帯では金属鉱脈の探査に汗を流し、さらに奥地に広がる砂丘地帯で砂の海を悠然と泳ぐ砂漠クジラを観察した。空から降る微生物の雪、デザートスノーに導かれ、空中を漂う不思議な生態系を目撃した。そして山脈を超えた先で、この惑星の生産力と生物多様性の中心たる積層巨木林の世界を垣間見た。
あの旅ではいつも牧野のそばに高梁がいた。
そして、恐るべき超巨大生物、ギガバシレウスとの遭遇。築き上げてきた居住区を一瞬にして失い、飯塚をはじめとして大勢の親しい仲間たちを亡くした。
オニダイダラへの移住の決断と、ヨヴァルトの裏切りの発覚。その過程でひょんなことから牧野は高梁と結ばれた。一年前は予想もしていなかったことばかりだった。
地上の森から舞い上がってくる擬虫葉の数はどんどん増えてくるようだった。
「たぶん、一斉羽化が起きたんだ。この一帯に生息する擬虫葉植物が同時に受粉を開始したんだ」牧野は言った。
飛来する擬虫葉の種類はさまざまだった。茶色くてバタバタと羽ばたくもの、薄桃色のもの、透明で素早いもの。それらがまるで紙吹雪のように吹き上がってくる。
その時、擬虫葉の群れに白い飛行生物が突っ込んだ。
飛行生物たちは夕暮れの空を飛びながら乱舞する擬虫葉を食べていた。おそらく、彼らはこれを目当てにオニダイダラの背中に渡ってきたのだろう。
一斉羽化は毎年は起きない。オニダイダラの周囲の森で起きたのは今年が初めてだった。白い飛行生物たちはどのようにしてか一斉羽化が起きる森を事前に察知し、その場所に集まって繁殖する習性をもっているようだった。たしかに周囲の平原から切り立った崖のようにそびえたつオニダイダラの背中の上は、地上を徘徊する外敵からも守られ、繁殖地にはもってこいの場所だった。
「きれい……」高梁が言った。
「この美しい景色もこれで見納めか。この惑星の風景をもっと見ていたかったな」牧野はため息をつくと、コップの酒を口元に運んだ。
「あれ、お酒飲まないの?」牧野は高梁のコップの酒がまったく減っていないことに気付いた。
こう見えて高梁はかなり酒好きだった。恒星船に乗る前、訓練の後に開かれた懇親会で彼女がかなり盛大に飲んでいたのを覚えている。その時は飲み過ぎて泥酔し、翌朝、清月総隊長から注意を受けていた。
「……うん、飲みたいけど、今は飲まない方がいい時期かな、と思って」
どういうことだ。時期って何だ。
「妊娠初期の飲酒はよくないからね。……今月、生理が来てないんだ」
牧野は思わず立ち上がった。驚いた拍子にコップの酒が全部ズボンにこぼれた。
翌日の早朝。
ネオビーグル号のラボで近藤は研究を続けていた。昨夜はラボの椅子に座ってほんの少し仮眠しただけだった。
寝る間も惜しんで近藤が取り組んでいるのは、ギガバシレウスから採取された、とある酵素タンパク質の構造に合致する化合物の検索だった。その酵素は細胞内の代謝に関わる重要なもので、あさぎりの全生物の細胞で共通して発現していた。いわゆるハウスキーピングタンパク質だ。
このタンパク質に結合し、機能を阻害する物質があれば、それはあさぎりの生物、そしてギガバシレウスの生命をおびやかす猛毒になりうる。
つまり、近藤はギガバシレウスを倒せる毒を探していたのだ。
彼が探し場所に選んだのは、これまでの三年間にこの惑星の各地で収集してきた膨大な量の植物標本だった。彼はそこから何千種類もの化合物を抽出し、その構造を網羅的に解析していた。実際、地球では多くの植物が動物から身を守るために猛毒を生産していた。あさぎりの植物界でも同じ進化が起きていてもおかしくはなかった。
近藤の読みは当たっていた。手応えはあった。候補となる化合物はすでにいくつか見つかっていた。だが、それらは不十分だった。彼が求めるのは、微量でも竜王の巨体に作用を及ぼす激烈な猛毒なのだ。
近藤が夜通し研究を続けるラボを一瞥した後、パイロットの小林は操縦室に戻った。
彼もまた、昨夜は通信と監視の当直でパーティーに参加していなかった。あの手の宴会は昔から嫌いだったのでちょうど都合が良かった。
もうすぐシフトが終わる。彼は大きなあくびをした。
その時、警報が鳴り響いた。
監視レーダーの画面を確認した小林は驚愕した。
最重要監視個体、テュポーンが周囲百キロ圏を突破して侵入しているではないか。
「くそっ、まっすぐこっちに向かってるぞ。なんて速さだ」
彼は急いで全員の端末に緊急避難警報を送信した。
テュポーンはまもなく三十キロ圏を突破した。警報レベルは一気に最高に達した。
操縦室の大きな窓からは朝焼けの空が見えていた。
小林は見た。
薔薇色に染まる空に、朝日を浴びて金色に輝く巨大な物体が浮かんでいた。それはどんどん大きさを増していた。




