第65話 竜の骸
あさぎりの世界地図を見ると、北極付近に島々の集まりがある。
北方群島だ。
あさぎりの気候は地球よりも温暖なため、これらの島々は北極圏にも関わらず氷に覆われていなかった。現代の地球でいえば温帯程度の気温だった。しかし、かつては氷河が発達していた時代もあったらしく、迷子石やU字谷、フィヨルドなど氷河に特徴的な地形が豊富だった。
島々は霧が濃く、島を覆う森の木々には苔のような着生植物がびっしりと付着していた。南方に比べて動物の数こそ少ないが、静寂につつまれた森には独自の生態系が息づいていた。
これまでその地を訪れた者はまだおらず、衛星や無人機による調査で集めたわずかな情報があるのみだった。
地表観測衛星は北方群島の上空を通過しつつあった。
衛星は少しずつ軌道を修正しながら、北極圏全域をくまなく走査する計画だった。その映像は衛星ネットワークを介してネオビーグル号に続々と送られていた。
ギガバシレウスの死骸らしきものはまだ見つかっていなかった。
生存者たちは交代で映像を監視し、目当てのものが現れないかを見守っていた。
その時、監視に当たっていたのは村上という隊員だった。
端末の画面を、青黒い海に点在する島々の集まりが流れていく。海岸線はフラクタル図形の見本のように複雑に入り組んでいた。標高が高い島々の山頂は白く冠雪していた。この惑星ではここにしか見られない本物の雪だった。
監視をはじめて三十分が経過していた。画面に現れる景観は単調だった。青い海、緑の森、岩と雪……。村上はあくびをかみ殺した。
その時だった。突如一変した地上の様相に村上は目を見張った。
広範囲にわたって木々がなぎ倒されていた。それもひとつの島だけではない。一帯に散在するすべての島々で、森の木々がどれも同じ方向に向かって倒れていた。
「これはいったい何なの」
村上は急いで向井に連絡した。
向井も映像を見始めた。
衛星が進んでいくにつれ、地上の被害はよりひどくなっていった。
木々は倒れているだけでなく、焼き尽くされていた。島々を覆っていた深い森や雪は消え、黒焦げの地肌がむき出しになっている。火はすでに消えているが、最近ひどい山火事があったようだ。
この光景は向井に、かつて地球で起きたある有名な事件を想起させた。
ツングースカ事件。二十世紀初頭にユーラシア北部で起きた大爆発だ。爆発の衝撃は世界各地で検出され、後年の調査では広範囲の針葉樹林が衝撃波でなぎ倒されているのが発見された。クレーターは発見されなかったため、おそらく大気圏に突入した大型隕石が空中で爆発したことが原因と推定されている。
だが、これを引き起こしたのは断じて隕石の落下などではない。向井はすでにこの時、破壊の原因を確信していた。
ついに衛星は爆心地と思われる場所の上空にさしかかった。
その島は溶けていた。まるで島全体が煮えたぎる火口になったようだった。島から流れ出た大量のマグマは周囲の海に流れ込み、海水を沸騰させて大量の蒸気を吹き上げていた。
「ひどいな。しかし、まさかこれほどとは……。間違いない、原因は恒星船のスタードライブだ」向井は断言した。
ギガバシレウスに追われた時、恒星船テレストリアル・スター号はスタードライブを起動し、高速で追いすがる竜王に向けて超高温のプラズマを浴びせた。それは竜王を焼き殺すに留まらず、まるで巨大な炎の剣のようにこの惑星の地表をなぎ払ったのだ。
これこそが惑星に近接した宇宙空間でスタードライブの使用が厳禁されている理由だった。強力すぎるプラズマジェットの噴射が惑星の地表を焼いてしてしまうおそれがあるのだ。
「いったいどれだけの生物が命を奪われたんだ。やむを得ない事態だったとはいえ、こんな破壊が許されるのか、清月総隊長」向井は言った。彼の眉間には深い縦じわが刻まれていた。
人工衛星が地獄のような光景の真上を通過して十分が経った。
島々は再び緑に覆われていた。
また別の傷跡が見えてきた。先ほどに比べれば規模は小さい。破壊されているのは島の一部だけだ。
山地の森が焼けていた。そして、黒焦げになった山肌に大きな物体が横たわっていた。差し渡しは約二百メートル。幅が広く、翼のような形状だった。
ついに目当ての物体を発見したと向井は確信した。
「あったぞ。ギガバシレウスの死体の一部だ」
それからも地表観測衛星による捜索は続けられ、予定されていたすべての範囲を走査し終えた。
ギガバシレウスの残骸はパーツごとに別れ、いくつかの島に散在していた。
見つかったのは二枚の翼、右前肢の半分、左右の後肢、頭部の一部。一本の尾部。そして、胴体。それぞれが別の島に落ちていた。それ以外の部分の行方は不明だったが、おそらく粉々になって大気圏突入で燃えつきたか、または海中に沈んだものと考えられた。
サンプル回収用の無人機を送り込むのは、胴体が見つかった島に決まった。大気圏内での超音速飛行や宇宙航行など、ギガバシレウスの信じがたい能力の秘密を解く鍵は胴体に収まった内臓に隠されていると考えられたからだ。
ネオビーグル号で直接調査におもむく案も出たが、発電機やナノ合成機を搭載し、生存者たちの生活を支えている機を失うリスクをおかす訳にはいかなかったので却下された。
機械、設備担当の松崎は早速、無人機とサンプル採取用ロボットの開発に取りかかった。
五日後、松崎はサンプル採取用のロボットを搭載した無人機を完成させた。
利用できる資材が限られた中、ナノ合成機を駆使し突貫工事で作られただけあって無人機は軽量で、搭載されたロボットも小型だった。正直なところ、本当に何千キロも飛行して北極圏にまで行って戻ってくることができるのか不安になるような見た目だった。
松崎は言った。
「おいおい、何だよその顔。ちゃちに見えるかもしれないが、こう見えて意外としっかりしているんだぞ。
島に着いたら採取ロボットを投下してくれ。地上に降りた後、ロボットの操作はこのVR装置を使う。できるかぎりたくさんサンプルが欲しいのはわかるが、持ち帰れる量は百キログラムまでだ。それ以上だと無人機の飛行に支障を来すからな。採取が完了したら、無人機はロボットを回収して戻ってくる。あと、海中に落下した部分を探すための小型の海中ドローンも搭載した。これにはサンプル採取機能はないが、カメラで海中の映像を送れるようになっている」
「ありがとう。申し分ない出来だ」無人機を見ながら向井が言った。
無人機はローターを回転させ、オニダイダラの背中の上から垂直に上昇した。
空中でメインエンジンに点火した無人機ははるか北を目指し旅立っていった。
それから七時間が経過した頃、無人機は目標の島の上空に到着した。
無人機のカメラは、森の真ん中に黒く焼けただれた巨大な物体が盛り上がっているのを映し出した。地面に横たわるギガバシレウスの胴体だ。
「こうして見ると、予想以上のでかさだな」向井が言った。
それはまるで墜落した巨大宇宙船の残骸だった。いや、さらに大きい。小規模な都市の酸素ドームくらいはありそうだ。映像を見ていた牧野は東京に行く途中で見かけた廃墟化した静岡のドームを思い出した。
無人機は胴体に接近しながらその構造を至近距離から観察しつづけた。
胴体の表面は耐熱パネルのような鱗で隙間なく覆われていた。一枚の幅は三メートルほどだ。高出力レーザーに耐えたその鱗も数百万度のプラズマには耐えられなかったようで、所々で溶け、焼け焦げた形跡があった。体の表面のあちこちには棘や突起が突き出ていた。特に大きいのが背中に一列に並ぶ長く鋭い棘で、一本一本がまるで鉄塔のように大きかった。
落下の衝撃か、もしくはプラズマジェットの直撃を受けたせいか、胴体は大きく裂けていた。
無人機は裂け目に接近した。
おそらくこの奥に竜王の能力の謎を解く鍵が眠っている。超巨大生物の内部構造を調査するため、無人機にはミューオンという素粒子を利用して内部を透視できる観測機器が搭載されていた。
「さて、何が隠されていることか。まさか生体原子炉でも見つかるか。それとも、もっと予想外の……。ん、これはいったいどういうことだ」向井が声を上げた。
「どうしたんですか」牧野は言った。
「……中身がない。殻だけだ」向井が言った。
裂け目から中をのぞき込んで見ると、巨大な胴体の中身はがらんどうだった。
暗くだだっ広い空っぽの空間が広がっているだけで、内臓やその他の器官は何も残っていなかった。
「もしかしたら、プラズマ噴射を浴びた時に蒸発したのでしょうか」牧野は言った。
「いや、それにしても変だ。内骨格すら残っていない。本当に空っぽだぞ」向井が言った。
「……ひょっとして、これって脱皮殻なんじゃ」昆虫学者の堀口が口を挟んだ。
「え、何だって。そんな馬鹿な」
しかし、堀口の言う通りだった。確かにそれは死骸としてはあまりにも整然としていた。硬い外側だけを残し、内側の組織はきれいになくなっていた。改めて残骸全体を見ると、背中付近に大きく開いた裂け目から中身が抜け出た様子をありありと想像できるような気がした。
それに、落下地点の破壊が軽微なのも疑問だった。もし衛星軌道上から中身が詰まった胴体が落下したなら、衝突によって地面に大きなクレーターが生じていたはずだ。おそらく、地上に落ちたのは中身が抜け出た後の殻だけなのだ。
「じゃあ、中身はどこに消えたっていうんだ」向井が言った。
映像を見ていた隊員たちの間で、不吉な予感が急激に高まっていった。
まさか、居住区を襲い仲間たちを殺したこいつはまだ死んでいないのでは。未だ健在で、この惑星のどこかに潜んでいるのではないのか。
「少なくとも、空は飛んでいないし、陸にもいない。これまで探知されたのは五体だけで間違いはない」向井が言った。
「となると、怪しいのは……海か」牧野は言った。