第64話 竜王接近
惑星あさぎり。アルファ大陸北部の草原地帯。
なだらかに起伏する乾燥した平原に丈の低い植物が群生している。
茶色一色の風景の中を一頭の大型生物がのっそりと歩いていた。
体長は十五メートルほど。タンクのように丸々と太った胴体を六本の太い足で支えている。それは立ち止まると、頭部に生えた頑丈な三本角で地面を掘り返しはじめた。おそらく植物の地下茎に相当するものを探しているのだろう。動物の周囲に乾いた砂埃が舞い上がった。
その後ろには同種の生物の群れが続いていた。三十頭程度はいるだろう。
その時、突風が吹き荒れたかと思うと、急にあたりが影に包まれた。
大型動物たちは不安げに頭部を上げた。
その直後、上空からとてつもなく巨大な物体が降下してきた。
地上に降り立ったその超巨大生物は視野を埋め尽くしていた。
大木の幹のような脚、惑星間輸送船のような腹部。日差しを遮る広大な翼、白銀の鱗。そして、上下左右四方向に開く口にびっしりと並んだ鋭い歯列。
リブラドラコ・ギガバシレウスだ。
竜王は頭を下げると、群れの先頭にいた大型生物に喰らいついた。たったひと噛みで体長十五メートルの身体の大部分が消え失せた。他の個体はいっせいに逃げ出した。だが、彼らは竜王の影の下から逃れ出ることはできなかった。動物たちは食いちぎられ、噛み砕かれ、丸飲みにされ、一頭残らず竜王の糧となった。後に残されたのは乾いた大地に染み込んだわずかな血痕のみだった。
超巨大生物の王者はささやかな食事を終えると、尾部からの猛烈な噴射で周辺一帯を吹き飛ばし、再び空へと舞い上がった。黄土色の粉塵の壁が押し寄せ、視界が閉ざされて何も見えなくなった…………。
リモートカメラが送ってきた映像だった。
南方探検の途中で、ネオビーグル号は通過した地点にいくつものリモートカメラを残してきた。それは内部電源が続く限り活動を続け、生物を感知したら自動的に撮影してデータを送信するようプログラムされていた。
牧野はオニダイダラの背部外殻の村にある家でこの映像を見た。
「凄いですね……これは」
「五体のギガバシレウスのうち、我々に一番近い個体。最重要監視対象だ。あいつがついに砂漠を越えてさらに北までやってきた。この映像が撮影されたのはここから三百キロと離れていない場所だ」向井が言った。
「このところ、活動範囲がどんどん北上していますね」牧野はため息をついた。
たった一頭で居住区を壊滅させ、恒星船を中破させた恐るべき超巨大生物、ギガバシレウス。惑星あさぎりに残された五十八名と、恒星船に乗る三十五名、合計九十三名の人類の前に立ちふさがる最大の脅威。
最近、そのうちの一体がなわばりを超えて遠征する回数が増えていた。しかもそれは生存者たちの暮らす地域に少しずつ近づいていた。遠出した先で、それはその地に生息する大型生物を襲って捕食していた。
不安を覚えた生存者たちは向井の家に集まり、ギガバシレウスについて話し合うことにした。
ここに来た当初、村の家々は寄せ集めの廃材で建てられた粗末な小屋だったが、ナノ合成機の復旧以降は合成建材を使って建て直しが進み、今では家と呼んで良いほどしっかりとした造りのものになっていた。
仮設の家々のうち、暫定的なリーダーを務める向井の家がもっとも広く、生存者たちの集会場を兼ねていた。
集まるとすぐに、生存者たちは活発な議論を始めた。
「まさか、ここまで来るってことはないだろうな」安全保障班の平岡が言った。
「いや、ありうる話だ。あいつにとって三百キロなんて散歩程度の距離感だろう。いつ現れてもおかしくないと思うよ」地質学者の伊藤が言った。
「恒星船さえ早く到着してくれれば……」ソフトウェア担当の三浦が言った。
「おめでたい奴だな。恒星船が来ても安心できねぇよ。あいつに攻撃されたときの映像を見なかったのか。スタードライブを起動してやっと逃げ切れたんだ。それに最大出力で撃ったレーザーも通じなかった。もはやあれは天災だよ。人類の力ではどうすることもできない相手だ」平岡は言った。
「でも、見つからないことを祈ってここでじっと身を潜めているよりはマシじゃないかな。少なくとも恒星船は逃げることはできる。他の星系に行くことだってできるんだ。ここは人間のいるべき星じゃなかったんだ。撤退すべきだと俺は思う」三浦が言った。
「まあ、それは総隊長殿の判断することだ。それに恒星船が到着する前に奴が現れる可能性もゼロじゃないぞ。そのときは我々だけの力で何とか乗り切らなければならない。そのために今、俺たちは話し合ってるんじゃないのか」向井が言った。
「その通りでした……」三浦が言った。
「もし可能であれば、あいつが襲いかかってきた時に撃退できる手段を用意しておきたい。誰か、何かいい案はあるか。どんな馬鹿げたアイデアでも良いぞ。思いついたらどんどん言ってほしい」向井が言った。
「……高出力レーザーは通じなかったが、化学的な攻撃はどうだろう。熱や物理的な打撃には強いが、意外と毒は有効かもしれない」奥野という隊員が言った。
「その可能性はあるな。だが、あいつの生理機構が不明な以上、どんな成分が有効なのか検討もつかない。それにあの巨体だ、何が効くにしろ膨大な量を投与しなきゃ致死量に達しないだろうな」向井は言った。
「毒がだめなら、ウイルスや病原体を使うっていうのはどうかな。あれがこの惑星のどんな生物に近縁か判明すれば、その動物から採取した病原体が効くかもしれないよ」微生物学者の高梁が言った。
「でもなぁ……。そもそも、あいつは本当にこの惑星の生物なのか。ジェット噴射で超音速で空を飛ぶし、宇宙でも活動できる。レーザーを浴び続けても死なない。生物としてもあまりにも常識から逸脱しすぎているし、この惑星の生物とも異質だ。どこか別の星から来たのかもしれないぞ」伊藤が言った。
「だが、上下左右四方向に開く口は、この惑星の大型生物に広く見られる特徴だ。ギガバシレウスも似た構造の口をしていた。あいつはこの惑星で進化した可能性が高いと思う。まあ、細胞やDNAを調べないと断言はできないが。収斂進化の可能性もあるしな。サンプルを採取する事ができればいいのだが」向井が言った。
「ハッ、無理だよ。接近するのさえ不可能だ」平岡が言った。
「……いや、あるかもしれない。安全にサンプルが採れる場所。それも大量に」牧野は言った。
「どこなんだ、それは」向井が言った。
「恒星船のスタードライブで焼かれて死んだ個体の死骸です」牧野は言った。
「なるほどな」向井は言った。
向井は恒星船に問い合わせた。
その返答によると、恒星船がスタードライブに点火しギガバシレウスにプラズマ噴射を浴びせたのは、ここから三千キロ離れた北方群島の上空だということがわかった。恒星船後部のカメラは噴射でホワイトアウトして何も映っていなかったため正確な落下地点は不明だが、おそらく点火した地点の周囲五百キロの範囲にギガバシレウスの死骸の一部が落下した可能性が高いということだった。落下予想地点の範囲は広いが、巨体だけに発見は難しくないだろうという話だった。
「まずはそのあたりを通過する軌道に地表観測衛星を移動させ、死骸が落ちていないか確認してみよう。もし発見できればドローンを送り込み、サンプルを回収したい。……小林か、悪いがちょっと頼みたいことがあるんだ」向井は早くも端末でネオビーグル号にいるパイロットの小林に連絡を入れた。衛星の軌道を変更し、北方群島上空に飛ばすためだ。
「もし死骸が見つかれば、それは貴重な情報源になる。ギガバシレウスの弱点を探り出すこともできるかもしれない」向井は言った。
さらに向井は続けて言った。
「それとは別に、これまで観察されたあいつの行動から、生態の謎を解く手がかりはないだろうか。そもそもなぜあいつは居住区を攻撃したのか。牧野君、あれ以降、何かわかったことはあるか」
オニダイダラに移住する直前、牧野と向井は破壊された居住区を視察していた。
破壊の状況から、ギガバシレウスは人間を捕食しようとしたのではないと思われた。人のいない建物や設備を含め、居住区の全体が徹底的に破壊されていたからだ。そこで牧野は、居住区から発せられていた何らかの刺激が超巨大生物の攻撃行動を誘発したのではないかと示唆した。だが、その仮説を補強する証拠は何も見つかっていなかった。
そこでふと、牧野はあることを思い出した。
「……皆さんは覚えていますか、セドナ丸の残骸から回収された端末に残っていた映像のことを。おそらく破壊される直前のセドナ丸内部を撮影したと思われる映像です」
「ああ、あれか。よく覚えているよ。僕が金属鉱脈の探査を提案したあの定例会議で発表された映像だな」伊藤が言った。
それは牧野たちが南方探検に出発する数ヶ月前、居住区が鳥形生物の襲撃を受ける少し前のことだった。
当時の事故調査班はセドナ丸の残骸から回収した端末を解析し、動画データの復元に成功した。定例会議で発表された映像には、乗組員たちの日常だけでなく、セドナ丸の最後の瞬間も記録されていた。
船内に閉じ込められて泣き叫ぶセドナ丸の乗組員たち。その背後に映る展望窓を黒い大きな影が横切った。その直後、衝撃が走って船体が破壊された。乗組員たちの阿鼻叫喚の中、やがて映像は途切れた。
「あの映像に映っていた黒い影、今思うとあれは間違いなくギガバシレウスでした」牧野は言った。
「そう言われれば、そんな気がするな。誰か、あの映像を端末に保存している者はいないか。確かめてみたい」向井が言った。
事故調査班のメンバーは班長の林をはじめ、牧野が親しかった飯塚など多くの者が居住区の壊滅で命を落としていた。だが、班員唯一の生き残りである小野寺が自分の記憶媒体に復元された動画データを多数保存していた。その中には件の映像も含まれていた。
向井は小野寺に依頼し、その映像を端末のネットワーク上に公開させた。
「……たしかにそうだな。ぼやけてはいるが間違いなくこれはギガバシレウスだな」再生した映像を見ながら伊藤が言った。
「気になった点はその少し前です。船が破壊される直前、船内に意味不明な放送が流れるでしょう」牧野は言った。
生存者たちは各自の端末で映像をその部分を再生した。
端末のスピーカーから、百年以上前に死んだ男の不気味な声が鳴り響いた。
「……お前たち罪人は、……の罰を身をもって購うのだ。忌まわしき鋼鉄の棺桶と共に逝くがよい」
「ここです。この言葉から、一部の乗組員が狂気にとりつかれて反乱を起こし、意図的に船を破壊したことでセドナ丸は消息を絶った可能性が高いと事故調査班は推測されたのですよね」
「ああ、その通りだ。それが私たちの出した結論だった」事故調査班の小野寺が言った。
「となると、反乱者はギガバシレウスにセドナ丸を破壊させたことになります。つまり、彼らはギガバシレウスの生態を理解し、セドナ丸を攻撃するように仕向けることができた、ということになりませんか」
「まさか、反乱者たちはギガバシレウスを自在に操ることができたと言うのか」小野寺が言った。
「おそらくそのレベルには達していなかったでしょう。ですが、少なくとも彼らはギガバシレウスについて我々がまだ知らない何かを知っていた。その可能性は十分高いと思います。そこで小野寺さんに頼みがあります。セドナ丸の残骸から回収されたデータの中に、ギガバシレウスに関連したデータが残っていないか探してもらいたいのです」牧野は言った。
「了解した。まだ復元や変換が完了していないデータがたくさん残っている。亡くなった班員たちのためにも私がその仕事をやり遂げよう」小野寺が言った。
「お願いします」牧野は頭を下げた。
北方群島付近に眠るというギガバシレウスの死骸。
セドナ丸の残骸から回収された未解明のデータの山。
二つの手がかりから、生存者たちは竜王の脅威に挑みはじめた。
彼らはもはや怯えた避難民などではなく、難題に挑む各分野の専門家という本来の姿を取り戻していた。