第62話 有性生殖
騒動の後、ヨヴァルトは全員に対して謝罪した。そんな彼を生存者たちは仲間の一人として寛大に受け入れた。
ナノ合成機は安定して稼働し続け、生存者たちの生活水準を少しづつ改善させていった。貯水タンクに貯めた雨水やナノ合成機を使ったリサイクルのおかげで必要な水や原料はオニダイダラの背部外殻上でほとんど賄えるようになり、ネオビーグル号で地上に降りることはほとんどなくなった。
居住区を壊滅させた超巨大生物、ギガバシレウスが付近に飛来することもなかった。
悠然たる超巨大生物の背の上で、日々は比較的平穏に過ぎていった。
日に日に短くなっていく恒星船との通信のタイムラグも生存者たちをおおいに勇気づけた。
「こちらは今日も特に報告はありません。強いて言えば、高梁と牧野の交際が発覚したくらいですかね。実際にはもっと前から付き合っていたようですが」通信担当当直の小林が言った。
十分以上の間をおいて、清月からの返事が届いた。
「へぇ、あの研究一筋の高梁がついに恋に目覚めたか。よかったよかった。相手は牧野か。お似合いのカップルだと思うよ。私からも祝福の言葉を贈らせてもらおう」
清月総隊長は話題を変えた。
「ところで、こちらは先日、小型の小惑星を捕獲したんだ。付近を漂っていた小惑星を調べてみると金属質を豊富に含んでいることが判明した。そこで、恒星船の後部に曳航し、あさぎりに向かいながら船体の破損箇所を修繕することにした。これがその小惑星だ」
画面が切り替わり、恒星船の後方を映したカメラの映像になった。
いびつな形状をした巨大な岩の塊が、船体後部から伸びる三本のワイヤーに引かれていた。直径はおよそ五十メートルほど。スラスターの噴射の光を反射して、表面が鈍く輝いている。
目をこらすと、表面の輝きは細かくうごめいていた。まるで蟻の群れがたかっているかのようだ。
「……開放型ナノ分解機だ。ナノマシンの群体が小惑星を採掘し、そこに含まれる成分ごとに選り分けているのだよ。有用な成分がある程度集まったら、それを運搬用ロボットが自動的に検知して拾い上げ、ワイヤーを伝って恒星船まで運んでくる仕組みだ。最も損傷が激しい自転区画から優先的に修理中だ」清月が説明した。
実際、小惑星を曳航するワイヤーの上に蜘蛛のような小型ロボットが何体も鈴なりになっているのが映っていた。
小林は思った。こんなロボット群はこれまで恒星船に搭載されていなかったはずだ。データベースの目録でも見た覚えがない。
特に、ナノマシンの群れを外界に解き放つ開放型ナノ分解機は、地球上では使用をきびしく制限されているテクノロジーだった。暴走したナノマシンがすべてを分解し灰色のドロドロに変えてしまう「グレイ・グー」に対する迷信じみた恐怖症はナノテク黎明期から現在に至るまで根強く残っていた。だから一般に流通しているナノ合成機/分解機は分子レベルの操作が本体セル内に限定された閉鎖型がほとんどだった。
おそらく、恒星船のデータベースの、一般隊員が無許可で閲覧できないレベルにその製造法が保存されていたのだろう。その情報を総隊長が解禁し、ナノ合成機で作り出したに違いない。たしかに今はなりふり構っていられない危機的状況ではあった。
その時、小林はある物に気付いた。
でこぼことした小惑星の稜線の向こう側に覗く黒い物体。鋭角的な形状をした明らかな人工物だ。製造中の船体の部品だろうか。だが、そうは思えなかった。そのそばには宇宙服を着た誰かが立っていた。
一体あれは何だ。あそこで何をしている。
だが、小林がもっとよく見ようとした瞬間、映像は終わった。清月総隊長はその物体については何も説明しなかった。小林はなぜか得体の知れない妙な胸騒ぎを覚えた。
オニダイダラの背部外殻に窪地のようになった場所があった。窪地の底には水が溜まり、その周囲には濃い緑色をしたコケのような植物、通称クッションゴケの群落が広がっていた。
巨大な着生植物の葉状体が日陰を作り、そこからカーテンのように垂れ下がる地衣類が視界をさえぎっていた。
牧野はクッションゴケの上に仰向けで横たわっていた。
クッションゴケの塊はまるで低反発寝具のように弾力があり寝心地がよかった。
牧野の胸板を木漏れ日がまだらに染めていた。
心地よい疲労感に思わず眠りに引き込まれそうになる。
牧野は横を向いた。彼のすぐ隣には高梁が寝転んでいた。
つい先ほど、二人は体を重ねたばかりだった。
二人の身体から流れ出た汗や体液を吸い取ろうと、クッションゴケが微細な繊毛をざわざわと波打たせていた。それが背中や尻の皮膚をくすぐった。
最近、二人は暇を見ては村を抜けだし、人目を忍んでこの場で密会していた。ここはサソリ型生物の巣穴に近かった。サソリ型生物を恐れ、ここまで来る者はめったにいなかったが、その生態に詳しい牧野はサソリ型生物が人を襲わないことを知っていた。特に昼間は巣穴の奥から出てくることは絶対になかった。
自分たちがここで何をしているか、皆にはすでに勘づかれているだろう。それでも構わなかった。一度男女の関係になってしまえば、二人とも抑えが効かなくなった。それまでの独り身の期間の長さを埋め合わせるように二人は頻繁に逢瀬を重ねていた。それにしても意外だったのは、彼女の快楽に対する貪欲さだった……。
「……何考えてるの」高梁が言った。
「いや、別に」牧野が言った。
「どうせまたエッチなことなんでしょ」「違うって」
「ふーん。どうなんだか。それにしても、牧野さんがこんな人だったとはね。さっきはあんなことまで……。このむっつりスケベめ」高梁は目を細め、牧野の肌に手を触れながら言った。
「それはこっちの台詞だ」
「何それ。このっ」
数分後。
まくり上げられていたタンクトップを引き下ろし、高梁が起き上がった。
「どうしたんだ」牧野がけだるげに声をかけた。
「……何か飛んでくる」
たしかに、こちらに向かって飛来する生物がいた。翼を広げた幅は一メートルほど。昆虫の翅に似た翼をバタバタと羽ばたかせた、見るからに不格好な飛び方だった。
「ああ、あれか。オニダイダラの寄生虫の成体だよ。卵を産み付けにきたんだろう」牧野は言った。
かつて体内に迷い込んだときに見たように、オニダイダラの広大な体内には多様な寄生生物が住み着いていた。今飛来しているのはそのうちの一種の成体だと思われた。大半はオニダイダラに接近した所を上空を哨戒するワニトンボに捕食されてしまうが、この個体は運良く免れたようだった。
過去に向井と共同で行った調査で、この生物はオニダイダラの背部外殻の隙間にもぐり込み、卵を産み付けているのが観察された。卵を産み付けられた場所は時間が経つにつれて大きく膨らみ、丸い瘤になった。それはオニダイダラの背から無数に突き出た普通の突起とは明らかに異なっていた。
携帯式スキャナーで瘤の内部を調べてみると、その中では胚のような物が育っていた。寄生生物の幼体だと思われた。
こちらに向かってきた寄生生物はそのまま頭上を通過していくかと思われたが、急に失速して真っ逆さまに墜落した。そして高梁の体にぶち当たった。
「高梁!大丈夫か」
「大丈夫じゃない!助けて!」
醜悪な寄生生物は高梁に覆い被さってジタバタもがいていた。
けばだった黄色い触毛を伸ばして高梁の顔を舐め、尾端からは剣状の産卵管のようなものを出し入れしている。あれで刺されたら大変だ。牧野は寄生生物の体を素足で何度も蹴りつけた。やがて寄生生物は高梁の体の上からごろりと転がり落ちた。その拍子に背中に生えた羽が脱け落ちた。そいつはすぐそばを走る亀裂の中に逃げ込んでいった。
「あー、びっくりした」高梁が言った。
「何ともないか。怪我してないか」「うん、大丈夫」実際、彼女には傷一つ付いていなかった。
「それにしても、びっくりさせやがる」牧野は汗を拭いながら言った。
その寄生生物の姿を見ていた牧野に直感が走った。羽が抜け落ちたその姿はまるで……。たしかに体型や体のサイズはまるで違うが、脚の数や顎の形状、目の位置は一致している。
「まさか。ひょっとしてこれは……」「どうしたの?」
「前から疑問に思ってたんだ。オニダイダラはオスだろうか、それともメスだろうか。そもそも性別があるのか」
この星の生物は有性生殖をするのか。それは大きな謎だった。
有性生殖は地球の生物界においては広く見られる現象だった。単細胞生物から菌類、植物、そして動物に至るまで、様々なメカニズムの有性生殖が採用されていた。それは様々な系統で何度も独自に進化した仕組みだった。
それには理由があった。有性生殖には単為生殖では得られない大きな利点があったからだ。
遺伝子の交換だ。
進化は遺伝子の突然変異によって起きる。しかし、役に立つ変異が起きることはめったにない。そのほとんどは何の変化ももたらさない中立な変異であるか、あるいは先天的異常をもたらす有害な変異だ。
単為生殖で自分のコピーを作って増える場合、遺伝子には少しずつ有害な変異が蓄積していく。やがて生存不可能なレベルに達すると、その系統は滅びてしまう。
だが、有性生殖を採用していれば、他の系統の個体から自分とは異なる遺伝子のセットを手に入れることができる。自分と相手の2セットの遺伝子のうち、どちらかが正常に機能していれば生存することができる。
さらに、減数分裂によって様々な遺伝子の組み合わせを作ることができるので、その中から有害な変異を持つものをふるいにかけ、正常な遺伝子や有用な変異を持ったものだけを後世に残していくことができる。
どこかの系統でたまたま発生した有用な変異を集団全体に広めることもできる。単為生殖で有用な変異が発生しても、それはその系統の子孫にだけ伝えられ、同種の集団に広まっていくことはないのだ。
このように大きな利点を持つ有性生殖を、あさぎりの生物が採用していない訳がなかった。
植物や小型動物、それに微生物では、有性生殖の証拠が集まっていた。だがオニダイダラのような超巨大生物が有性生殖をするかどうかは謎に包まれたままだった。少なくとも、これまでの調査では超巨大生物で交尾行動が観察されたことは一度もなかった。
大規模捕食行動のようにきわめてまれな事象なのか、それとも有性生殖を行わないのか。いろいろな仮説が考えられていた。
「もしかしたら、この生物、寄生生物じゃなくて、オニダイダラのオスなのかもしれない」
「えっ、そうなの。でも、大きさが全然違う」
「地球の生物でも、オスとメスで大きさが極端に違う例はいくらでもある。例えばチョウチンアンコウなどだ。その場合、大抵オスの方が小さい」
「たしかに、この巨大さだとオニダイダラが交尾するのは難しそうだよね。でも、なんか残念な感じ」
「たしかにな。巨体同士がぶつかり合うド迫力の繁殖行動が見られたら面白かったな。まあ、これがオスだというのもあくまで仮説だけどな」
「遺伝子を比較すればはっきりするね。調べてみようよ」
牧野は鞄からサンプル採取キットを取り出すと、亀裂の隙間でじっとしている生物の背中に注射器を刺して体液を採取した。
二人は服を着ると、ネオビーグル号に戻っていった。
簡易ラボのシーケンサーで遺伝子配列を比較した結果、牧野の仮説の正しさが証明された。
「やっぱりだ。あまり移動できない巨大なメスの代わりに、小型で飛翔能力のあるオスが広範囲を移動して交尾していたんだ」
「ということは、瘤に入っていたのは寄生虫ではなくてオニダイダラの幼生ってことになるね」
「そういうことだ。今後、発生過程を時間を追って詳しく調べてみるよ」
「瘤から出てきた後、幼生はどこに行くんだろう」
「少なくとも、背中の上ではオニダイダラの幼生らしい生物は見つかっていない。親の背中を降りて地上で暮らすのかもしれないな。それとも、そのあたりにいるけど親とは全然違う姿で俺たちが気付いていないだけかも。オニダイダラという種だけでもまだまだわからない事だらけだな」
機内ですれ違った小林と伊藤が、二人を見て意味深な笑みを浮かべた。
「やっぱり私たちの事ばれてるよ。どうしよう」高梁は顔を真っ赤にしていた。
「気にするなよ。皆だってやってるんだ」
「でもやっぱり恥ずかしい」