第61話 裁き
倉庫の扉のロックが外れる音がした。
ヨヴァルトは不審に思った。
いったい何だろう。日に三度差し入れられる食事の時間ではなかった。
尋問か。だが話すべき事はすべて打ち明けていた。あれ以外に彼が隠している事実はなかった。
まさか、処刑が始まるのか。総隊長の到着を待たず独断で裁きを下すというのか。
その判断も仕方がないと言えた。彼らは恐れているのだ。ヨヴァルトが脱走し、さらなる破壊工作に乗り出すことを。何しろ彼はこの探査計画そのものを台無しにするのが目的だったと白状したのだ。侵略者の散布以外にも何か企んでいると疑われるのも当然だった。
いいだろう。終わりが来るのはむしろ歓迎だった。
ヨヴァルトは師への恩に報いるために任務を選び、仲間とこの世界を捨てた。
だが、その選択は間違っていた。
太陽系を遠く離れ、人類とは異質な生物たちと出会うことで、ヨヴァルトは地球人類文明圏というものをはじめて外側から認識した。そして、新人類と従来型人類との地球の支配権をめぐる闘争などというものが、いかに矮小であるのかを理解した。結局のところ、偉大なるザンシャ・バトロウ師のビジョンも無知で野蛮な他氏族の新人類たちとそれほど大差なかったのだ。
しかし、それに気付いたときにはすでに、彼はこの世界を滅ぼす災いの種をばら撒いてしまった後だった。残ったのは誤った大義に身を捧げてしまった後悔だけだった。
この星に到着する前にすべてを打ち明け、万能医療機で体内の侵略者を除去してもらう。本当はそうすべきだったのだ。
はやく終わらせてくれ。こんな辛い思いをして生きていくのは耐えられない。
倉庫の扉が開いていく。
膝を抱え、狭い部屋の隅に座り込んでいた彼はゆっくりと頭を上げた。
開いた扉の向こうに、向井と牧野、それに高梁が立っていた。
向井の姿は予期していたが、後の二人は意外だった。だがその時、牧野たちが侵略者の定着状況を調査すると言っていたことを思い出した。
「……侵略者は……いましたか」ヨヴァルトが言った。声を出すのは数日ぶりだった。
「いたよ。土壌中に大量に生息していた」牧野が言った。
ため息をつき、ヨヴァルトは言った。
「では、やはりこの星の滅亡は避けられないのですね」
「いや、違うんだ。たしかに侵略者はいた。だがそれはきみのばら撒いたものじゃなかった。別種だったんだ。その侵略者はおそらく何千万年も昔からこの星に住み着き、生態系の一員として定着していたんだ」
「どういう……ことです」
しばらく、牧野の言っている言葉の意味が理解できなかった。頭が混乱した。
牧野は続けて、隕石衝突などの自然現象により侵略者が恒星間を散布された仮説や、ヨヴァルトが地球から持ち込んだ侵略者は検出されなかったことなどを語った。
「じゃあ、私のやったことは。私の任務はいったい……」
「無意味だったってことだな」向井が言った。
「…………」ヨヴァルトは絶句した。全身から力が抜けていくようだった。
自分の人生をかけた任務が失敗に終わった。
ヨヴァルトは思った。結局のところ、この星の底力は新人類のちっぽけな企みをはるかに上回っていたということなのだろう。侵略者さえも取り込み、生態系の一員へと変えてしまう恐るべき星。こんな世界を滅ぼせると思っていたなんて、思い上がりにもほどがある。いったい今まで自分は何を悩み、苦しんできたのだろう。
「さあ立て。ここから出るんだ」向井が言った。
ヨヴァルトは素直に従った。
向井と牧野の二人に前後に挟まれながら、ネオビーグル号内の通路を搭乗口へと歩いた。
外は晴れていた。
さわやかな風がヨヴァルトの顔をなでた。
ネオビーグル号の前に集まっていた生存者たちの視線がヨヴァルトの顔に注がれた。
失敗に終わったとはいえ、彼は裏切り者だ。許されるはずがない。
だけど、覚悟はできている。
ヨヴァルトは深呼吸した。
向井がヨヴァルトの方を向いた。
「三十分前に届いた総隊長からのメッセージだ。見るがいい」そう言って向井は持っていた端末をヨヴァルトに手渡した。
画面に厳めしい顔をした清月総隊長が映し出された。
「ヨヴァルト、君を釈放する」
「えっ……」意外な言葉に思わず声が漏れた。
「調査結果は牧野たちから聞いたよ。君がやったことは許されることではない。だが、結果論ではあるが、それはこの星に何の影響ももたらさなかった。君を拘束していたのは調査が完了するまで、君を隊員たちの私刑から守るためでもあったのだ。だが、君の行為が無意味だったと知って隊員たちの怒りも収まった。もうこれ以上、君を拘束しておく理由はない」
馬鹿な。甘すぎる。たとえ侵略者が無効だったとしても隊員に危害を加え活動を妨害することだってできるのだ。もっと断固とした措置を下すべきではないのか。
「無論、寛大すぎるという意見はあった。だが私はわかっているのだ。君がこれ以上、裏切り行為をしないということを。これまでの君の行動がそれを証明している。君は自ら進んで鳥型生物の撃退に協力し、大怪我を負いながらも近藤の息子の命を救った。それらの行動は単に信頼を得るための打算から出たものではないはずだ。君はそんな人間ではないはずだ」
「…………」
「きみが師への忠義、隊員への同胞意識の板挟みになって苦しんでいるのに気づけなかったことを、総隊長として申し訳なく思う。すまなかった」画面の中の清月は頭を下げた。
「そんな、清月さん……」
清月総隊長を押しのけるようにして画面に乾が現れた。
「ヨヴァルト、いいことを教えてやる。お前の義足、小型爆薬が仕掛けられてるぞ」
「おい!」ドクターの声が入った。
「ドクターの馬鹿が義足の設計図に手を加えてやがったんだ。解除方法を送るからそれを参考に取り除いてくれ」
「君は正気か。ヨヴァルトがまた裏切った場合の保険だったのに。どうなっても知らんぞ」画面外でドクターが声を荒げていた。
「いや、あいつはそんなことしねぇよ。俺にはわかる。そうだろ、ヨヴァルト」乾が言った。
「乾さん……」
今度は画面にドクターが現れた。
「まったくもう……。ついでだから言っておこう。君の体内の侵略者だが、完全に除去しておいたぞ。一週間前に体調が急によくなっただろう。あれはアメーバ駆除剤を投与したおかげだ。恒星船のデータベースに保存されていた成分表を元に、そちらのナノ合成機で作ってもらったものだ。投薬直後、侵略者もろともアカントアメーバはきれいに死滅したよ。君の体から侵略者が排出されることはもうない。まあ、仮に出ていたとしても何の害もないようだが」
乾が横から口を挟んだ。
「そもそも、ドクターがもっと早くヨヴァルトの体内のアメーバを発見できてれば、こんな騒ぎを防げたんだよな。恒星船では俺らの健康状態をずっとモニターしてたんだろ。なんで気付かなかったんだよ」
「侵略者入りアメーバを作った敵のバイオエンジニアがそれだけ巧妙だったということだ。免疫反応の活性化など寄生体の感染を疑わせる兆候は何も現れていなかった」ドクターの口調は若干、決まりが悪そうに聞こえた。
「そういう訳だ、ヨヴァルト。君にはこれからも隊員の一人として尽力して欲しい。以上だ」
総隊長のメッセージが終了した。
暗くなった端末の画面に、大粒の涙のしずくが滴り落ちた。