第59話 分析調査
翌朝、牧野と高梁は侵略者調査のためネオビーグル号で居住区跡地に向かった。
事件から三週間が経過し、早くもそこは森に還りかけていた。荒れ地の地面からはおびただしい数の植物が芽吹き、散乱したままの瓦礫は生い茂る葉状体と絡み合う蔓植物の下に覆い隠されようとしていた。
牧野と高梁はかつて居住区だった場所の周囲を歩き回り、百ヶ所以上から土壌サンプルを集めていった。同時に空気中の酸素濃度も計測した。予想通り、酸素濃度にはほとんど変化が見られなかった。先日ヨヴァルトが言ったとおり、仮に侵略者がいたとしても実際に酸素濃度が低下しはじめるのはだいぶ先のことだろう。
調査を進める二人には防衛ドローンが付き従い、接近してくる野生動物がいないか絶えず周囲をスキャンしていた。途中、オナガトトルの近縁種が二人の後を尾行してきたが、ドローンの威嚇射撃で追い払われた。
オニダイダラの背の上に戻った後、高梁はネオビーグル号機内の実験室で採取してきた土壌サンプルの分析作業に取りかかった。
過去三年間、高梁は事あるごとに水や土壌のサンプルを採取し、そこに生息する微生物を調べてきた。
これまで彼女が使ってきたのは主にメタゲノム解析という調査手法だった。
メタゲノム解析とは、土や水などのサンプルに含まれる様々な生物のDNA断片をまとめて抽出し、その塩基配列をすべて解析する調査方法だ。この方法を使えば、サンプルを採取した環境にどんな種類の生物がどれだけ存在しているのかをまとめて把握することができた。発見困難な場所に潜んでいる生物や、培養できない微生物を見つけ出すことも可能だった。
高梁はメタゲノム解析により、この惑星の様々な環境に生息する微生物を何千種類も発見し、分類してきた。
しかし、これも万能な調査方法ではなかった。メタゲノム解析で見つけ出せる微生物は、あくまでDNAをベースとする生物だけなのだ。
地球上の生物は微生物を含めてすべて共通の先祖に由来するDNAベースの生物なので問題はない。あさぎりの生物も基本的にDNAベースだが、まったく違う物質をベースとする未知なる微生物が潜んでいる可能性もゼロではなかった。しかし、今のところそれら未知の微生物まで含めて検出する手段がなかったので、従来のメタゲノム解析による調査を優先してきたのだった。
そして、侵略者はDNAベースの生物ではなかった。だから仮に侵略者が環境中に定着していたとしても、これまでの調査では検知できなかったのだ。そもそも、あさぎりの大気は地球と違って酸素が豊富なので、高梁はあさぎりに侵略者が存在する可能性を疑ったことさえなかった。
「じゃあ、どうやって侵略者を見つけ出すんだ」牧野は聞いた。
「侵略者は特殊な有機化合物を合成する。それがシグナルになるわ。サンプルからその物質が検出されたら、そこに侵略者がいる証拠になる」高梁が言った。いつになく真剣な表情だ。
「高梁はどう思う。侵略者は定着していると思うか」
「わからない。でも、まだ三年だから、いたとしてもごく微量だと思う」
高梁はサンプルを分析装置にかけた。装置は自動的にサンプルを取り込み、そこに含まれる有機化合物を成分ごとに分離しはじめた。
分析装置の画面にピークが連なるグラフが描かれていく。
「全サンプルを分析完了するまでしばらく時間がかかるよ。ちょっと休んでて」高梁が言った。
牧野はラボの外に出た。機内にいた向井に調査の進捗状況を簡単に説明した後、少し待つことにした。ヨヴァルトが拘留されている機体後部の倉庫は静まりかえっていた。
分析結果は予想に反したものだった。
今回採取したどのサンプルからも侵略者の存在を示すシグナル物質が高濃度で検出されたのだ。
「こんなはずない。あまりにも濃度が高すぎる。たぶん何かミスしたんだと思う。やり直してみる」高梁は言った。しかし、再測定の結果も同じだった。シグナル物質はグラフ上で大きなピークを示していた。
「まさか……」
高梁は土壌サンプルの一つを顕微鏡にセットし観察を開始した。
モニターに顕微鏡で拡大されたサンプルの映像が映し出された。土の粒子の間を体長一ミリに満たない奇怪な姿をした土壌動物たちが動き回っていた。さらに倍率を上げる。土の粒子の表面を覆う間隙水の中を単細胞生物たちが泳いでいた。倍率を最大に上げる。あさぎり原産のバクテリア型微生物が顕微鏡の視野を埋め尽くしてウヨウヨとうごめいていた。侵略者の細胞の大きさはバクテリアより少し小さい程度なので、この倍率なら見えるはずだった。
五つ目のサンプルから、ついにそれが見つかった。
「……いたわ。やっぱりシグナル物質の検出は分析ミスじゃなかった」高梁は静かに言い、ため息をついた。
それは凸レンズのような形状をした微粒子だった。一見、何の変哲もない小さな粒だ。バクテリアのように活発に動き回ることもなく、五つほどの粒がゆるく寄せ集まっている。だが、この微小な粒こそが地球の生態系を崩壊に導いた外来微生物、侵略者の細胞だった。
あさぎりの環境はすでに侵略者によって汚染されていた。
侵略者が定着していない可能性に一縷の望みをかけた調査だったが、かえってその存在を証明し、この惑星の破滅を決定付けてしまったことになる。牧野は崩れ落ちるようにして腰をおろした。
「駄目だったか……」
「あれ、ちょっと待って」
「どうした」
「この侵略者、何か変な気がする。上手く言えないけど、地球にいたのと何かが違うような……」モニターに表示された侵略者の細胞を見ながら高梁が言った。
「……細胞殻表面の螺旋溝の巻きが緩い。それに円周部の棘状器官が細い。やっぱり変だこれ」高梁は独り言をつぶやいた。集中しているときの彼女の癖だった。
「ごめん牧野さん、調べたいことが色々出てきた。もうちょっと手伝ってくれるかな」
「わかった。俺で出来ることなら協力する」
高梁は猛然と働き始めた。手早く実験計画を立てると、その準備に取りかかった。さっそく牧野は足りない器具をいくつかナノ合成機で作ってくるよう頼まれた。
まず高梁はマイクロ操作機を使って侵略者の細胞を拾い集めていった。百個ほど集まったところでそれらを薬品で溶かし、遠心分離機を使って遺伝物質だけを分離、抽出していった。
侵略者の細胞機構については全世界で研究されていたため、その独自の遺伝物質についてはすでに詳細なデータがあった。それは多糖類とアミノ酸からなる特殊な高分子化合物だった。高梁はあさぎりで見つかった侵略者の遺伝物質を解析し、その配列を地球の侵略者のデータと比較するつもりだった。さらに、冷凍保存されていたヨヴァルトの組織サンプルからも侵略者の遺伝物質を抽出し、これとの比較も行う予定だった。
つまり、彼女はあさぎりで発見された侵略者と、ヨヴァルトの体内の侵略者、それに地球の侵略者が同一であるのかを特定しようとしていた。
高梁はときおり独り言をつぶやきながら、分析装置で狭苦しいラボの中を行き来して一心不乱に作業に集中した。牧野はそんな彼女の妨げにならないように作業をサポートした。実験は長時間に及んだ。
ようやく結果が出た頃には外はすっかり暗くなっていた。
その結果は高梁の疑惑を裏付けるものだった。
「遺伝物質の配列が13%も違っていたなんて。これではっきりした。地球とあさぎりの侵略者は別種だわ」高梁が言った。
「で、ヨヴァルトの体内にいた侵略者の遺伝物質の配列は地球のものと完全に一致か」牧野が言った。
「そう。だから、あさぎりの侵略者はヨヴァルトさんが持ち込んだものではない可能性が高い。たぶん、ずっと昔からこの星にいたのよ」
「ヨヴァルトがばら撒いた侵略者があさぎりで変異して別種になった可能性はないか」
「その可能性はないと思う。侵略者の遺伝物質はDNAよりもはるかに変異しにくいの。強い放射線をたっぷりと浴びせても突然変異がまったく発生しないくらい頑丈なの。だから進化がとても遅い。地球では微生物と共生体を作ってたけど、あれは地球のバクテリアや藻類の方が侵略者に合わせて進化したの。だからこの星に来てたった三年で別種に進化するのはありえない。おそらく数千万年くらいこの星で独自の進化を遂げてきたのだと思う」
「じゃあ、いったいどうやって侵略者はこの星に来たんだ。侵略者の故郷の星はここから何十光年も離れていたはずだぞ」牧野は言った。
だが、その答えは明白だと思われた。
パンスペルミア仮説。
地球生命の祖先は地球上で誕生したのではなく、隕石などに乗って他の天体からやってきたとする仮説だ。二十世紀に生まれたこの古い仮説は今日まで何度も否定されながらも微修正を加えられて根強く残っていた。
一般的に宇宙空間は生命が存在できない過酷な環境だ。真空、激しい温度差、それに高エネルギーの宇宙線は細胞を破壊してしまう。しかし、微生物ならば隕石の奥深くに潜っていればそれらの危険から身を守ることができる。さらに、宇宙船の外面に付着していた地球の細菌が宇宙空間に暴露されながらも一定期間生存した例がいくつか報告されていた。このように、微生物の一部は宇宙の過酷な環境に耐性を持ち、条件に恵まれれば宇宙空間で長期間にわたって生存する事も可能だと思われた。
何らかのきっかけ、例えば惑星への隕石衝突の衝撃などで宇宙空間に飛ばされた岩石の中で微生物の胞子などが休眠しながら生存を続け、それが何百万年もかけて別の太陽系にたどり着く可能性は、きわめて低いもののゼロではなかった。
あさぎりの侵略者もはるか太古の昔に隕石などに乗って、別の星系からこの惑星にやってきたのかもしれない。
ヨヴァルトがもたらした被害状況を調査する中で新たに浮上した衝撃的な事実。
あさぎりには元から侵略者がいた。
この事実がみちびく真に重大な結論に、ようやく牧野は気付いた。
「侵略者ははるか昔からこの星にいた。でも、この星の酸素濃度は低下していない。なぜだ」