第58話 あさぎり地球化計画
「この惑星を地球化って……。それはつまり、新人類にとっての地球、酸素濃度が低下した地球って意味なんだな」地質学者の伊藤が問い詰めた。
「はい。まさしくその通りです」ヨヴァルトは肯定した。
もしこの星の酸素濃度が14%にまで低下すれば……。元の酸素濃度が25%と地球よりも高いため、生態系は壊滅的な被害を受けるに違いない。それに人類の居住に適さない星になるだろう。
「どうしてですか?なぜそんな事を。あなたはとても……いい人だったのに」近藤が言った。
「もちろん、あなた方個々人に対して、私は何の恨みも憎しみもありません。それどころか親愛の情さえ抱いていました」
「じゃあ、なぜ」
「これは私個人の感情を超えた、我が種族全体の未来に関わる重大な務め。我が師、ザンシャ・バトロウが私に託した任務だったのです」
「……どういうことだ。くわしく説明しろ」向井が言った。
「少々長い話になりますが、よろしいでしょうか」ヨヴァルトは向井に許可を求めた。向井は首肯した。
「ありがとうございます」ヨヴァルトは頭を下げた。
ヨヴァルトは語り始めた。彼がどんな目的を秘めてこの旅に加わったのかを。
「……私の属していたイリャスリ氏族はあなた方、従来型人類と共存の道を歩まんとする方針を採用していました。それは何も従来型人類におもねり、その庇護下に入るためではありません。あなた方の所有する知識と技術を手に入れ、他の氏族との戦いにおいて圧倒的優位に立つためでした」
「地球を出発する一年前、我々がはじめて一堂に会した時に清月総隊長がされた話を覚えていますか。地球の従来型人類の文明は百年以内に瓦解すると言われたのを。その前に私たちはその文明の遺産を継承しておく必要がありました」
「やがて、従来型人類の文明が滅んだ後、イリャスリ氏族は他の新人類たちを支配下に置き、地球を手に入れるでしょう。しかし、まだ他の天体に住む人類がいました。月や火星、その他の太陽系に住む者たちが。しかし、彼らの大半は結局のところ地球の経済圏に依存して生きている。地球の文明が滅びれば弱体化は免れないでしょう。
小惑星や木星の衛星など、地球から遠く、独立した居住地で自給自足態勢を確立した者たちは存続するでしょうが、彼らは数が少ない上、もはや地球には興味がなさそうです。われわれ新人類が地球を手に入れた後で脅威になることはないでしょう。
われわれ新人類が本当に恐れる存在、それは太陽系外惑星に移住した人類、つまりあなた方だったのです」
牧野たちがあさぎりに出発する以前の時点で、人類は確認できるだけで十七の太陽系外惑星に移住していた。いずれもまだ人口は少なく、植民地の存続すらおぼつかず、はるか遠く離れた地球の脅威になるとは思えなかった。
ヨヴァルトはなおも語り続けた。普段の口数の少なさから一転した饒舌さだった。
「今はまだ、それらは小さな勢力かもしれません。しかし必ずやあなた方は人口を増やし、惑星全土を覆うグローバル文明を築き上げるでしょう。まさに、かつての地球のように。岩と氷だけしかない太陽系内の天体と違い、生命の星はそれだけのポテンシャルを秘めています。
やがていつの日か、あなた方は恒星間宇宙船の艦隊を建造し、地球に聖地奪還の十字軍を差し向けるに違いない。そして宇宙戦争がはじまる。我が偉大なる指導者はそうお考えになられました」
「そして、あらかじめその芽を摘むため、私が送り込まれたのです。惑星の環境を崩壊させ、あなた方の文明が将来にわたって力をつけないようにするために。
それがザンシャ・バトロウ師の計画でした。私はこの計画を成就させるため送り込まれたのです。乗船直前、数ミリグラムの休眠嚢の粉末を鼻から吸引しました。日本に来る以前に渡されていたものです。それで私の肺にアメーバが感染しました。以降、私は呼吸するごとに侵略者入りのシストを周囲の環境にばらまき続けてきました」
「なんてことだ」地質学者の伊藤が言った。
「……お前、自分がしでかした事が本当にわかっているのか」
向井が食いしばった歯の間から絞り出すようにして言った。彼は激怒していた。レーザー銃の引き金に置かれた指は震えていた。
「新人類と人類の宇宙戦争だと。そんな矮小な目的のために、貴様は一つの惑星に死の宣告を下したのか。愚かすぎる。万死に値する罪だ。この星に暮らす何百万という種が絶滅することになるのだぞ。清月さんから厳重に止められていなかったら、今すぐここで貴様の頭を吹き飛ばして処刑していたところだ」
ヨヴァルトは無言だった。
日は大きく西に傾き、まさに地平線の向こうに沈もうとしていた。空は真っ赤な夕焼けに染まっていた。
「向井さん、お気持ちはわかりますが、乱暴な言葉は慎みましょうよ」近藤が静かに言った。
近藤はゆっくりと前に進み出ると、うずくまるヨヴァルトに話しかけた。
「ヨヴァルトさん、私はそれでもあなたを憎むことはできない。私にとってあなたは大樹の命の恩人です。私と……美竿のかけがえのない宝を救ってくれた。ヨヴァルトさん、あなたの指導者の考えはこの際おいておきましょう。あなた自身はどう思っているんですか。私にはあなたが後悔しているように見えたのです。そう、ずっと前から」
「…………」ヨヴァルトは何かを耐えるような顔になった。
やはりそうだったのか、と牧野は思った。
ヨヴァルトはつねに孤独な雰囲気をまとっていた。それは彼が隊員中ただ一人の新人類であり、同類がいないためだろうと牧野は解釈していた。しかし、それだけではない何かを感じることもあった。もしかしたら、人には言えない葛藤を抱えてるのではないかと。ヨヴァルトは苦しんでいたのだ。
「……もともと、私はイリャスリ氏族ではなく、別の氏族の生まれでした」ヨヴァルトがふたたび口を開いた。
「まだ子供だった頃、私の氏族は人類の軍隊の攻撃を受けました。氏族はほぼ全滅し、両親も死にました。私も殺されそうになった時、ザンシャ師の率いるイリャスリ氏族が人類の軍隊を撃退してくれたのです。身寄りのなくなった私を師は育ててくれました。
ふつう、新人類は他の氏族のメンバーに冷淡です。平気で命を奪う。それなのに師は私のような他氏族の孤児を集め、大切に育ててくれました。この大恩に報いるため、私は自ら志願してこの任務を引き受けたのです」
生存者たちはヨヴァルトがはじめて明かした自らの過去に黙って耳を傾けていた。
「ですが、この惑星に来てから私の感情は揺らぎはじめました。
皆さんは私に対して優しかった。この場にいない乾さんをはじめ、多くの人が私を友人として認めてくれました。うれしかった。私の生まれた氏族を皆殺しにした従来型人類に対し、こんな感情を覚えることになるとは思いもしませんでした。
そんな皆さんの将来の夢を、人生をかけた目標を、私は台無しにしようとしている。
もちろん罪悪感はありました。しかし、皆さんが生きているうちにこの星の環境が崩壊する可能性はかなり低い。ご存じのように、地球では侵略者が侵入してから酸素濃度の低下が検出されるまでに百年ものタイムラグがありましたから。このまま私の目論みが露見しなければ、私は皆さんの怒り、悲しむ顔を見ることなく一生を終えられる。だから、そのまま黙っていることにしました。そうすれば、師の任務に背くことにもならないと。ですが、後ろめたい思いが消えることはありませんでした。私は弱く、卑怯な男です」
「そして、罪悪感はこの星で歳月を重ねるごとに重くのしかかってきました。それは、この星の生き物たちの真の姿を知ってしまったからでした。
地球にいる頃、私はこの星が醜悪な世界だろうと想像していました。人間とは相容れない奇怪なエイリアンが生息する世界だと。そう、たとえ滅ぼしても何の罪悪感も覚えないようなグロテスクな世界に違いないと。しかしそうではなかった。地球の生き物に負けず劣らず、彼らは懸命に生きていた。私は彼らの未来をも奪ってしまったのです。
私の任務はおそらく達成されてしまったことでしょう。もはやこれ以上生き続ける意味はありません。どうか、私を処刑してください。皆さんの未来と、この星の生態系を破壊したせめてもの償いにこの命を差し出します」
ヨヴァルトはようやく語り終えた。
日はすっかり沈み、東の空は夕闇に閉ざされて星が輝き始めていた。
「で、どうするんだよ。こいつ。本人が言ってる通り、裏切り者にはそれ相応の罰を下さないとな」安全保障班の平岡が言った。
「清月総隊長がこの星に到着し次第、正式な裁判を行い、そこで正式に処分を決定する。それまではネオビーグル号の一室に拘留する。私的制裁は厳禁、総隊長直々の命令だ」向井が言った。
やがて、生存者たちが口を開き始めた。
「あさぎりも地球みたいになってしまうんだろうか」
「許せない。何のために地球の家族を捨ててここまで来たと思ってるんだ」
「やっぱりこんな奴、隊員に加えるべきではなかったんだ」
「これは総隊長の責任も問われるべき事態ですよ」
「ひょっとしたら、居住区壊滅にも関与してたんじゃないのか」
「その可能性は十分にありうるな」
「こいつ、生かしておいたら何をするかわからんぞ」
「今すぐ処刑すべきじゃないのか」「そうだな。殺すべきだ」
「裁判なんて待つ必要ないわ。今すぐやるべきよ」
「殺せ」「処刑だ」「裏切り者の新人類に死を」
はじめは悲嘆と絶望に満ちていた生存者たちの言葉は少しずつ怒りを帯びていき、やがて憎悪をほとばしらせた。彼らはゆっくりとヨヴァルトに向かって詰め寄っていった。
ヨヴァルトの傍らに立つ向井は慌てて彼らを押しとどめようとした。
「おい!冷静になれ。私とてこの男を罰してやりたいのは山々だ。だが激情に任せてのリンチなど断じて許されることではない。落ち着くんだ!おい、止まれ!」そう言ってレーザー銃を振り上げた。
「みなさん、聞いてください!」牧野は声を張り上げた。
誰の耳にも届いていない。
牧野はヨヴァルトと向井を取り囲む群衆に体当たりして割って入り大声で叫んだ。
「いいから俺の話を聞けぇ!!」
ふだん物静かな牧野が見せた剣幕に、群衆は一瞬ひるんだ。
「向井さん、ひとつ、質問があります」呼吸を整えながら牧野は言った。
「な、何だ」向井が言った。
「彼の体内から放出されていた侵略者、それが実際にこの惑星に根付き、周囲の環境に定着している証拠、それに酸素濃度低下の兆候はあるんですか」
向井は虚をつかれた顔をした。
「……それはまだ調べていない」
「じゃあ、侵略者がこの星に定着していない可能性もあるってことですね。そもそも、外来種のすべてが侵略的外来種となり、現地の在来種を駆逐するわけではない。大半の種は新天地に定着できずにそのまま消え去っていく。地球には壊滅的な打撃を与えた侵略者も、ここでは無力な存在かもしれない。まずはその確認が必要です」
「ああ、そうだな。牧野君の言う通りだ」向井は言った。
その時、高梁が挙手した。
「牧野さん、私にその調査をさせて。これでも一応、侵略者の専門家だったし」
「助かる。是非協力してほしい」牧野は言った。
「わかった。さっそく、明日の朝から調査を開始してくれ。オニダイダラの背中の上と、居住区周辺などヨヴァルトが立ち入ったエリアの土壌を採取し、侵略者が含まれているか調べてほしい」向井が言った。