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第5話 出発

 一年後。

 牧野多価嗣は恒星船テレストリアル・スター号の船内にいた。


 あれからは目まぐるしい毎日だった。訓練への参加、現地での調査に必要となる資機材の選定と準備、そして各種の法的手続きを済ませているうちにあっという間に一年が過ぎ去った。

 牧野はこれまで旅行というものにほとんど興味を持っていなかったが、地球にいられるのもこれが最後だと思うと、急に世界中のいろいろな場所を訪れて回りたくなった。ニューヨーク、ローマ、ヒマラヤ山脈、シンガポール……訪れたい候補地はたくさんあった。だが結局、海外旅行はひとつも実現しなかった。ただ、レンタルした気密式四輪駆動車で紀伊半島の海沿いの旧道を2日間ドライブすることはできた。旅の途中で、水平線の向こうに沈みゆく美しい夕日を眺めた経験は何物にも代えがたい素晴らしい地球の思い出となった。


 やがて、出発の時がやってきた。

 調査隊員一行は再び東京に集結し、数機の航空機に分乗して日本を発った。向かった先は南米エクアドル。その地にそびえ立つ軌道エレベーターが彼らの果てしない宇宙の旅の出発点だった。

 アメリカの管理するエクアドル軌道塔は現在、世界で最も通行量の多い軌道エレベーターだった。地上と宇宙空間を密接に結びつけるその塔の周辺一帯は物資の集配拠点、空港、工場、ビジネス街、それに商業施設が密集し、世界有数の大都市となっていた。その上には見上げた空の彼方へ消失していく白い軌道塔がどこまでも伸びていた。

 一行は客車に乗り込み、果てしなく続くケーブルに沿って何日もかけて昇っていった。空の色はほどなく青から深い藍色、そして黒へと移り変わり、やがて窓の外には星々と宇宙船の光が輝き始めた。

 ようやくたどり着いた軌道エレベーター終端部の宇宙港では、彼らが乗り込む船が待っていた。それが恒星間調査船テレストリアル・スター号だった。全長約二千五百メートル。その細長いグレイの船体には居住ポッドや補助リアクター、推進ノズル、その他付属機器類が付着し、全体としていびつな形状をしていた。

 ドッキングチューブを通って船内に移乗した牧野は、そこで清月ら先に乗り込んでいた調査隊員の出迎えを受けた。そして自分用に割り当てられたスペースに手荷物を収納しながら、後続の隊員の到着を待った。



 そして今、牧野は船内のラウンジで、船外カメラが撮影した地球のリアルタイム映像を見ていた。

 地球は青くなかった。

 雲の下に見える南米西岸の海は赤褐色や灰色に濁っていた。異常増殖したプランクトンとバクテリアの色だ。侵略者微生物の出す過剰な栄養塩類は全地球規模の赤潮を引き起こし、その大量の死骸が沈んで海底全体を酸欠状態にした。酸素がない死の海では嫌気性細菌が硫化水素を発生させ、それがときおり湧昇流とともに海面まで上昇すると、高濃度の硫化水素ガスで沿岸の全生命を殺戮した。


 弧を描く水平線の向こうに、まばゆく輝く物体が三つ浮かんでいた。ミラー衛星だった。従来、他の惑星をテラフォームする際に極の氷を溶かして海を作るのに用いられる設備だが、地球では別の用途に使われていた。衛星軌道上に浮かぶ巨大な鏡が反射した太陽光は地上の一点に焦点を結んでいた。

 灼熱の光が焼き尽くしているのはアマゾン川流域の土地だった。かつて地球最大の多様性を誇る熱帯雨林があった場所は今では荒れ果てた草原だった。数世紀前の乱開発と火災ですでに満身創痍だったアマゾンの熱帯雨林にとどめを刺したのは酸素濃度低下による生態系の崩壊だった。その後に残った肥沃な土地には侵略者が入り込み、土壌中に顆粒状の共生体を形成して凄まじい勢いで増殖し、大気中の酸素を奪っていた。

 ミラー衛星の光は、土中にはびこる侵略者を深さ10メートルにわたって完全滅菌するためのものだった。

 アメリカ人たちは侵略者を根絶し、再び地球を取り戻す決意を固めていた。そのためには侵略者に汚染された土地を完全に焼灼してすべての生命を一度滅ぼし去り、そこに地球原産の生物のみを再度播種しようと考えていた。だが、そのためには全地球の表面を焼き尽くさなければならないだろう。それは到底勝ち目のない絶望的な戦いの光景だった。



「これより本船は出航します。加速に伴い船尾方向への重力が発生します。ご注意ください」

 船内放送が告げた。

 テレストリアル・スター号は宇宙港の係留を解き、地球周回軌道に沿って静々と動き始めた。船室では牧野以外にも多くのクルーが地球の映像を食い入るように見つめていた。

 船が移動していくにつれて、世界各地の様子が見えてきた。


 異様な色に染まった海とは対照的に、大陸は濃い緑に覆われていた。酸素濃度低下で草食動物や家畜が死滅したため草本植物が育ち放題になっているのだ。

 点在する丸い泡は酸素ドーム都市だ。

 明暗境界線を越えて夜の側に回り込んでいくと、ドーム都市が内側からの光でぼんやりと輝いていた。だが対照的に、ドーム都市以外の部分は深い闇に包まれ、人工の光はまったく見えなかった。その光景はドームの中に引きこもり、互いに孤立してしまった地球の文明社会を暗示していた。なんとはかなく、脆弱な光なのか。


 突然、牧野の中に熱い感情がわき上がってきた。それは地球に住む人々に対する同胞意識だった。みんな、頑張ってくれ。絶対に生き延びるんだ。地球上からヒトという種を絶やすんじゃないぞ。彼は心の中で地上に向けてそう叫ばずにはいられなかった。そして悪化する一方の地球環境と苦闘する全人類を見捨て、新天地に旅立つ自分自身を後ろめたく感じた。



 ついに旅が始まった。

 地球を離れたテレストリアル・スター号は核融合エンジンに点火し、惑星間航行用の補助スラスターで太陽系内を進んで行った。いったんは内惑星側に向かった。太陽の重力を利用したスイングバイで加速するためだ。


 月や火星には地球と類似しているが、より強固なドーム都市が建造されていた。そこに住んでいるのは宇宙開発初期の時代に鉱山で働いていた技術者の子孫たちだった。彼らのほとんどは何世代も地球に戻ることなく、現地で自給自足の生活を続けていた。

 ちなみに、清月隊長の一族は、その姓が示すとおり月出身の家系だった。地球に降りたのは祖父の代のことらしい。隊長の話によると、月や火星に住む人間の大半はもはや地球を故郷とは考えていなかった。過酷な環境で生きる彼らの精神はタフで、自由を重んじ、科学技術の力に信仰に近い考えを持っていた。


 小惑星帯には軌道都市の光がいくつか浮かんでいた。エロスやセレスなど大型の小惑星上の工場では豊富な鉱物資源を利用して宇宙船、とくに大型の恒星船を多数製造していた。

 ここに暮らす人々は月や火星よりもさらに地球人離れしていた。

 数百年間、真空と岩だけに取り囲まれて生きてきた小惑星人たちは独自の価値観を作り上げていた。彼らは過酷な宇宙に対してあまりに脆弱すぎる人間の肉体は克服すべき欠陥としか考えていなかった。生まれた体で生きることは彼らにとって罪であり恥であった。彼らの理想は機械であった。そこで彼らは自らの身体を積極的に改造し、器官移植やサイボーグ化、意識のデジタルデータ化を強力に推進していた。

 だが、彼らの共通点はそこまでだった。小惑星人たちは多数の分派に別れ、それぞれが独自の政治体制や思想を持ち、まったく違った方向へ進んでいた。最大の派閥は地球との交易を重視していたが、別の一派は木星圏へと進出し、豊富に存在する衛星を開拓しようとしていた。

 これもまた人類という種族の生存戦略のひとつの方向性ではあった。


 木星軌道を通過すると、航行する宇宙船の数は急にまばらになった。その先にあるのは、太陽系外に向かう恒星船のためのわずかな施設だけだった。


 太陽系の果てで、準惑星セドナのそばを通過した。

 恒星間移民船セドナ丸の乗員は、宇宙開発初期の時代に、準惑星セドナに移り住んだ各国の科学者たちの集団だった。地球を遠く離れたセドナに独自の理想郷を建造しようとした彼らはやがて挫折を味わった。太陽系の最果ての終わりなき夜がもたらす孤独感が、移民者たちの心に重くのしかかったのだ。そこで彼らは準惑星セドナの開発を諦め、恒星間移民船で新たな理想郷を求めて太陽系外に旅立った。



 セドナを後にした頃にはすでに、ちっぽけな地球の姿は太陽の放つ光の中に消え去っていて見えなかった。

 船の周囲数十万キロの範囲に、他の宇宙船が一隻も存在していないことが確認された。ここに至り、ついにテレストリアル・スター号は恒星間推進用のメインドライブに点火した。船尾の推進ノズルから超高温のプラズマが爆発的に噴出した。船体の百倍以上の長さに伸びる青白い炎の尾は恒星船を相対論的速度にまで加速していった。

 157名の第二次調査隊を乗せた船は太陽系を離れ、恒星間宇宙の絶望的なまでに広大な空間に突き進んでいった。

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[気になる点] この話の内容からすると清月隊長は地球や日本に愛着を感じる生まれじゃないように感じる
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