第57話 裏切り
オニダイダラの頭部に無断で立ち入った件で、ヨヴァルトは向井から厳重注意を受けた。また、村上などオニダイダラを神聖視する少数の者たちは冒涜だと言って騒ぎ立てた。
だが、生存者の半数近くはヨヴァルトの行動に快哉を叫んだ。彼らはそれを生存者たちへの締め付けを強める向井への抗議と捉えたのだ。
橘がサシツルギの攻撃で腕を負傷し銃を扱えなくなって以降、向井は自らレーザー銃を携行するようになっていた。その影響か、最近の彼は威圧的な言動が目立ち、以前からの環境至上主義思想もよりいっそう先鋭化していた。
「いいかお前ら、軽率な行動はこの俺が絶対に許さんぞ。この惑星の自然への干渉は必要最小限に抑えなければならないんだ。欲望に身を任せて行動すればどんな悲劇が待ち受けているか。それは過去の歴史が証明している。大量絶滅だ。我々は二十世紀の野蛮人と同じ愚行は絶対に繰り返してはならない。常に自制心を持ち、この不便さを受け入れるのだ」
向井はこのような説教をことあるごとに垂れ、生存者たちの生活に何かと制限を課した。そんな彼に対し生存者たちの一部が強い反発を覚えるのは当然の成り行きと言えた。
そんな中、生存者たちの間で少しずつ存在感を増しているのは意外なことに植物学者の近藤だった。
向井とは対照的に彼に高圧的なところはまるでなく、人々の話によく耳を傾け、困っている者に対しては積極的に助力を申し出た。さらに息子の育児を通じて女性たちとも接する機会が多く、彼女たちからの信頼も厚かった。近藤を中心として、生存者たちの間にゆるやかにまとまった集団ができあがりつつあった。
これまで生存者を率いてきた向井と、近藤を中心とした集団。両者の関係は若干の緊張をはらみつつも、正面切っての対立はまだ起きていなかった。サシツルギなど危険な共生生物による被害もあれ以来発生しておらず、オニダイダラの背中の上には比較的平穏な時間が流れていた。
だがそれも、清月総隊長から信じがたい命令が下されるまでだった。
「ヨヴァルトの身柄を拘束せよ」
ヨヴァルトがオニダイダラの頭部に侵入した二日後だった。
さすがの向井もこれには仰天した。立ち入り禁止場所である頭部に無断侵入したと言っても、その処罰としてはあまりにも重すぎる。すぐに真意を問い質したい所ではあったが、恒星船はまだ遠く第四惑星の軌道付近にあり、総隊長とのリアルタイムでの対話は不可能だった。
だが、質問されることをあらかじめ見越していた清月は続けてその命令を下すに至った理由を順を追って説明し始めた。
それを聞かされた向井の顔は蒼白になり、やがて赤黒く怒りの色に染まっていった。
「ヨヴァルトか、ネオビーグル号に今すぐ来てほしい。少し用事があるんだ」
向井は何気ない様子を装い、端末でヨヴァルトを呼び出した。通話中、彼は怒りの震えを止めるのにありったけの自制心を必要とした。握りしめた拳の中で手のひらに爪の先が食い込み血がにじんだ。
「わかりました。今からそちらに向かいます」ヨヴァルトが言った。
続けて橘に言った。
「防衛ドローンでヨヴァルトを追跡してくれ。途中で不審な動きを見せたら躊躇せず撃て。ネオビーグル号のすぐ近くまで来たら、テーザー銃で麻痺させて拘束する」
「了解しました」いつからか橘は向井の忠実な副官のようになっていた。彼女は端末で防衛ドローンを操作しはじめた。
清月からの通信と向井の出した指示をすぐ近くで聞いていたパイロットの小林を見て向井は言った。
「……言いたいことがあるのはわかる。お前とヨヴァルトは仲が良かったからな。だが、あれだけの証拠を見せられれば反論のしようがない。やつは裏切り者だったんだ」
十分後、ネオビーグル号にやってきたヨヴァルトは防衛ドローンの電撃を受けて昏倒した所を向井自らの手で縛り上げられた。
向井は全生存者をネオビーグル号のある尾部高原に招集した。
「突然の事態にみんな困惑していることだろう。私も総隊長から命令を受けたときは戸惑った」全員を前にして向井は言った。
日は大きく西に傾き、夕空を赤く染めていた。集まった生存者たちの影がむき出しの背部外殻の上に長く伸びていた。強まりだした風が彼らの衣服をはためかせた。
ヨヴァルトはロープできつく縛られ、向井の傍らの地面に腰を下ろしうなだれていた。すでに意識は戻っていたが、その目はうつろだった。頭上に滞空した防衛ドローンは彼の後頭部に高出力レーザーの照準を合わせていた。
「信頼できる仲間、かけがえのない友人。今日までヨヴァルトのことはそう思ってきた。だが、残念ながらそうではなかった。この男は我々をずっと欺いてきたのだ。そう、地球を旅立った時からずっと。……今から清月総隊長から送られてきた通信をみんなの端末に送信する。是非、最後まで見てほしい。それから君たちの意見が聞きたい」
牧野は通信の映像を再生した。
画面に清月総隊長が現れた。全身に装着していたギプスやコルセットはすでに取り外されていた。その瞳には深い悲しみの色があった。
清月は語っていた。ヨヴァルトが裏切り者であると判明した経緯を。
きっかけは最近までヨヴァルトがかかっていた原因不明の病気だった。
簡易版ドクターの能力ではその原因が判明しなかったので、それは恒星船の完全版ドクターにこれまでの診断結果を送信し協力を仰いだ。完全版ドクターは組織サンプルの顕微鏡画像を含めた検査データを送信するよう自らの簡易版に命じた。
ヨヴァルトの病気は何らかの感染症のようだが抗生物質が効かないことからウイルス性の疾患だと推測していたが、完全版ドクターの下した診断結果は予想外のものだった。
アメーバ性脳炎。
アカントアメーバというアメーバの一種が中枢神経系に寄生して引き起こされる疾患だった。もともと非常に症例が少なく、最後に感染者が確認されたのは何世紀も昔だった上、症状が細菌性やウイルス性の感染症と類似していたため診断を下すのが困難だったのだ。重篤期に採取されたヨヴァルトの組織中にはこのアメーバの休眠嚢がびっしりと含まれていた。
アカントアメーバは土壌中に生息するありふれた単細胞真核生物で、何らかの原因で免疫の機能が低下した場合のみ人体に感染する。居住区の壊滅時に重傷を負って衰弱したことが感染のきっかけだと、最初はそう思われた。
だが、大きな謎があった。ここは地球ではない。当然、土壌中にはアカントアメーバなど生息していない。いったいこのアメーバはどこから来たのか。
そして、顕微鏡画像に映っていたアメーバには奇妙な点があった。アカントアメーバは細胞内にレジオネラなどの病原性細菌を共生させることがあったが、ヨヴァルトの組織から採取されたアメーバも細胞内に何らかの共生体を含んでいた。これまで観察例のある細菌のどれともまったく異なる奇妙な形状の粒子で、完全版ドクターでさえもその正体を特定することができなかった。
その正体が明らかになったのは偶然だった。
十日前、ヨヴァルトの看護を手伝っていた高梁がたまたま簡易版ドクターの撮影した顕微鏡画像を見たのだ。そこに写っていたアカントアメーバ内の共生体を見て、高梁はそれがあるものに似ていると思った。彼女がそれに気付いたのも当然だ。それは地球での高梁の研究対象だったのだから。
ヨヴァルトに感染したアメーバ内に共生していたもの、それは大気中の酸素濃度を低下させ地球の生態系を崩壊させた侵略者微生物だった。
無垢なる超巨大生物の惑星に、地球を滅ぼした侵略者が侵入してしまったのだ。
「高梁、お前、なぜ黙っていたんだ」牧野は隣に立っていた高梁に静かに問いかけた。周囲の生存者たちも物問いたげな視線を彼女に向けていた。
「……清月さんから口外しないように言われてた。事実関係がはっきりするまで伏せておくようにって。事が事だし」高梁が言った。
清月の説明は続いた。
あさぎりに向けて旅立つ時、侵略者微生物を持出さないよう最大限の注意が払われていたのは言うまでもない。船体そのものや積み荷だけでなく個人の所持品すべてに至るまで徹底的に滅菌された上で、侵略者が検出されないことが確認されていた。
それに隊員たちは全員、出発前に何度も医学的検査を受け、腸内細菌や全身の皮膚の常在菌の種類まで完全に調べ尽くされていた。侵略者を宿したアカントアメーバが誰かの体内に感染していればその時に発覚したはずだ。当然、ヨヴァルトの体内にも感染していなかった。
つまり、物や人を通して偶然アメーバが混入した可能性は限りなく低かった。
残る可能性は、正式に登録されていない所持品に納められ意図的に持ち込まれたという事になる。しかしこれも疑問が残る。恒星船に積込まれる時、すべての荷物はスキャンされ事前に内容を確認されていないものはすべて排除されていたからだ。
「以上を検討した結果、我々はヨヴァルトが最終検査から恒星船に乗るまでの短い期間に意図的にアメーバに感染した可能性が高いと結論した。ドクターによると感染が成立するには微量の休眠嚢の粉末を鼻から吸い込めば事足りるとの事だ」清月はそう言っていた。
「高梁君に依頼し、私はアカントアメーバのゲノム配列を分析してもらった。彼女によるとそのゲノムには明らかに人の手が加わった形跡があった。つまり、侵略者を中に含んだアメーバは人為的に作り出されたものだったのだ。侵略者は単独では人体に寄生できない。そこでアカントアメーバを改造してこれを侵略者の入れ物とし、ヨヴァルトの体にアメーバを感染させてこの星に持ち込んだ。
おそらく通常時はアメーバはヨヴァルトの体に害を与えないよう調整されていたのだろう。だが負傷により衰弱し、免疫力が低下したことが引き金となりバランスが崩れ、アメーバが暴走して発症したものと考えられる。つまり、ヨヴァルトはこの星に意図的に侵略者を持ち込んだことになる……以上が我々が下した結論だ」清月は言った。
生存者たちは清月の通信を見終えた。
「……ヨヴァルトさん。本当なんですか」近藤が言った。
「嘘だと言ってくれ」
「おい、何とか言えよ」
「やっぱりな。俺は最初から怪しいと思ってたんだ」
生存者たちの口から次々に言葉が投げかけられた。だがヨヴァルトは無言でうつむいたままだった。
その時、牧野は奇妙な物音に気付いた。
錆びた戸が軋むような不気味な音。その音はヨヴァルトから発せられていた。
「こいつ、笑ってやがるぞ」誰かが言った。
ヨヴァルトは顔を上げ、生存者たちの方を向いた。
白い歯をむき出しにして低酸素適応型新人類は不気味な笑みを浮かべていた。
「……清月総隊長の言う通りです。私は侵略者を自らの体内に宿しあさぎりにやってきました。この惑星を地球化するために」