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第56話 新人類の夢

 オニダイダラの背中に移住して三週間が経過した。


 この間、ギガバシレウスが上空に飛来することは一度もなかった。

 恒星船の乗組員から知らされたことだが、居住区を襲ったギガバシレウスは恒星間推進装置(スタードライブ)の超高温プラズマに焼かれて死んだらしい。だが、それでもまだ五体ものギガバシレウスがこの惑星上には存在していた。


 そこでこれらを監視するため、パイロットの小林と松崎、そして三浦たちソフトウェア担当の生き残り数名が協力し、衛星ネットワークをプログラムしなおし、惑星全土に及ぶ自動監視警戒システムを構築していた。

 衛星による監視の結果、五体のギガバシレウスたちはそれぞれ、大陸規模の広大ななわばりを持っていることが判明した。各なわばりの位置はベータ大陸北部、ベータ大陸南部、アルファ-ベータ大陸間の洋上、アルファ大陸南端、そしてアルファ大陸東部だった。

 このうち、生存者たちにもっとも近いのがアルファ大陸東部の個体で、これは最重要監視対象に選ばれていた。


 ギガバシレウスたちは成層圏以上の高度を飛んで大半の時間を過ごしていた。だが、最重要監視対象は他の個体に比べて地上にいる時間が長く、地上に生息する体長10メートルほどの大型動物を活発に捕食していた。また、この個体は一度だけなわばりの外に出て、生存者たちのいるエリアに向かって北上する構えを見せたことがあった。一瞬、生存者たちはパニックに陥りかけたものの、それは砂丘地帯で小型のサバククジラを捕食するとすぐに縄張り内に引き返していった。



 ギガバシレウスの監視と恒星船との通信という重要な仕事のため、パイロットの小林と他数名の隊員は昼夜三交代制のシフトでネオビーグル号の操縦室に詰めていた。

 そして今、夜間から早朝のシフトを終えた小林が操縦室から出てきた。彼は大きく伸びをすると機体後部にある狭い仮眠室に向かった。小林は他の生存者たちが暮らす村に行くことはほとんどなく、もっぱらネオビーグル号の機内で寝起きしていた。


 小林の歩いていく機内通路に沿って、数列の座席が設置されていた。南方探検の時は向井や牧野といった乗組員たちがいつも座っていた場所だ。

 代わりに今、その座席に座っていたのは新人類のヨヴァルトだった。


「おお、いたのか。足の具合はどうだ」小林はヨヴァルトに聞いた。

「良いですね。使っていて何の不便もありませんよ」ヨヴァルトは彼なりの笑みを浮かべて言った。


 一週間ほど前にヨヴァルトは原因不明の体調不良からようやく回復した。そして先日、失った左足にナノ合成機で作った義足を装着し、以前のように何不自由なく歩くことができるようになっていた。

 それまでの二週間、ヨヴァルトはずっと間に合わせの病床に横になり、簡易版ドクターから治療を受け続けていた。その間、機内で過ごす時間が長い小林とは顔を合わせる機会が多く自然と親しくなっていた。小林は孤独を好む男でそこもヨヴァルトとは馬が合った。


「今から探索に行ってきます。何か有用なものが見つかればいいのですが」

「気をつけろよ。サシツルギやサソリ型生物の隠れ家には近づくなよ」

「大丈夫です。そういう場所はだいたい雰囲気でわかりますから」

「すごいな、野生の勘ってやつか。じゃあ、俺は眠るとするよ」

「おやすみなさい」



 ヨヴァルトは搭乗口から外に出た。

 超巨大生物の背中の上に登る。それは三年前、第一次着陸隊が送ってきたオニダイダラの映像を初めて見た時からの彼の夢だった。今、ようやくその夢がかなう時がやってきたのだ。


 凹凸の激しい外殻の上をヨヴァルトは長い足で跳ぶようにして駆けていった。高性能の義足は完璧に機能していた。痛みも違和感もない。照りつける太陽の熱が心地よかった。病床で衰弱していた肉体が調子を取り戻していくのがはっきりと感じられた。

 オニダイダラの背筋に沿って立ち並ぶ巨大な脊梁突起が落とす影から出たり入ったりしながら、彼は背部外殻を前方に向かった。あえて整備された通り道は避け、ごつごつと瘤が突き出し亀裂が口を開く悪路を選んで走った。その方が楽しかったからだ。彼に驚いて茂みから小型の飛翔動物の群れがバッタのように飛び立った。

 やがてドーム型にひときわ高く盛り上がった外殻隆起が見えてきた。ヨヴァルトはそのてっぺんまで一気に駆け上がった。


 そこはオニダイダラの背の上でもっとも標高が高い場所だった。

 ヨヴァルトの周囲に360度のパノラマが開けた。

 それまで走り通しだったにも関わらず、彼の息はまったく乱れていなかった。低酸素環境でも呼吸できるようゲノム編集により拡張された肺のおかげだった。この点では彼らを作り出した科学者たちは完璧な仕事をしていた。


 しかし、新人類のゲノムに導入された数々の低酸素適応遺伝子は無から創造されたわけではなかった。そのベースになったのはデニソワ人という数万年前に絶滅した化石人類の遺伝子だという。デニソワ人はチベット高原などに生息し酸素濃度の低い高地に適応していた。今は亡き中華連邦のバイオエンジニアたちは太古の骨から取り出した遺伝子を使い新人類を作り出したのだ。もちろん、デニソワ人は新人類のような異形ではなかった。新人類が異形化したのは、より低い酸素濃度下でも生存できるよう低酸素適応遺伝子を人為的に過剰発現させた影響だった。


 これらの知識は彼が敬愛するイリャスリ氏族(クラン)の指導者、ザンシャ・バトロウ師が授けてくれたものだった。師はドーム都市の略奪と氏族間の抗争に明け暮れる野蛮で蒙昧な他氏族の長どもとは一線を画する偉大なリーダーだった。知識と技術を重んじ、新人類が向かうはるか先の未来を見据えていた。彼の考え方、物の見方からヨヴァルトは多くを学んだ。そして師からある任務を託され、彼はこの星にやって来たのだ。


 彼は異星の大気を味わうかのように大きく息を吸い込んだ。巨大な肺を納めた胸郭がさらに大きく膨らむ。一瞬、息を止めた後、彼は吸い込んだ空気を口からゆっくりと吐き出した。


 この星は美しい。ヨヴァルトは思った。

 生物の影もほとんどない死に瀕した地球の荒野とは大違いだった。


 この星に向けて旅立つ前、彼は惑星あさぎりのことを奇怪なエイリアンに満ちあふれた醜悪な世界だろうと想像していた。実際、ここは奇怪な生物に満ちあふれていた。その点では彼の想像力をはるかに超えていた。だが、彼らはまったく醜悪ではなかった。フィクションに登場するエイリアンのように不自然で不格好なところはまるでなく、超巨大生物からちっぽけな虫までそれぞれの生を懸命に生きる姿はじつに美しかった。まさに自然の進化が長年をかけて磨き上げてきた美の結晶だった。

 それに比べ、人為的に作られた新人類(わたしたち)の何と醜いことか。

 暗い想念を振り払うように、ヨヴァルトはドーム型の隆起を駆け下りていった。



 ヨヴァルトは村までたどり着いた。

「ヨヴァルトさーーん」小太りの男が手を振って彼を呼び止めた。植物学者の近藤だ。

「こんにちは、近藤さん」


 近藤はあごひげを伸ばしていて、以前とはかなり雰囲気が変わっていた。温和な感じだった顔もどこか精悍になっていた。これまではあまり接点はなかったが、彼の息子、大樹(たいき)の命を救ったことでヨヴァルトを命の恩人と見なし、何かと面倒を見てくれるようになっていた。


「ちょうどよかった。おいしい料理があるんですよ」

 近藤はヨヴァルトを一軒の小屋に案内した。そこに用意されていたのはオニダイダラに着生する植物の一種を使った餅だった。かすかに甘く独特の香ばしい風味があって美味しかった。ナノ合成機で作った非常用携行食には飽き始めていたので、新しい料理は大歓迎だった。彼は近藤に勧められるまま大きな餅を三つも平らげた。


「ご馳走様でした」

「礼なら彼女たちに言ってくださいよ。彼女たちが作ってくれたんです」そう言って近藤は二人の女性を示した。たしか村上と鳴瀬という名だったと思う。鳴瀬は大樹(たいき)の母親代わりを務めている女性だった。一児の母である鳴瀬は、まだ乳児の大樹にも自分の乳を与えていた。


「いいえ。これもすべてオニダイダラ様のお恵みですから」村上が言った。

 最近、彼女を中心として数名の生存者がオニダイダラを崇めはじめているという噂を耳に挟んだことがあった。人智を超えた巨大生物に畏敬の念を抱く気持ちは彼にも理解できた。ましてや今はギガバシレウスの脅威が存在し、大勢の仲間を失った後だった。温和にして偉大なる存在にすがりたくのも人間の心理としては当然だった。だが、彼自身はオニダイダラに対し宗教的な感情はまったく抱いていなかった。いかに巨大でもこれはただの生物に過ぎないのだ。



 近藤の元を辞したヨヴァルトは村を出て、さらに先へと進んでいった。

 背部外殻から降り、短い首筋に沿って向かう先は、巨大なタンカーの舳先のように突き出たオニダイダラの頭部だった。これこそが今日の探検の目的地だった。オニダイダラの頭部に足を踏み入れたものはまだ誰もいないという。村のリーダーの向井が立ち入りを許さないのだ。

 果たして、そこはどんな場所なのだろう。


 オニダイダラの頭頂部にはたくさんの瘤がごつごつと突き出し、そのいくつかは角のように鋭く尖っていた。それをよじ登り、ヨヴァルトはさらに先へと進んだ。三年前にモリモドキを噛み砕いた巨大な顎は城門のようにぴたりと閉じていた。動く気配はまるでない。

 頭部には複数の単眼が散在していた。ヨヴァルトはそのうちの一つの前に立った。その単眼は直径が三メートルはあり、頭部から半球状に飛び出していた。ヨヴァルトは眼球の表面に軽く手のひらで触れた。紫色に光る虹彩に波紋が走り、その真ん中で黒い瞳孔が収縮し彼に焦点を合わせたように見えた。

 ひょっとして、この超巨大生物は私を認識したのだろうか。

 愉快になり、ヨヴァルトはさらにオニダイダラの眼の前で手を大きく振ってみせた。

「わたしが見えるか。どうだ」

 だが、超巨大生物はそれ以上の反応を見せることはなかった。



「そこで何をしている!早く戻ってこい!」村で向井がマイクを使って叫んでいた。

 見つかってしまったか。

 ヨヴァルトはため息をつくと、来た道を村へと戻っていった。

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