第52話 隣人
まもなく第二班もオニダイダラに到着し、向井に先導されて牧野たちのいる岩屋にやってきた。
第二班に入っていた高梁は到着するなり、前方に突き出すオニダイダラの巨大な頭部に向かって声を張り上げた。
「オニダイダラさぁーん、これからちょっとの間お邪魔になりますがぁー、どうぞよろしくお願いしまぁーす」
当然、超巨大生物は何の反応も示さなかった。
それからは全員で協力して避難所の建設が急ピッチで進められた。
居住区から回収してきた廃材を利用して、その日のうちに八棟の小屋が建てられた。そのうち三軒で男性が、五軒で女性と幼児が寝起きすることに決まった。粗末な差し掛け小屋だったが、着の身着のままで逃れてきた生存者たちは屋根と壁に守られて、その夜は久しぶりに安眠することができた。彼らはこの避難所のことを村と呼び始めた。
次の日から、オニダイダラの上での生活が始まった。
「……揺れてるぞ。地震か」
午前中、前日に作った小屋がギシギシと音を立てて揺れ出した。一軒の小屋は壁が倒れた。村のあちこちから悲鳴が上がった。
生存者たちは慌てて小屋の外に飛び出した。岩屋の天井から垂れ下がった着生植物の蔓も振り子のように揺れていた。
「違う、これは地震じゃない。オニダイダラが動いてるんだ」
オニダイダラは岩山のように不動の存在に見えたが、実際は少しずつ動いていた。移動距離は一日にたったの数メートル程度だが、巨体が動くとき、背中の上は地震のように大きく揺れた。揺れは一日に数回襲ってきた。幸い怪我人は出なかったものの、生存者たちは揺れに耐えられるように小屋の造りを強化し直さなければならなかった。
村は空と地上からの襲撃から守られ、風雨からも遮られていたが、大きな問題点をいくつも抱えていた。
まずひとつが水の問題だった。
オニダイダラの背中の上には水が乏しかった。亀裂の底や筒状をした着生植物の葉の中には雨水が溜まっていたが、それだけでは五十八人の生活用水を賄うのには到底足りなかった。やむを得ず、一度ネオビーグル号で付近を流れる川まで行き、貯水タンクに満タンの水を溜め込んで戻ってくるしかなかった。今後も定期的に採水を続ける必要がありそうだった。
食料に関しても、オニダイダラの上で確保できる量はわずかだった。
ここには食用となる種が生息していなかったため、地上から持ち込んだ動植物を飼育栽培することになった。ゴミでも何でも食べて増えるブロンと、土壌がなくても水分さえあればどんどん伸びるフクレカズラが栽培種に選ばれ、村の近くで育てられはじめた。
だが、収穫できるようになるまでしばらくかかる上、たったそれだけでは生存者全員の胃袋を満たすことはできそうもなかった。当面は移住直前に急遽かき集めた食料の備蓄を食い潰していくしかなさそうだった。その残りが少なくなったら、やはりネオビーグル号で地上の森に降り、食べられる動植物を採取してくる必要があるだろう。
このように、ネオビーグル号は彼らの生命線だったが、村からネオビーグル号が駐機している尾部高原までの遠さも大きな問題だった。
これには生存者たちからも意見が出た。
「村の場所を尾部高原にしたほうがよくないか。いざという時、飛行艇のすぐ近くにあった方が安心だしな」
「それはそうだが、あそこは風が強すぎるし空から無防備だ。逆にネオビーグル号を村の近くに停められるようにしたほうがいい。村の真上に生えてる着生植物の森を切り開いて、瘤も削り取って着陸ポートを作ろう」
しかし、向井はそれを認めなかった。
「却下だ。ここの生態系への干渉は可能な限り最小限にとどめた方がいい。オニダイダラ本体への破壊行為など論外だ。もし攻撃と受け取られたら、最悪ここから排除されるかもしれないんだぞ。彼を刺激するのは可能な限り避けて、共生生物の一種として慎ましく生きていこう」
向井の言い分はもっともだったので、生存者たちは彼の意見に従い生活の不自由さを看過することにした。
そう、自分たち人間はここでは万物の頂点に君臨する存在ではなかった。オニダイダラという神のごとき超巨大生物の怒りを買わぬよう、ひっそりと隠れて生きる卑小な共生生物の一種にすぎなかった。
移住から二日目の朝、事件が起きた。
その朝、鳴瀬という女性隊員が村で飼われていたブロンがいなくなっていることに気付いた。
ブロンは小屋のそばに作られた囲いの中で、残飯や着生植物の葉を餌に飼われていた。その朝、五匹いたブロンはすべて跡形もなく消えていた。いや、ブロンだけではない。それを閉じ込めていた囲いまでもがなくなっていた。
太ったナマコかナメクジのような、非力で動きの鈍いブロンが自力で囲いを壊し脱走したとは考えられない。夜間に何らかの共生生物に襲われた可能性が高かった。しかし、夜間に異変に気付いた者は誰もいなかった。防衛ドローンは村を巡回していたが、巧みに一瞬の隙を突かれたのか、録画映像には何も映っていなかった。
その日の夜、生存者たちは謎の襲撃者を待ち伏せすることにした。備蓄してあったブロン肉を使って襲撃者をおびき寄せる作戦だった。
これには牧野と伊藤、向井の他、数名の生存者が参加した。
数人の男たちは男性用の小屋の一軒で息を潜め、村の空き地に放置されたブロン肉を窓からじっと見張った。
「ブロンを襲ったのはどんな生物だろうな」向井が言った。
「ひょっとしたら、クモ型生物の生き残りがまだ潜んでいるのかも」牧野が言った。
「俺もその可能性が濃厚だと思う。でも、だとしたら厄介だな。奴らは人間も襲うぞ」向井が言った。
「それにしても、いったいいつ来るんだよ」あくびを噛み殺しながら地質学者の伊藤が言った。
「焦るな。野生生物相手には忍耐が肝心だ」向井が言った。
何も起きないまま、さらに時間だけが過ぎた。
好奇心から参加していた数名の生存者たちは夜が更けるにつれて次々と脱落していった。
「俺も限界だわ。何かあったら起こして。おやすみ」そう言うと伊藤も寝床でいびきをかき始めた。
「今夜は来ないかもしれないですね」牧野も諦めかけていたその時だった。
「……待て、何かいるぞ。目を凝らしてよく見るんだ」向井が言った。
村の端の、崖のあたりの闇の中で何かが動いていた。
かすかな月明かりにその輪郭がぼんやりと浮かんでいた。
「思ったよりも大きいですね」牧野は声を潜めて言った。
少なくとも体長十メートル以上はあった。それは巨体に沿ってずらりと並ぶ脚を滑らかに動かし、音も立てずに崖の縁を乗り越えて岩屋に侵入してきた。
「こいつはひょっとして……」牧野はつぶやいた。
「知っているのか」向井が言った。
「たぶんこれは、オニダイダラの捕食活動の時にいたサソリ型生物ですよ」
三年前の捕食活動の時、オニダイダラの体の隙間からサソリ型の生物が這い出し、モリモドキの上にいた共生生物たちを襲っているのを牧野は目撃していた。おそらく目の前にいる生物はあれと同じ種類だろう。ひょっとしたら同一個体かもしれない。
それはまさに重戦車のような怪物だった。サソリのように長い尾を後ろに引きずり、強力な一対のハサミを振りかざして歩いている。全身を覆う分厚い外骨格は毬栗のように尖った棘でびっしりと隙間なく覆われていた。
「で、どうします?」牧野は向井に聞いた。
向井は思案しながら言った。
「そうだな……。思ってたより厄介そうな相手だな。今、手元にあるレーザー銃では追い払えそうもないし、防衛ドローンのレーザーでも通用するかどうか。そうだ、戦闘用ヒト型重機なら……、牧野君、悪いが平岡を起こしてきてくれ。万一の場合、彼に操縦してもらう必要がある」
「わかりました。平岡がいるのは隣の小屋でしたよね」
「頼んだ。……ん、ちょっと待て」
サソリ型生物は触角状の細長い脚を鞭のように振り回して村の地面を探っていたが、その先が転がっているブロンの肉に触れた。サソリ型生物はひどくちっぽけなその肉片をハサミの先でひょいと器用につまみ上げ口元に運んだ。そして再び崖の縁を乗り越えて岩屋を出て行った。
牧野と向井は同時にほっと息をついた。
その夜はそれっきり、サソリ型生物は姿を見せなかった。
牧野はその後、サソリ型生物の生態を調べた。
サソリ型生物は三日に一度、毎回正確に時計で計ったように深夜三時十七分頃に岩屋にやってきた。そして触角でひととおり村の周辺を探るだけで、ほとんどの場合、そのまま何もせずに去って行った。どうやらオニダイダラの体の上で決まった巡回ルートをたどって生活しているようだった。
餌は動物性のものを好んだが、主食はオニダイダラの体表に生える地衣類のようだった。動き回るのは基本的に夜だけで、昼間はオニダイダラの体の側面を走る亀裂の間で休んでいた。
人間を襲ったり、村をひどく荒らしたりすることはなく、人間の生活する時間帯とも被っていなかったので、サソリ型生物は駆除はせずに共存していくという方針に決まった。
見るからに頑強で、戦闘用ヒト型重機でも倒せる保証がないというのも大きな理由ではあったのだが。