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第50話 移住

 不安と恐怖に満ちた夜がようやく終わり、居住区跡地に朝が訪れた。

 早朝の森はこれまでと同じように白い霧に包まれていた。

 結局、牧野は一睡もできずに朝を迎えた。



 朝食を取った後、さっそく今後の方針についての話し合いが始まった。

 その冒頭にパイロットの小林から、先ほど恒星船と連絡がついたと報告があった。

 恒星船は超巨大生物との戦いで大破し、全員が重傷を負っていた。今は第六惑星の軌道付近にいて惑星あさぎりに帰還するまで三ヶ月かかるということだった。恒星船がまだ存在していると知って牧野は大いに勇気づけられた。



「本当によかった。少なくとも、俺たちは完全に孤立無援ってわけじゃなかったんだ」

「恒星船さえ戻ってきてくれば、きっと何とかなる」

「ですが、問題はそれまでの三ヶ月間ですね」

「ほとんどの施設や装備を失ってしまった。まともに残ってるのはネオビーグル号くらいだ。この現状で、果たして耐えられるのか」

「そうだ、それにまたあいつが襲ってきたら……」

 生存者たちはざわついた。


 その時、向井が立ち上がり、全員を前にして声を張り上げた。

「みんな聞いてほしい。俺から提案がある。移住しよう。もうここに住み続けるのは不可能だ」


 その意見については牧野も賛成だった。大勢の仲間たちが命を落としたこの地はあまりにも死の気配が濃すぎた。それに周囲の森の生物は人間を餌食と見なしているし、超巨大生物ギガバシレウスの襲撃からも無防備だった。他の生存者たちも同意見で、次々に賛成の声が上がった。


「みんな、賛同ありがとう」

「で、どこに住むんだ。何かいい案があるのか」

「その候補地だが……」


 向井が告げたその場所はあまりに過激だった。牧野も最初は冗談かと思ったほどだ。だが向井の表情は真剣だった。生存者たちの間からも意見が噴出した。


「まさか、本当にそんな場所に住むつもりなのか」

「無謀すぎる」「でも……防衛面では意外とベストの選択かもしれないぞ」

「俺は反対だね。それならここの方がマシだ」

「でも、ここは危険よ。またあいつが来たらどうするのよ」「でもよ、よりにもよってあそことはな……」


 向井が提案した移住先、それは超巨大生物オニダイダラの背中の上だった。



 三年前、牧野たちは調査のためオニダイダラの背中に降り立った。そこは切り立った台地のようで数十名の人間が暮らせるだけのスペースが十分にあった。

 防衛の面からは申し分なかった。下界から隔絶されたあの場所ならば、地上の生物に襲われることはない。それに、山のように巨大なオニダイダラを前にすれば、ギガバシレウスも攻撃をためらうかもしれなかった。仮に襲ってきたとしても、その時は外殻に無数に開いた穴や隙間に身を隠すこともできる。


 さらに、オニダイダラについては過去三年間に豊富なデータが集まっていた。三年前の遭遇とモリモドキの捕食以降も、数ヶ月おきの定期的な観察が行われていたからだ。牧野もその観察に参加し、付近の植生の変化や、オニダイダラの上に生息する共生生物相の変化などを記録していた。

 共生生物の中には、堀口を連れ去ったクモ型生物のように凶暴なものも生息していた。だがそれらはオニダイダラとモリモドキの格闘の際、モリモドキの放った毒ガス攻撃でほとんど死滅したとみられ、その後はいっさい見つかっていなかった。現在、人間の脅威となる生物は住み着いていない可能性が高かった。


 はじめて聞いた時には突拍子もないアイデアに思えたオニダイダラへの移住だったが、考えてみると意外にも利点は多かった。

 そして、生存者たちの過半数が賛成したことから、移住は実行に移されることが決まった。




 さっそく移住の準備がはじまった。

 最大の問題が食料の確保だった。

 今手元にある食料は南方探検用にネオビーグル号に積まれていたものがわずかに残っているだけだった。

 居住区の食料供給源だった農園は完全に潰されていた。収穫された農作物を備蓄していた倉庫は跡形もなかった。周辺を掘り返せば散乱した農作物をいくらか回収できるかもしれないが、三ヶ月間にわたり五十八人を養っていけるだけの量が残っているとは思えなかった。


 必然的にあさぎり原産の生物を食べるしかなかった。

 以前からあさぎり原産の生物を食料として利用する試みは進められていて、すでに十数種類の動植物が食料として利用されていた。移住に先立って、森でそれらを採取し人数分の食料を確保しなければならない。可能であれば動物の肉も手に入れておきたかった。

 生存者のうち健康状態に問題のない者で五名ずつ二班を組織し、森に分け入ることになった。近藤と堀口、それに橘はこちらに加わることになった。近藤は息子の大樹(たいき)を背中におぶっての参加だった。植物の知識が豊富な近藤は森の中で食用になる種類を判別するために是非とも必要だったが、片時も息子を手放したがらなかったためだ。



 食料に次いでもう一つ、可能であれば是非とも入手しておきたい物があった。

 それはナノ合成機(アセンブラ)だ。

 ナノ合成機は原子を一つずつ配列することで何でも作れる万能製造機械だ。

 発明されたのは意外と古く二十一世紀末にまで遡る。当初、3Dプリンターとナノテクノロジーの融合から生まれたこの機械は産業を一変させると期待された。だが最大の難点は製品を作るのに時間とコストがかかりすぎることだった。そのため従来の工業的手法による大量生産に勝てず、実用化は進まなかった。


 しかし、それはあくまで地球での話だった。大規模な流通網を持つ地球経済圏では無用の長物だったナノ合成機はその後、宇宙で活躍の場を見いだされた。

 木星以遠の衛星や準惑星に点在するコロニーや恒星間宇宙船、それに太陽系外惑星などの遠隔地では地球圏から加工品や原材料を輸入するのに法外なコストがかかるか、または事実上不可能だ。それに自前のコンビナートや工場を建設しても、それに見合うほど人口が多くないため採算が取れない。そのため隔絶した小規模な共同体ではナノ合成機で必要な製品だけを自給自足するのが最適だった。

 否、むしろナノ合成機が存在したからこそ、太陽系外縁部や他の恒星系への進出がはじめて可能になったという方がより真実に近いだろう。


 当然だが、この探検隊もナノ合成機を所有していた。

 恒星船には大型の工業タイプが一台、居住区には小型の汎用タイプが三台設置されていた。合成機のカタログには薬品、衣料品、建築素材から、小型飛行艇やヒト型重機まで様々な製品のデータが登録されていて、物により差はあるが数時間から長くて数週間で望みの製品を手にすることができた。


 合成機(アセンブラ)とセットで用いられていたのが、原材料となる分子を調達する分解機(ディスアセンブラ)だ。これは投入した物体を原子レベルで分解し、元素の種類ごとに分別する装置だった。元素は安定した化合物の状態でカートリッジ内に蓄積された。ゴミでも廃材でも鉱石でも、これに投入すれば各種金属など貴重な元素を回収することができた。


 今後、この惑星で生存していくためにはナノ合成機は必要だった。これがなければ既存の道具が壊れるたび、彼らの生活水準は少しずつ石器時代のレベルに退行していかざるをえないだろう。だが、居住区の被害状況から、ナノ合成機と分解機が故障せずに残っている望みはかなり薄かった。

 掘削機械を使い、瓦礫の中から合成機を掘り出すこの仕事には伊藤と機械整備担当の松崎が選ばれた。

 それ以外の者たちは負傷者の世話や、居住区での道具類や資材の回収、それに遺体埋葬の続きが任された。平岡は戦闘用ヒト型重機でキャンプの周囲の警戒にあたった。



「牧野君、ちょっといいかな」牧野は向井に呼ばれた。

「何ですか」

「君に一緒に見てもらいたい物があるんだ」向井は居住区跡地の中心に向かって歩き出した。牧野もその後を追った。「いったいどこに行くんです」


「……着いた。ここだ」

 二人は土砂が小山のようにうずたかく積み上がっている場所までやってきた。周囲の土地より十メートル程度高いそこから、完膚なきまでに蹂躙された居住区全体の惨状が手に取るように見ることができた。

「これを見て、君ならどう考える」向井は牧野に向かって問うた。


 一見、何のパターンも見いだせない完全なる混沌。だが……。

「被害は居住区内にほぼ限定されています。そして、その範囲内だけで徹底した破壊が行われている。意図的に人工物のみを狙った可能性が高い」


「ではなぜ、ギガバシレウスはそんなことをしたのか」

 少し考えた後で牧野は説明した。

「……これはあくまで想像ですが、居住区から竜王の攻撃衝動の引き金となる何らかの刺激が発せられていた。どんな刺激かは皆目見当もつきませんが、それがあいつを怒らせて盲目的な破壊行動に走らせた。少なくとも、人間を捕食するために襲ったとは考えにくい。もしそうだったら、人間が隠れていたシェルターだけが狙われたはずです」

「ありがとう。参考になったよ。我々は生物学者だ。生物学者の目で、リブラドラコ・ギガバシレウスの残した痕跡から奴の行動パターンや動機を解明していく義務がある。この光景をしっかりと目に焼き付けておいてくれ」




 午後。各自が割り振られた仕事を終えてキャンプに帰還した。

「みんなご苦労だった」向井が言った。

 いつの間にか、すっかり向井がリーダーとなってこのキャンプを動かしていた。逆に、南方探検隊のリーダーだった伊藤は早くもリーダーシップを放棄し、向井の判断に従うだけになっていた。生存者たちは自然にこの変化を受け入れていた。



 近藤たちが参加した狩猟、採取チームはまずまずの成果をあげた。

 動物は大きく太ったマダラトトルが一頭、それに黒くぶよぶよしたブロンが三十五匹も捕獲できた。これだけあれば十日間くらいは生存者全員に肉が行き渡るだろう。

 植物はサワビキの根塊が十五キロに、フクレカズラとジュズダマノキの肥大化葉状体が各十キロ、大きなウロコダンゴの疑似菌塊が三個採取できた。いずれもよく加熱すれば美味とまでは言えないが普通に食用にできた。


 平岡や伊藤たちはナノ合成機の筐体を一つを回収してきたが、それは故障していた。

 電源を入れても動作せず、今後、詳細な点検を行って故障箇所を絞り込み、可能であれば部品を交換する必要があった。松崎はしばらくこの仕事に取り組むことになった。



 翌日の移住に備えて各自が準備に励んでいた。

 皆、目先の目標を与えられて生き生きとしていた。絶望に沈んでいた昨日とは大違いだった。

 ブロンの解体作業を手伝い終えて牧野が休憩を取っていると、高梁が近づいてきた。


「あ、牧野さん。お疲れ。それにしてもひどい格好だね」

 牧野の両腕と前掛けはブロンの体液にまみれてドロドロの紫色に染まっていた。ブロンの体液の酢のような臭いが鼻をついた。

「高梁こそ、お疲れ様」

 今日一日、高梁は医療AIドクターがインストールされた携帯式医療ロボを補助し、負傷者や病人の手当てをしていた。発見時は意識があったヨヴァルトだったが、前の晩に急に容態が悪化し一時は意識を失うまでに至っていた。今は症状が落ち着いたものの寝たきりの状態が続いていた。感染症のようだが限られた能力しかない簡易版ドクターでは十分に診断できなかった。



「明日からはついにオニダイダラの上で暮らすことになるんだね」高梁が言った。

「そうだな。この居住区ともお別れか」

 これまでは漠然と、ここを中心として都市が発展し、将来的にはこの惑星の人間社会の中心地になっていくのかと予想していたが、まさかこんな事態になるとは。

 少し取り留めのない話をした後、二人はネオビーグル号を取り巻くキャンプに戻っていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とりあえず戦闘用ヒト型重機を一機残してくれた平岡さんに謝ろうか、橘。 本人は罪悪感に苛まれてる感じですが、勝てる見込みが皆無な戦いから逃げるのは、 臆病とは言えない気がします。 近藤さ…
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