第49話 生存者たち
牧野たちは生存者の捜索と犠牲者の埋葬を続けた。
未知なる惑星でともに奮闘してきた、かけがえのない仲間たちの死。はじめのうちは仲間たちの遺体が見つかるたび、牧野の胸は悲しみに引き裂かれた。だが、しだいに感情が鈍麻し何も感じなくなっていった。おそらく精神が負荷に耐えきれなくなったのだろう。現実感が欠落した灰色の世界で、牧野は機械的に手足を動かし続けた。
第一シェルターの被害は壊滅的で、助かったのはヨヴァルトと近藤の息子の二名だけだった。まもなく近藤の妻であり、牧野の親友でもあった飯塚美竿も変わり果てた姿で発見された。
しかし、身元を特定できたのはごく一部だった。ほとんどの遺体は損傷が激しく、あとでDNA鑑定で身元を特定するために組織片を採取し、ネオビーグル号のサンプル保管用冷凍庫に保存しておくしかなかった。
回収された遺体は大きな墓穴にまとめて埋葬された。穴を掘った掘削機械はネオビーグル号に搭載されていた鉱物採掘用のものだった。掘削機械を操縦する伊藤の顔は土気色で終始無表情だった。
捜索開始から約一時間後、上空から甲高い音が聞こえた。
見上げると一機の戦闘用ヒト型重機が飛んでくるところだった。飛行用スラスターを装着したそのヒト型重機は高度を下げるとネオビーグル号の傍らに降り立った。
牧野たちは捜索を中断して駆け寄った。
開いたハッチから出てきたのは安全保障班の平岡だった。
「無事だったか」「よかった」「よく生きててくれた」隊員たちは口々に言った。
橘は目に涙を浮かべて彼に抱きついた。平岡と橘はともに元自衛官だ。二人は再開を心から喜びあった。
だがそれも長くは続かなかった。
橘があることに気付いたからだ。平岡の戦闘用ヒト型重機に装備されたミサイルや銃弾の残弾数はまったく減っていなかったのだ。
「これはどういうことだ。あいつに一発も撃たなかったのか」橘は信じがたいという表情で平岡の顔を見つめて言った。
平岡は視線をそらし、明らかに落ち着きを失った。
「……あ、ああ。だって、仕方がないだろ。あんな巨大な敵にこの程度の武装が効くわけないって。わかるだろ常識的に考えて。……何だよその目は。おい、俺をそんな目で見るなよ」
「お前と一緒に警戒に当たっていたという連中はどうした」橘は冷ややかな口調で平岡への詰問を続けた。
「し、死んだよ。あいつら、やめとけばいいのに武器撃ちながらヒト型重機で突っ込んでって……。勝ち目なんてあるわけねぇのにさ。で、案の定、あっさり潰された。虫みたいに。バッカみてぇ。……ふ、ふふ、ふふふ」
乾いた音を立てて橘の平手打ちが炸裂した。
「……最低のクズが」橘が吐き捨てた。
「仕方なかったんだよ。わかってくれよ……。怖かったんだよ」平岡は顔を歪めて泣いていた。
「だからって、お前は一度も戦わずに逃げたのか。居住区のみんなを見捨てて。兵士失格だな」橘はきびすを返すと平岡の前から去って行った。
倒壊した研究棟の瓦礫の下から、第二シェルターの入り口が見つかった。
ハッチは変形して開かなくなっていたので、平岡が乗ってきたヒト型重機のレーザーで焼き切った。
「平岡が臆病風に吹かれたおかげで、こうして無傷のヒト型重機が手元に残り救助の役に立った。皮肉なものだな」向井が言った。
地下への階段を降りていくとそこには数十名の生存者がいた。当時研究棟にいた科学者と、農園や作業場で働いていた人々、それに新生児を抱いた母親たちだった。
しかし、シェルターの環境は劣悪だった。彼らが逃げ込んだ第二シェルターはまだ建設途中で、排水、空調設備が整っていなかった。おまけに明らかに定員を超過していた。排泄物の臭いが充満する室内に閉じ込められた四十七名は三日間、すし詰めの状態で乏しい食料と水を分け合いながら救助を待っていたのだった。ネオビーグル号の乗組員たちは彼らを地上に連れ出した。衰弱が激しい何名かは背負って運び出さなければならなかった。
地上に出た彼らは居住区の惨状を見て呆然としていたが、中には激しく取り乱す者もいた。昆虫学者の堀口など、かろうじて気力や体力が残っている者が何人かいたので、彼らには生存者の捜索を手伝ってもらった。
けが人や病人の手当ては、ネオビーグル号に常備されていた携帯式医療ロボットを使った。南方への探検中はさいわい一度も使わずに済んだこの機械の電源を入れると、正面のモニター画面に医療AIのドクターの顔が現れた。
「……通信エラー。オフラインモードで起動します。当医療AIは応急処置や非常時の延命措置のみに機能が限定された簡易版です。より高度な診断、医療が必要な場合はオンラインモードでの使用を推奨します」画面の中のドクターが口上を述べた。
携帯式医療ロボットはスーツケースから操作手二本とセンサーが生えたような不格好な姿だったが、これにインストールされた簡易版ドクターはフルバージョンのように人間を見下す態度は取らず淡々と治療に徹してくれた。ロボットはヨヴァルトの左足の切断面を処置し、第二シェルターの衰弱した生存者たちには抗生物質と栄養剤の注射を打った。
南方探検から帰ったネオビーグル号の乗組員、伊藤、向井、近藤、牧野、高梁、松崎、小林、橘の八名。第一シェルターの残骸から発見されたヨヴァルトと近藤大樹の二名。ヒト型重機で逃げていた平岡が一名。そして第二シェルターから救出した堀口たち四十七名。
合計五十八名。それが居住区の生存者のすべてだった。
恒星船にいる三十五名を別にすると、居住区で生まれた新生児二名を含む死者、行方不明者は六十九名におよんでいた。
恒星船テレストリアル・スター号でこの惑星を訪れた隊員のうち、半数近くが失われていた。
やがて日が沈み、居住区跡地に夜が訪れた。
闇を照らすのはネオビーグル号のライトと、第二シェルターから持ち出したバッテリー式の照明だけだ。居住区にあった照明は一つ残らず破壊されていた。仮に残っていたとしても、太陽光発電パネルはすべて破壊されていたので電気は止まっており、どの道使うことはできなかった。
生き延びた者たちはネオビーグル号のライトが生み出す光の海に肩寄せ合って集まっていた。
全員が機内に入るのは無理だったので、機内の利用は重傷者および乳幼児とその親を優先し、それ以外の者たちは外で過ごすことに決まった。ネオビーグル号に積まれていたロープと防水シートで応急的に天幕を張り、その下で眠るのだ。
ささやかなキャンプ地の外側に広がるのは、無明の闇夜の森だった。
かつて彼らとその森とを隔てていた頑丈なフェンスや、テクノロジーの産物にあふれた快適な居住区はもはや存在しない。頭上の天空から見守ってくれていた強力な恒星船もない。彼らはこの惑星に来て以来はじめて、むき出しの生身だけで外界の自然と対峙していた。ネオビーグル号搭載の防衛ドローン一機だけではあまりにも心許なかった。
「……怖い」高梁が言った。
彼女と牧野は天幕の下で並んで休んでいた。牧野の体は疲労の極みにあったが眠れそうになかった。仮に眠れても悪夢が待っていることは間違いなかった。
夜風が天幕をバタバタとはためかせた。風は第一シェルターのクレーターから死臭を運んできた。あそこにはまだ回収されていない遺体が眠っているのだ。
「ああ、そうだな。こんなに怖いと思ったのははじめてだ」
「私たち、この先いったいどうなるんだろう」
「今は先のことは考えるな。ただこの瞬間を生きることだけに集中するんだ」
「そんなの無理だよ……」そう言うと高梁はさめざめと泣き出した。
天幕のすぐ外、光が届く範囲のぎりぎり外側に何かがいた。
体長一メートルほどの細長い動物だ。長い尾を振りながら八本の短い足ですばやく走る。オナガトトルだ。以前から居住区周囲の森でふつうに見かけられた種だった。頭部に並ぶ四つの目がライトを反射して緑色に光っていた。
オナガトトルは何かを口にくわえていた。四つの顎を交互に動かして咀嚼している。
それは人間の手首だった。
牧野は跳ね起きると、手近にあった金属パイプをそいつに投げつけた。
「失せろ!」パイプは当たらなかったが、動物はその場に手首を落とし、闇の中に逃げ去っていった。
だが、彼らの周囲をうろついているのはちっぽけなオナガトトルだけではなかった。
歩哨に立っていた橘が突然、闇に向かってレーザー銃を撃った。
閃光に浮かび上がったのは三メートルはある大型の生物だった。でこぼこした石灰質の殻の下から無数の触手を伸ばして這い回る森のスカベンジャーだ。そいつはキャンプ地に集まる人間に興味津々といった様子で、いやらしく痙攣するピンク色の触手を振りかざして接近してきたのだ。
この生物も以前から付近の森に生息していた種類だったが、人間に関心を示したことは一度もなかった。
「こいつら、人間の肉の味を覚えたんだ……」牧野は戦慄を覚えながら悟った。
ギガバシレウスの襲撃から、牧野たちの乗ったネオビーグル号がここに到着するまで三日経っていた。おそらく、その間に野晒しにされていた人間の遺体を周囲の森に住む生物たちは食べたのだ。
人間とあさぎりの生物の関係性は、いまや根底から覆っていた。
興味深い研究対象から、今では彼らの命を狙う恐るべき天敵に変わったのだ。
橘に撃たれたスカベンジャーは触手を縮め、いったんは闇の中に引き下がったが、学習能力のない下等動物特有のしつこさで、十分もしない内にまた別の場所からキャンプへの侵入を試みてきた。体の下側に密集するイボ脚を波打たせるように動かして光の中に堂々と突入してくる。天幕の下から悲鳴が上がりだした。
「こいつ、うぜぇんだよ。死ね!死ね!死ねぇーーー!」
橘は髪を振り乱しながらレーザー銃を乱射した。一射ごとに出力を上げていく。触手が焼き切れ、粘膜質の表皮に穴が開き、どろりと紫色の体液が溢れ出た。それでも橘は射撃を止めない。鋭い嘴を黒焦げにし、イボ脚が並ぶ腹を炭化させ、ごつごつした巨大な殻を粉々に吹き飛ばした。それでも橘はひくひくと痙攣している肉塊に向かって容赦なく白熱光を浴びせ続けた。
「おい、もういい。やめろ。レーザーのエネルギーを無駄遣いするな」
向井が止めた頃には、スカベンジャーは悪臭を放つ黒焦げの塊になっていた。
もはや以前のようにここで暮らしていくことはできない。
どこかもっと安全な場所が、新たなる避難場所が必要だ。