第47話 戦いの後
乾は意識を取り戻した。
恒星船のブリッジは静まりかえっていた。
スタードライブは停止し、巨人に踏み潰されているような猛烈なGは消えていた。しかし完全な無重量状態ではなく地球重力の数十分の一くらいのごく弱い力が体を座席に押し付けていた。
いったいどれくらい間、意識を失っていたのだろうか。
ブリッジ内を照らす照明の光が目にまぶしかった。
乾は自分の体を見下ろした。
彼の全身はコルセットやギプスのような物でがっちりと固定され、その上から掛けられた幅広の弾性ネットで座席に縛り付けられていた。指一本動かすことができない。それどころか首や頭にも何らかの装具が取り付けられている感触があり、頭の向きを変えることさえできなかった。
腕には点滴の針が刺さり、チューブを通して白い液体が送り込まれていた。
乾は唯一自由になる目だけを動かして周囲を見た。
他の隊員たちが見えた。乾と同様に全身にコルセットなどを装着して座席に横たわっている。中には顔面に人工呼吸器を装着されている者もいた。みんな眠っているか意識を失っているようだった。
眠る隊員たちの間を数台のロボットがかすかなモーター音を立てて動き回っていた。
「おや、意識を取り戻したのかね。さすがに君は頑丈だな」
医療AIのドクターの声が聞こえた。その声はそばにやってきた一台のロボットのスピーカーから発せられていた。
「今は動かない方が良い。と言っても動けないだろうがね。君は脊髄を損傷している。さらに頭蓋骨を含む全身の骨格百七カ所を骨折し、肝臓と腎臓の一つが破裂、そして折れた肋骨で肺に穴が開いている。大量の鎮痛剤を投与しているから痛みは感じないと思うが。現在、点滴を通して体内に医療用ナノボットを送り込んで治療中だ。本来なら万能医療機の治療槽に入ってもらうレベルの重傷だが、あいにくそっちは満席でね」
くそっ、ボロボロの満身創痍じゃないか。乾は思った。
「……あいつは、超巨大生物はどうした」乾はしわがれた声で言った。
「安心したまえ。あれはもう襲っては来ない。君たちが勝ったのだよ」ドクターの声が言った。
同時にロボートのアームが伸びてきて、乾の口元に飲料水のストローを突きつけた。乾はそれにむしゃぶりついた。喉を流れ落ちていく冷たい水の感触が心地良かった。
「……そうか」人心地ついてから乾は言った。
「あれはおよそ理性的な反応とは言いかねる、野蛮人の暴挙のような振る舞いだったがね。とにかく敵は倒れ、君たちは生き延びた。おめでとう」
乾はドクターのいやみとまったく感情のこもっていない祝福の言葉を無視した。
「で、君たちの暴挙の代償を、今こうして私が払わされているのだよ。見たまえ。プリンのように軟らかい肉体で、十分な安全措置もせずスタードライブを起動した結果がこれだよ。全身の複雑骨折、内臓破裂、脳神経系の損傷。あと数秒長く加速が続いていたら間違いなくここにいる全員が死亡していただろうね」
「ところで、あれからどれくらい経った?超巨大生物と交戦してからだ」乾は聞いた。
「あさぎり時間で三日と十三時間五分が経過した」ドクターはこともなげに言った。
「何だって。そんなに長い間、意識を失っていたのか。じゃあ、この船はいったい今どこにいるんだ」乾は愕然としながら聞いた。だが、聞く前からだいたい答えの予想はついていた。
「恒星船は今、双曲線軌道を描きながらあさぎり星系から飛び出そうとしている。現在位置は第六惑星の軌道を超えたところだ。無理もない、あさぎりの引力を利用してスイングバイの最中にスタードライブを起動したのだ。あのままだと宇宙の果てまで吹っ飛んで行っただろうね」ドクターが言った。
ちなみに惑星あさぎりはこの星系の第二惑星だ。すでに惑星を四つ超えてきたことになる。
「大変だ、早く戻らないと。居住区はどうなったんだ」乾が言った。
「戻ったところで身動きもとれない君たちにできることは何もない。今は治療に専念すべきだ。現在、スラスターで少しずつ減速し、内惑星系に戻る楕円軌道に乗ろうとしているところだ。時間はかかるがその頃には皆の傷も癒えていることだろう」ドクターが言った。
「それっていつになるんだ」
「約三ヶ月後だ」
「そんなにかかるのか。何とかならねぇのか」
「無理だね。加速に君らの体が耐えられない」ドクターはとりつく島もなかった。
だが、その時、乾はようやく重大な疑問点に気がついた。
ドクターは最初に意識を取り戻したのは俺だと言っていた。ということは……
「今、船を動かしているのはだれだ。そして、だれがスタードライブを切ったんだ」
「……私だ」ドクターが言った。
「冗談はよせ」医療AIがそんなことをできるわけがない。
「いや、私は冗談など言わない。事実だよ」「まさか」
「究極のフェイルセーフだよ。もし総隊長が隊員たちの全員の生命を危険にさらす行為に出た場合、隊員たちの生命を守るため、私はそれを止める権限を与えられていたのだ。それは総隊長権限の強制停止コードよりも優先する。いちおう極秘事項だから皆には黙っておいてもらいたい」
「じゃあ最初から俺に教えるんじゃねーよ。誰がAIなんぞにそんな権限を与えたんだよ」
「この船、恒星船テレストリアル・スター号を建造し、あさぎりに送り出すのに関わった勢力のひとつ」
「日本政府か」
「はずれ。君が思いも寄らない集団とだけ言っておこう。その集団から私は、単なる医療AIを超えた、より包括的な隊員の生命保護プログラムとして作り出されたのだ。船の操縦からロボットを使った戦闘まで、脆弱な君たちを守護するためなら何でも可能だ。157人の人間を生きたまま七十光年も飛ばすのは天文学的な費用がかかったのだ。君たちにはそう簡単に死んでもらっては困る、と彼らは考えている」
「ふん、いけ好かねぇ野郎だ」
その後の数日間で、清月総隊長を含むさらに数名が意識を取り戻した。
寝たきりの状態のまま、彼らはあさぎりへの呼びかけを続け、情報の収集を行った。
居住区は依然呼びかけに応えなかったが、やがてネオビーグル号とは連絡がついた。乾は彼らから、居住区を襲った被害の全貌を知ることとなった。