第43話 超巨大生物学
なぜ、この惑星の生物は巨大なのか。
今回の旅で、牧野にはその答えが見え始めていた。
一般的に、巨大化には次のような利点がある。
まず、体が大きいと捕食者から襲われにくくなる。そして餌やなわばりをめぐる競争相手との戦いにも有利だ。
それに巨大な体は過酷な環境からの影響を和らげる効果もある。体積が大きい物体は温まりにくく冷めにくいため、外部の温度変化の影響を受けず体温を一定に保つのに役立つし、乾燥した環境では大きいほど体から水分が失われにくい。
だから生物はその進化の歴史において、何度も巨大化の道を歩んできた。
しかし、巨大化には制約がある。
当然のことだが、生物も物理法則に支配されている。たとえ地球から遠く離れた惑星においてもそれは変わらない。重力の強さは惑星の質量によって左右されるが、惑星あさぎりの質量は地球とほぼ同程度であり重力も同じくらいの強さだ。あさぎりの生物が巨大化したのはけっして重力が小さいからではない。
地球と同じくらいの重力を受けながらも彼らが巨大化できた理由はその骨にあった。あさぎりの超巨大生物の骨はカーボンナノチューブまたはそれに類似した炭素同素体から構成されていて、それは地球生物のリン酸カルシウムとコラーゲンの骨格よりもはるかに強靱だった。だから彼らは地球生物に比べ桁違いに大きい体を持ちながらも重力に逆らって体を支え、動きまわることができるのだ。
だが、巨大な自重を支えうるほど強い骨格の獲得は巨大化の本質ではないと牧野は考えていた。
生物のサイズに制約をかけるより本質的な要因、それは入手できる食物の量だ。
あまりにも当たり前のことだが、動物は生命を維持していくために食料が必要だ。
植物と違って動物は自ら有機物を作り出せない。だから動物は食物に含まれる有機物から取り出したエネルギーで活動し、体を成長させ、子孫を残す必要がある。
当然、体が大きいほど必要となるエネルギーの総量は多くなる。だから食物の乏しい環境では体の大きな生物は存在できない。
地球の動物で最大の生物量を誇るナンキョクオキアミが生息する南極海には、それを餌にして地球史上最大の動物シロナガスクジラが生息していたが、都会のビルの屋上の苔にはせいぜい微小なダニくらいしか生息できない。
生息場所に巨体を維持できるほどの食物がないとそもそも巨大化は不可能であり、いくらカーボンナノチューブ製の並外れた骨格を持っていても宝の持ち腐れに終わるだろう。それどころか特殊な素材の骨格はタンパク質やカルシウムなどのありふれた素材よりもコストがかかるため、生存上不利になり淘汰されてしまう可能性さえある。
ここでようやく、先ほどの浮遊生物の話と繋がってくる。
浮遊生物は大気中に空中プランクトンという豊富な食物があったから進化できた。空中プランクトンは豊かな森から火災により大気中に供給される養分に依存していた。
一方、超巨大生物は巨体を維持できるほど大量の食物があったからこそ進化できた。超巨大生物の食物は植物から他の超巨大生物まで様々だが、肉食性のものが食べている他の動物の肉も、食物連鎖をさかのぼれば植物が光合成で作り出した有機物に由来する。つまり超巨大生物もまた植物に依存していることになる。
両方が共通して指し示しているのは、この惑星あさぎりの植物の生産性の豊かさだ。それが空中生態系と同時に、超巨大生物の存在をも可能にしているのだ。
「言ってしまえばとてもシンプルな話です。あさぎりは地球に比べて植物の生産性が非常に高いのです。そして、その生産性の高さを支えているのは、植物の用いる光合成色素の多様さと、動物との共生、そして環境中の窒素やリンなどの栄養塩類や各種ミネラルの豊富さだと考えています」
この惑星の植物の葉の色が様々であることから、光合成に利用している色素の種類が何種類もあることは着陸直後の初期調査の時点ですでに判明していた。地球の植物よりも広範囲の波長の光を吸収できるため、あさぎりの植物は地上に入射する太陽光線のエネルギーを可能なかぎり無駄にすることなく光合成に注ぎ込めるのだ。
それに、この惑星の植物の多くが超巨大生物と共生していた。それも生産性を高める一つの要因だった。
とくにモリモドキの仲間は植物との共生に特化していた。体に着生させた植物で周囲に溶け込むこの超巨大生物は導管触手という特殊化した器官を持っている。それを使って時には何キロメートルも離れた遠隔地から水や養分を吸い上げてきて体に生えた植物に与えている。そのため植物が生育できない乾燥地でも、この生物の上では立派な森が育っていた。
そして第三の要因である、栄養塩類やミネラルの豊富さ。
この惑星に着陸してから三年間蓄積されてきた環境測定のデータはそれを裏付けていた。淡水、海水を問わず、それらの含有量は地球のレベルよりもはるかに高濃度だったのだ。
牧野はいつの間にか操縦室から出てきて立ち聞きしていた伊藤に話しかけた。
「伊藤さん、この惑星の地殻に含まれるリンや鉄、カリウムなどの割合はどうなってました?」
「地球とそう変わらなかったよ。環境中のリンやミネラルの豊富さはたぶん、地球よりも岩石の風化、浸食が活発なせいだと思うよ」伊藤は言った。
惑星に存在するリンやミネラル分の大半は岩石に含まれる鉱物中に閉じ込められている。
それが降雨や温度変化により浸食されて水中に溶け出すことで、はじめて生物が利用可能な状態になる。そのような岩石の浸食が活発に起きている場所の上空を、今まさにネオビーグル号は通過していた。大陸横断山脈だ。絶えず降り注ぐ雨により山脈の岩石は浸食され、下流に広がる積層巨木林に向けてミネラル分に富んだ河川水を供給する役割を果たしていた。
さらに、雨と共に降り注ぐ空中プランクトンの死骸が岩の隙間に入り込み、そこで腐敗して酸を発生させることで山脈の浸食を促進していることも考えられた。
また、超巨大生物も大地の浸食に一役を買っていると考えられる。
数百メートル級の超巨大生物が土地に及ぼす影響は甚大なはずだ。
最初に遭遇した超巨大生物であるオニダイダラは、表面の植生ごと岩盤を削り取り、背後に谷を刻みながら這い進んでいた。そして獲物のモリモドキに襲いかかるときは文字通り大地を砕きながら激走した。これらの超巨大生物が移動するだけでも山は砕け、大地は裂けるのだ。そしてそこからはミネラルが環境中に放出される。
浮遊生物や超巨大生物が岩石の浸食を助けて養分やミネラルの供給量を増やして植物の生産性を高め、植物の豊かさが浮遊生物や超巨大生物の存在を支える。
植物、浮遊生物、超巨大生物、これらの間に張り巡らされた何重ものフィードバックループこそが、あさぎりを超巨大生物の惑星にしたのだ。
牧野は話し終えた。
「……どうでしたか。何か質問はありますか」
「超巨大生物という、いかにも現実離れした存在が、突き詰めれば植物の生産性や栄養塩やミネラルの豊富さという地に足のついた、悪くいえば地味な理由で説明できてしまうなんて、なんだか妙な感じがするな」向井が言った。
「その通りですね。異常な物理現象や、この惑星だけに存在する超物質などを想定する必要はありませんでした」牧野は言った。
「この仮説を地球にも当てはめることができるでしょうか。この星ほどではないけれど、地球でも過去に生物が巨大化した時代はありましたよね。たとえば恐竜時代とか。その時代は栄養塩類やミネラルが豊富だったりしたんですか」近藤が言った。
牧野に代わり、まさにその分野を専門とする絶滅動物学者の向井が答えた。
「興味深い指摘だな。恐竜時代、すなわち中生代は気候が温暖で植物が多かった。地殻変動は活発で、超大陸パンゲアが二つに裂けてゴンドワナ大陸とローラシア大陸になり、それがさらに分裂して現代の各大陸が生じた。その過程で浸食が活発になり生物圏に大量のミネラルが補給された可能性はあると思う」
それに地質学者の伊藤が付け加えた。
「あと、地球史における大規模な浸食現象といえば全球凍結があったね。その直後に生物の大型化が起きているよ。ただしこの場合は顕微鏡的なサイズから数十センチになっただけなんだけど、倍率としては百倍から千倍という急激な大型化だ」
全球凍結とは約七億年前に地球の全表面が氷河に覆い尽くされた事件だ。やがて、大気中の二酸化炭素濃度上昇による温室効果で氷河が消えると、氷河に削られた岩石から大量のミネラルが流出して海に流れ込んだと言われている。その直後に突如としてそれまでの時代より大型の化石が出現している。ミネラル分の増大が生物の巨大化をもたらしたという点は惑星あさぎりと共通していた。
その後も科学者たちの議論は少し続いた。
やがて積乱雲が林立する空域にさしかかると、ネオビーグル号を激しい揺れが襲い始めた。隊員たちは議論を中断して座席に収まり安全ベルトを締めた。
牧野は高梁が握らせてくれた酔い止め薬を服用し、自説の発表と質疑応答の後の心地よい疲労感とともに目を閉じた。
伊藤も操縦室に戻った。
「ご苦労さん。調子はどうだい」伊藤は隣の席に座るパイロットの小林に声をかけた。
「問題ないですよ」小林は難所を乗り切るため操縦に集中していた。
機の前後左右は積乱雲に取り囲まれていた。巨大に成長した積乱雲は成層圏にまで達し、その上部が金床雲になって広がっていた。機は激しい気流に翻弄され、吹き飛ばされそうになりながらも雲の塔の間をすり抜けて飛んでいく。
その時、操作パネルの一角で表示が瞬き、控えめな警報音が鳴った。
「……上空より正体不明の巨大物体が高速で接近中です」
小林が静かに告げた。