表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/116

第41話 樹上探索

 翌朝、隊員たちは樹上に生息する生物の調査に出発した。


 搭乗口の扉を開けた途端、彼らを出迎えたのは湿度100パーセント超の高温多湿な森の空気だった。隊員たちの服はすぐにぐしょ濡れになり、髪の毛からは水滴が滴りだした。

 森は濃霧に覆われ、地上はおろか隣に生えている大樹さえ見えない。生い茂る植物もネオビーグル号の機体も、周囲のすべてが朝露に濡れていた。


 ガス圧発射式の短針銃を手にした橘を先頭に、隊員たちは枝の上を一列になって歩いていった。

 ほぼ水平に伸びる枝は幅約十メートル。その表面は様々な着生植物にびっしりと覆われていた。だが、その上面中央付近だけは何も生えておらず細い道のようになっていた。おそらく枝の上を通行する樹上動物がつけた獣道だろう。

 獣道のおかげで移動は比較的楽だったが、ここは地上三百メートルの高さだ。万一の転落を防ぐため、枝にくさびを打ち込み、そこに命綱を張りながら慎重に進んでいった。


「静かだな」向井が言った。

 人間による環境破壊や酸素濃度低下によって消滅する前に撮影されたアマゾンや東南アジアの熱帯雨林の映像では、朝の森は必ずと言っていいほど鳥のさえずりの声に満たされていた。しかし、この惑星あさぎりの森は不気味な沈黙に包まれていた。聞こえてくるのは何かが植物の中をかさかさ動きまわる音と、小型飛翔動物のうなるような羽音だけだ。


 近藤は数歩ごとに立ち止まっては植物の採集をしていた。その目は興奮に輝いていた。

「すごいですよ。はじめて見るものばかりだ。居住区の付近に生えている種類とはまったく違います。それにこの多様性……。実に興味深い。いや、本当に来て良かった」


 植物学者の近藤が興奮するのももっともだった。うごめく黒い文字のようなものが表面に浮き出た葉、らせん状に渦を巻く紫色の葉状体など、着生植物は奇妙なものばかりだった。風もないのにざわざわと動くツタなど植物なのか擬態した動物なのか判然としないものも多い。ときおり足下から四角く平たい生物が飛び出し、手裏剣のように空中を回転しながら霧の中に消えていった。



 十分ほど歩くと樹幹に到着した。

 枝と樹幹の分岐点は大きく窪んでいて、そこに水が溜まって大きな池になっていた。池の周囲には人の背丈をはるかに超えるほど成長した着生植物が密生していた。

 隊員たちは茎をかき分けるようにして先へ進み、池の水際に出た。水の中には植物の根が四方八方から伸びていた。この池は地上から遠く離れた樹上で着生植物たちの貴重な水源となっているようだった。水辺には一メートルくらいの青黒い甲殻類のような生物が群がり、水中に生えた藻を食べていた。高梁はしゃがみ込んで容器に池の水のサンプルを採取した。


 隊員たちはすぐ奇妙なことに気付いた。池に小川が流れ込んでいたのだ。

「木の上に川だと?」向井が言った。

 それは樹幹を伝い、上から流れ落ちてきているようだった。だが、雨は昨日の森林火災の直後以来降っていなかった。この水はどこから来たのか。

「そうだ、霧ですよ。霧の水分が葉や枝に結露し、それが幹伝いに合流しながら流れ落ちてきてるんですよ。自らが必要とする水を、自分たちで集めていることになりますね」近藤が言った。


 その時突然、黒い水面を破って長い首を持つ巨大生物が現れた。それは鋭い歯で水辺の甲殻類に噛みつくと一瞬にして水中に引きずり込んで消えた。やがて波が収まると池は再び以前の静けさを取り戻した。

「あまりここで長居をしない方がよさそうだな」橘が言った。

「仕方ない。戻るとしよう」向井が言った。


 隊員たちは元来た道を引き返していった。

 往復の道中、牧野は常に何者かに見られているような気配を感じていた。おそらく茂みの奥に潜む樹上動物だろう。そいつは牧野の前に一度も姿を現すことはなかった。

 後でその話をすると他の隊員たちも何かの気配を感じていた。確かに彼らのすぐそばに何かがいたのだ。だが誰もその姿を見ていなかった。以前、居住区を襲った鳥型生物のように完璧な擬態能力を持っていたのかもしれない。その生物が臆病で彼らを襲おうとしなかったことを感謝する他なかった。



 ネオビーグル号では今後の方針が話し合われた。

 リーダーの伊藤は居住区への帰還を考えていた。

「昨日から考えてたんだが、ここはいったん居住区に引き返したほうがいいと俺は思うんだ。……ま、待って、ちょっと最後まで聞いてくれ。もちろん、生物学者諸君がまだまだ調査したい気持ちは十分理解できる。だけど、我々には圧倒的に準備が足りなかった。当初はここまで来る計画ではなかったからな。酸素濃度が高すぎるせいで火災が起きやすく、気軽にレーザーが使えないのも想定外だった。昨日の火事は幸いすぐに消えたけど、あれだってもっと広範囲に燃え広がってたおそれもあるんだぞ」


「その通りだ。発火させるおそれがなく、ガス銃よりも強力な武装が是非とも必要だ。ガス銃だけで身を守るのはあまりにも心許ない」橘が言った。


 そこで伊藤がさらにダメ押しした。

「こいつを見てくれ。昨日の深夜に撮影された機外の映像だ」

 伊藤は自分の端末画面を隊員たちに見せた。ネオビーグル号の屋根の上に設置された暗視カメラの映像には発光生物が飛び交う夜の森が映っていた。時間を進めると、やがて画面の隅に何か大きなものが現れた。カメラは自動的にそれに焦点を合わせた。奇怪な頭部に並ぶ鋭い歯列と巨大な牙は見落としようがなかった。それは明らかに捕食動物だった。これに襲われたら人間などひとたまりもないだろう。それはネオビーグル号のすぐそばまで接近したが、しばらくすると枝の上を去って行った。


「わかるか、枝の上も決して安全な場所じゃないんだ。たまたま今回こいつは何もしなかったが、もし空腹だったら話は違ったかもしれない。この森は一筋縄で行く場所じゃないんだ。長期間滞在しながら探検するためには事前にもっと入念な準備が必要だ。またいつか、改めて来ることにしようじゃないか」伊藤は言った。


「……その通りだな。俺も帰還に賛成する。すでに成果としては十分すぎるほどだ。この探検では本当に貴重な経験をさせてもらった。森を傷つけてしまったことだけが心残りだ」向井が言った。


 牧野と高梁それに近藤と、残りの生物学者たちも帰還に同意した。



 その日の午後、ネオビーグル号は巨樹の森を離れて北上を開始した。

 その途中、昨日の森林火災の焼け跡の上を通過した。

 驚いたことに、昨日は灰と煤に覆われ森の中の黒い穴のようになっていた焼け跡はすでに緑色を帯びていた。林床では樹冠が焼け落ちたおかげで地上にまで日光が届くようになり、降り積もった灰の層を突き破って夥しい数の芽が伸び出していた。何年も地中で眠っていた種子が発芽したのか、それとも新たに出現した空白の土地をいち早く支配するべく周囲の森林から侵入してきたのかはわからない。

 枝葉を失い黒い巨塔のようになっていた樹幹でも、ちらほらと緑の葉が芽吹いていた。


「なんという旺盛な再生力だ。すごい」向井が目を見張って言った。


「きっとこの森の植物は定期的に発生する森林火災に適応して進化しているんでしょう。だからこんなにも素早く立ち直れるんです。あくまで推測ですが、火災が植物のライフサイクルを進め、健全な世代交代を促すために必須のプロセスになっている可能性すらあると思います」近藤が言った。


 今後、森がどのように再生していくかを継続して観察するため、リモートカメラを一機投下し、定点観測を続けさせることにした。



 ネオビーグル号はさらに高度を上げ、上空高くに舞い上がった。

 牧野は窓から眼下を流れゆく森を見下ろした。一本の大河がゆるやかに蛇行しながら森の中を流れている。その茶色く濁った水の中を一体の超巨大生物が闊歩していた。

 それは足が八本生えた竜脚類の恐竜のように見えた。背中や長い首の横からは鋭い棘が多数飛び出していた。それはまさに人間がはるか昔から思い描いてきた怪獣そのものの姿だった。やはりここは人知を超えた怪獣たちの世界なのだ。



 珊瑚礁のように何千世代にもわたり積み重なって形成された巨大な幹と、何層にもおよぶ樹冠と着生植物相からなる特異な構造を持つこの森林を、彼らは積層巨木林と命名した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 星野之宣先生のマンガを思い出しますね。 巨大生物の跋扈する未知の惑星というのはSFでは古典ともいうべき定番ですが、そこに独自の理論付けをしているところが現代のSFらしくて良いです 完結し…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ