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第40話 焼け跡

 土砂降りの激しい雨は約三十分間続いた。

 雨が止むと、森から立ち上る煙の色は白く変わっていた。


「どうやら鎮火したようですね」牧野は言った。

「……火災現場がどうなったか見に行こう」伊藤が言った。


 ネオビーグル号は火災現場に引き返していった。

 ひとしきり雨を降らせた後、空一面を覆っていた火災積乱雲は急激に崩壊してちぎれ雲に変わり、その隙間から午後の青空が覗きはじめていた。そこから斜めに差し込む太陽光線で空に大きな虹のアーチがかかった。


 やがて火災現場の上空に到着した。

 そこはまるで森の中にぽっかりと開いた黒い大きな穴のようだった。


 火災現場の森は痛々しい姿を晒していた。

 樹冠だけでなく、無数の着生植物や林床の下生えなどすべての緑が焼き尽くされていた。黒く焼け焦げた巨大な幹のみが、まるで巨人の墓標のように灰に覆われた大地に立ち並んでいた。火は完全に消えたわけではなく、まだいたるところで残火がくすぶっており、炭化した木からは白い煙がもうもうと立ち上っていた。

 そして、そこには夥しい数の動物たちの焼死体が転がっていた。

 狂ったように逃げ惑っていた地上の小型生物、それらにおびき寄せられた中型、大型の捕食者。大小様々な生物たちは等しく炎に焼かれて息絶えていた。


「ああ……、なんと言うことだ」眼下に広がる光景を一目見て、向井はがっくりと肩を落とした。


 だが、その場にいたすべての生命が死に絶えたわけではなかった。

「あれを見てください」牧野は窓の外を指さした。


 業火に焼き尽くされ焦土と化した森の中で、二体の超巨大生物はまるで何事もなかったかのように戦い続けているではないか。体表が多少煤けてはいるが、炎で重いダメージを負った様子はまるでない。


「あいつら、あの火災をほぼ無傷で乗り切ったというのか」向井は唖然として言った。

「なんちゅうバケモンだ。信じられん」伊藤が言った。


 彼らの勝負はまだついていなかった。

 大顎の超巨大生物は左右から相手の胴体を挟んだままで、対する触手の超巨大生物は象の鼻のような太い触手を相手の体に巻き付けたままだ。


 ひょっとして、この状態が何日も何週間も続くのかもしれない。

 牧野がそう思ったとき、形勢が動いた。

 大顎から力が抜け、相手の胴体を放した。同時に、触手の締め付けも緩んだ。これまで密着して組み合っていた二体の超巨大生物は後退してお互いから離れた。


 触手の超巨大生物の胴体には大顎によってつけられた深い傷口が開いていた。そこからは大量の血液が流れ落ちていた。巨獣はよろめくような足取りでさらに数歩あとずさった。


 大顎の超巨大生物も消耗しているようだった。体を覆う硬い甲殻には数箇所で亀裂が走っていた。

 それは大顎の先を相手からそらすと、90度左に向かって方向転換を開始した。胴体側面に並ぶ鋭いスパイクの列を相手に見せつけながら、大顎の超巨大生物は戦いの場からゆっくりと立ち去りつつあった。


 触手の超巨大生物はそれを油断なく見つめていたが、やがて戦いの相手がこの場から完全に去ったことを確認すると、前方に向かって足を踏み出した。小山のように盛り上がった背に夕日を浴び、呼吸孔から噴き出す蒸気の雲を背後にたなびかせながら、触手の超巨大生物は焼け跡の外に広がる樹冠の影の下に消えていった。


 後には焼き尽くされ、踏み荒らされた戦いの場だけが空虚に残された。そこに動くものの姿はなかった。ただ黒い巨塔のように焼け残った樹幹だけが、白い灰に覆われた地面に長々と影を落としていた。


「……引き分け、か」伊藤が言った。

「双方、致命傷を負うことを避けたようだな」向井が言った。


 人間にとっては天地を揺るがすような巨獣同士の激闘だったが、案外、当人たちにとっては偶発的に縄張りを侵した相手に対する威嚇程度の意味合いしかなく、相手を本気で殺そうとしたものではなかったかもしれないと牧野は考えた。

 超巨大生物の生息密度の高いこの森では、超巨大生物同士の遭遇の頻度は高いはずだ。その度に殺し合っていれば個体数が激減してしまうだろう。そこで普段は致命傷を負わない範囲での威嚇で済ませ、本格的な闘争に発展することを避けている可能性が高かった。



「日が沈む。きれい……」高梁が言った。

 空を美しい夕焼けで染めた後、地平線まで続く樹幹の向こうに太陽は没した。


 この森ではじめて夜を迎えるにあたり、一番安全そうな場所として樹冠の頂き近くにある大枝の上が選ばれた。そこなら超巨大生物に踏み潰される心配もなく、夜を過ごすことができるだろうという考えからだ。


 地上三百メートルの高さに張り出したその太い枝はネオビーグル号が着陸してもびくともしなかった。枝の上には様々な着生植物が生い茂っていた。樹上には超巨大生物こそいないものの、体長三メートル程度の生物はたくさん棲息していて、周囲の枝葉の中で何かが動きまわっている気配が絶えることはなかった。


 当然の用心として、防衛システムを展開し、大型の生物が接近したときは自動的に迎撃して追い払うようにした。防衛ドローンやネオビーグル号本体の武装はレーザーからガス圧発射方式の短針銃に変更された。威力は数段落ちるものの高濃度酸素による火災を防ぐため、やむを得ない措置だった。

 安全のため隊員たちは外に出るのは避け、機の中に閉じこもって一夜を過ごした。向井は夜間にも関わらず生物採取に出たがっていたが、リーダーの伊藤は夜間外出禁止を命じた。


「夜行性の生物が観察したいだって?いい加減にしろよ。暗闇の中で枝から足を滑らせたらどうする。それに大型捕食生物に襲われても助けられないぜ。なんせこの森では火器は使えないしな。一晩ちょっと大人しくしててくれよ」

 向井に話す伊藤の口調は心なしかいつもより棘があった。昼間の森林火災の時、興奮した向井に罵られたことが尾を引いているのかもしれなかった。



 牧野は翌朝の採取に備えて準備を整えた後、いったんは寝袋に潜り込んだ。だがなかなか寝付けなかったので寝台から降りて窓から夜の森を眺めることにした。

 夜の森は生物発光の光に満ちていた。

 暗闇の中を赤、緑、青など様々な色合いの燐光、蛍光が動き回っている。一列に並んだ光点がリズミカルに点滅を繰り返しながら枝の上をゆっくりと移動していた。ぼんやりとした赤い光が空中を漂っていた。遠方でときおり、青緑の強い光がぱっと一瞬だけ閃いて消えた。あれらの光を放っているのはいったいどんな生物なのだろう。いつまで見ていても飽きることがなかった。


 誰かが機内通路をこちらに歩いてくる足音がした。

「……まだ起きてたんだ。何してるの」高梁だった。

「眠れないもんで外を眺めてた。ほら、きれいだぞ」牧野は窓の外を示した。

 高梁は牧野のとなりに座り、窓に顔を近づけた。

「ほんとだ。なんだか深海みたい」高梁はしばし夢中になって点滅する無数の光点を見ていた。


「あれ、何だろう」高梁が言った。

 遠く離れた地上で、何か大きなものが動いていた。

「巨大生物だ。それにしてもあの姿……」


 六本脚で歩むその巨大生物の全身は青白く発光する模様で飾られていた。斑点、蛇の目、縞模様などの複雑な模様がたえず形を変えながら体の表面を頭部から尾部に向かって流れていた。背中や尾から突き出た無数の突起や触手の先端は特に鮮やかな光を放っている。

 その姿は神秘的で美しく、人間が見てはならない神々しい存在を目にしてしまったような、どこか後ろめたい気分にさえさせられた。


 高梁の瞳はその生物の光を受けてきらめいていた。

「……今日はすごい一日だったね」

「ああ、そうだな。雲の中の生態系から始まって、巨木の森に、超巨大生物の戦い。それに森林火災か」

「それに光る巨大生物まで。なんだか頭がくらくらしてくる」

「たしかに人間が一日にこれだけ未知のものに出会うなんてまずないよな。脳の容量がキャパオーバーしかけてるのかもな」


「わたし、今でも現実感がないんだ。地球から遠く離れた惑星にいて、超巨大生物を観察してるなんて。実はこれ、夢なんじゃないのかなって、よく思う」

「わかるよその気持ち。俺なんて清月総隊長にスカウトされるまで、ドームの外の川にいる、ちっぽけな小動物の調査なんかしてたんだぜ。それが今、こんな星にいるなんてな」

「信じられないよね……」


 そういえば、高梁は地球では何の研究をしていたんだろう。これまで聞いたことはなかった。


「いまさらそんなこと聞くんだ。ふつう隊員の経歴なんて出発前に全部頭に入れとくと思うんだけど。ほんと変わってるよね、牧野さんって」「悪かったな」

 隊員随一の変人の高梁にそう指摘されたのは地味にショックだった。だが、たしかに少し抜けているのは自分でも認めるところだった。


「私の研究テーマだけど、侵略者微生物と地球原産バクテリアの共生体形成を制御する分子的メカニズムを調べてた」

「それって、もしかして、例の侵略者微生物撲滅のための国際合同プロジェクトに参加してたってことか」

「そうだけど」「……お前って、めちゃくちゃ優秀だったんだな」


 研究者としては、彼女は牧野よりもはるかに上の存在だった。どこか風変わりで子供っぽい言動などから、これまで何となく高梁のことは軽く見ていたが、今更ながらそのことを謝りたくなった。


「でも、それって人類の未来を左右する重要な研究だろ。それを中断してこの星に来てよかったのか」

「うん。競争激しい分野だし、私が抜けてもきっと他の誰かが結果を出してくれるはず。それよりも未知の世界を探検するほうが面白そうだなと思って。清月さんに誘われて、反射的にこっちを選んじゃった」


 光る巨大生物はいつの間にか姿を消していた。


 機内通路の奥にあるトイレに誰かが入った。約一分後、用を済ませた人物がこちらに向かってすたすたと歩いてきた。伊藤だった。

「ん、こんな夜更けに何かあったのかい。……あ、お二人さんの邪魔しちゃったかな。これは失敬」

「いや、そんなんじゃないですから」牧野は慌てて否定した。

「いやいや、どうぞごゆっくりと。それでは」伊藤は足早に去って行った。


「なんか勘違いされちゃったかな」牧野は言った。

「そうだね。……もう少し話ししててもいい?」高梁が言った。なぜか彼女は少しうれしそうに見えた。

 それから牧野はさらに小一時間ほど高梁と取り留めのない話を続けた。やがて二人は別れ、それぞれの寝台で眠りについた。

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