第38話 積層巨木林
雲間から抜け出したネオビーグル号は、眼下に広がる緑の魔境に向けてゆっくりと高度を下げていった。
アルファ大陸の赤道付近と、南半球を広く覆う大森林地帯。そこに繁茂する巨大な樹木や、多数生息する超巨大生物のことは衛星軌道上からの観測で早い段階から知られていた。だが、実際に隊員が足を踏み入れるのは今回が初めてだった。
ネオビーグル号の下に広がる濃緑の森は、照りつける熱帯の太陽を浴び、大陸横断山脈に源を発する幾筋もの大河から豊富な水と養分を供給されて、地平線の彼方まで隙間なく地上を覆い尽くしていた。
その光景は、かつて地球上に存在したアマゾン川流域の熱帯雨林を彷彿とさせるものだった。
だが、決定的に違う点があった。
それはスケールだ。ここはすべてが非人間的なまでに巨大だった。
樹高五百メートルから、高いものでは千メートルを超える大樹がはるか下の大地からそびえ立ち、盛大に枝葉を伸ばして堂々たる樹冠を形成していた。一本の木の樹冠はまるでひとつの山のように大きかった。膨大な数の葉から蒸散された膨大な水蒸気は空中で水滴を結び、綿毛のような白い霧になって木々の間の空間を満たし、空に立ち上っていた。
森の上空を飛んでいる段階で、すでに窓の外は生物の気配で満たされていた。
半透明の翅を虹色にきらめかせ、体長三メートルはあるトンボのようなものがすぐそばを通り過ぎた。それは上空から集団で急降下してきた銀色の蜂のような生物にばらばらに引き裂かれた。
一センチくらいの小さなクラゲのような浮遊生物が何千何万匹と集まり、まるで巨大な蛇のような大群を形成し、空中をうねりながら森の上空を漂い流れていた。その群れにクジラのような大型浮遊生物が大口を開けて突っ込み、好きなだけ獲物を貪った。
「あれは何でしょう」近藤が言った。
とある樹冠に、まばゆく青く輝く物体が見えた。
「まさか人工物か?金属製にしか見えないぞ」向井が言った。
望遠鏡で拡大して見ると、それは差し渡しの直径が二十メートルほどの、八芒星型の物体だった。その上面は金属のような素材で覆われ、太陽光線を反射してギラギラと輝いていた。
「一見、幾何学的ですが、細部の形状をよく観察すると有機的ですね。間違いなく生物でしょう。金属のような輝きは、おそらく構造色によるものだと思います」近藤が言った。
構造色とは、色素ではなく組織の物理的な構造に由来する色彩のことだ。光の波長程度の間隔で並ぶ多数の薄膜で反射された光が干渉し合い、特定の波長で強く輝く特徴がある。地球生物の例であげればタマムシやモルフォチョウの翅などが有名だ。
「これは花なのか」向井が言った。
「ひょっとしたら、そうかもしれません」
これまで発見されたあさぎりの植物は、地球の被子植物と違い、花粉の運搬に昆虫などの小動物の媒介を必要としていなかった。バラムン樹などの一部の植物は、擬虫葉という飛行能力を備えた自前の器官を発達させ、その役割を果たしていたからだ。もしこれが花なら、この惑星ではじめて発見された花だということになる
同様の花は樹冠のあちこちで強い輝きを放っていた。
「これからさらに高度を下げて森の中に入る。何らかの巨大生物と遭遇する可能性が高い。橘さん、念のため武器の準備をしておいてくれ」伊藤が言った。
「すでに武器システムは起動している」橘が答えた。
「今度はちゃんと撃てるんだろうね」
「問題ない。システムはすべて正常、動作可能な状態だ。今回は砂に埋まってるわけじゃないからな」
「了解。じゃあ、降りるぞ」
ネオビーグル号は、樹冠に開いたわずかな間隙から、密生する枝葉の下の空間に入った。強烈な陽光が遮られ、辺りは一転して薄暗くなった。
森の中に入り込んだとき、ネオビーグル号の隊員たちは自分が木々の間を飛ぶちっぽけな昆虫になったように感じた。
垂直にそそり立つ絶壁のような大樹の幹は直径百メートルを超え、でこぼこに隆起したその表面にはおびただしい数の着生植物が根を下ろして垂直の森を作り出していた。
その様子を観察していた植物学者の近藤が言った。
「この木、単一の個体ではありませんね。それどころか、一種類ですらない。何十種類もの植物の幹が何世代にもわたって積み重なり、融合して一本の『大樹』の幹を作り出している。そして、この幹は鉱物に変化しています。成分は……成分分析装置によると二酸化珪素を主体としているようです。おそらくここまで大きくなるのに何十万年もかかっているでしょう」
「無数の生物個体が永年積み重なってできた構造物。まるで樹木というより珊瑚礁みたいだな」向井が言った。
大樹の幹からは水平方向に太い枝が伸び、隣の大樹との間を橋渡ししていた。その太さは上を列車が通行できるほどだった。白い霧の中から不意に現れる枝を避けながら、機は注意深く飛んでいった。
巨大なのは植物だけではなかった。
当然、その森には住人がいた。
枝の上に何十トンもありそうなでっぷり太ったナメクジのような生物がうずくまり、着生植物を貪り食っていた。その皮膚はどぎつい極彩色の模様に彩られていた。
ネオビーグル号が通過した直後、突然、すぐそばの幹から巨大な鎌が飛び出し、空を切り裂いた。
あやうく難を逃れた隊員たちは驚いて後ろを振り返った。そこにはムカデとカマキリの合いの子のような巨大生物の姿があった。樹皮そっくりに擬態したそいつは、樹の幹に張り付いて獲物が通りかかるのを待ち伏せしていたに違いない。
獲物を取り逃がしたその怪物は再び幹の一部に溶け込んだ。
さらに高度を下げて密生した枝葉から離れると見通しが良くなった。
森の地上は超巨大生物たちの世界だった。
すぐ目の前に、文字通り動く山のような超巨大生物がいた。頑丈な後ろ足と太い尻尾で体重を支え、上体を高く直立させて歩くそれは、まさに伝説の怪獣そのものだった。その身長は百五十メートルを軽く超えていた。
怪獣の背中には赤いヒレが生え、頭部には鋭い角が林立していた。この星の生物に特徴的な上下左右の四方向に開く顎は上下方向が特に発達し、縁がギザギザの鋭いくちばし状になっていた。
頭部に並ぶ六個の眼はギラギラと赤い輝きを放ち、周囲のすべてを睥睨しているかのようだった。
その巨体の周囲には、まるで取り巻きのように小型、中型の飛翔生物がまとわりつくように飛び交っていた。おそらく怪獣の皮膚に住む寄生虫か、足下から慌てて逃げ出す地上の小型生物を狙っているのだろう。
隊員たちは怪獣の威容に言葉を失っていた。
怪獣はすぐ頭上を通過するちっぽけなネオビーグル号に一瞥をくれることさえなかった。
少し進むと、先ほどとは別種の超巨大生物と遭遇した。
全身を黒く硬い装甲に覆われたそれは、巨大な爬虫類のように森の地面に身を伏せていた。全長は長い尾を入れて約二百メートルはあるだろう。四方向に開く顎のうち左右の対が極度に発達し、クワガタムシの大顎のように長く伸びていた。体の両側面からは縁が鋸歯状になった鋭いスパイクの列が飛び出している。
それは大顎を目一杯広げ、もう一体の超巨大生物と対峙していた。
全身が緑と褐色のまだら模様に彩られたそれは、頭部から十本の太い触手を伸ばしていた。一本一本の触手は象の鼻のように筋肉質で逞しい。山のように盛り上がった巨体の大きさはもう一体の怪獣を上回り、全長三百メートルに達していた。脇腹で開閉するスリット状の呼吸孔からはもうもうと白い湯気が立ち上っている。それは相手を威嚇するように触手を大きく振り上げていた。
大顎と触手。二体の超巨大生物のもたらす一触即発の雰囲気に、森は緊張に包まれていた。周囲に生息する無数の小型、中型の生物さえ息を潜めているのが感じられる。
迂闊にも、その緊迫の場にネオビーグル号は踏み込んでしまったのだ。なるべく彼らを刺激しないよう、この場を立ち去るのが正しい選択だろう。
その時だった。
機の正面に一体の奇怪な飛翔生物が現れた。
頭上で回転する黒いプロペラ状の翼の下に、不気味なほど人間の眼球に似た器官がぶら下がっている。その一つ目はじっと操縦席を覗き込んでいた。
「なんだこいつ、気持ち悪い」伊藤が言った。
次の瞬間、空飛ぶ眼球の黒い瞳孔がぎゅっと収縮し、操縦席に向けて何かを発射した。眼球が続けざまに撃ち出す弾丸は操縦席のキャノピーに当たって潰れ、黒い液汁をまき散らした。
パイロットの小林は急いでワイパーを作動させたが、黒い粘液はガラスにへばり付いてなかなか取れない。
「このままでは前が見えなくなる。橘、早くこいつを撃ち落としてくれ」伊藤が言った。
「了解。ただちに排除する」橘は端末でレーザー砲の発射ボタンを押した。
それとほぼ同時に牧野は叫んだ。「待ってくれ、レーザーはまずい」
だが、牧野の言葉は間に合わなかった。
機体下部に取り付けられたレーザー照射器から糸のように細い紫の閃光が走り、眼球生物を貫いた。
高出力レーザーの直撃を受けた眼球生物は火花を散らして激しく燃え上がった。
燃えさかる眼球生物は炎の尾を引きながら、真っ逆さまに落下していった。
「……この星はもともと酸素濃度が高いが、特にこの大森林地帯は大量の植物による光合成で一段と酸素が濃くなっている。つまり、非常に発火しやすい環境なんだ。迂闊なレーザー射撃は森林火災を招く危険が高い」牧野はうなだれながら言った。
「どうしよう、なんてことをしてしまったんだ」伊藤が頭を抱えて言った。
「あの炎が周囲に燃え移らなければいいが」向井が言った。
燃える死骸は睨み合う二体の超巨大生物の間の空中をスローモーションのようにゆっくりと落下していった。
落ちていく炎を映し、二体の怪獣の眼が赤く光った。
死骸はついに両者の中間の地面に激突し、花火のように弾けて砕け散った。
森の地面がばっと燃え上がった。
次の瞬間、二体の超巨大生物は同時に地を蹴り、互いに向かって巨体を突撃させた。