第3話 隊員集結
調査隊への参加を表明してから二週間後、清月からの連絡が入った。
東京で参加メンバーの初顔合わせと、調査計画の具体的な説明を行うという。
牧野は慣れない正装に身を固め、リニア軌道で東京に向かった。
飛ぶように過ぎ去る車窓には、雑草に埋め尽くされた原野と雑木林がどこまでも広がっていた。ときおり、気密式住宅が集まった小規模な集落や、前世紀の地方都市の廃墟が緑一色の風景の中に点在していた。ほんの百年前まで、本州の平野部が農地や宅地としてほとんど利用し尽くされていたとは信じられなかった。今では国土の大半が無人のまま放置されていた。
昼頃、静岡酸素ドームの廃墟の側を通過した。人口減で20年前に放棄されて以来、風雨に晒されて崩壊を続ける都市は、巨大な幽霊屋敷のような無残な姿を晒していた。
ここが東京か。リニア軌道を降りた牧野は圧倒された。
日本有数の地方都市とは言え、どこか寂れた雰囲気の漂う大阪とは違い、日本の全人口の7割、2800万人もの人口が集中する巨大都市はこの衰退の時代にあっても活気に溢れていた。東京、横浜、埼玉、千葉など首都圏一円を巨大な細胞膜のように覆う東日本連結酸素ドーム群。その下で無限に積層する有機合成素材のビル群と、その間を血管のように縫って伸びる鉄道と高速道路網。端末のナビがなければたちどころに迷子になってしまっただろう……。
集合場所に指定されていたのは、官庁街にほど近いとあるビルの会議室だった。
牧野は慣れない移動で疲れ果てながらも、集合時間までに余裕を持って目的地にたどりつくことができた。最新式の有機合成建材のビルのロビーは明るく快適で酸素が濃く、床には遺伝子操作された芝生の絨毯が敷き詰められていた。一目でエリートとわかる男女がきびきびとした足取りで廊下を行き交っていた。これまでの彼の人生ではまるで縁の無かった場所だ。牧野は緊張を覚えつつも、エリートたちと一緒のエレベーターに乗り込んで会議室を目指した。
会議室は地上80階にあった。このビルの上層階は酸素ドームの屋根の上に突き出しており、窓の外にはドームのだだっ広い屋上がのっぺりと広がっていた。遠くの空に輸送用の飛行船がゆったりと浮かんでいる。
牧野は自分の名が表示された席を探し、そこに着席した。
会議室ではすでに30人ほどが席に着いていた。
では、この人たちがともに惑星あさぎりに旅立つ仲間になるのか。
牧野は感慨深く思いながら会議室の中を見渡した。
年齢は皆、20代から40代までといったところで比較的若い年代が多い。これから主観時間で片道数年におよぶ恒星間の長旅と、何年かかるかわからない現地での任務に耐える必要があるのだから当然だろう。男女比は6対4の割合で女性が多かった。
前の席ではスーツ姿の女性が端末の資料に目を通していた。
並んで座っている体格の良い制服姿の男女4人は自衛官だろうか。
ふと、窓際の席に座っている人物を見た牧野は我が目を疑った。まさか、あれは……。いや、そんなはずはない。あんなものがこの調査に参加するわけがない。きっと見間違えだろう。牧野は動揺する自分に必死に言い聞かせた。
「あれれ、牧野さんじゃないですか?」
牧野は突然背後から声をかけられて跳び上がるほど驚いた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」
そこにいたのは、30代くらいの人の良さそうな小太りの男だった。
植物生理学者の近藤だった。以前、別の研究施設で働いていた時、彼とは共同研究をしたことがあった。
「……お久しぶりです。まさか、近藤さんも調査隊に参加されるんですか?」
「ええ、私も清月さんに声をかけられましてね。他の惑星の植物を調査するなんて、またとない機会ですから。逃す手はありませんよ」
「あれ、たしか近藤さん、結婚されてましたよね。小さなお子さんも二人いたはず……」
「はい、今回の調査に参加するため妻子とは縁を切りました。なかなかつらい決断でしたよ。家族か夢、どちらを取るか。あの惑星に行ってしまえばおそらくもう二度と家族とは会えないでしょう。仮に戻ったとしても、地球では百年以上が経過している。でも、私は自分の夢を追うことに決めました」
「そうでしたか。お辛いでしょうね」
牧野には配偶者も子供もいなかった。いちおう両親には別れの挨拶を済ませてきたが、牧野の家族はもともと縁が薄く、両親は牧野が成人したらすぐに婚姻関係を解消していた。挨拶に行くと二人ともそれぞれ新しいパートナーと仲良く暮らしていた。
「さいわい、私には家族も恋人もいないので、その点は気軽なものですよ」牧野は自嘲するように言った。
「寂しいこと言わないでくださいよ。ま、これから先、新しい出会いもきっとあることでしょう。会場を見ても若い女性が多いようですし。新しい人生、お互い頑張りましょうよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」牧野と近藤は固い握手を交わした。
やがて、予定されていた時刻となり、会合が始まった。
会議室に現れた清月は、初めて会った時と同じく全身から活力を放射していた。会場に集った人々を目力を感じさせる瞳で一人一人射貫くように見つめながら、清月は話しだした。
「今日はまず、この場に来る決断を下していただいた皆さんに、心からありがとうと言いたい!率直に申しますが、この任務に出発してしまえば、皆さんは家族や友人、恋人、その他、この地球の愛すべき人すべてと、もう二度と再会することはできないでしょう!」
清月は確認するように会場を見回す。
「……ですが、にもかかわらず、皆さんは未練を断ち切り、未知なる世界への挑戦を選択してくださった!その勇気ある決断に心より感謝します」清月は深々とお辞儀をした。
同時に、清月の背後のスクリーンが点り、白い雲霧に包まれた青と緑の美しい惑星の映像が浮かび上がった。二世紀以上前に探査機によって撮影された、惑星あさぎりの姿だ。
惑星の平面映像はスクリーンの表面から徐々に浮き上がり、立体投影に変化した。清月の頭上で、惑星あさぎりは優雅に自転を繰り返した。
「まずは、改めて自己紹介をさせていただく。私は清月鉱平。経済産業省、系外長期的プロジェクト推進室室長にして、惑星朝霧第二次調査隊の隊長を務めさせてもらう者です」
会場から軽くどよめきが起きた。
「まさか、清月さん自身も来るとはね。しかも隊長とは」
「てっきりスカウトマンかと思ってましたよ」会場の誰かが発言した。
清月はうなずいた。
「皆さん一人一人と面会を重ね、調査隊に適した人物か、隊長である私自身の目で十分に見定めさせてもらった。皆さん、いや、諸君にはこれから困難な任務が待っているだろうが、私とともに力を合わせ、戦い抜いてもらいたい。よろしく頼む」
清月は深く頭を下げた。
「では、さっそく本題に入らせてもらおう」
そして清月は調査計画の概要と、今後の予定について語りはじめた。
調査隊は新造の恒星船で惑星あさぎりに向かう。
光速に近い速度で航行する船内では一般相対性理論の効果で時間の遅延が発生する。目的地到着まで客観時間では70年近くかかるが、船内の主観時間では6年しか経過しない。人工冬眠はいまだ実用化されていないため、乗員は船内で多少退屈な時間を過ごすことになる。だが、その間にこなすべき訓練プログラムや教育カリキュラムはすでにたっぷりと用意してあるという。
目的地の星系に到着後、まずはセドナ丸に対する呼びかけを行い、船体および乗員の捜索に入る。
セドナ丸の状況パターンに応じ、第二次調査隊のその後の行動計画は大きく変化することになる。
まず第一のパターンが、事故による遭難だ。
核融合炉の爆発または小天体との衝突で船体が破壊され全員が即死しているケースだ。少数の生存者の子孫が原始状態に退行し、惑星上で細々と暮らしている可能性も考えられる。
この場合、事故調査班が原因を究明する。同時に着陸艇で惑星に降下し、生存者の捜索を行う。
「彼らが事故調査班のメンバーだ」
清月が会場の一箇所を指し示した。そこにはいかにも技術者といった感じの几帳面そうな数名の男女が席に着いていた。いずれも宇宙工学や軌道力学の専門家たちだった。彼らによりセドナ丸遭難の原因が突き止められたら、その結果を地球に報告する。その後、第二次調査隊はセドナ丸の成し遂げられなかった惑星あさぎりの調査および移民の任務を引き継ぐことになる。
第二のパターンが、通信のトラブルだ。
乗員たちおよびセドナ丸そのものは健在だが通信装置が故障している、または何らかの自然現象で通信障害が起きている可能性もある。第二次調査隊が到着した時点で、セドナ丸が惑星あさぎりに着陸してから二百年近くが経過しているため、当初の乗員はすべて死亡し、その子孫が植民地を建設していると予想される。
この場合、第二次調査隊は新たな星系を目指すか、セドナ丸の子孫のコミュニティに加わり、惑星開発に協力するか選択を迫られることになる。
自分たちがもたらす技術はセドナ丸子孫のコミュニティよりも数百年分進歩しているため、彼らの社会に劇的な変化をもたらすことになるだろう。慎重な対応が求められる。その時は外交班の出番だった。彼らは政府機関またはNGOの職員で、ユーラシア内陸部や南アメリカの文明崩壊地帯で活動経験がある人々だった。
そして、一番やっかいな第三のパターンがセドナ丸の乗員たちが地球から独立し、独自の国家、文明をスタートさせようと考えているケースだ。この場合、我々は招かれざる客ということになる。不用意な接近は相手側の敵対的な反応を引き起こす恐れがある。
外交班が交渉に当たるが、その努力が不幸にして失敗に終わった場合、最悪、自衛のための戦闘も考慮にいれておく必要があった。その時は軍事・安全保障班の出番だった。案の定、制服姿の四人の自衛官はそのメンバーだった。さらに民間軍事会社社員という肌の黒いいかつい外見の男もその一員だった。
「可能性は低いが、私としては他の星系に行ってまで人間同士で戦争をする、そんな悲しい事態にならないよう心から祈っている」清月が言った。
「俺もですよ、清月さん。そんなセコい戦いは勘弁してほしいっすね。百年以上遅れた武器しか持ってない連中をやっつけたってつまらない。どうせなら、俺はあの超巨大生物を仕留めてやりたいですよ」民間軍事会社の男、乾が腕組みしながら言った。ふんぞり返って大口を叩く乾を自衛官たちは冷ややかに眺めていた。
「上記いずれかの理由により、惑星あさぎりの調査、移民を行わないと判断した場合、我らは第二の目的地を目指すことになる。あさぎりの星系から七光年先の赤色矮星だ。そこにも地球型惑星が存在している。表面の大半を赤い海に覆われた星だ。百五十年前に中国の無人探査機が調査して以来、まだ誰も向かった者はいない。データは少ないが、あさぎりほど快適な星ではないことだけは確かだ。我々としては、できれば当初の目的地で旅を終えたいところだ」清月が言った。
調査計画の概略の説明後、質疑応答に入った。
そこでさっそく一人の女性が挙手し、発言を求めた。清月に促されて立ち上がった女性が自己紹介をした。
「私、矢崎真奈と申します。所属予定部署はソフトウェア担当班です。皆さんよろしく」目がつり上がり、見るからに気の強そうな女性だった。
「調査計画についてはたくさんお聞きしたいことがあるんですが、それよりもまず最初に、どうしても確認しておきたいことが一点。……あそこに座っている彼、あれも参加メンバーなのですか?率直なところ、私としては承服しかねます」矢崎は語気を強めて言った。
矢崎は窓際の席に座っている一人の人物に指を突きつけた。それは先ほど、牧野が目にし、我が目を疑った人物だった。
それは醜悪な男だった。
樽のように異様に膨れ上がった胸郭から、ひょろ長い手足が伸びている。押し潰されたような皺だらけの顔の中で、大きく広がった鼻の穴がやけに目に付いた。皮膚の色は黒褐色だった。
「新人類だ……」会場の誰かがつぶやいた。
大気中の酸素濃度が低下していく事態に対し、すべての人類が酸素ドーム内への撤退を選択したわけではなかった。一部の国家は低酸素環境下で生存可能な新人類を遺伝子操作によって作り出した。それが低酸素適応型新人類だった。