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第36話 砂漠に降る雪

 牧野はふと目を覚ました。

 見張り番に立つうちに、知らぬ間にうたた寝をしてしまったようだ。

 あたりが静まりかえっていることに気付いて、牧野は窓の外を見た。


 砂嵐は過ぎ去っていた。

 早朝の砂漠は静寂に包まれ、乳白色をした空の下でどこまでも広がっていた。数日間続いた猛烈な砂嵐で砂丘の位置は以前とはすっかり変わっていた。

 だが、変化はそれだけではなかった。


 それに気付いた時、牧野は我が目を疑った。

 あわてて、隣で眠りこけている高梁を揺り起こした。彼女は牧野とペアを組んで見張りについていたのだが、口の端からよだれを垂らしてすっかり熟睡していた。

「おい、起きろ」

「ん……」眠い目を擦りながら高梁が目を覚ました。「あれ、砂嵐、止んでる?」

「それより、窓の外を見てみろ」

 まだぼんやりした様子の高梁はふらりと立ち上がり、窓辺に歩み寄った。


「あれ、何これ。これって……雪?」高梁は言った。牧野はうなずいた。

 砂嵐が去った後の砂漠に、白い雪が舞い降りていた。



 牧野と高梁は搭乗口を押し開け、外に出た。

「すごい、これが雪か。はじめて見たよ」高梁がはしゃぎながら言った。砂の上に薄く積もった白い雪に足跡を残しながら駆け回っている。

「おいおい、まだ昨日の怪物が近くにいるかもしれないんだぞ。あんまり遠くに行くなよ。……だけど、ほんとに綺麗だな」雪は見上げた空から休みなく降り続いていた。早くも二人の頭や肩は白く染まりはじめていた。


 二人とも、これまでの人生で雪を見たことも、雪に触れたこともなかった。ドーム都市の中で生まれ育った彼らは自然の気象変化とは縁のない人生を送ってきた。それに、温暖化の進んだ二十五世紀の日本では北海道以外の地域で雪が降ることなどなかった。そのため、雪については知識としては知っていたが、体感としてはまったく知らなかったのだ。


 だから、奇妙な点に気付くのにも少し時間がかかった。


「あれ、この雪、溶けないね」

 高梁の手の平に乗った雪片は溶けて水滴に変わることもなく、いつまでも固体の形状を保っていた。

「それに、冷たくもない」牧野もようやくこれが普通の雪ではないことに気付き始めた。

「いったい、これは何なんだ」


 いつの間にか、開けたままの搭乗口に他の隊員たちが姿を見せていた。

「牧野さん、これは……雪ですか」近藤が言った。

「どうやら、違うようです」牧野は応えた。



 採取した雪もどきのサンプルを近藤が成分分析装置にかけると、答えはすぐに出た。

「水も若干含まれていますが、主成分はタンパク質などの有機物です。明らかに雪ではありませんね」近藤が言った。

「どうりで冷たくないわけだ」

「タンパク質ってことは、ひょっとして生物由来なのかな。ちょっと待って、顕微鏡持ってくる」

 高梁は簡易ラボにあわてて駆け込んだ。


 高梁の言った通りだった。

 顕微鏡の視野に映し出された雪片の拡大像は、プランクトンや植物の細胞のような複雑な形状をした微小な破片の寄せ集めだった。

「これ、前に見たことがあるよ」顕微鏡を見ながら高梁が言った。

「どこで見たんだ」牧野は聞いた。

「スナアミの消化管の内容物。たぶん、この雪みたいなのが、スナアミの食物なんだよ」


 砂丘の砂の中に高密度に生息し、サバククジラの餌になっている小型節足動物のスナアミ。彼らが何を餌にして膨大な個体数を維持しているかまったく不明だった。だが、高梁の発見でその謎が解けた。スナアミは雪のように空から降る有機物を食べていたのだ。有機物の雪をスナアミが食べ、スナアミをサバククジラが捕食する。砂丘地帯という植物の影すらない不毛の土地でサバククジラという超巨大生物が生息していられるのは、どうやらこの天からの贈り物のおかげらしい。

 だが、その発見は新たな謎を提起した。

 この雪は何に由来し、どこからやってくるのか。

「この有機物の雪、砂漠雪(デザートスノー)って呼ぶのはどう?」高梁が言った。



 牧野たちは再び外に出た。

 ネオビーグル号は砂とデザートスノーに半分ほど埋まっていた。昨夜襲来した怪物の攻撃で、翼の一部と機体上部の外殻が損傷していたが、思ったほど被害はひどくなかった。

 松崎と伊藤は破損状況を調べながら機体の周囲を歩き回り、修繕計画を話し合っていた。


 高梁は積もったデザートスノーを拾っては携帯式顕微鏡を覗き込んでいた。彼女の話では雪片に含まれる微細な構造物の種類は無数に存在するらしかった。地球の海に生息するプランクトンの一種、有孔虫や渦鞭毛藻類の殻を思わせる精緻で美しい形のものも多いらしい。植物学者の近藤は、花粉に似ているとも言っていた。


 牧野は地平線にかけて広がる砂丘を眺めていた。

 砂丘の上空では、ようやく上った朝日が乳白色のデザートスノーのとばりの向こうからぼんやりとした光を投げかけていた。


 その時、ネオビーグル号周辺にいた隊員たちの上に淡い影が落ちた。

 ふと見上げた牧野は、上空に不思議な物体が浮かんでいるのを見つけた。

 それは半透明のリボン状の物体だった。長さは五十メートルはあるだろう。それは全体をゆったりと波打たせながら微風に乗って漂っていた。


 近くにいた向井もすぐにそれに気付き、懐から双眼鏡を取り出して観察を始めた。

「まるで深海クラゲの一種のようだな。見てみろ、他に何体も浮かんでるぞ」

 牧野は向井から受け取った双眼鏡を覗いた。砂漠の上空を浮遊しているのはリボン状の物体だけではなかった。緑色をした毛羽立った風船状のもの、繊細な網目模様に覆われた白い円筒形のものなど、次から次に見つかった。それらの浮遊物は明らかに生物だった。それらは脈動しながら少しずつ高度を下げていた。

 牧野が覗く双眼鏡の視野の中で、今まさに一体の浮遊生物が砂丘の上に舞い降りようとしていた。直径三十メートルほどの、三段重ねになったクラゲのような美しい巨大生物だった。それは砂の表面に触れると、萎んだ気球のように平たく潰れて無様に横たわった。


「大気中を浮遊する生物でしょうか。それにしても、いったいどこから現れたんだろう」

「決まってるだろう。デザートスノーと一緒にやってきたんだ。砂嵐をもたらした季節風と一緒に南から」


 その時、着陸して潰れた浮遊生物の真下の砂地が激しく隆起した。

 砂丘を突き破って飛び出したのはひときわ巨大なサバククジラだった。これまで遭遇した中で最大の個体だ。それは砂の上に横たわる浮遊生物を軽くひとのみにすると、巨体を空中に踊らせ、まだ上空を漂っている浮遊生物の群れを丸ごと巨大な口腔に飲み込んだ。ほんの一瞬だが、この信じがたい大きさの巨鯨の体全体は完全に地面を離れ、空中に浮かんでいた。そのまま空に向かって飛んでいきそうに見える……。

 だがその直後、巨体は砂上に墜落し、爆発したかのように大量の砂塵を舞い上がらせた。数秒後、その衝撃音が牧野の耳に届いた。砂塵の雲が落ち着くと、巨鯨の姿はすでにそこにはなかった。


 その音に触発されたかのように、他のサバククジラも次々と姿を現した。降りしきるデザートスノーの中、彼らは相争うように砂中のスナアミや浮遊生物を捕食した。ほんの少し前まで静寂に包まれていた白い砂丘はサバククジラたちの饗宴の喧噪に満たされた。

「なんて数だ。まさか、こんなに隠れていたとはな……」向井が言った。

 隊員たちはつかの間、各自の作業の手を止め、この幻想的な光景に見入った。

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