第34話 砂嵐
それから数日間、ネオビーグル号は砂丘地帯に留まり、砂漠クジラの生態観察を続けた。
観察期間中に遭遇した砂漠クジラは七個体。最大が全長三百メートル超だったのに対し、最小の個体は十メートル程度にすぎなかった。かなりサイズ差があったが、別種ではなく成長段階の違いだと考えられた。
砂漠クジラは広大な砂丘地帯でも、砂の粒子がとくに細かく流動性が高い地域のみを回遊しながら暮らしていた。このように書くとかなり限られた領域に思えるが、その面積は広大で数百万平方キロメートルにおよんだ。
彼らはもっぱら砂中に大量に生息する節足動物に類似した小型生物を餌としていた。この小型生物をスナアミと命名した。スナアミは砂丘地帯にかなり高密度で生息しており、その分布数は多い所で一平方メートルあたり二万匹にも達した。スナアミは砂の表面から三メートルの深さにまで達する長いトンネルを掘り、その中で暮らしていた。地表の酷暑と乾燥を避けるための適応と思われる。
砂漠クジラたちはふだん深さ百メートル以上もの砂の中を回遊していたが、スナアミを捕食する時のみ砂丘の表層に浮上した。上下に開く巨大な口で表層部の砂を大量に飲み込み、下顎に生えたクシ状の器官でその中に含まれるスナアミを濾し取って食べていた。
砂漠クジラたちは人間の可聴域を下回る低周波でコミュニケーションを取っているようだった。彼らはつねに単独行動を取っているが、社会性がないわけではないらしい。何百キロも離れた所にいる仲間とも低周波で連絡を取り合っていることがわかった。視界ゼロの砂の中で障害物を感知したり、餌となるスナアミの存在を探知するのにも低周波を用いているようだった。
機体が砂に沈み込んでしまうため、砂丘にはネオビーグル号を着陸させることができない。しかし、幸いにも砂の海から頭を出した岩山があった。活動を停止した古い火山だった。砂漠クジラの調査中、隊員達はその小さな岩山の頂に着陸して夜を過ごしていた。
砂漠クジラの調査をはじめて四日目の夜だった。
「恒星船から連絡が入った。どうもこの先、天気が悪くなるらしい」伊藤が隊員達に告げた。
恒星船の気象観測班からの連絡によると、南から嵐が近づいているとの事だった。砂漠地帯では大規模な砂嵐が起きると予想された。危険なので砂漠地帯での調査を切り上げ、居住区に帰還すべきだと彼らは提言していた。
向井はもう少し調査を続けたがっていたが、提言に従うことを渋々と了承した。
「まあ、短い調査期間ながら、砂漠クジラの生態についてこれだけのデータを集めることができたからな。今回はこれで良しとするか。何より、全長百メートルの金色に輝くクジラが砂丘から躍り上がる光景を目にすることができただけでも、遠路はるばるやってきた価値があるというもんだよ」
向井の言うとおり、その光景はまさに壮観の一語に尽きた。
「明日の朝から北上を開始する。と言っても、砂漠地帯を完全に抜け出すまで三日はかかるが。それまでに砂嵐に追いつかれないことを祈ろう」伊藤が言った。
「よかったですね近藤さん、やっと奥さんや赤ちゃんと再会できますよ」牧野は近藤に言った。
近藤は毎晩、端末のビデオ通話で居住区の妻子と話していたが、帰還の話を聞いて早くも表情が明るく輝いていた。
だが、対照的に浮かない表情をしていたのは高梁だった。
「うーん、スナアミの消化管内容物の正体がわからないまま帰るのはすっきりしないなあ。未知の微生物の残骸みたいなんだけどな。あの子たちはいったい不毛の砂漠で何を食べてたんだろう」一度気になった研究テーマにはとことんまでのめり込む彼女らしかった。
「また来れば良いさ。この先ずっとこの星で暮らしていくわけだし、機会はきっとあるよ」牧野はそう言ってポンポンと高梁の頭を軽く叩いた。
だが、天候の急変は明朝の出発を待ってくれなかった。
夜半過ぎに風が強くなり始め、夜明け前には台風のような暴風にまで発展した。こうなってはもはやネオビーグル号を飛ばすことはできない。嵐が過ぎ去るまでこの場で待機するしかなかった。
暴風は大気中に大量の砂塵を巻き上げ、太陽を覆い隠した。すでに日が高く昇っている時刻にも関わらず、地上は仄暗い薄闇に閉ざされたままだった。暗い窓の外を轟音を上げて砂嵐が荒れ狂い、突風に煽られて機体が揺さぶられる中、機内に閉じこもった隊員達は心細い面持ちで早く嵐が過ぎ去るのを待った。
そうして一日が経過した。砂嵐はまだ続いていた。
そして、その次の日になっても嵐は収まらなかった。それどころか風の激しさは増すばかりだった。
砂塵の侵入を防ぐため、搭乗口や機体の開口部はぴったりと密閉されていたが、どこからか微細な砂埃が侵入し、機内は砂だらけになりつつあった。呼吸するだけで空気中を漂う砂埃が口や鼻の中に入り込み、砂粒は下着の中にまで侵入して全身の皮膚に張り付いた。どこもかしこもざらざらして不快きわまりなく、隊員達は一日に何度もシャワーを浴びたくなる衝動に襲われた。だが水の再生処理に時間がかかるため、シャワーの回数は一日あたり一回にきびしく制限された。
「これ、やばくないか」操縦室に立った伊藤が、窓の外の砂嵐を眺めながら言った。
「ああ、ちょっとまずいな。機体が耐えられるだろうか」機械整備担当の松崎が腕組みしながら言った。
「それに、あそこを見てみろよ」伊藤は窓の下を指し示した。
砂嵐で吹き寄せられてきた砂が堆積し、ネオビーグル号の機体の下半分を埋めてしまっていた。
「このまま砂嵐が続いたら、すっかり砂に埋まってしまうな」松崎が言った。
「そうなるまで放置しておくわけにはいくまい。いちど外に出て積もった砂を除去しなければ」安全保障班の橘が言った。いつも気丈な彼女にしては珍しく不安げな表情を浮かべている。
「うーん、たしか宇宙服が積んであったはずだよな。あれを着れば外に出れないこともないが……」伊藤が言った。
「問題は、誰がやるかだ」
牧野と向井、近藤、それに橘の四人は搭乗口から烈風が荒れ狂う機外にまろび出た。
搭乗口はエアロック式にも設定できたため、扉を開けた途端に機内に大量の砂が吹き込む事態は防げた。
「くそっ、なんて風だ」牧野はうめいた。降りた途端、吹き付ける暴風に体ごともっていかれそうになった。
「いやはや、まったくクジ運がないにも程がある」近藤がヘルメットの無線通信でぼやいた。
「仕方あるまい。誰かがやらなきゃらんのだ」向井が言った。
「よし、さっさと片付けるぞ」橘が言った。実際にはずれクジを引いたのは高梁だったが、さすがにこの危険な状況で小柄で頼りない彼女を外に出すのは不安があったので、橘が自ら代わりを買って出たのだった。
四人は半時間ほど必死にスコップを動かし、ネオビーグル号周囲に降り積もった砂を除去していった。だが取り除くはしから新しい砂が堆積していく。
「きりがない。とりあえず、今回はこれくらいにして戻ってきてくれ。みんなご苦労さん」機内にいる伊藤が無線で言った。
この様子では、この先何度も外に出て砂を除去する必要がありそうだった。
疲れ果てた牧野がネオビーグル号の翼の下をくぐり、搭乗口に向かっている時だった。
牧野は背後に気配を感じた。
あわてて後ろを振り返る。砂塵に閉ざされ視界は極度に悪い。しかし、ヘルメットのライトを反射して飛び交う砂粒の向こうの闇の中で何かが動いていた。かなりの大きさだった。ネオビーグル号くらいありそうだ。
「……おい、何かいるぞ」
無線なので聞かれる恐れはないが、自然と押し殺した声になって牧野は言った。