第30話 黒い骨
次の日、隊員たちは超巨大生物の死骸と遭遇した。
朝に湿地帯を飛び立ってから数時間が経過した頃だった。それは焼けつくような日差しが照り付ける乾燥した平原に横たわっていた。死後かなりの時間が経過していると思われ、ほとんど骨格しか残っていなかった。岩だらけの砂漠に転がるそれは超古代文明が残した遺跡のように見えた。
隊員たちはネオビーグル号を着陸させて詳しく調べることにした。
牧野たちは乾いた風の吹きつける平原に降り立った。
そこは見渡す限りの不毛の地だった。植物らしきものはほとんど見当たらない。動物の姿もない。いたとしても、昼間は暑熱を避けるため砂の中や物陰に潜んでいるのだろう。噴き出した汗は流れ落ちる間もなく蒸発していく。ひび割れた地面を踏みしめて彼らは死骸に向かって歩き出した。
その超巨大生物の骨は黒かった。落雷などで焼かれ炭化したのだろうか。
地上から見るそれはまるで巨大なオブジェのようだった。視界を遮る物のない平原に陳列された、ドームやアーチやスパイクを組み合わせた漆黒の抽象的彫刻作品。地面から立ち上る陽炎の向こうで、それは幻影のように揺らめいていた。
近づくとその巨大さが改めて実感された。一つ一つの骨は建物に匹敵するほど大きかった。長い年月を経て風化した骨の一部は崩れ去り、大量の黒い破片の山と化していた。頭上に連続したアーチを描く巨大な肋骨の下を潜り抜け、ストーンヘンジの巨石を思わせる骨の塊を縫って歩き回りながら、その映像を記録に残していった。
骨の周辺には鉄条網のような棘だらけの蔓植物がまとわりついていた。植物学者の近藤が採取しようとしたが繊維が強靭で、ニッパーを使ってようやく切断することができた。この蔓植物は骨の周辺にしか生えておらず、骨から栄養を得る特殊な植物かもしれなかった。
彼らは頭骨と思われるドーム状の骨の下に入り込んだ。
「ふぅ、ここは涼しいな。ちょっと休憩しよう」伊藤が言った。
伊藤の言葉通り、強烈な日の光が遮られた骨のドームの中はひんやりとしていた。骨の間を吹き抜ける風が不気味な笛のような音を立てていた。牧野はバッグから水筒を取り出し、水を一口飲み下した。ドームの天井付近に点々と開いた丸い穴からスポットライトのように光が差し込み、床を覆う砂の上に光の円を描いていた。それ以外の部分は暗闇に閉ざされていた。隊員たちは日差しを避けて暗がりで涼んだ。
「この骨が黒い理由、何だと思う」伊藤が聞いた。彼は続けた。
「ここに来るまで骨の組成を携帯型成分分析器で調べてきたんだが、その結果はなんと、驚くなかれ、カーボンナノチューブまたはそれに類似した炭素の同素体らしい。つまり、この黒さはカーボンナノチューブの色だったんだ」
カーボンナノチューブは炭素原子がチューブ状に配列した同素体で、軌道エレベーターのケーブルに使われるほど強靱な素材だ。その強度は鋼鉄の20倍にも達する。そんな物質を生物が体内で生成して利用しているとは信じがたい話だった。もちろん、地球にはそんな生物は存在しないし、おそらく過去にも存在したことはなかっただろう。
伊藤はドームの壁面に近づくと、拳で黒い骨を叩いた。カンカンと金属質の音が響いた。
「聞いたか、この音。全然骨っぽい音じゃないだろ。地球の生物のリン酸カルシウムの骨とは全然違う成分なのがこれだけでもよくわかる」
「……そうか、わかったぞ。カーボンナノチューブの骨を持っていたから、この星の生物はこれほどまでに巨大化できたのか」向井は言った。
「ご名答。これでこの星の生物の大きな謎の一つが解けたことになる。なぜ彼らはかくも巨大になることができたのか。答え、巨体を支えられる強度を持つ骨格を手に入れたから。リン酸カルシウムの骨を持つ生物の大きさの限界は、せいぜい中生代にいた全長三十メートルの竜脚類くらいだろう。そのサイズを超えると自重を支える事さえできなくなる。だがこのカーボンナノチューブの黒い骨なら、生物のサイズ上限を桁違いに押し上げることができるだろう」伊藤が言った。
「しかし、信じられんな。いったいどんな進化の道筋を歩んできたんだろう」向井が言った。
その時、それまで座り込んで水をがぶ飲みしていた近藤が口を開いた。
「ありえない話じゃないと思いますよ。地球の植物もある物質を手に入れることで飛躍的に進化しましたからね。
何億年も前、地上の植物は地面にへばりつくコケしかいませんでした。重力に逆らって体を支えることができなかったからです。しかし一部の植物がリグニンという物質を作りだしはじめました。リグニンのおかげで植物は細胞壁を強化し、茎を真っすぐに立たせることができるようになりました。その後ほどなくして古代の植物は高さ三十メートルを超える巨木にまで一挙に進化したのです。新たな物質の獲得が、その生物の限界を超えた進化を可能にすることがあるのです」
地球でも惑星あさぎりでも、生物の進化は人間のテクノロジーが及びもつかない離れ業を実現させてきた。だが、それなら何故、地球の生物はもっと強い素材の骨を手に入れられなかったのだろうか。ただ単純にそこまで進化するのに必要な時間が足りなかったのか、あるいは何か他に理由があるのか。伊藤たちの議論を聞きながら牧野は考えた。
その時、牧野は砂に埋もれた何かにつまづいた。
彼はその場にしゃがみ込み、砂を手で払いのけていった。地上に顔を覗かせている部分は小さかったが、その物体の大部分は深く地中に埋まっていた。途中で伊藤が砂を掘るのを手伝ってくれたおかけで、やがて、その全体像が少しずつ見えてきた。
「これは……何だ」
それは鏃のような形状をした三角形の物体だった。長さは一メートルほどで、根元には折れた跡があったことから、本来はもっと長かったのだろう。三角形の縁に沿ってセレーション、つまりギザギザが刻まれている。そして何より特徴的だったのはその材質だった。ガラスのように透き通り、光を反射して美しく輝いている。
「これは、……ダイヤモンドだ」携帯型成分分析器で測定した結果を見て、伊藤が言った。
「ダイヤモンドの歯か」牧野は言った。それはまさに歯だった。とりわけ、獰猛なホオジロザメの歯に酷似していた。
牧野はふと頭上を見上げた。この歯が埋まっていた場所のほぼ真上の天井には穴が開いていた。天井の穴の縁は眼窩のように滑らかになってはおらず、周囲には亀裂が走っていた。外からの力で穿たれた穴だ。その真下に歯が埋まっていたということは……。
「この歯、黒い骨の持ち主の物じゃないですね。おそらく、この超巨大生物を襲った何者かの歯です。その時の格闘で歯が折れ、生物の体内に食い込んだまま残ったものが、死後、肉が腐ってなくなるとともに砂の中に埋まったのでしょう」牧野は言った。
「そうかもしれないな。もしくは、この超巨大生物の死肉に群がったスカベンジャーの歯という可能性もある。少なくとも、強靱なカーボンの頭蓋骨に穴を開ける、鋭いダイヤの歯をもつ捕食者がいるという事は間違いなさそうだ」
研究のため、彼らはダイヤの歯を回収することにした。牧野と近藤の二人がかりで担ぎ上げ、ネオビーグル号まで運んだ。伊藤と向井はレーザーで切り取ったカーボンナノチューブの黒い骨のサンプルを運搬した。
超巨大生物の骨に残された歯の跡、そして堅い防備に身を守る湿地帯のハリジゴク。それに、体表に植物を生やし地形に擬態したモリモドキ。これらの証拠は、超巨大生物を狩る何かが存在することを明白に示唆していた。この地の生態系にこれほどの影響を及ぼすとすれば、それはオニダイダラよりも活発で、数が多く、より捕食に特化した生物に違いない。しかし、その候補となりそうな生物はまだ発見されていなかった。
いまだ姿を見せぬ未知なる巨大捕食者がこの大陸のどこかに潜んでいる。だが、奥地へと向かうこの探検の途上で、遠からず彼らと遭遇することになるだろう。牧野の直感はそう告げていた。