第28話 センリムカデ
写真に写っていたのは不毛の岩場だった。
ぎざぎざした岩山の間を険しい峡谷がひび割れのように走っている。その峡谷の底に超巨大生物は潜んでいた。
それはひどく気味の悪い生物だった。形状はムカデそっくりで、曲がりくねる峡谷に沿ってその長い胴体がどこまでも伸びていた。写真に写っている範囲では少なくとも三体がいるようだった。
「私はこれにセンリムカデと名付けた。推定体長はなんと最大で千メートル以上。いったいどんな生態を持った生物なのか想像もつかん。こいつともうすぐ会えるのが楽しみだよ」向井は心底待ち遠しそうに言った。五分刈り頭に顔の下半分を覆うもじゃもじゃの顎髭という印象的な風貌の絶滅生物学者は少年のように目を輝かせていた。
ネオビーグル号の下の平原は少しずつ標高を増し、やがて岩がちな丘陵地帯に差しかかった。さらに先に進むと衛星写真に写っていたと思われる場所にたどりついた。
そこはまるで針山地獄のような奇観だった。鋭く尖った岩山がその先端を天に向けて林立していた。地質学者の伊藤によると、おそらく石灰岩質の岩盤が長年にわたり雨水によって浸食された結果生じた地形だろうとの事だった。
「あ、いたぞ。あそこだ。止まってくれ」向井が声を上げた。
牧野にも峡谷の底に横たわるそれが見えた。無数の体節が繋がった長大な体。その両側に並ぶおびただしい数の脚。センリムカデだ。
ネオビーグル号は飛行速度を緩め、その巨大生物の上空に留まった。巨大なムカデのような生物は動いていなかった。さんさんと降り注ぐ日差しを浴びて、固い甲羅が赤黒く光っている。
「それにしても長いな。頭が見たい。こいつの体に沿ってゆっくり飛ばしてくれ」向井は操縦席に言った。
それに応え、調査機は蛇行する巨大ムカデの上を移動し始めた。その影が眼下に長々と伸びる巨大生物の上に落ちていた。いったいどこまで続いているんだ。こいつには端がないのではと思い始めた時、ついに終点にたどり着いた。それが頭部か尾部のはずだった。
「これって頭?それとも尻尾なの?」高梁が言った。
「さあ……」端部には付属肢か触角のようなものがごちゃごちゃと生えていたが、上空からの観察ではこれが頭なのか判然としなかった。
「よし、俺がちょっと降りて見てこよう」向井が言った。
「待ちなさい。あんた正気なのか?却下する」安全保障班の橘が言った。
これまで遠征調査といえば乾が防衛担当として同伴することが多かったが、彼の負傷は思いの外深刻で、再生治療とリハビリのため数ヶ月経った今もまだ恒星船に留まっていた。その代わりに今回の旅に参加したのが橘だった。井関などと同じく元自衛官組のひとりで、口数が少なくクールな印象の女性だった。無愛想だと言ってもよい。正直なところ、牧野は苦手だった。
向井はそれでも食い下がって説得を続けたが、橘の意向を変えることはできなかった。
「オニダイダラでの堀口の事故を忘れたのか。悪いが私は乾とは違う。自分や他の隊員を危険に晒してまで無謀な救助活動をするつもりはないとはっきり言っておく。それに、もしここで事故が起きたら、この探検の本来の目的、金属鉱脈の探査さえ遂行できなくなるんだぞ」橘が言った。
「……仕方がない。リモートカメラの投下だけで我慢しよう」向井は折れた。
調査機からパラシュート付きで一個の球が投下された。直径約十センチのその球は岩山の上に着地すると外殻が開き、中から昆虫のようなロボット脚とレンズが現れた。これがリモートカメラ、あらゆる環境で活動可能なカメラロボットだった。向井は端末からこれを操作し、センリムカデの観察を開始した。
リモートカメラは切り立った岩の縁から身を乗り出し、谷底を撮影した。
二十メートルほど下にセンリムカデの背中があった。その幅はバスの車体ほどで、背中の甲皮の表面にはカメの甲羅のような年輪模様が浮き出ていた。胴体の両側から生えた脚はいっけんムカデに似ていたが、詳細に観察するとその脚は節足動物のように関節で折れ曲がっておらず、一本の棒がゆるくカーブを描いていた。それはムカデの脚よりもむしろ蛇の肋骨を思い起こさせた。
「よし、こいつを崖下まで下ろしてもっと近くから見てみよう」
カメラは垂直に近い崖を昆虫のように巧みに這い降りていった。ムカデのような巨大生物はカメラの接近に気付いていないのか微動だにしない。そしてついにカメラは谷底に着いた。向井はカメラを操作し、至近距離から観察しはじめた。
「やはりこちらが頭部だったようだな。この星の生物に特徴的な四方向に開く口があるぞ。口の周囲には棘だらけの付属肢がある。獲物を捕獲するためのものだろう。ほぼ間違いなく、こいつは捕食者だ。だがしかし、いったい何を食っているんだ」向井はカメラから端末に送信されてくる画像を見ながら言った。
牧野も夢中になって端末の画面に見入っていたが、その時、窓の外を影が横切った。
視線を外に向けた牧野は、そこに一体の生物が浮かんでいるのを目にした。かなりの大きさだ。直径五十メートルはあるだろう。風船のように丸く膨らんだ体に短い四枚の翼が生えている。だがその翼は体の大きさに対し小さすぎ、巨体を浮かばせるのに十分な揚力を得られるとは思えなかった。おそらく、胴体の中に空気よりも軽い気体を貯めていて、その浮力で浮かんでいるのだろう。その生物は飛ぶというよりも漂うようにして、ネオビーグル号のすぐ横を通り過ぎていった。
牧野以外の者もこの巨大浮遊生物の存在に気がつき、窓の外を見た。
浮遊生物の高度は少しずつ下降しつつあった。ひょっとしてこの個体は弱っているのだろうか。
牧野がそう思った次の瞬間だった。
谷底から一体のセンリムカデが弾かれたように飛び上がり、浮遊生物の横っ腹に食らいついた。哀れな浮遊生物は小さな翼を必死に動かして窮地から脱しようとしたが、しっかりと食い込んだ顎は離れない。すぐに他のセンリムカデたちもそこに加わり、四方八方から浮遊生物の体を引っ張った。獲物を争って空中で身をくねらせるセンリムカデたちはまるで巨大な龍のようだった。ついに限界が訪れ、浮遊生物の体はバラバラに引き裂かれた。各々の戦利品をくわえ込んだセンリムカデたちは住処の谷底へと引き下がっていった。すべてはほんの数秒間の出来事だった。
「なるほど、こいつは待ち伏せ型の捕食者だったのか」向井が言った。
「おいおい、ぞっとしたぜ。ひょっとしたらこの飛行機も襲われてたかもしれんのだぞ。念のためもう少し高度を上げおく」操縦席から地質学者の伊藤が言った。エンジン音とともに機体が上昇した。
機内に異臭が漂い始めた。有機物が発酵したような強烈な悪臭だ。
「なんだこれは。ひどい臭いだ」橘が顔をしかめた。
「メタンを検出しました。メタン自体は無臭ですが、混合物として微量の悪臭物質が数種類含まれているようです」植物学者の近藤が簡易ラボからガスセンサーを持ち出してきて計測した。
「たぶん、あの浮遊生物の体内から漏れたガスだと思う。メタンは空気より軽い。体の中にメタンガスを蓄えて、その浮力で空に浮かんでいたんだろう」牧野は言った。
「なるほどね」向井が言った。
「有機物を体内の嫌気的環境下でメタン発酵させたのかな。そこに地球のメタン菌に相当するような微生物が共生してるのかも。サンプル欲しかったなぁ」高梁がぶつぶつと呟くように言った。
伊藤が換気ファンを作動させると、ほどなく悪臭は消えた。
至近距離からの観察を終えたリモートカメラを再び岩山の頂上に登らせ、そこからセンリムカデたちの活動を定点観測させることにして、一行は岩山地帯を後にしてさらに南に向かった。