第27話 砂漠地帯へ
鳥型生物と超巨大生物モリモドキの襲撃という事件により、予定されていた砂漠地帯への探検計画は延期を余儀なくされた。だが、当初の予定よりも二ヶ月遅れではあったが、ついに探検隊が出発する日が訪れた。
居住区の外れにある飛行場で、牧野は仲間達に見送られながら遠征調査専用機に乗り込んだ。
この機体は今回の探検計画のために、貴重な金属素材を使って新しく作られたものだった。金属の不足を補うために故障したヒト型作業機と恒星船の予備部品が解体されて流用された。搭乗者の定員は十名。機内には採取した鉱物や生物のサンプルを分析可能な実験室の他、簡易バスルームや寝台などの生活スペースも備え、現地で長期滞在しながら調査を続けることが可能だった。この調査専用機は、かのチャールズ・ダーウィンが南米と太平洋各地を巡り進化論を着想するきっかけとなった船にちなみ、ネオビーグル号と名付けられた。あまりにも安易すぎるネーミングは賛否両論だったが、地質学者の伊藤の強い希望で決定された。
牧野は機材や手荷物の積み忘れがないか最終確認をした後、座席に着いた。
「砂漠地帯か。わくわくするよね」
前の座席に座っていた高梁が振り向き、牧野に言った。微生物学者の彼女も今回のメンバーに選ばれていた。この惑星のさまざまな環境から微生物を採取し、その多様性を調査するのが任務だった。居住区周辺とは環境がまったく異なる砂漠地帯には未知の微生物が多数生息していると考えられていた。
「そうだな。一時はどうなることかと思ったけど、これでようやく出発できるな」
その時、搭乗口から慌ただしく駆け込んできた男がいた。
植物学者の近藤だった。彼も調査隊のメンバーだった。もちろん目的は植物だ。麦やトウモロコシなど地球で農作物として栽培化された植物は乾燥地帯原産のものが多い。この星の乾燥地帯にも有用な植物が生育している可能性があった。
「みなさんお待たせしちゃって、どうもすいません。妻と息子にお別れの挨拶をしていたら遅くなってしまいました」近藤はそう言って、牧野の隣の座席にどすんと腰を下ろした。
近藤とその妻、飯塚の間にはつい先月、男の子の赤ちゃんが生まれたばかりだった。その顔は思わず笑ってしまうほど父親にそっくりだった。牧野が窓から外を覗くと、赤ん坊を抱いた飯塚がこちらに手を振っていた。近藤は牧野を押しのけるようにして窓辺に寄ると、愛する妻と我が子に向けて大きく手を振った。その目は涙で潤んでいた。
「おーい、元気にしてるんだぞ、大樹ぃ!すぐに帰ってくるからな!」近藤は大声で叫んだ。
「ああ、これから二週間、息子と会えないなんて、本当に耐えられるだろうか……」
「たった二週間ですよ。それに衛星通話を使えばいつでも顔を見られるじゃないですか」牧野は近藤を励まそうとした。
「それはそうですが……」近藤はため息をついてうなだれた。
「嫌なら止めといたら?今ならまだ間に合うよ」高梁が口を挟んだ。
「おい!なんてこと言うんだ」
「……いいえ、私が悪かったのです。そうです、これからのみんなの生活がかかった大切な調査、めそめそしている暇などありませんね。これからは気持ちを切り替えて仕事に集中します。皆さんご迷惑をおかけしました」そう言って近藤は詫びた。
「おーい、みんな、忘れ物はないか。そろそろ出発するぞ。シートベルトを締めろよ」
今回の探検計画の発案者にしてリーダー、地質学者の伊藤の声が船内スピーカーから聞こえた。彼は操縦士を務める小林と一緒に操縦室にいるのだった。念願の探検計画がついに実現し、その声には抑えきれない喜びがにじんでいた。
やがてネオビーグル号の翼のファンが回転を始めた。機体は垂直に上昇すると南にむかって飛び立った。
牧野は窓から遠ざかっていく居住区を見下ろした。異星の植物が鬱蒼と生い茂る森林の中、ほんの一欠片の小さな土地に百名あまりの人間が細々と暮らしている。そして、このちっぽけな居住区が数十光年の範囲に存在する唯一の人間の町なのだ。それは周囲を押し包む未知なる大自然の前に絶望的なまでに無力に見えた。居住区の姿はどんどん小さくなり、やがて森を覆う白い霧に紛れて視界から消え去った。
なぜか不吉な予感を覚えて牧野は身震いした。気にすることはない、いつもの飛行機嫌いで少し神経質になっているだけだろう。気に病むくらいなら今は調査に備えて仮眠でもしていたほうがましだ。そう自分に言い聞かせ、牧野は目を閉じて座席にもたれかかった。
牧野は眠りから目覚めた。
端末を確認すると出発から約二時間が経過していた。窓から外を見ると、驚いたことに眼下の大地を覆っていた木々は姿を消し、いつの間にか広々とした草原地帯の上をネオビーグル号は飛行していた。地球のサバンナやステップとは色合いの違う独特の緑に彩られた草原が地平線の彼方まで広がり、ときおり通り過ぎる河川や小高い丘が風景の単調さを破っている。
何か動物の姿は見えないかと、牧野は目を凝らした。
「あ、やっと起きた」高梁が前の座席のヘッドレストにもたれかかってこちらを見下ろしていた。
「起きてればよかったのに。さっきすごいのがいたんだよ」
「え、何か変わった生物でもいたのか」
「超巨大生物だよ。それもオニダイダラよりも大きくて見るからに凶暴そうな奴」
「何だって、なんで起こしてくれなかったんだよ」
「起こそうとしたよ。でも牧野さん、呼んでも全然起きないから相当疲れてるのかと思って」
「あーくそ、寝てるんじゃなかった。ところでどんな生物だったんだ」
「とにかく大きかった。地平線の向こうにいるときから上の方が見えてきて、はじめは尖った岩山かと思った。でも近づいてみると生き物だってわかった。一番の特徴は背びれ。スピノサウルスって恐竜は知ってるよね。あんな感じだけど桁違いのサイズのヒレが背中から生えてたの。まるで巨大な壁みたいだった」
「それは見たかったな……」牧野はその超巨大生物を見逃したことを心底悔やんだ。
「見せてやろうか」前の座席、高梁の隣から男の声がした。絶滅動物学者の向井だった。「当然だが、ちゃんと映像には撮ってある。今からお前の端末に送ってやるよ」
牧野は向井に感謝し、さっそく映像を再生した。それはまさに驚異的な光景だった。
はじめに見えてきたのは平原から垂直にそそり立つ巨大な壁のような背びれだった。その天辺には雲がかかっているように見えた。調査機が接近すると、超巨大生物の姿が鮮明に見えてきた。背びれは一枚ではなく、三枚が平行に並び、真ん中のものが最も高くそびえ立っていた。映像のスケール表示によると、背びれの高さは最高で三百メートルに及ぶという。
背びれの持ち主は巨大なトカゲのように地面に這いつくばっていた。ゴツゴツとした質感の岩のような体表は鎧のような硬い鱗で覆われていた。頭部にズームすると、八対の眼と、この星の生物でお馴染みの四方向に開く顎におびただしい数の歯が並んでいるのが見えた。大きく開いた口の中からは、タコの足のような舌が四方に長く伸びて周辺を探っていた。
「信じられない。こんな生物が現実に存在するなんて」牧野は呆然として言った。
「この程度で驚くのはまだ早いぞ。俺たちはこれからギガファウナがひしめく南方に行くんだからな。この先は化け物揃いだ」向井が言った。
今回の調査旅行の主な目的は、言うまでもなく砂漠地帯に産出する鉱物資源を調べるためだったが、もう一つ大きな目標があった。
それはアルファ大陸北半球に生息する超巨大生物の情報を収集することだった。
過去三年間の衛星軌道上からの観測で、この大陸だけでも全長100メートルを上回る超巨大生物が何百体も発見されていた。だが至近距離からの観察はほとんど行われておらず、その生態は謎に包まれたままだった。
だがモリモドキの襲撃が超巨大生物の研究を後押しすることになった。
居住区の隊員たちは超巨大生物の危険性について認識を新たにした。何しろ一体の超巨大生物がたまたま通過しただけで居住区は全滅しかねないのだ。
これまで見つかった超巨大生物は軌道上から追跡され、居住区に接近する動きを示すものがいないか常時監視されていたが、すべての超巨大生物が存在を把握されているわけではなかった。未発見の個体数は発見されたものの十倍以上にのぼると見積もられていた。巨体ではあるが通常はほとんど動かず、体表に植物が着生していることも多いため発見が難しいのだ。その中には、先日のモリモドキのように居住区のすぐそばに潜んでいるものもいるだろう。
超巨大生物は何を食べるのか。どんな環境を好むのか。どのように繁殖を行うのか。天敵はいるのか。そして、何を嫌い、何が攻撃の引き金を引くのか。それらの答えを知ることは、たんなるロマンや学術上の興味に留まらず、この星で人類が身を守り、生き延びていくのに必要不可欠な最重要知識なのだ。
ということで彼らは砂漠地帯の金属鉱脈発見を最終目的としつつ、そこまでの道程で多少寄り道をして、これまで発見された超巨大生物を地上から至近距離で観察しながら旅をすることになったのだ。
「そろそろ次の目標に接近するぞ、みんな、こいつを見てくれ」向井が自分の端末を掲げながら言った。
その画面にはアルファ大陸北半球部分の衛星写真が表示されていた。飛行機の現在地を示す赤丸は北の森林地帯と南の砂漠地帯の中間あたりをじりじりと南西に向かって進んでいた。その進路の先に、青い星形がひとつ表示されていた。次なる超巨大生物を示す目印だ。
向井は画面上の星印に触れた。画面がポップアップして開き、軌道上から撮影された写真が表示された。そこに映っていたのは真上から見た奇怪な巨大生物の姿だった。