第26話 森の侵入
乾は地上車で診療所へと運ばれていた。
「これで侵入した生物は全部駆除したのか。まだ残ってるってことはないか」
乾の質問に運転席の橘が答えた。
「今のところドローンや他の隊員からの報告は入ってない。でも念のため、あんたをドクターに預けたら居住区内をまわって確認する予定だ」
「そうか、それならいいが……」
だが、乾はこの状況に釈然としないものを感じていた。
そもそも、鳥生物はなぜ居住区に侵入したのだろうか。食物が目的なのか。だが農園や食糧倉庫が襲われたという報告はないし、攻撃された隊員も別に食われたわけではない。それに攻撃の仕方……まるで乾たちを時間をかけて弄んでいるようで真剣さに欠けていなかっただろうか。
鳥生物が攻撃してきたのは建物が並ぶ居住区中心付近と、荒れ果てた南端の空き地。両者の環境やそこにある設備に共通する要素はない。ただ、いずれも破られた防壁から遠く離れた場所だという点だけが……。
「まさか、陽動か」ハッとして乾はつぶやいた。
「あ、何か言ったか」隣に座る平岡が言った。図体は大きいが性格は穏やかな男だ。彼は乾の負傷した側の腕に包帯を巻き終えた所だった。
「おい、破られたフェンスは今どうなってる」乾は平岡に聞いた。
「防衛ドローンを警戒レベル最大にして張り付けてあるが。侵入しようとする動物がいれば黒焦げに……」
「馬鹿か。あいつらはドローンを落とせるんだぞ。そんなもん役に立たん。橘、早く車をそっちに回せ」
ヨヴァルトはひとりで破られたフェンスに向かっていた。
確証があったわけではない。ただ直感が告げていた。さっきの鳥生物は真の攻撃から注意をそらすための陽動に過ぎないと。
鳥生物と戦いながらもすでにその事には気付いていたが、あえて口にはしなかった。もし言っていれば乾は無理を押して一緒に戦おうとしただろう。だが重傷を負った乾をこれ以上戦闘に巻き込むわけにはいかない。彼を失いたくはないとヨヴァルトは思い始めていた。
それに、元自衛官組の橘と平岡についてはまだ何となく気を許すことができなかった。
まずは自分の目で状況を確認し、異変があればそれから連絡を入れることにしようとヨヴァルトは考えた。
ヨヴァルトはフェンスが破壊された場所に辿り着いた。
引き倒されたフェンスの間には鉄条網と動体センサが仮設され、その上空には防衛ドローンが大きなクマバチのようにホバリングしながら周囲に睨みをきかせていた。
何も異常はない。杞憂だったか。だが嫌な予感は去らなかった。
新人類はその場に留まって様子を見守ることにした。
フェンスの外に広がる鬱蒼と生い茂る暗い森の奥から、湿った微風が吹いてきた。風は濃密な森の臭いを含んでいた。生育する葉状体の臭い、腐敗する動植物の臭い、様々な生物が異性や餌を誘引するために出すフェロモンの臭い……。何千もの発生源から放たれた臭いが混ざり合った複雑な臭気。この森の体臭だ。
その時、ヨヴァルトの耳は遠い音をとらえた。
森の奥で一本、大きな木が倒れた。しばし間を置いてさらに一本。続けてもう一本。まるで連鎖するかのように森の樹木が次々と倒れる音が響いた。
やがて枝葉がざわめきだした。しかし風ははとんど吹いていない。
森の臭気が一挙に強さを増した。
ヨヴァルトは直感した。何かが来る。とてつもなく大きな何かが。
直後、森が鉄条網を突き破り、居住区内になだれ込んだ。
ビニルハウス内で待機を続けていた牧野もその轟音を聞いた。
「ちょっと、今の音なんすか」一緒にいた堀口が驚いて声を上げた。
「何かあったんだ」
端末で乾に問い合わせたが応答がない。次に居住区長の基村に連絡しようとしたが問い合わせが殺到しており繋がらなかった。一分後に全員の端末に一斉送信されたメッセージによると外周部で地滑りのような災害が発生したらしく現在事態を調査中との事だった。
「地滑りって、ここ平地でしょ。変じゃないですか」堀口が言った。
「そうだな。まさか、超巨大生物か」牧野は言った。
「でも、この近くに超巨大生物なんていませんよ。一番近いオニダイダラでも何十キロも離れてます。だからこそここが居住区に選ばれたわけで」堀口が言った。
数分後、乾から連絡が入った
「牧野、無事か」「何があったんだ」
「えらいことになった。デカいのが居住区に入りこんだ。お前に頼みたいことがある。そっちの倉庫にも二台、ヒト型作業機があるだろ。とにかくそれに乗って北側の外周部に来て欲しい。詳しい説明は後だ」
「わかった。俺と堀口で行く」
牧野は堀口と一緒にビニルハウスから出て隣の倉庫に行き、シャッターを開放した。
倉庫の中には農機具や肥料などとともに、二台のヒト型作業機が格納されていた。人が乗り込んで使うタイプのパワードスーツで、作物の収穫や重量物の運搬、樹木の伐採、地面の掘削など多目的に使用されていた。赤く塗装された機体は泥で汚れていた。この星に来てからの三年間で、牧野はすっかりこの機械を乗りこなせるようになっていた。
牧野はそのうち一台によじ登ると、スイッチを押してハッチを開き、座席に体を滑り込ませた。
両足をそれぞれ筒状のスリーブに通し、両手を操作グラブに突っ込んだ。
電源を入れると目の前の表示画面が明るく点灯した。グラブ内のボタンを操作してシステムを起動すると、脚を折り曲げた姿勢で格納されていたヒト型作業機はゆっくりと立ち上がった。
牧野は動作追従モードに切り替えて足を動かした。作業機はその動作を正確にトレースし、一歩前に足を踏み出した。牧野は慎重に足を動かして作業機を前に進めていった。
左側を見ると、堀口もヒト型作業機を立ち上げ、倉庫の外に歩み出て来るところだった。
牧野は窓から頭を出して、大声で堀口に呼びかけた。
「俺の後についてきてくれ」「わかった」
二人の操縦するヒト型作業機は、モーター音を響かせながら居住区内の道を大股に歩き出した。
数分後、二人は現場に到着した。
そこは信じがたい光景に変わっていた。
フェンスの破れ目から居住区内に大量の植物が侵入し、その場を森の一部に変えていた。まさに地滑りで森が表土ごと押し流されてきたように見えた。
侵入していたのは植物だけではなかった。森と共に多くの動物が入り込み、周囲の混乱に拍車をかけていた。中にはかなり大型の動物もいた。鋭い歯を持つオナガトトルが長い尾をくねらせて小屋のまわりを這い回り、図体の大きなセンシャムシがT字型の角を振りかざして堂々と辺りをうろついていた。
ヒト型作業機を立ち止まらせ、堀口と二人でその光景を呆然と眺めていると、一台の地上車が走り寄ってきた。
「牧野か、ご覧の有様だ」乾が後部座席から身を乗り出して言った。怪我をしたのか、乾の右腕は肩から指の先まで全体が白い包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「その手、どうしたんですか」
「ああ、これは気にすんな。それよりこっちだ」そう言って指し示した。
「超巨大生物だ。お前ならこれが何かわかるだろ」
「ああ、モリモドキですね」
間違いなく、フェンス内に侵入したのは超巨大生物の一種、モリモドキの触手だった。四方八方に伸ばした触手や本体の表面に植物を生やし、森林に溶け込んで暮らしている生物だった。地面を這う導管触手を通して植物にミネラルや水分を供給する代わりに、植物からは光合成で作り出した有機物を受け取って栄養源としていた。
着陸直後に行われたベースキャンプ付近の調査でも導管触手が見つかっていたが、それ以降の調査で正体が判明するまでは植物の一種と考えられていた。
モリモドキの触手はフェンスの破れ目から50メートルほども中まで入り込んでいた。だが、侵入はそこで止まったようだった。
何がモリモドキを食い止めたのか気になった牧野は、触手の先端部分がある方向を見た。そこでは黒い煙が立ち上り、オレンジ色の炎がちらついていた。誰かが地面に油をまき、火を付けたのだ。モリモドキは炎を嫌い、それ以上先に進めないようだった。
「新人類のヨヴァルトだ。あいつが機転を利かせて火を燃やしてくれなかったら、今頃居住区中がこいつで埋め尽くされてただろう」
通りの向こうに目をこらすと、膨らんだ胴体に異様に細長い手足を生やした異様な人影が松明を持ち、ときおり触手を覆う樹木に火を押し付けていた。だが、炎は上手く燃え広がらないようだった。
「とりあえず、これ以上の侵入は食い止めたが、かといって追い出すこともできないでいるのが現状だ。そこでだ、お前に来てもらったのは他でもない、ヒト型作業機でこいつを排除するのを手伝ってほしい。他にも何人か、作業機で来るように招集をかけてる」乾が言った。
「とにかく、やってみましょう」
この居住区を建設するとき、牧野はヒト型作業機を使って森を切り開く作業を担当していた。だが今回の相手はただの植物ではなく超巨大生物だ。果たして上手くやれるだろうか。
一抹の不安を覚えつつも、牧野は作業に取りかかった。操作グラブ内のボタンを操作し、表示画面に数項目並んだ専用プログラムの中から「伐採」を選択した。右腕の先についた汎用マニピュレーターが木材切断用のチェーンソーに換装された。牧野はスイッチを入れた。ノコギリの刃が唸りを上げて回転を始めた。
チェーンソーはモリモドキの表面に密生した枝葉を弾き飛ばし、その下の太い導管触手に切り込んだ。表皮を破った瞬間、触手から大量の水が噴き出し、ヒト型作業機をずぶ濡れにした。
それにも怯まず刃を沈めていくと巨大な触手が全長に渡って激しくのた打った。暴れまわる触手は近くにあったポンプ小屋を打ち据えてばらばらに砕き、そして牧野の乗るヒト型作業機を弾き飛ばした。
目の前が暗くなり、牧野は意識を失った……。
「……さん、牧野さん、しっかりしてください」
堀口が呼んでいた。目を開けると、ヒト型作業機は横倒しになり、開放されたハッチから堀口と乾がのぞき込んでいた。
「よかった、気がついた」堀口が安堵した。
意識を失っていたのはせいぜい数分程度だったらしい。全身が痛み口の中に血の味がしたが、さいわい大怪我はしていなさそうだった。吹っ飛ばされたヒト型作業機は太陽光発電パネルに激突し、数枚を大破させていた。表示画面には赤く警告メッセージが点滅し左腕マニピュレーターが故障したことを告げていた。
「やっぱり、強制排除は危険だったか。すまん」乾が謝った。
「何か他の方法を考えないと。モリモドキを追い出すにはどうすればいいのか…」牧野は考え込んだ。
乾の端末が鳴った。
「どうしたヨヴァルト。……そうか、わかった」
通話を切ってから乾が言った。「触手の先端が炎を突破して侵入を再開した。どんどん奥へと進んでいる」
早く何とかしなければ。その時、牧野の脳裏にある一つの方法が思い浮かんだ。それを簡単に堀口と乾に説明した。
「上手くいく保証はないが、試してみる価値はあると思う。地上車で研究棟に連れて行ってもらえますか」牧野は言った。
研究棟から戻った牧野は、侵攻しつつある触手の先頭に向かった。そこでは勢いを増した触手に新人類ヨヴァルトが手をこまねいていた。松明を押し付けて何とか食い止めようとしているものの効果はなく、人が歩く程の速さで居住区の奥に向かって前進し続けていた。
牧野は触手の先端部分を観察した。そこは植物に覆われておらず、褐色に湿った表皮が露出していた。その表面にはカタツムリの眼に似た先端に球のついた繊細な突起が群生し、伸びたり縮んだりしていた。おそらくこれがモリモドキの感覚器だろう。
牧野は鞄から数個の容器を取り出した。容器の蓋を開けると、それをモリモドキの感覚器に近づけた。容器の中には黒い泥のようなものが入っていた。一本の感覚器が容器に向かって伸びてきたが、すぐに関心を失ったかのように縮んだ。その様子を横からヨヴァルトが興味深そうにのぞき込んでいた。
「だめか。ならこれはどうだ」
次の容器に感覚器はまったく無反応だった。だが、三つ目の容器には感覚器は激烈な反応を示した。蓋を開けた途端、すべての感覚器がピタリと動きを止めたかと思うと、次の瞬間には狂ったように震えだした。それとともに触手の前進が止まった。「やった、効いたみたいぞ」牧野は他の触手の感覚器にもその容器を近づけた。やがて停止していた触手はゆっくりと後退に転じた。
「何なんです、それは」新人類がついに疑問に耐えかねたように言った。
「これはオニダイダラのサンプルだよ」
過去三年間、オニダイダラの体の表面や通過後からはいくつもの組織や分泌物のサンプルが採集されていた。それらは研究棟に冷凍保存されていた。橘の運転する地上車で研究棟に向かった牧野は、それらの何種類かを急いで容器に取り分け、解凍して持ってきたのだった。ちなみに最も強い反応を招いた三つ目の容器の中身は、三年前に堀口を救出するためオニダイダラの体内に入り込んだ後で、牧野の宇宙服の表面から回収された消化管内の粘着物だった。
「体表に共生する植物から栄養供給を受けているから、モリモドキは自分で食物を探す必要がなく、普段はまったく動かない。これまでにモリモドキが動いている姿が観察されたのは、唯一、オニダイダラから逃げた時だけだった。あの時、モリモドキはどうやってオニダイダラの接近を感知したのか。もしかしたら匂いじゃないかと俺は思ったんだ。それでオニダイダラの組織サンプルの匂いを嗅がせてみたんだ」牧野は新人類に説明した。
「なるほど。効果てきめんでしたね」新人類は感心したような口調で言った。
触手は後退のスピードを速め、30分後にはフェンスの破れ目からその外側に広がる森の奥に姿を消した。触手とともに入り込んだオナガトトルやセンシャムシなどの共生生物たちも、触手の撤退に合わせて出て行った。
今回の一件は、居住区の防衛体制を見直すきっかけとなった。
まずは外周フェンスの強化が必要だった。フェンスの破断面には溶けた痕跡があり粘液生物による腐食が原因で破られたことが判明した。全てを溶かす粘液生物の存在は新しく浮上した脅威だった。
さいわい粘液生物たちは乾燥に対し極度に弱く、鳥生物が吐き出してから短時間のうちに死滅していた。その後、鳥生物の死骸内に少量が生存しているのが見つかり、それを研究することで強力な分解酵素を防ぐ塗料の開発が始まった。塗料が完成すれば、居住区を取り囲むフェンスの全周と防衛ドローンの外装に塗布されることになっていた。
そして、誰も気付かないうちに居住区のすぐそばまで超巨大生物が忍び寄っていた事も問題視された。そこで安全保障班によるフェンス外の定期巡回が義務づけられた。密生した森林内を偵察し、万一危険な巨大生物と遭遇した場合にこれを撃退できるよう新兵器を配備することが決まった。データベースに保存させていた戦闘用ヒト型重機の設計をもとに、より機動性を強化した機体がデザインされ、恒星船のナノ合成機を使って製造が始まった。
安全保障班の乾は粘液生物に溶かされ激しく損傷した右腕の治療のため、鳥生物に襲われた酒井とともに着陸艇で恒星船に昇った。そこで万能治療機により再生治療を受けることになった。
そして隊員たちはあさぎりの自然を決して侮ってはならないことを痛感した。この星の上で暮らし始めて三年が過ぎていたが、居住区周辺の地域に未知の危険な生物が潜んでいたのだ。隊員たちは一様に緩みかけていた警戒心を引き締めた。