第25話 不可視の敵
乾は防衛ドローンから最後に送信されたデータを確認した。
位置はここから少し離れた居住区南端の区域だった。あまり利用されてないエリアで、外周フェンスのそばの空き地に廃棄物などが仮置きされていた。
「あっちだ、行こう」
乾とヨヴァルトはよりいっそう警戒を強めながら、ドローンが撃墜された位置へとゆっくりと移動していった。歩きながら安全保障班の平岡と橘にも連絡を入れ、応援を要請した。背景に溶け込む能力を持つ生物を見つけ出すには、できるだけ多くの目があった方がいい。
しかし、ドローンはなぜ撃墜されたのだろう。
防衛ドローンのスペックなら、瞬時に高出力パルスレーザーで反撃することも、高速機動で回避することも可能だったはずだ。まさかその生物はドローンの性能を上回る攻撃能力を持っているのか。ありえない。だが現にドローンは沈黙していた。
姿を目視しにくい上、高い攻撃能力まで備えているとは、かなり厄介な相手だ。今もどこかに身を隠しながら自分たちに狙いを定めているかもしれない。ほんの一瞬の判断ミス、反応の遅れが命取りになるだろう。
だがしかし、乾はこの状況に高揚感を覚え始めていた。
そうだ、生きるか死ぬかの瀬戸際の緊張感、この懐かしい感覚を自分は求めていたんだ。
乾は北陸地方のドーム都市で生まれ育った。だがそこでは周囲への配慮と同調ばかりが求められ、彼のような人間に居場所はなかった。
17歳の時、日本を飛び出して中国に渡った。中国は中華連邦崩壊後、複数の陣営に分裂し数十年におよぶ抗争を続けていた。長年にわたる戦乱で国土は荒廃し、至る所に死と暴力と貧困が蔓延していたが、そこには生まれ故郷のような息苦しさはなく、不思議と彼に馴染んだ。
大陸各地をさまよった後、彼はある民間軍事会社に職を得た。すぐに戦闘技術を習得し、兵士として前線で戦うようになった。その時はじめて人を殺した。だがそれにもすぐ慣れた。
戦闘用ヒト型重機に乗り込んで敵地に突入し、味方を勝利に導いたこともある。敵軍に包囲された要塞から味方を救出したこともあった。敵の奇襲で部隊が壊滅し、今にも尽きそうな酸素カートリッジだけを頼りに、たった一人で荒野を横断して生還したこともあった。死と隣り合わせでありながら、充実した日々だった。
やがて、その民間軍事会社は新しい業務に進出することになる。新人類の攻撃に脅かされるアフリカやユーラシア内陸部のドーム都市の防衛だ。
だが、群れをなして襲いくる新人類との戦いは、これまで乾が経験したことがないものだった。
どこまでも異質で、非人間的な敵を相手にした闘争とはどんなものなのかを彼はそこで学んだ。奴らには慈悲やためらいといったものが一切なかった。その戦いには栄光などなく、ただひたすら凄惨だった。
相次ぐ撤退と、取り残された市民の虐殺、それに対する大量破壊兵器での報復。敵も味方も一般人も大量に死んだ。それは戦闘などではなく、単なる大量殺戮でしかなかった。だが、そんな戦いにも乾は暗い喜びを覚えた。おびただしい敵を強力な兵器で血煙に変え、一瞬後には自分も原形を留めない肉片になるかもしれない日々の連続は、生の実感をいやが上にも高めてくれた。
だが、彼にもついに限界が訪れた。悪夢のような戦いの日々に疲れた乾は会社を辞めて日本に帰り、東京で当てもなく暮らしていた。傭兵時代に稼いだ金だけはあった。そんな時、清月に声をかけられ、この旅に参加することを決めたのだ……。
二人は慎重に居住区南端部に近づいていった。
そこは薄暗くて見通しが悪く、ふだんから人気のない場所だった。
建物などはなく、あちこちに居住区建設の際に掘り出された土砂や岩石が小山となって積み上げられていた。それらはフェンスの外から侵入した惑星原産の植物にびっしりと覆われ、まるで緑色の怪物がうずくまっているのような不気味な景観を作り出していた。フェンスのすぐ外側には森の木々が迫り、日の光を遮っていた。
待ち伏せにはもってこいの場所だと乾は思った。
ドローンの撃墜地点はこの近辺のはずだった。
二人は腰まである植物の茂みをかき分けながら、ドローンを探索した。
「あったぞ」乾は声をひそめて言った。
それは絡み合う植物の奥に埋もれるようにして墜落していた。
状態を調べるため、乾はドローンを拾い上げようとした。
だが、異常に気付き、乾は慌てて手を止めた。
ドローンは機体全体がぶくぶくと泡立つ透明な粘液に覆われていた。
回転翼やレーザー発射装置、それに超強化プラスチック製の外装までもが腐食して穴だらけになっていた。これでは内部機構も完全に破壊されているだろう。
「一体何なんだ、これは」
「生物ですね。おそらく粘着菌類か液胞生物と呼ばれるもののたぐいでしょう」
新人類の言うとおり、よく見ると粘液はアメーバのように緩慢に流動していた。そして内部に取り込んだドローンを貪欲に消化し続けていた。
「すごい腐食力だな。しかし納得いかんな。こんな動きの鈍そうな生物がドローンを落とせるはずがない」
その時、乾の右手に何かが当たった。見ると、前腕から手の甲にかけて液体が付着していた。
乾はとっさに後ろに下がった。
次の瞬間、それまで彼が立っていた場所に大量の飛沫が降りかかった。飛沫を浴びた植物はたちまち湯気を上げながら黒変して萎びた。続けざまに浴びせられる飛沫を避けるため、乾とヨヴァルトは土盛りの裏側に避難した。
乾は腕全体に焼け付くような痛みを覚えていた。見ると、付着した粘液が表皮を溶かし、早くもその下の筋肉層にまでかなりの深さの穴を穿っていた。明らかにドローンを溶かしていたのと同じアメーバ状の生物だった。
乾はナイフを取り出すと、へばりついた粘液生物を一つずつ取り除き始めた。
「これか。ドローンを落としたのは」
乾は苦痛に歯を食いしばりながら言った。
「あの飛沫がどこから飛んできたか見えたか」
「はい。何もない空中の一点から吹き出ているように見えました」
「ということは、さっきの奴と同じ種類のが、姿を隠して撃ってきたってことか」
「おそらくそうでしょう」
「姿を消せる上、何でも溶かすアメーバを弾丸にして撃ってくるとはな。厄介な相手だ。おっと」
二人が待避している場所のすぐ近くに粘液が撃ち込まれた。今回はまるで水鉄砲のような、範囲を絞り込んだ高圧の噴射だった。姿の見えない攻撃者は明らかに二人を狙って場所を移動していた。
「しかし、今の射撃で敵がいる場所が掴めました」
ヨヴァルトはそう言うと、地面から土塊を拾って投げつけた。土塊は見えない物体に当たってばらばらに砕け、その表面を白っぽい土埃で汚し、そこに潜む敵の輪郭を浮かび上がらせた。ヨヴァルトは乾に目配せした。
合図されるまでもなかった。乾は土埃を狙って電磁加速ライフルの引き金を引いた。しかし弾丸は射出されなかった。乾は舌打ちした。
「糞が。さっき粘液を浴びたときに壊れたか」乾は銃を投げ捨てた。
次々に撃ち込まれる粘液を避けているうちに、二人はじりじりと外周のフェンス間際まで追い込まれていった。通電されたフェンスを背にして、もうこれ以上逃げ切れないと思った時だった。突然、目の前の風景が揺らぎだした。
敵は完璧なカモフラージュを自ら解除し、姿を現した。
それは先ほど倒した鳥型生物と同一種だった。だがその体はさらに巨大で、長い首の先に載った頭部は五メートルの高みから追い詰められた獲物を傲然と見下ろしていた。おそらく、最初に倒したのはまだ幼体に過ぎず、これこそがこの生物種の成体なのだ。それは獲物を追い詰めたハンターの余裕を漂わせていた。鳥型生物は喉から垂れ下がった灰色の肉袋を大きく膨らませた。
突然、ヨヴァルトが鳥生物めがけて走り出した。
その直後、膨らんだ肉袋が収縮し、鳥生物の口から粘液弾が発射された。
だがヨヴァルトはその軌道を読んでいたのか、巧みに回避して鳥生物の足下に走り寄った。
一瞬にして間合いに入り込まれ、鳥生物は浮き足だったように見えた。
その機を逃さず、ヨヴァルトは鳥生物の頑丈な後ろ脚に槍を突き立てた。狙ったのは関節だった。鳥生物は全身の鱗片を逆立て、足をばたつかせた。新人類は振り落とされないよう必死にしがみついている。
その時、乾は鳥生物が鎌状に変化した前脚をさっと持ち上げたのに気付いた。
取り付いたヨヴァルトを払いのけるつもりだ。
乾は懐から新たな銃を取り出して撃った。電磁加速ライフルのような破壊力はないただのハンドガンだが、鳥生物の注意をそらすのには十分だった。銃弾は鳥生物の硬い嘴に当たって甲高い音を立てて跳ね返った。
鳥生物は動きを止めた。
その隙にヨヴァルトは渾身の力をかけて槍先をねじ込み、鳥生物の関節を破壊した。新人類は足下から飛び退いた。
関節を串刺しにされた鳥生物は戦意を失ったのか、くるりと背を向けると片足を引きずってその場から逃げ出した。だが数歩歩いたところでバランスを崩し、地響きを立てて転倒した。
巨体が地面に激突した衝撃で土埃が舞い上がった。鳥生物は全身の鱗片をざわめかせ、風景に溶け込もうとしていたが部分的にしか上手くいっていなかった。この巨体だ、転倒の衝撃は致命的だっただろう。
粘液の射撃を警戒しながら、乾とヨヴァルトは瀕死の鳥生物に近づいた。しかし、それ以上の攻撃はもはやなかった。ヨヴァルトは腰に提げていた山刀を抜き取った。その刃先を鳥生物の首筋に一度あてがい、それから大きく振りかぶった。
鳥生物は突き出た眼柄で二人を最期まで睨み付けていた。
強靱な筋肉で覆われた鳥生物の首は硬く、とどめを刺すのにも骨が折れた。
やり終えた頃には二人とも息も絶え絶えで、返り血を浴びて血塗れになっていた。
「ようやく倒せましたね。さすがに疲れました」ヨヴァルトが言った。
「まったくだ。くたびれ果てた」乾は地面にへたり込んだ。
傭兵時代以来、久しぶりに一服したくなった。だが数十光年以内に煙草は一本もない。今回の旅で煙草の所持が禁止されたのは痛かった。
「腕は大丈夫ですか」
「大丈夫じゃねーよ。今もかなり痛んでる。奥まで入り込んだアメーバを取り切れてないんだ。腕の筋肉を再生するために万能医療機にかからなきゃならんだろうな。それより、お前は大丈夫なのか」
「わたしは問題ありません。粘液アメーバを一滴も浴びませんでしたから」
「そうか。でも、いきなり走り出して鳥生物の足下に入り込んだ時はヒヤヒヤしたぜ」
「あの巨体の重量をたった二本の細い脚で支えていることから、最大の弱点は脚だとすぐにわかりました。逆に脚以外に攻めるべき場所はありませんでした。頭部は高く、攻撃は届きそうにない。合理的に判断した上での行動です」
「たしかにそうだが、恐くなかったのか」
「はい。恐怖は簡単に抑制できます」
「そうか、すごいね。さすが新人類だ……」
「ところで、もしよかったら、安全保障班に入ってくれないか。恒星船にいる班長の井関さんにも話は通しておくから。これから、あんたの強さが必要になる機会は増えると思う」
「ありがとうございます。……正直なところ、今回の旅ではじめて自分の有用性を示せて安心しました。わたしは学者でも技術者でも保安担当者でもありませんから、毎日これと言った仕事もなく、少々肩身が狭い思いをしていた所です」
「そうだったのか。じゃあ、これからよろしく頼むぜ」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」そう言ったヨヴァルトの顔は心なしか嬉しそうに見えた。
かつて敵だった新人類と、こうして親しく会話する機会が訪れるとは思いもしなかった。奴らは人類と理解し合えない異質な敵だと昔はそう思っていた。
「ところで、橘と平岡、遅いな」
先ほど応援要請をした安全保障班の二人はまだ姿を見せていなかった。何かあったのか。乾が端末で連絡しようとしたその時、泥だらけの地上車が現れ、二人の前に停車した。
車から降りた橘と平岡は巨大な鳥生物の死骸を見て仰天していた。
「大きいな。これを君ら二人だけで倒したのか」橘が言った。
「二人というか、ほとんど彼一人の力だがな」と言って乾はヨヴァルトを示した。
「我々もこれと似た生物一体と遭遇し、なんとか地上車のミニガンで倒した。姿が見えなくてかなり手間取った。そのせいですぐに応援に駆けつけることができなかったんだ。済まない。……それにしても大きいな。我々が倒したのはもっと小柄だったぞ」
「ところで、その車で診療所まで運んでくれないか。腕を負傷した」
「……ひどい傷だ。わかった、急いで連れていこう」
乾は橘と平岡に付き添われ、地上車に乗り込んだ。
「ヨヴァルト、お前も一緒に乗って……」乗り込む間際、乾は振り返って呼びかけようとした。
だが、その時にはもう、新人類の姿はそこにはなかった。