第24話 侵入者
その事件は、砂漠への遠征計画の準備が着々と進むさなかに起こった。
白昼。居住区じゅうに警報が鳴り響いた。
何者かが居住区全体を取り囲む警戒網を突破したのだ。
居住区内を哨戒していた防衛ドローンがただちに異常箇所に駆けつけると、高さ5メートルの有機合成素材のフェンスは切り裂かれ、なぎ倒されていた。フェンスを破壊した者の姿はすでにその場になかった。
ドローンは安全保障班に一報を入れると、自律的に侵入者の捜索を開始した。
その時、牧野は作業割り当てに従い、ビニルハウスで作業をしていた。
土壌成分センサーのメンテナンスをしていた牧野は外で鳴り響く警報の音を耳にして顔を上げた。
「何があったんだろう」「さあな」
一緒に作業していた堀口とけげんな表情で互いに顔を見合わせていると二人の端末が同時に鳴った。
そこには次のような警報メッセージが表示されていた。
「野生生物が居住区内に侵入しました。生物種やその危険性は不明。一般隊員は建物の外に出ないでください。外にいる人は最寄りの建物に急いで避難してください」
「野生生物って、何でしょうね」
「どうせ大したことないって。きっとマダラトトルとかだろう」
同じハウス内で作業してた他の隊員たちも口々に話している。
「ここにいて大丈夫っすかね。ちゃんとした建物に避難したほうがよくないですか」堀口が言った。
「いや、今はむやみに動き回らない方がいい。詳しい情報が入るまでここでじっとしていよう」牧野が言った。
その時、ビニルハウスのすぐ前を黒い大きな影が横切った。
これが侵入した野生生物だろうか。その大きさは牧野の予想をはるかに上回った。高くもたげられた頭の高さはビニルハウスの屋根を軽く超えていた。
あっと思った時にはもう、巨大な影は居住区の中心方向へと走り去っていた。
「ちょっと、何なんですか今の!」堀口が叫んだ。
「落ち着け。それにしても大きかったな……」
牧野は興奮して騒ぎ立てる堀口に言った。影が去って行った方向には住居や公会堂、診療所などがある。昼間と言うことで出歩いている隊員も多いだろう。
牧野は巨大生物を目撃した件を、ただちに安全保障班の乾に端末で連絡した。しばらくして乾から折り返し連絡が入った。
「居住区中心部からすでに何件も通報が寄せられてる。俺は武器を持ってそっちに向かってるところだ。あんたらはそのままハウスに隠れててくれ。絶対に外に出ようとするな。あっちでは負傷者が出ているようだ」乾が言った。
「何だって……」
「心配するな。すぐに俺たちが仕留めてみせる」乾はそう言って通信を打ち切った。
「乾さん、大丈夫でしょうか」堀口がまた不安そうにつぶやいた。堀口はオニダイダラの上でクモ型共生生物に捕まった体験がトラウマになり、この星の生物に過敏になっていた。
「とにかく、俺たちは乾を信じてここで待つしかなさそうだ」牧野は言った。
乾は地上車を駆り、居住区内の道を突っ走っていた。未舗装の路面からもうもうと土埃が舞い上がる。周囲に点在する住居や施設に目を走らせ、侵入した生物の姿を探す。
目撃者によるとそれは背が高く、頭部は平屋建ての家々の屋根より上に突き出ていたという。いれば見逃すはずがなかった。
乾の左手には電磁加速ライフルが握られていた。それが射出する超高速の銃弾は強烈な運動エネルギーでどんな大型生物でも一撃で撃ち倒すだろう。
「そっちはどうだ?」安全保障班の平岡からの通信だった。彼は居住区の外周部付近で捜索にあたっていた。
「まだ見つからん。……待て、負傷者を発見した」
道ばたに一人の隊員が横たわっていた。離れていても周囲の地面を染める血の色は見間違いようがなかった。そのまわりに三人の隊員が付き添って手当てをしていた。
乾は彼らのそばに地上車を停めた。
倒れていたのはソフトウェア班の酒井だった。かなりの深傷だった。背中を大きく切り裂かれ、今もまだ傷口からはどくどくと血があふれ出していた。押し当てたタオルが見る見るうちに真っ赤に染まっていく。付き添い人たちは傷の深さにうろたえるばかりだった。
「地上車に乗せるのを手伝ってくれ。診療所まで運ぶ。お前たちも一緒に来い」乾は彼らに声をかけると、ぐったりとした酒井の体を担いで車に乗せ、診療所へと走った。
「突然だったんだ。影が差して、振り返ったらあいつがいて、それで酒井は……」「助かりそうか?」「あいつをやっつけたのか」付添人の三人、須田、松本、要は口々に言った。
「少し黙ってくれ。まだ倒してない。現在捜索中だ」
ドクターに負傷者と三人を預けると、乾は再び地上車に飛び乗った。診療所を去る乾の背後で、ドクターの両手が医療器具に変形し、文字通り超人的なスピードで治療に取りかかり始めた。
それにしても、侵入した生物はどこにいるんだ。
ドローンや他の安全保障班員からも発見したという連絡は未だなかった。
目撃報告にある背の高さからして見逃すとは思えないが、屋根の上に突き出た頭などどこにも見えなかった。乾は苛立たしく辺りに視線を走らせた。額を汗が流れ落ち、酒井を運んだときについた血と混じり合って滴り落ちた。
その時、乾は視野の隅に人影を捉えた。
手足がひょろ長く、胸部が膨れ上がったその異様な人影は、言うまでもなく新人類のヨヴァルトだった。
「おい、何ふらついてんだ、早く近くの建物に避難しろ」乾は地上車を急停車させ、ヨヴァルトに怒鳴りつけた。
「……お静かに。敵はこの近くにいますよ」そう言って新人類は口の前に人差し指を立てた。
「そいつを見たのか」
「いえ。姿を見てはいません。しかし、注意して見ればその存在の痕跡は周囲の環境にくっきりと残されています。私はそれをたどりながら敵を追っていたのです。イヌイさん、ひとつお願いがあるのですが」
「何だ?」
「その車を止めて下さい。それで走り回られると、せっかく地面に残されている足跡が消えてしまいます」
傭兵時代から新人類は嫌いだった。いや、憎んでいた。その感情は今でも変わらない。
その新人類に上から目線で指摘され、乾の苛立ちはつのった。
だが、あいつの言っている事はもっともだった。
湧き上がる不快感と怒りを必死に押し殺しながら、乾は聞いた。
「足跡があるのか?どれだ」乾は聞いた。
「これです。向こうからずっと続いています」ヨヴァルトは手にした長い棒で地面を指し示した。
乾は気付いた。いや、これは棒じゃない。槍だ。おそらく炭素繊維で作られた漆黒の槍。黒光りするその先端は鋭く尖っていた。
槍の指し示す地面を注意深く見ると、確かにわずかな窪みが見て取れた。大きい。長さ1メートルほどもある。X型をしたそれは鳥の足跡に似ている気がした。それは数メートルの距離を置いて点々と続いていた。かなり歩幅が大きく巨大な生物だという目撃証言を裏付けていた。
だが、固い地面に残された足跡は薄く、間隔も開いているため、ともすれば見失いそうだった。このまま自分一人で足跡を追っていく自信はなかった。不本意ではあったが、こいつの力を借りた方が良さそうだ。
「確かに足跡があるな。……ヨヴァルト、追跡を手伝ってくれないか」
「わかりました」新人類は不可解な表情を浮かべて言った。
乾とヨヴァルトは無言で歩きながら足跡を追いはじめた。
二人はついに足跡の終点にまでたどり着いた。
だが、「肝心の生物はどこにいるんだ」乾は言った。
「奇妙ですね。この足跡は付けられてからそれほど時間が経っていないはず。それなのに敵は影も形もありません。どこかに隠れたのでしょうか」
二人が足跡を追ってたどり着いた場所は、居住区の中心部から外れた研究棟の近くだった。
居住区の外縁部に近く、すぐ側には侵入防止フェンスと森の木々が迫っていた。しかしこちら側のフェンスには破られた形跡はまったくなかった。とすれば、生物はまだ居住区内にいるはずだ。
「いや、奴はこの近くにいる。嫌な気配がしやがる」乾はライフルを構えて周囲に目を配る。
「……同感です」ヨヴァルトも黒い槍を両手で持ち、油断なく視線を走らせている。
その時、突如ヨヴァルトが動いた。
奇声を発しながらバネ仕掛けのような唐突な動きで手にした槍を投擲した。槍はフェンスに向かって一直線に飛んでいく。と、黒い槍はフェンスの手前の空中でピタリと停止した。
乾の目の前で、信じがたい光景が巻き起こった。
何も存在しないはずのフェンスの前の空間がざわめき、槍が突き立った場所を中心に無数の色彩となって砕け散った。
そこに姿を現したのは、異様な生物だった。
足跡から受けた印象は正しかった。それは地上性の鳥類を思わせる二足歩行の生物だった。
背の高さは三メートルはあるだろう。その全身は羽毛ではなく硬い鱗片に覆われていた。逆立った鱗片は一枚一枚がヤスリのように大きかった。どういう仕組みなのか、鱗片がざわめくたびにその色は様々に変化した。
「ああやって鱗の色を変えて、風景に溶け込んでたってわけか……」乾はつぶやいた。
生物は明らかに苦しんでいた。もはや鱗片の迷彩を制御できなくなり、全身が真っ黒になっていた。
生物は鱗片を擦り合わせてガラガラヘビが威嚇するような音を立てると、二人に向かって突進してきた。長い首の先に乗った頭部は大きく、鱗が癒合してできた兜が頭部全体を覆っていた。突き出たクチバシは分厚い斧のようだ。さらに、武器はそれだけではなさそうだった。胸部に生えた前脚と中脚はまるで鎌のような形状をしていたからだ。
乾は発砲した。
唸りとともに射出された銃弾は鳥に似た生物の胴体を撃ち抜き、肉片と鱗片をまき散らした。
兜の隙間から突き出た眼柄の先の眼が、信じられないとでも言うかのように大きく見開かれた。そして唐突に生物は地面に崩れ落ちた。
乾は倒れた生物の頭に銃口を突きつけ、念のためさらに一発撃った。頭部の兜が粉々に砕けた。
「ふぅ、やれやれ、いっちょ上がり、と」乾は額の汗を拭いながら言った。
ヨヴァルトは生物の死骸に歩み寄り、突き刺さった槍を引き抜いた。
「もっと無傷で捕らえろとか、学者先生たちは怒るんだろうな」
「そうでしょうね」
「……あんたがいなきゃこいつは倒せなかったかもしれん。感謝してる」
「いえ、私は自分のもつ技能を生かしただけです。私がここでお役に立てる事と言えば、これくらいしかありませんから」
たしかに新人類たちは野外でのゲリラ戦に長けていた。奴らの巧みな待ち伏せと追跡で、何人もの戦友が命を落としたのだ。湧き上がりかけた感謝の念は急速に萎んでいった。
研究棟の中には大勢の学者たちがいて、窓辺に立って乾たちの戦いの一部始終を見ていた。
彼らにもう外に出ても大丈夫だと告げようとした、その時だった。
端末が鳴った。耳慣れない警報音だったがその意味はわかった。
「……たった今、防衛ドローンが一機破壊された」乾は舌打ちして顔をしかめた。
「もう一体、いる」ヨヴァルトは白い歯を見せた。