第22話 定例会議
研究棟は居住区の隅のほうに、住宅とは離れて建っていた。
さすがにこの時間には誰もいないだろうと思ったが、予想は外れた。
パーティションで仕切られたフロアの一画に明かりが灯っていた。
誰だろうか。
声をかけようかと思ったが、自分の研究に集中するため、あえて誰もいない夜間を選んで来ているのかもしれない。邪魔をするのも悪いと思い、牧野はそのまま自分の作業エリアに向かった。
牧野は端末を開き、これまで名付けられたあさぎりの生物の分類群を表示し、スクロールさせた。
四顎動物類
放射口動物類
絨脚動物類
吸口動物類
気嚢生物類
毛鱗動物類
球殻動物類
棘輪虫類
液胞生物類
擬植物動物類
吸着菌類
……
リストはまだまだ続いていた。
この数年間、毎日のように新たな生物が発見されていたが、それらは高い確率でまったく新しい分類群に属していた。
地球では、例えば昆虫や鳥などの一定の分類の範囲中で、複数の種類が発見されることが多かったが、この惑星では違った。生物の多様性は「種」のレベルではなく、もっと高次のカテゴリー、例えば脊椎動物門や節足動物門などの「門」に相当すると思われるレベルで最大に達しているようだった。つまり、一種一種の生物がまるで異なる体制を持っているのだ。脚の数や眼の数、体内の構造は種によってばらばらで、それらの間に筋道だった統一性を見出すのは困難だった。
牧野は昼間、バラムン樹林帯で採取してきたサンプルを容器から取り出した。
この動物はネズミほどの大きさだ。体の表面は茶色く短い毛で覆われている。ボールのような胴体からは針金のような六本の脚と、二枚の薄い翅、それに七つの眼柄が生えていた。これまで見つかったどの分類群に属するのか見当も付かない。それともまた新しい分類を創設しなければならないのか。
この混沌とした多様性は、すべての生物学者の夢であると同時に、悪夢でもあった。
19世紀に熱帯地方を旅した博物学者や、20世紀にバージェス頁岩を発掘した古生物学者たちも、こんな風に感じたのだろうか。
数時間後、疲れを覚えた牧野はその夜の研究を切り上げることにした。
去り際にもう一人残って作業してる研究者に声をかけて帰ろうかと思い、まだ明かりが灯ったままの作業エリアを覗いた。
そこにいたのは微生物学者の高梁だった。
彼女は自分のデスクに突っ伏して、よだれを垂らして爆睡していた。
顕微鏡のモニタにはまだ微生物の画像が表示されたままだ。
結婚と恋愛沙汰に沸く居住区にあって、高梁はそれらにまったく縁のない生活を送っている数少ない人間の一人だった。恋人がいるという話は一度も聞いたことがなく、ひたすら研究一辺倒の生活を送っているようだった。
男性隊員の間では、高梁は調査隊随一の変人ということで敬遠されていた。中には陰口を叩く者もいた。たしかに彼女は変わり者ではあるかもしれないが、性格は明るいし見た目もけっして悪くないのだ。もう少し評価されてもいいのにと思う。だが、そう言う牧野自身も高梁のことを女性として意識したことはなかった。
「おい高梁、そんなとこで寝てると風邪引くぞ」牧野は高梁の肩を揺すった。
「……うぅ……」
だが、いくら揺すろうと彼女はうめくだけで目を覚まさなかった。
仕方なく、自分の着てきた上着を高梁の肩にかけてやった。それほど肌寒くなかったし、上着には名前が入っているから後で返してもらえばいい。
牧野は研究棟の入り口に施錠して帰宅した。
翌日は定例会議が開かれた。
今後の居住区の運営や調査活動の方針について話し合う場であり、また各分野の研究に重大な進展があった場合は報告会も行われた。参加は自由だった。
牧野はその日に担当していた農作業を午前中に片付け、診療所で前日に受けた血液検査の結果をドクターに聞いてから会議に顔を出すことにした。ちなみに検査結果に異常はなかった。
会議が開かれている公会堂に近づいた時、中からどよめきが聞こえた。
牧野は何事かと思い、あわてて扉をくぐった。
会議室の中は照明が落とされ、正面のスクリーンに映像が投影されていた。
そこに映っていたのは宇宙服を着た人々だった。
宇宙服は肌にフィットしたカラフルなデザインで、時代を感じさせるものだ。
「これは?」牧野は声を潜めて近くの席に座っていた人物に訊いた。
「セドナ丸から回収された動画データだ」その男、ハードウェア担当班の千葉が教えてくれた。
投影された映像の脇で、事故調査班の班長、林が解説を始めた。
「ご覧下さい。これがセドナ丸乗組員の生前の姿です。私たちはこれまで、残骸から回収した複数の個人用端末を解析し続けてきました。長年にわたり宇宙空間で放射線に晒されてきたため基板の損傷が激しく、しかもはるか昔に忘れ去られたOSが使用されていたため、データの復旧は困難を極めました。しかし、ご覧の通り、ついに我々はやり遂げたのです」
映像はセドナ丸船内での乗組員たちの日常の一コマを撮影したものだった。
その顔ぶれはヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系など様々だ。ほとんど日本人だけで構成されたテレストリアル・スター号とは対照的だった。
音声データも再現されていた。話し言葉は英語だった。データの劣化によりその音質は歪んでいたが、話す内容を聞き取るのには問題なかった。
ふざけ合う若い男女、展望窓の外で青く輝く惑星あさぎりをうっとり眺める女性。それにペットだろうか、小型犬が船内を駆け回っている。あさぎり到着を記念して船内で開かれた大宴会の映像もあった。まぎれもなく、彼らは新世界を前にして希望に満ちあふれていた。
だが、サルベージされたデータに遺されていたのは、幸福な光景だけではなかった。
林が警告した。
「この次の映像が撮影されたのは、おそらくセドナ丸が破壊される直前だと思われます。かなり衝撃的な内容となっていますので、ご注意下さい」
牧野はブロックノイズ混じりの画面を注視した。
そこは自由落下状態の宇宙船内だった。
たくさんの乗組員が狭い区画内にすし詰めになり、互いにぶつかり合いながら空間を漂っていた。
牧野はすぐに気付いた。この映像に映っている場所こそ、セドナ丸残骸の調査で大量の死体が見つかった居住区画だということに。
乗組員たちはあきらかに怯え、パニックに陥っていた。
「信じられない……奴ら、本当に撃ちやがった……こんなことになるなんて」
撮影者と思われる男性の言葉が断片的に聞こえた。
額から流血した女性が周囲の手当を受けていた。「出してくれ」と大声で叫びながら隔壁を拳で殴っている男もいた。二人の女性が抱き合ってすすり泣いていた。彼らは意に反してこの区画に閉じ込められたのだ。
騒然とする人々に語りかけるように船内放送が流れていた。
「……お前たち罪人は、……の罰を身をもって贖うのだ。忌まわしき鋼鉄の棺桶と共に逝くがよい」
まるで狂信者の言葉のような、この場にあるまじき異様な台詞だった。
その時、乗組員たちの悲鳴が一段と大きくなった。
居住区画には宇宙空間を望む大きな展望窓があったが、一瞬、その前を大きな影がよぎったように見えた。その直後、激しい衝撃を受けて映像は乱れた。血が飛び散り、人々の絶叫を圧して金属が引き裂かれる轟音と、船内の空気が宇宙空間に吸い出されていく風の音が響き渡った。
……そこで映像は途切れた。
再び照明が灯った会議室には重い沈黙が垂れ込めていた。
「……つまり、セドナ丸は一部の乗組員の暴力行為によって沈んだということか」清月が口を開いた。
清月総隊長は今も軌道上の恒星船にいて、会議には通信で参加していた。
「はい、この映像からはその可能性が高いと思われます」事故調査班長の林が言った。
「しかし、セドナ丸は小天体との衝突で破壊されたのではなかったのか」会議参加者の一人が言った。
「それは間違いありません。しかし、事故ではなく意図的に衝突させたようです。あるいは小天体ではなく付属の小型船を突入させた可能性もあります」林が言った。
「恒星船を自ら破壊するだと。彼らは狂っていたのか」
「おそらく少人数の乗組員が何らかの妄想に取り付かれて凶行に及んだと思われます。宇宙における異常行動の事例には枚挙にいとまがありませんからね。何が彼らの狂気の引き金になったかは今後の研究課題ですが」
「……ありがとう。興味深い報告だった」清月が言った。