第20話 三年後
テレストリアル・スター号が惑星あさぎりに到着してから、この星の時間で三年の歳月が流れた。
牧野多価嗣は居住区から遠く離れたバラムン樹林帯で野外調査を行っていた。
らせん状にねじれた幹をもつバラムンノキの間を慎重に歩いていく。樹の形は異様ながら、その高さや生育する密度、森の中の明るさから受ける印象はふしぎと地球の竹林に似ていた。樹の梢や枝の上、それに地面には様々な小動物が生息していた。オナガトトルの一種が牧野の接近に驚き、生い茂る葉の中に逃げ込んでいった。
バラムンノキは超巨大生物の通過跡に好んで生育する植物だった。巨獣に踏まれて攪乱された土地にいち早く入り込み、そこに残された排泄物を養分にして短期間に成長する。巨獣の後にそうしてできた帯状の森を牧野たちはバラムン樹林帯と名付けた。それは周囲の森林とは明らかに異なる生態系だった。
牧野が歩いているのは、オニダイダラの第一発見個体の後ろに続く樹林帯だった。
三年前、オニダイダラの突進によって表土ごと剥ぎ取られ蹂躙された森林の跡は、今ではすっかり成長したバラムンノキに覆われていた。
当のオニダイダラはもう一体の超巨大生物モリモドキを食べ尽くすと、しばらくその地に根を下ろしたように留まっていたが、昨年、再びゆっくりと動き出した。今では数キロ離れた場所に岩山のように鎮座していた。あれが大地を揺るがせて走ったとは今となっては信じられなかった。
バラムンノキの枝の先端部はあざやかな赤紫になっていた。繁殖期を迎え、擬虫葉を誘うために雌株の配偶子が婚姻色に染まっているのだ。
あさぎりの植物の生活史は地球のそれとは大きく異なっていた。分類群により様々なパターンがあるが、バラムンノキの属する擬虫植物はとくに変わっていた。
繁殖期が近づくとバラムンノキの雄株は枝の先端に擬虫葉と呼ばれる特殊な葉をつける。おどろくべきことに擬虫葉は本体から分離し、まるで羽虫のように空へと飛び立つ。そして色と匂い物質を頼りに雌株にたどりつくと、配偶子にしがみついて交尾するのだ。役目を終えた擬虫葉はそのまま枯死する。一日以内に運良く雌株に辿り着けなかったものも飛翔のエネルギーを使い果たして地面に落ちる。
数ヶ月後、受精した雌株の配偶子はより大型の擬虫葉を実らせる。そして種子のたくさん詰まった袋を抱えて飛び立ち、生育に適した土地を選んで種子を散布する。
つまりこの植物は、地球の被子植物が昆虫にアウトソーシングしている生殖活動および種子散布を完全に自前でやってのけているのだ。
実際、あさぎりでは、地球の蝶や蜂に相当する、植物と密接な共生関係を結ぶ虫は今のところまだ見つかっていなかった。そのため自前で受精や種子散布を行う器官を進化させる必要があったのだろう。あるいは逆に植物が擬虫葉をもっていたからこそ、植物の生殖に虫が介入する隙がなかったのかもしれない。
牧野は擬虫葉や雌株の配偶子、それにモウセンダンゴの一種と思われる粘着菌類の塊と、伸吻虫や毛鱗動物などの小動物数点を採取すると、小型飛行機が待つ森の空き地に戻っていった。
その時だった。牧野はふと背中に刺すような視線を感じた。
自分を見つめる相手を刺激しないようゆっくりと振り返る。
牧野は凍り付いた。
バラムンノキの枝葉の間から、一対の大きな玉虫色の眼が見下ろしていた。その鼻先からは鋼の剣のような一本角が斜め前方に向かって伸びていた。研ぎ澄まされた角の長さは3メートル以上ある。あれで突き刺されたら人間などひとたまりもないだろう。
サシツルギだ。
サシツルギはモリモドキの共生生物であり、恐るべき大型危険生物だった。三年前のオニダイダラの捕食の際は、襲来するクモ型生物をその鋭い角で次々と串刺しにして撃退する様子が観察されていた。しかしその後は目撃例がなく、宿主のモリモドキと運命を共にしたものと考えられていた。しかし、宿主亡き後もまだこの地で生き残っていたとは驚きだった。
恐怖を感じつつも、牧野ははじめて間近に見るサシツルギの姿に魅了されていた。
それは伝説のユニコーンに昆虫の外骨格をまとわせたような美しい生き物だった。すらりとした六本の脚をまっすぐ伸ばし、木々の間に静かにたたずんでいる。緑と白のまだら模様がカモフラージュとなり、森の風景に溶け込んで見えた。
周囲をよく見ると、バラムン樹林帯の植物に分厚く覆われてはいるが、巨大なモリモドキの死骸の一部がまだ残っていることに気付いた。ねじれた骨片やワイヤ状の結合組織の束など、微生物が分解できなかった硬い組織の残骸だ。サシツルギはそれらの手前に立ち塞がっているように見えた。
まさか、こいつは宿主の墓守を務めているとでもいうのか。死んだ相手に忠義を誓う共生生物など聞いたこともない。だが、牧野にはその瞬かない玉虫色の眼が、人間には計り知れない深い感情を宿しているようにも感じられるのだった。
「……邪魔して悪かったな。今すぐここを立ち去るよ」
牧野はそう言うと、サシツルギに背を向けてゆっくりと歩み去った。獣は追ってくる事も無く、ただ静かに牧野を見送った。
牧野は無事、小型飛行艇のもとにたどり着いた。
この飛行艇は遠方の調査活動のために作られたものだった。軽量ながらその航続距離は500キロに及ぶ。全自動操縦システムを搭載しているので、通常の飛行ではパイロットは必要なかった。
牧野は飛行艇の座席に乗り込んだ。これまで彼の頭上に大きな雀蜂のように従っていた護衛ドローンを格納部に収容すると、飛行艇は四基のプロペラを回転させ、森の空き地から垂直に舞い上がった。最近は頻繁に利用することもあり、牧野の飛行機恐怖症は以前よりもかなり軽減されていた。飛行艇はなめらかに広がる森林地帯の上空を滑るように飛んでいった。
一時間後、牧野の乗る飛行艇から居住区が見えてきた。
周囲を押し包む暗緑色の森の中に埋もれてしまいそうな、ささやかな集落だった。ビニルハウスの列が陽光を反射して輝いている。あの中では地球原産の作物が栽培されていた。
飛行艇は村はずれの飛行場、兼宇宙港となっている広場へと降下していった。広場には飛行艇二機と第一着陸艇が並べて駐機されていた。第二着陸艇の姿が見えなかったが、おそらく今は恒星船に行っているのだろう。
飛行艇のオートパイロットシステムは完璧に機能し、ほとんど衝撃を感じさせないほど静かに機体を広場に着地させた。プロペラの回転が収まると、牧野はキャノピーを押し開けて飛行艇を降り、採取したサンプルを手に村へと歩いた。
農業用ビニルハウスの列の間の道を歩いている時だった。
ちょうどその日の農作業を終えた堀口と出くわした。堀口はビニルハウス出入り口に置かれた消毒液を満たした足洗い場で入念に長靴を洗ってから、牧野に話しかけてきた。
「いいなあ牧野さん、俺も一緒に調査行きたかったっすよ」
「仕方ないだろ、今日はお前のシフトだったんだ。代わりに明日からは俺が作業担当だからな」
研究者といえども、今は自分の研究にだけ没頭するような贅沢は許されていなかった。
ようやく軌道に乗って動き始めた居住区社会では仕事は山のようにあり、人手は常に足りなかった。研究者たちも各自が作業シフト表に従って、研究活動以外の仕事を分担して行っていた。堀口と牧野の担当は農作物の栽培とビニルハウスの管理だった。近頃はこちらの仕事のほうが忙しく、本業であるはずのこの星の生態系の研究にはあまり時間を割けなくなっていた。
だが、農作業が嫌いかと問われると、まったくそんな事はなかった。居住区の人々の食を支える、やりがいのある仕事だった。
最近ではようやく安定生産のめどが立ってきたが、この三年間は試行錯誤の連続だった。
まず苦労したのが作物を育てる土壌だった。窒素やりん等の栄養素は豊富に含まれていたものの、惑星あさぎりの土では地球原産の作物は生育しなかった。そこでまず土を滅菌してあさぎり原産の有害微生物を取り除き、土壌の酸性度の調整し、地球から持ってきた根粒菌や菌根菌の胞子を散布して、何とか何種類かの作物の栽培に成功した。
今までに収穫することができたのは、米、麦、大豆、ジャガイモ、サツマイモ、キャベツ、にんじん、玉葱、トマトの九種類。トウモロコシとバナナはまだ上手く育たなかった。
すべての農業生産はビニルハウスの中だけで行われていた。
あさぎり原産の微生物の侵入を防ぐためだけでなく、地球原産の微生物が周囲の環境に漏れるのを防止するためだ。
地球では無害な根粒菌や菌根菌などの細菌類もこの星の生態系ではどう振る舞うか予測がつかなかった。最悪、地球に侵入し酸素濃度を低下させた侵略者微生物のように壊滅的な被害を及ぼすおそれもあった。そこで微生物の取り扱いには細心の注意を払っていた。農園の土に生息する地球原産の土壌細菌を外部に持ち出さないよう、ビニルハウスの出入り口には次亜塩素酸ソーダの消毒液を満たした足洗い場を設けていた。
地球産の作物の栽培と並行して、あさぎり産の生物を食料にする試みも行われていた。
これまでに17種類が毒性と安全性、それに味覚の試験をパスしていた。内訳はマダラトトルとヌロムシ、それにブロンの動物三種に、モチダカラ、フクレカズラ、サワビキ、ジュズダマノキ、ウロコダンゴなどの植物が14種類だ。
牧野はサワビキが結構気に入っていたが、ブロンの肉だけはどうしても生理的に受け付けなかった。
牧野は堀口と並んで雑談しながら、居住区中心の研究センターへと向かって歩いて行った。
「牧野君、今日は面白いもの見つかった?」
事故調査班の飯塚美棹と道で出会った。
彼女は大きく膨らんだ腹部に手を添えながら言った。彼女は妊娠していた。