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第19話 恒星船内にて

 惑星あさぎりを周回する恒星船テレストリアル・スター号。

 その一部分、トーラス型をした自転区画は、遠心力により内部に1Gの環境を作り出していた。船内が自由落下状態にあるとき、乗組員たちは筋力低下や骨密度の低下を防ぐため、擬似重力のあるこの区画で定期的に運動に励んでいた。


 トーラス内を走る通路で清月総隊長はジョギングをしていた。

 スポーツウェアを身にまとい、軽快な足取りで通路を走り抜けていく。

 齢60とは思えないほどその日焼けした体は引き締まり、活力に満ちあふれていた。

 その日はもうすでにトーラスを何十周もして9キロメートル分を走破していた。毎朝10キロのジョギングが清月の日課だった。


 いつもは一人で走る清月だったが、この日は伴走者がいた。

 無駄な贅肉がいっさい付いていない清月とは対照的に、この男は小太りだった。一見、運動など不得手なタイプに見えるが、男は清月に遅れることなくペースを維持していた。


 彼の名は井関(いぜき)(さとし)。軍事・安全保障班の班長を務める男だった。

 太った体型に似合わず、眼鏡の奥の眼光は鋭かった。

 見かけに騙され、彼を舐めてかかった相手は必ず痛い目にあってきた。皮下脂肪の層の下には鍛え抜かれた筋肉の鎧が隠されていたからだ。彼は柔道、ボクシング、空手など数々の格闘技を習得し、船内で行われた格闘技の模擬試合では大男の乾を7割の勝率で打ち負かしてきた。


 清月は目標の10キロメートルを走り終えて立ち止まった。タオルで額の汗を拭いながら、彼は井関に話しかけた。


「相変わらず、息一つ乱れていないか。さすがだな」

「いえ、総隊長の健脚ぶりのほうが。そのお歳でここまで走れる人はなかなかいないかと」

「寄る年波には勝てんよ。健康には気を遣っているがさすがに60を超えると衰えを感じるよ」


 清月は給水ボトルから水を飲んだ。船内で何百回となく循環、再生処理されてきた水だったが、浄水システムは今でも完璧に機能していたため味や臭気は皆無だった。



「さて、今日は私に何か話があってここに来たんだろ。さっそく本題に入ってくれないか。回りくどいのは嫌いなんでな」清月は井関を促した。


「ありがとうございます。話が早くて助かります。本日うかがったのは、例の超巨大生物について話しておきたいことがあったからです。あれは私の任務に関わる物かも知れません」

「ほう。君の任務とは?」清月はすぐにぴんときたが、あえて尋ねてみた。

「はい、人類文明圏を敵対的な地球外知性体から防衛することです」井関は真剣な表情で言った。



 地球人の身体および財産が異星人から攻撃を受けた場合、被害者の国家や組織を問わず、全世界の軍隊は一致団結してこれに立ち向かわなければならない。それは地球各国の軍、特に宇宙分野の軍事組織が広く共有している理念だった。もちろん日本の自衛隊も例外ではなかった。


 これは単なる軍人のパラノイアで済ませられる話ではなかった。

 人類は過去に一度、異星人からの攻撃と疑われる事例を実際に経験していたからだ。


 23世紀。絶頂期の中華連邦は今日では考えられないほど莫大な国家予算を宇宙開発分野に投入し、野心的なプロジェクトを推進した。それが「長征計画」だった。第七次まで繰り返されたこの計画では、合計300隻以上にのぼる恒星艦が未知の恒星系を目指して送り出された。25世紀現在でも、当時の船のいくつかは銀河系の最果てを目指しまだ飛び続けているという。

 事件は第四次長征計画で起きた。

 射手座の方角に送り出された恒星船15隻が相次いで消息を絶ったのだ。十数年後、そのうちの一隻がぼろぼろになりながらも太陽系に帰還した。船体の破損状況から小天体の衝突とは考えにくく、付近の恒星では船を破壊するような爆発現象は観測されていなかった。生還した乗組員たちは恐怖に怯えながら、船が何者かに攻撃されたと証言した。

 後年、調査のために送り出された無人探査機は太陽系から20から30光年進んだところで、まるで見えない巨大な壁に衝突したかのように一様に消失(ロスト)した。それ以降、宇宙軍関係者の間に、射手座すなわち銀河系中心方向には攻撃的な異星人の勢力圏が存在するかもしれないとの憶測が広がった。

 しかし今日に至るまで異星人が存在するという具体的な証拠は得られておらず、それ以後、異星人の攻撃が疑われる事例も発生していなかった。

 ただひとつ、セドナ丸の遭難を除いて。


 軍関係者を中心とした一部の人間は、セドナ丸は異星人の攻撃を受けたと信じていた。日本政府でも防衛省の高官たちはそう考えており、彼らの強い推薦で井関をはじめとした自衛官四人がこの調査計画に送り込まれてきたのだった。しかし清月は惑星あさぎりの位置や遭難の状況から異星人攻撃説の可能性は低いと考えていた。



「つまり、君はあの超巨大生物が敵対的な異星人だと言いたいのかな?」


「いえ、違います。おそらくあれに知能はないでしょう。私はあれは異星人が作り出した人工生命体、または生体兵器だと考えています。自然の進化であのような生物が誕生するとは考えられません。あの超巨大生物は明らかに生物の範疇を超えた存在です。あれがもう一体の巨大生物に襲いかかった時の凄まじい運動エネルギー、細胞内の生化学的反応だけで生み出せるとは到底思えない……。あれを見た瞬間、私はあれと同様の生体兵器がセドナ丸を破壊したと確信しました」


「たしかにあれは地球の生物学の常識に収まりきらない存在だ。その謎が本格的に解明されていくのは今後、時間がかかることだろう。異星人や生体兵器を持ち出すのはまだ時期尚早と思うがね」


「しかし、現にセドナ丸は破壊されました。彼らと同じ轍を踏まぬよう、我々も十分警戒しておかねばなりません。こちらからの先制攻撃で破壊することも含め考慮して頂きたい。私が言いたいことは以上です」

 そう言うと、井関は自転区画の通路から去っていった。


 やれやれ、血の気が多いことだ。

 乾や井関など、安全保障班の面々が暴走しないよう十分注意しておこうと清月は思った。ジョギングでかいた汗はすっかり引いていた。



 清月はエレベーターに乗り込むと自転区画から船体の中心軸を貫いて走る中央通路に出た。清月の体は数時間ぶりに重力から解放されて通路の床から浮かび上がった。彼は両手、両足を使って通路の壁を押しやりながら船体後部へと進んで行った。

 第二次着陸隊の出発を間近に控え、船内には慌ただしい雰囲気が漂っていた。

 次の着陸では隊員の半分以上が惑星に降りることになっており、ほとんどの隊員はその準備と最終確認に忙殺されていた。


 第一次着陸隊の調査で、惑星の大気が無害であることが判明した。

 空気に3日間晒され続けたマウスは健康を損なわず、解剖の結果、体内に病変や細胞の変異などの異常はいっさいなかった。惑星原産の微生物にも病原性のものはいまだ発見されていなかった。つまりこの惑星上で生活するのに、かさばるヘルメットやスーツはもはや必要ないということだった。


 第二次着陸隊を構成するのはエンジニアやプログラマ、建築家、農業とインフラ関係の専門家など、社会を運営するのに欠くことのできない技能を持った隊員たちだった。第一次着陸隊が砂丘に設置した簡易型ベースキャンプとは別に、彼らは食料と水を自給できる恒久的な居住地をその付近に建造する計画だった。

 ついに、人類がこの星に定着するための本格的な第一歩が踏み出されようとしていた。


 彼らはこれから、数々の困難に遭遇することだろう。

 しかし、技術と知恵と勇気を持って立ち向かえば、克服できないことなど何もない。これまでも人類はそうやって進歩してきたのだ。

 清月の祖先もまた、過酷な自然を相手に戦ってきた人々だった。20世紀に生きていた彼の祖先は黒部ダムの建設に参加し山奥の秘境でトンネルを掘った土木作業員だった。22世紀の祖先は初期の月面開発でリーダーを務めた優秀なエンジニアだった。その血は彼の中にも脈々と受け継がれていた。

 我々はきっとプロジェクトを成功に導き、この星に楽園を築くだろう、否、築いてみせる。清月はそう固く決意していた。


 やがて清月はラウンジにたどり着いた。

 いつもは必ず数名以上の隊員が談笑したり休息したりしているラウンジも、今はひっそりとしていて照明も半分以上落とされていた。

 だが、部屋は無人ではなかった。その片隅のソファには一人の人物が腰掛けていた。

 清月は暗い部屋でひとり端末画面を見ているその男、低酸素適応型新人類のヨヴァルトに話しかけた。


「ちょっとお邪魔してもいいかな」

「清月総隊長殿。これは失礼しました」


 慌てて立ち上がろうとする新人類を手で制して清月は言った。

「そのまま楽にしてくれ。ところで、何を見ていたんだね」

「は、第一次着陸隊が送ってきた、あさぎりの生物の映像を見ていました。実に興味深いです」

「そうだな。もうすぐ君もじかにその目で見ることができるぞ。どうだ、少し緊張しているか」

 ヨヴァルトもまた、第二次着陸隊の一員として惑星に降りることになっていた。


「いえ、全く。早くこれらの生物に会ってみたいです」

「動物が好きか」

「興味があります。特に超巨大生物には。あのオニダイダラの背中には一度登ってみたいものです」

「はは、あまり無茶はするなよ」


「清月総隊長はまだ降りられないのですか?」

「ああ、私はまだ当分この船に残らなくてはならん。セドナ丸の事故原因が完全に究明された訳ではないし、この船でしかできない仕事もたくさんある」

「そうでしたか。それは残念ですね」

「だが、そのうち一度は惑星の土を踏むつもりだ。せっかくここまで来たんだしな」

「その日まで、下でお待ちしています」


 胸郭が膨らんだ異様な体型をした青年はそう言って微笑んだ。この星を目指す旅の途中で、とっくの昔に清月は彼の表情を見分けられるようになっていた。

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