第18話 オニダイダラ
轟音とともに巻き起こった粉塵の雲が治まったとき、岩と化して眠っていた巨獣はその本性を露わにしていた。
その巨体はさらに高さを増していた。
体の下に折りたたんでいた脚を伸ばしたためだ。力強い脚には鋭い棘や鉤爪が生え、まるで巨大重機のような様相を呈していた。
体の表面を覆う石化した外殻には幾筋も亀裂が入り、それに沿って身体各部がずれ動いて全体のフォルムをより動物じみたものに変貌させていた。
しかし最も変化したのは頭部だった。
超巨大生物は獲物に食らいつかんとするかのように、巨大な顎門を左右に大きく広げていた。
顎門の内側には歯の代わりに鋭く尖った結晶質の柱が並んでいた。幾重にも林立するクリスタルの柱列は陽光を反射してまばゆく輝いた。
「方解石……いや、違う、あれはダイアモンドだ」伊藤が言った。
「ダイヤモンドの牙だと?なんて口してやがる……」向井が言った。
その口腔は着陸艇を簡単に丸呑みできるほど大きかった。
本能的な恐怖を覚え、パイロットは着陸艇をさらに巨獣から離れた位置に移動させた。それでもまだ安心はできなかった。
「いつでも緊急待避できるように準備しておく。みんな、急加速に備えてシートベルトを締めてくれ」パイロットが言った。今回ばかりは全員がその指示に素直に従った。
通信を通して、乾は軌道上の清月総隊長に呼びかけた。
「清月さん、念のため武器使用制限を解除して欲しい」
一秒足らずのタイムラグをおいて清月が返答した。
「わかった。レベル3までの使用を許可する」
「ちっ、レベル3かよ。そんなんじゃこの怪物相手には豆鉄砲ですよ。隊長、せめてレベル5まで使わせてください!」
「何を言ってるんだ!核兵器の使用を許すわけにはいかん。我々ははるばるこの星まで殺戮のために来たんじゃない。待避までの時間稼ぎには通常兵器で十分だ。あくまで専守防衛に徹底しろ。こちらからの先制攻撃は認めないぞ」
「しかし、セドナ丸の連中はこいつの同類に襲われたのかもしれませんよ。予想外の戦闘能力を保持している可能性は十分あります。それを考慮したからこそ、着陸艇に核を搭載したんじゃありませんか。今こそ使うべき時ですよ、清月さん」
「断じて却下する。まだその時ではない」
「そうっすか……了解しました」乾は渋々引き下がった。
牧野は乾と清月総隊長との通信の内容に衝撃を受けていた。
まさかこの着陸艇に核兵器が積まれていたとは。これまで自分たちは何も気付かずそのすぐ側で生活していたのだ。
だが、今はそれどころではない。自分たちの目の前で何かとてつもない事が起きようとしているのだ。牧野は窓の外で進行しつつある事態に注意を引き戻した。
次の展開は思いがけない場所から起こった。
超巨大生物から一キロメートルほど離れた場所で、低い丘とその周囲の森林が、水平にずれ動くように地滑りしはじめたのだ。何百本もの樹木をなぎ倒しながら、地滑りは超巨大生物から遠ざかる方向にかなりのスピードで移動していく。
牧野は悟った。
あの地滑りはもう一体の巨大生物なのだ。
低い丘とその周囲の土地に擬態して潜んでいた森の巨大生物が、より大きな岩山の超巨大生物の接近に驚き、逃げだしたのだ。岩山の超巨大生物が全長700メートルなのに対し、もう一体の巨大生物のサイズは動いた土地の範囲から推定して、およそ300メートル程度だろう。しかも体の形はずっと平たい。
よく観察すると、森の巨大生物は周囲部から長い触手を伸ばしていた。それらを波打たせて必死に逃げる様子は巨大なヒトデか軟体動物を思わせた。
「わかったぞ、岩山が動き出した理由……。ちっぽけな人間なんか最初から眼中になかったんだ。こいつははじめからあれを、森の巨大生物を狙ってたんだ」牧野は叫んだ。
「そんな馬鹿な。岩山の移動速度は一時間に一メートルもないんだぞ。あれに追いつけるわけが……」伊藤が言いかけた、その時だった。
岩山の超巨大生物が咆哮した。大部分が人間の可聴域を下回る低周波で放たれた音の津波は周囲10キロ四方に存在するすべての物体を激しく揺さぶった。
次の瞬間、隊員達は信じがたい光景を目にした。
岩山が走り出りだしたのだ。
一本一本が巨木の幹よりも太い数十本の脚を動かし、足下の大地を徹底的に蹂躙しながら超巨大生物はしだいに速度を増して突き進んでいく。
目指す先は森の巨大生物だ。
木っ端のような着陸艇になど目もくれない。
ついにここに至り、森に擬態していた巨大生物は逃走を諦めた。
さすがにあの速さで動き続けるのは無理があったのだろう。森生物は踏みとどまって応戦の構えを見せた。まるで超巨大生物の進撃を受け止めようとするかのように、多数の長大な触手を振り上げた。しかしそれは明らかに蟷螂の斧、最後の絶望的な悪あがきにしか見えなかった。
数秒後、超巨大生物と森生物が激突した。
その瞬間、衝撃波が発生した。それは着陸艇を激しく翻弄し、150キロ離れたベースキャンプに設置された地震計のグラフに狂ったような波形を描き出した。
圧倒的な質量と運動エネルギーの直撃を受けて、森生物の体はひとたまりもなく引き裂かれ、押し潰されていた。
体表を覆っていた樹木が衝撃で吹き飛ばされたため、その真の姿が外部に露出していた。それは数千の脚をもつ巨大なタコのような怪物だった。
しかし森生物はまだ死んではいなかった。激しく損傷した身体を断末魔の苦痛によじらせながらも、千切れずに残った触手を上にのしかかる岩山の巨体にぐるりと巻き付けた。樹枝状に細かく分岐した触手の先端は超巨大生物の身体を覆う岩の外殻の隙間に侵入していった。
ほどなく、触手が入り込んだ隙間から蒸気が立ち上り始めた。酸か毒ガスを注入しているらしい。蒸気に追い立てられるように、黒く小さなものが岩の隙間からばらばらとこぼれ落ちていった。それは体内に共生するクモ型生物だった。蒸気に触れた着生植物はたちまち茶色に変色して枯死していった。
しかし超巨大生物本体はその反撃にもまったく動じていなかった。
瀕死の森生物を城門のような顎で左右から挟み込むと、一気に噛みつぶした。尖ったダイヤモンドの歯が餌食の軟らかい肉に食い込み、ずたずたに切り裂いた。大量の液体がどっとあふれ出る。左右の顎の奥には上下の顎が控えており、そこに並ぶダイヤモンドの臼歯が送られてきた肉を徹底的に粉砕した。
「……容赦ないな」向井がつぶやいた。
二体の巨大生物の戦いを見て、牧野は21世紀末に深海で撮影されたダイオウイカとマッコウクジラの戦いの映像を思い出した。すでに絶滅して久しい地球最後の海の巨獣と同じく、目の前にいる岩山の超巨大生物は活発な捕食者だった。
戦いは二体の巨獣の間だけで繰り広げられているわけではなかった。
互いの体に住み着いた共生生物同士もまた激しく戦っていた。
巨獣の身体を伝って岩山から降りたクモ型生物たちは森に侵入し、そこにいた共生生物を集団で攻撃して巣に連れ去ろうとしていた。岩山の隠れ家から這い出したサソリ型生物は重戦車のような恐るべき捕食者で、強力なはさみで手当たり次第に森の生物を引き裂いて貪り食った。
しかし森の共生生物たちも一方的に狩られているわけではなかった。
樹木の影から現れたすらりと足の長い動物は頭部に生えた長い一本角で岩山からの侵略者を次々と串刺しにして撃退していた。森生物の表面を這い回る不定型の変形菌類のようなものはアメーバ状に変形しながら不注意な侵略者を飲み込んでいった。
敗れた巨大生物の残骸の上で壮絶に食らい合う共生生物たち。彼らのうち、左右から迫る巨大な影に気付かないほど闘争に我を忘れていたものは、陣営を問わずひとしく超巨大生物の顎門の奥に消え去った。
騒乱を聞きつけておこぼれに預かろうとしたのか、いつの間にか上空は輪を描いて滑空する大型の飛翔生物で埋め尽くされていた。そのうちの一頭、八枚の翅をもつワニのような生物が着陸艇に襲いかかってきたが、鼻面に高出力レーザーの射撃を受けて逃げ去っていった。
その日、着陸艇に乗り合わせた隊員たちは、目の前で展開する信じがたい光景をいつまでも食い入るように見守り続けた。
気がつくと太陽は地平線の彼方に沈み、夕闇が迫っていた。訪れた薄暮の中で、巨獣とその取り巻きたちの饗宴はまだまだ続いていた。濃紺の夜空に見慣れない星座が瞬きはじめた時になって、ようやく着陸艇はその場に撮影ドローンを残し、ベースキャンプへと引き返した。
帰路の船内では隊員たちは皆、口数が少なかった。今日目にした光景に衝撃を受けていたからだ。
静まりかえった船内で、高梁がぽつりとつぶやいた。
「オニダイダラ……」
「え?」物思いに沈んでいた牧野は虚を突かれた。
「あいつの、あの岩山みたいな奴の名前。今思いついた。あれはヤマモドキだとか、そんな生やさしい響きが似合う奴じゃなかった。あれはもっと凶暴な存在だった」
「……そうだったな。いい名前だと思うよ」
「うん、俺もそう思う」伊藤が賛同した。
「ありがとう」高梁は若干照れくさそうな様子で微笑んだ。
百数十年以上昔、この惑星に降り立ったセドナ丸の乗組員たちが遺した映像。
その最後に映っていた超巨大生物。
牧野たちが目撃した生物はそれとは形態が著しく異なり明らかに別種だった。だが同じように地球の生物学の常識を超越したとてつもない巨大さだった。やはりあの映像はフェイクなどではなかったのだ。セドナ丸の人々が遭遇したあの生物は今もこの惑星のどこかで生きているに違いない。
「くくく……、まったく、とんでもない星に来ちまったな」乾が言った。
「きっとまだ、あんな怪獣がそこらじゅうに隠れてるぜ。面白くなってきやがった」
元傭兵の男は、薄暗い船内で好戦的な笑みを浮かべていた。