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第16話 体内彷徨

 乾とともに牧野は広い空間に飛び込んだ。

 最大照度に設定したライトが、それまで暗闇に隠されていた光景と、おぞましい生物の姿を暴き立てた。

 それは巨大なクモに見えた。体長二メートル超の黒い毒蜘蛛に。だがその毛むくじゃらの脚は筋肉質で、むしろチンパンジーなどの類人猿の腕を思わせた。腕の先には湾曲した長い爪が四本並んで生えていた。


 クモ型生物の一体が堀口の足をつかんで床の上を引きずっていた。背中に大きな傷があることから、堀口を誘拐した個体に間違いなかった。その周囲には他の個体も群がり、堀口の体をひっくり返そうとしたり、爪で引っ掻いたりしていた。それ以外にも他のトンネルに出入りしているものや、天井からぶら下がっているものもいた。その数は二十体を超えていた。


 乾と牧野の侵入に、クモ型生物たちはすぐさま反応した。

 大多数は部屋に繋がる無数のトンネルの中に消えたが、大型の個体は逆にこちらに襲いかかってきた。巣を守る兵士だろうか。腕の先に付いた鋭い爪を振りかざし、飛び跳ねるような奇妙な動きでこちらに向かってきた。

 乾は撃った。先頭にいた一体の腕を吹き飛ばし胴体に穴を開けた。崩れ落ちたその死骸を乗り越え、さらにもう二体が襲いかかってきたがそれらも即座に射殺した。


 一方、牧野は床に倒れた堀口めざして走った。

 堀口を(さら)ったやつはまだその場に残っていた。

 そいつは一対の腕を振り上げ、威嚇するようなポーズを取った。至近距離から見たその頭部は、地球のどんな生物にも似ていなかった。眼はなく、奇妙な膜状の器官と、左右に開いた鋭いクチバシだけが黒い毛の中から突き出していた。

 ヘルメットのマイクが、そいつのシュウシュウいう鳴き声を拾い上げた。

 突然、そいつは牧野に体当たりをしてきた。強い衝撃を受けて、ひとたまりもなく牧野は床に押し倒された。黒い怪物は牧野の上にのしかかり、鋭い爪をバイザーにガンガンと打ち付けた。透明な樹脂の上に白い傷跡が増えていく。このままでは破られてしまう。

 牧野はそいつをはね除けようとしたがびくともしなかった。足を振り上げ、生物の腹と思われる辺りを思いっきり蹴りつけた。柔らかい肉につま先がめり込んだが生物は攻撃をやめなかった。そこは内臓などの重要な器官が収まっている場所ではなかったようだ。


 突然、クモ型生物の攻撃が止み、濃緑色の体液が降り注いできた。

 急にぐったりと力を失った生物の体を押しのけ、牧野は起き上がった。

「おい、早くしろ牧野!」乾が生物を射殺してくれたのだ。

「すまない、今行く」牧野は堀口の元に向かった。


 堀口は意識を失っていた。危惧した通りヘルメット前面は大きく破損していた。バイザーの破片のいくつかは顔に突き刺さり、そこから血が流れていた。気密性が破られたのは一目瞭然だった。

「おい、堀口。しっかりしろ、助けに来たぞ」

 牧野が肩を叩いたり体を揺すったりしていると、やがて堀口が意識を取り戻した。まだ足下がおぼつかない堀口に肩を貸して立ち上がらせると、牧野は小走りにトンネルの入り口を目指した。その後ろを乾が援護射撃をしながら続いた。他のトンネルからは次々と新手のクモ型生物が姿を現しつつあった。三人は急いで元来たトンネルの中に退却した。



「ありがとう…ございます。それにしても、ここはひどい臭いですね」堀口が言った。

「歩けそうか」乾が聞いた。

「まあ、なんとか。骨折とかはなさそうです」


 その時、牧野はあることに気付いた。

「あれ、間違ったトンネルに入ったかな。さっきと広さが変わってるような……」

「いや、そんなはずはない。場所はここであってる。だが確かにさっきよりも狭いように見える。人数が増えたせいか?」乾が言った。


 しかしそれは気のせいではなかった。牧野が見ているとトンネルの軟らかい壁が動いた。腸管の蠕動運動のような、ゆったりとした動きの波が床と壁を伝って走っていった。蠕動の波が去ると、トンネルの径は一回りほど狭まっていた。波は次々に押し寄せ、そのたびにトンネルは縮小していった。


 トンネルが塞がる前に、外に戻らなければならない。三人は徐々に狭くなる縦穴を必死に登った。まだ調子を取り戻していない堀口を乾が下から押し上げながら登っていたため、かなり時間をロスしてしまった。その間も穴は容赦なく狭まっていった。


「このままじゃ押し潰されるぞ」

 三人は軟らかい穴をかき分けるようにしてなんとか先に進んでいたが、やがてトンネルが少しずつ、再び下に向かって傾斜していることに気付いた。

「おかしいぞ、トンネルの方向が変わってる。なんでまた下ってるんだ」

「今の蠕動運動で、広さだけじゃなく経路まで変わってしまったんですよ」

「まずいぞ、外に出られないかもしれん」

 やがてトンネルの幅の縮小は止まり拡大に転じたが、明らかにその道筋は来たときとは変化してしまっていた。



「仕方がない。出口が見つかるか、外に電波が届く位置まで移動し続けるしかなさそうだ」乾が言った。

 先ほどまでより広くなったトンネルの中を三人は歩いて行った。依然、トンネルの内壁は肉のように軟らかく空気は湿っていた。

「なんか、臭いがきつくなってます。腐敗臭というか……鼻が曲がりそうです」堀口が言った。

 バイザーの素材には自己修復能があり、亀裂が入っても時間とともに塞がるようになっていたが、堀口のヘルメットの前面には蜘蛛の巣状のヒビが走ったままで、まだほとんど修復されていなかった。この先、有毒な気体が充満した場所に踏み込んだ場合に、外気を吸引してしまうおそれがあった。幸い、スーツの空気補給装置は生きていたので、内圧を高めに設定して外気の侵入を防ぐ対応をとった。



 やがて三人は広い空洞に出た。

 そこはクモ型生物がいた部屋とはまったく異なり、どろどろした黒い汚泥のような物質が床一面を埋め尽くし、沼地のような様相を呈していた。一歩足を踏み入れると膝の辺りまでずぶりと汚泥に沈み込んだ。

 彼らは足を取られながら空洞の奥へ進んだ。液状の汚泥が溜まった泥沼を避け、固形状の汚泥が陸地のように堆積している場所を選んで進んでいった。それでも汚泥は軟らかく、場所によっては腰まで埋まることがあった。

 汚泥の表面には円盤形をした小さな虫のような生物が群がり、白いミミズのような細長い生物が三人の動きに驚いて泥の中に潜り込んでいった。


 三人は口数も少なく黙々と歩いていたが、やがて牧野が口を開いた。

「……かつて地球では、大きな洞窟に何百万匹ものコウモリが住み着いていたそうです。そういった洞窟の床には大量の糞が溜まり、それに数え切れないほどのゴキブリが群がっていたそうです。さらにゴキブリを餌にするムカデやゲジなどの肉食性の虫も集まっていたと言います。ここの風景を見て、それを思い出しました」

「ぞっとする話だね」乾が言った。


「だけどここは超巨大生物の体内ですよ。コウモリなんてどこにいるんです。この泥は何なんです。そもそも、一体ここはどこなんです」堀口が言った。

「決まってるだろ、ギガファウナの糞だよ。きっとここは大腸なんだよ」乾が言った。堀口がえずく真似をした。

「たぶんそれが正解ですね。体内に侵入した我々は異物として排出されようとしているのかもしれません」牧野が言った。

「ハッ、そりゃ結構なことだ。もうすぐ糞と一緒に肛門から外に出られるかもしれんな」乾が言った。


 だが、歩けどもなかなか出口には辿り着かなかった。汚泥の沼はどこまでも奥深く続いているようだった。高い天井からはサルオガセに類似した菌類のようなものがカーテン状に幾重にも垂れ下がり、視界を遮っていた。


 菌類のカーテンをくぐり抜けていくと、ようやく部屋の突き当たりの壁に辿り着いた。粘液に濡れた壁には、大蛇のような巨大な蠕虫の群れが頭を食い込ませ、ゆったりと長い胴体をうねらていた。その太さは人間の胴体ほどもあり、長さは二十メートル以上に及ぶだろう。

「宿主が巨大なら、寄生虫も特大サイズってわけか」乾が言った。


 そこに生息しているのは巨大な寄生虫だけではなかった。

 汚泥の山のあちこちに、白っぽい生き物がうごめいていた。青白く毛のない皮膚と四本の脚をもつその生き物は、遠目に見るとまるで頭のない裸の人間が四つん這いになっているようでひどく不気味だった。そいつらは巨大寄生虫の体にしがみつき、針状の口吻を突き刺して体液を吸っていた。寄生虫に寄生する生物というわけだ。


「早く出ましょうよ、こんな場所もう沢山です」

 ふらつく足取りの堀口が言った。

「同感だ。だが、まずは出口を見つけないと」牧野が言った。

「そもそも、歩いてる方向は合ってるんだろうか。まさか逆方向に向かってるってことはないよな」珍しく乾が弱気な台詞を吐いた。


 牧野は改めて周囲を観察して言った。

「汚泥の質が徐々にですが、明らかに変化しています。さっきよりも黒くて、より分解が進んでいるように見えます。つまり私たちは下流側に、正しい向かってるはずです。だけど心配なのはその長さです。人間でさえ腸は何メートルもある。全長数百メートルの生物の腸がいったいどれだけ長いことか……」


「嫌なこと言わないでくださいよ、もう」堀口が言った。

「弱音を吐く前にとっとと歩け。そもそも誰のせいでこんな目に遭ったと思ってるんだ」乾が吐き捨てるように言った。

「……返す言葉もありません」堀口はしょんぼりとした様子で言った。


 その後、三人は黒い泥沼に腰まで浸かり、汚泥の丘を這い上り、行く手を塞ぐ巨大寄生虫の胴体を乗り越えながら暗闇の中を何時間もひたすら無言で進んでいった。



 沈黙を破ったのは乾だった。

「……見ろ。風だ。空気の流れがあるぞ」

 乾が指し示す先を見ると、天井からレースのカーテンのように垂れ下がる菌類が、かすかに揺れ動いていた。ヘルメットの照明を落としてみると、そこは完全な暗闇ではなく、どこからともなく灰色の仄暗い光が入り込んでいた。

「やった……、外だ。やっと出られる」堀口は床にへたり込んだ。


 牧野は通信で外に呼びかけた。

「こちら牧野です。乾と堀口もいます。全員無事です。聞こえますか」

「……、……野くん?もしもし、……き…、もう一度……」

 ノイズの後、牧野の通信機は途切れがちのかすかな声を拾った。それは高梁の声だった。牧野は呼びかけを続けた。電波の状況は不安定で通信はほとんど繋がらなかったが、それでも外で待機する隊員たちの声は彼らを何よりも力付けた。

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