第12話 スカベンジャー
触角の先端に広げた膜状の嗅覚器官で、それは獲物の匂いを嗅ぎ取った。
直後、それは短い筋肉質の疣脚を波打たせ、ゆっくりと隠れ場所から這い出した。それの貧弱な眼はほとんどものを見る役には立たなかったが、そのかわりに発達した嗅覚器官が餌のありかを克明に知らせてくれた。獲物は移動している。だが近い。追いつけそうだ。それは全身に生えた無数の突起や触手をざわめかせながら獲物を追って動き出した……。
探検隊一行は元来た道を地上車で戻っていった。
少しずつ森の異様な光景に慣れてくるにつれ、はじめは気付かなかった細部の特徴に気がつき始めた。
まず、植物の葉の色は緑だけではなかった。背の高い木々の葉は黒っぽい緑がほとんどだが、背の低い植物や、大木の枝や幹に寄生する着生植物の葉の色はバリエーションに富んでいた。蔓性植物の黒褐色、地を這うように広がる苔類の紫と黒のまだら模様、巨木の枝から垂れ下がる着生藻類の光沢のある藍色。菌類とも植物ともつかない柱状植物のピンク色……。
「ずいぶんいろんな色の葉があるんだな」牧野が言った。
それに対し、近藤が答えた。
「おそらく葉緑素以外の光合成色素を持っているのでしょう。地球でも、陸上植物は緑色だけですが、海の藻類には紅藻類、褐藻類、緑藻類などいろいろな色彩のものがいました。紅藻類はフィコシアニンやフィコエリスリンなどの色素も持っていたため、緑色植物が利用できない波長の光も利用することができました。この森の植物も、色鮮やかなものは森の下層部に多いように思えます。光が届きにくい環境で、他の植物が利用できない波長の光を吸収できるように進化した結果なのかもしれません」
「なるほどね。たしかにこの森は薄暗い」
一部の植物は幹を地面に横たえ、まるで太い配管のように分岐しながらどこまでも伸びていた。この匍匐性の植物には葉がないようだった。さらに、この植物の幹の表面は他の種類の植物の根でびっしりと覆われていた。
「調べてみましょう」近藤はそう言うと車を止め、手近の匍匐する幹に近づいた。
地面を走る幹に沿って歩いて行った近藤はある場所で足を止めた。
「これを見て下さい」
牧野もかがみ込んで見た。幹の表面に傷がつき、そこから透き通った水が滴っていた。その水は小さな水たまりを作り、そこから流れ出した小川は森の奥へと消えていた。
「この幹の中を水が通っているようです」近藤が言った。
水が滴る傷口の周辺の樹皮をナイフで削り取ると、その下は水を豊富に含んだスポンジ状の組織になっており、そこには他の植物の根がぎっしりと詰まっていた。
「まるで給水管みたいな植物だな」牧野が言った。
「これだけの水、いったいどこから運んで来ているんだろう」リーダーの伊藤が言った。
「根元を辿っていくと、川か沼地にまで続いているのでしょう。おそらく」近藤が言った。
「他の植物はこの植物の中にある水を狙って根を伸ばしていた訳か。で、給水装置の役目を果たして、この植物にはどんな得があるんだ」乾が言った。
「わかりません。ひょっとしたら、他の植物は水を得る代わりに、この……給水植物に何かを与えているのかもしれません。例えば光合成で作り出した養分とか。つまり共生関係です」
「たしかにこの植物には葉がないな」伊藤がつぶやいた。
「ま、この段階ではなんとも言えません。あくまで私の推測にすぎません」近藤はそう締めくくった。
再び地上車を出発させようとした時だった。
端末を見ていた乾が静かに言った。
「何かがこの車に接近している。ドローンが感知した。早く車を出したほうがいい」
「わかりました」近藤はただちに地上車を発進させた。
「大きいぞ。全長六メートル……まだ付いてきている」乾が言った。
地上車は地面を覆うトゲトゲした下草や苔植物のようなものを踏みしだきながら、森の外へ向かって走る。
「まだ引き離せませんか?」近藤が聞いた。
「ああ、車の後ろにぴったり付いてきてる。ドローンの威嚇射撃で追っ払ってやるか」乾が言った。
「やめたほうがいい。相手がどんな反応をするかわからん」伊藤が止めた。
「乾さん、どんな生き物が追ってきてるんです。ここからは何も見えないが」牧野がリアウインドウを振り返りながら言った。窓の外には繁茂する森の植物しか見えない。
「これだ。見ろ」
乾が隊員たち各自の端末に、ドローンが上空から撮影した映像を転送した。
やはりそこには森の植物しか映っていない。一見、そう見えた。だが、続けて見ていると一部の植物が車の後を追って動いているのがすぐにわかった。さらに目を凝らすと、植物に擬態した巨大な怪物が、森の木々を押し分けながら地上車を追跡している姿が見えてきた。
信じられないことに、生物は少しずつ地上車との距離を詰めてきた。ついにはドローンの映像に頼らずとも肉眼でその姿が見えてきた。
その巨大な生物の体表はぬめっとした光沢を帯びていた。背中に背負った重く分厚い石灰質の殻には藻類がこびりつき、皮膚は植物の枝葉に擬態した突起や肉襞などで覆われていた。ぬるりとした質感や大きな殻のせいで、どこかカタツムリのように見えるし、皮膚に生えた襞や突起のせいでワニガメやマタマタなどの淡水性のカメ類に見えないこともない。
それは頭部を高くもたげ、密生した触角をひらひらと動かして空気中の匂いを嗅いでいるようだった。いかにも鈍重そうな外見に似合わず、怪物は滑るように素早く地上車を追いかけてきた。体の下側をよく見ると、カタツムリのような腹足ではなく、多数の小さな疣脚を波打たせるように動かして歩いていた。
「かわいい……」高梁がぼそりと言った。
地上車の真後ろにまで迫った生物はいったん速度を緩め、後ろに身をのけぞらせた。と、次の瞬間、頭部から数本の触手がカエルの舌のように素早く伸び、地上車の後ろに張り付いた。
「くそっ、引っ張られる」近藤がアクセルを踏み込んだ。
地上車の重量はおそらく十数トンに及ぶはずだ。だが触手をたぐり寄せられると、地上車は巨大生物に向かってずるずると引きずられだした。生物の頭部全体が大きく伸び広がるようにして大きな口が開いた。地上車を丸呑みにできそうなほどの大きさだった。その縁にはサメのような三角形の鋭い歯が何重にもぐるりと取り巻いていた。あの歯で食いつかれたら無事では済まないだろう。
「そろそろ限界だ。もう撃つぞ。いいな!」乾が叫んだ。
「ま、待ってくれ。ダメだ。撃たせるな!」牧野が止めた。
「何言ってるんだ。このままだと食われちまうぞ!」
「たぶん、あの生物の目当てはアサギリカバの腐乱死体だ。我々には興味がないはずだ。死体を捨てれば……」
「そんなこと言ってる場合かよ。撃つ」
乾は端末を通じてドローンに指示を出した。
警告灯を点滅させ、ブザーを鳴らしていたマットブラックの防衛ドローンは高度を落とすと上空三メートルでぴたりと静止した。その直後、白い閃光と衝撃音が走った。高出力のパルスレーザーだ。ドローンのレーザーは生物の触手を焼き切っていた。
負傷した巨大生物は傷口から青い体液を流しながら縮こまり、殻の中に身を隠そうとしていた。
「今だ、車を出せ」乾が言った。
近藤は命じられるまでもなくアクセルを踏み、最大速度でその場から離れた。
ようやく森を抜け、砂丘を横断して地上車はペースキャンプに帰還した。その頃にはすでに日が西に傾きかけていた。
探検隊はかずかずの貴重なサンプルを持ち帰った。中でもアサギリカバの死体は最大の収穫だった。これを見た動物生理学者の川上は目を輝かせた。彼女はさっそく解剖の準備に取りかかった。一方、植物サンプルの分析は近藤の担当だったが、今日一日、地上車の運転で疲れ果てていた彼はサンプルの分析を翌日に回し、早々と休息に入った。
その夜、軌道上の恒星船から、調査依頼が入った。