第11話 荒れ狂う森
「今から森林地帯に入る。ベースキャンプ、恒星船、我々のことはモニターしてくれてますよね」
リーダーの伊藤が着陸艇と軌道上の恒星船にあらためて確認をとった。
「大丈夫だ。地上車のカメラの映像はちゃんと届いているぞ」
「君たちのことはちゃんと見ている。宇宙からの監視で大型生物を探知したらただちに警告する」
間髪を入れずに両者からの返答があった。
「それを聞いて安心した。では、行くぞ……」
伊藤は運転席の近藤に指示を出し、地上車を森に乗り入れさせた。
巨大な木々の下の地面は意外と下生えが少なくて広々としており、地上車の侵入を妨げるものはなかった。枝葉の落とす暗い影の下に入った瞬間、気温が一、二度下がったように感じられた。
森林地帯と言っても、この森は熱帯多雨林や雲霧林のようでもなく、当然のことながら温帯の落葉広葉樹林や亜寒帯の針葉樹林帯とも異なっていた。いや、地球上に存在したどんな森林ともまったく異質な世界だった。
ここは荒ぶる緑の巨人たちの戦場だった。
木々は枝や蔓や葉状体を伸ばして相手に絡みつき、引き倒し、押しのけ合う激しい闘争の最中に凍り付いたかのような様相を呈していた。否、今もその闘いは現在進行形で続いているのだ。ただその闘いは人間には知覚できないほど緩慢な時間の流れにあるだけなのだ。
互いに引き裂き合うような壮絶な樹木の姿に、探検隊の一行は言葉もなくしただ周囲の景観を呆然と見つめていた。
地上車は斜めに倒れかかった巨木のアーチの下を潜り抜けた。
この木は敵対する木にワイヤーのように強靱な蔓で絡め取られ、引き倒されつつある途中だった。だが斜めに傾いだ木もされるがままになっているわけではなかった。相手の木に向けて尖った枝を無数に伸ばし、その幹を串刺しにしていた。枝が突き刺さった樹皮からはおびただしい量の赤い樹液が溢れ出し、硬化してへばりついていた。その戦いの漁夫の利を得んと、戦いで空いた空間に他の植物が侵入し、そこでまた新たな戦いを繰り広げていた。
ある木は幹を真っ二つに引き裂かれ、その中心部の柔らかな組織に無数の気根を打ち込まれ、生きながらに養分を奪われていた。大蛇のような太く重々しい蔓でのしかかられ、押し潰されている植物もあった。
森の地面には戦いで死んだ木の残骸が無数に転がっていた。その表面にはびっしりと腐食性の生物が繁茂していた。
「なぜこの植物たちはこんなにも激しく戦っているんだ?まるで殺し合ってるみたいじゃないか」牧野が言った。
「……わかりません。ただ、地球の植物も毒性物質を作ったりしてお互いに競争してはいました。この星では植物たちの生存競争がより直接的で暴力的な形をとっているのかも知れません」近藤が言った。
「こいつら、手当たり次第にやり合ってる訳じゃなさそうだぞ。よく見ろよ。いくつかの陣営に分かれて戦ってるみたいじゃないか。ほら、あの木……」
乾が指摘したとおり、樹木は周囲に存在する別の植物に無差別に襲いかかっているわけではなかった。すぐ隣にありながらまるで攻撃を受けていない木がたくさん存在した。奇妙なことに、それは同種の木という訳でもなかった。さらに、樹木の戦いは激しい場所とそうでない場所とでかなりむらがあり、激戦地帯は帯状に連なっているのが見えてきた。
「待てよ……これ、樹木の大軍同士が合戦を繰り広げてるんじゃないのか」
乾が言った。
「まさか」伊藤が信じられないといった口調で言った。
「いや、きっとそうだって。坂の上から攻めてきた軍とぶつかり合ってる場面だよ」「ありえない。そもそも植物の軍って何なんだ。種類だってばらばらじゃないか」乾の説に伊藤が反論した。
「ひょっとしたら……生態系の違いか。攻め込んでる側が拡大中の生態系なのかも」牧野が言った。根拠はない。ただの思いつきだった。
「わからない。わからないことだらけだ……」近藤が言った。
「……何にしろ、地球の固定観念に縛られないことね」それまで沈黙を守っていた高梁がぼそりと言った。
森の中はひたすら静かだった。わずかな空気の流れさえ検知されなかった。
地上車はライトを点灯し、上り勾配の坂道をゆっくりと押し進んで行った。
進むにつれて戦いの激しさは次第に治まりつつあった。やはり先ほど通り抜けてきた場所は植物の軍勢同士がぶつかり合う前線地帯だったのだろうか。
周囲の植物の種類も変化していった。いま目立つのは、象の皮膚のような樹皮をもつ、幹が二股に別れた太い巨木だった。森の入り口に多かったのは、幹に縦溝が走る背の高い木だったが、それは全く見られなくなっていた。
この森には動物がいないのか。牧野がそう思いはじめた時だった。
地上車の行く手を巨大なかたまりが塞いでいた。
その肉塊の姿には見覚えがあった。
地球にいた頃から何度も繰り返し見たその姿は、異星の生物でありながら牧野にとってなじみ深い存在になっていた。それはセドナ丸の映像に撮影されて以来、地球の人々にアサギリカバ、セドナピッグ等と呼ばれるようになった六本足の生物だった。
体長約三メートル。ずんぐりとした胴体から三対の太短い足が生えている。盛り上がった背中には煙突のような特徴的な管が一列に並び、ごつごつとした大きな頭部は前後左右に開閉する四つの大顎をもつ。それはセドナ丸の着陸調査隊が一番はじめに遭遇した動物だった。彼らが遭遇したものに比べ、牧野たちの目の前の個体はふたまわりほど小さかった。
森の地面に横たわるそのアサギリカバは、明らかに死んでいた。
探検隊は地上車を横付けにして遺体の状態を観察した。
遺体は腐敗が進行し、組織の崩壊が始まっている。胴体側面には大きな穴が開き、肉が引きちぎられた形跡があった。死後、腐肉食性の動物に食われたのか。それとも、捕食性の動物に襲われて死んだのか。遺体周囲の地面からは白い根か菌糸のようなものが無数に伸び出して遺体に食い込み、その養分を吸収していた。ヘルメットを脱いだなら、おそらくひどい腐臭がすることだろう。
その時、着陸艇周辺のベースキャンプから通信が入った。
それに伊藤が応じた。
「……なんだと。それ、本気で言ってるのか」
「ええ、本気も本気よ。そのアサギリカバの遺体、是非とも回収してきてくれないかしら。解剖して内部構造を調べたいの」それは動物生理学者の川上の声だった。
「サイズ的にはぎりぎり積めないこともないが……」
「ねぇ、そこを何とか」
「どうしましょう、基村さん」伊藤は着陸調査隊の隊長である基村に判断を仰いだ。
「そうだな。貴重なサンプルを発見したことだし、可能なかぎり回収してきてほしい。ただし危険が迫った場合や走行に支障を来たす場合は投棄しても構わない。自分たちの安全を最優先してほしい」
「承知しました」伊藤はため息交じりに言った。
「よし、みんな。車を降りてこいつを積むのを手伝ってくれ」
地上車にはサンプル採取や各種作業に使うマニピュレーターや小型クレーンが装備されていたが、巨大なアサギリカバの遺体を荷台に積み込むにはどうしても人の助けが必要だった。まず遺体が崩れるのを防ぐため全体をシートで包み込み、その上でワイヤーロープを輪にして掛け渡し、それを注意深くクレーンで吊り上げて何とか荷台に載せることができた。
作業を行った牧野、伊藤、乾の宇宙服は、アサギリカバの遺体からにじみ出る腐汁にまみれひどく汚れてしまった。クレーンの操作は地上車の車内から近藤が行った。
「おい、高梁、行くぞ」伊藤が言った。
高梁はアサギリカバが横たわっていた地面にかがみ込み、土壌サンプルを採取していた。
「うふふ、きっと面白い微生物がいっぱい採れたわ」
地上車はベースキャンプに向かって出発した。
アサギリカバの貴重なサンプルを採取できたので初回の探検の成果としては十分だった。重たい荷物を運んでいるため地上車の速度は思うように出なかった。暗く混沌とした森の中を地上車はのろのろと戻って行った。
「ほら、これ。いいでしょ」
地上車の車内で、高梁は隣に座る牧野に手の平を差し出した。その上に載ったものを目にした牧野は思わずギョッとした。
それは虫のような小動物だった。強いて言えばゴキブリと三葉虫を掛け合わせたような殻に覆われた生物で、棘だらけの脚がたくさん生えていた。
「死体が転がってた土の中に隠れてたの。きっと死体を食べてたのよ。どう、かわいいでしょ」
「あ、ああ。そうだな……」牧野は若干引き気味に応じた。
アサギリカバの遺体から漂う強烈な腐臭は森の中を漂った。
その臭いに引かれ地上車のあとをつけてくる存在がいるのに、その時はまだ誰も気付いていなかった。