第111話 地球にて②
しかし、続報はなかなか送られてこなかった。
ギガバシレウスの大群が繁殖している間、探検隊は宇宙空間に退避していたからだ。その間、侵略者の研究も停滞を余儀なくされた。微生物学者タカハシ博士が侵略者についての研究を本格的に再開したのは、なんと地球年で十年近く経ってからだった。
探検隊が再びあさぎりに戻り、研究を再開してから一年後。
侵略者の天敵が発見された。それも同時に二種類が見つかった。
一種類目は地球の繊毛虫に類似した微小な単細胞生物で、侵略者を細胞の内側から破壊する寄生生物だった。もう一種類は土壌中に生息する菌類のような糸状の生物で、侵略者の細胞壁を溶かす酵素を分泌した。これらの天敵があさぎりにおいて侵略者の増殖を抑制していると思われた。
タカハシ博士が送ってきた論文には、二種の天敵微生物のゲノム配列やマイクロ3Dスキャナーで撮影した詳細な細胞内構造、それに酵素タンパク質の立体構造のデータも添付されていた。これらのデータを活用すれば合成生物学の手法を用いて実験室でそれらの生物を作り出すことは十分可能だった。ほどなく、地球の生命科学者たちは天敵微生物の合成に成功した。それらは実験室内のテストで侵略者に対しその能力を実証してみせた。そして、地球の生物にとってそれらの生物が完全に無害であることも確認された。
だが、これらの天敵微生物が地球の自然環境中でも期待通りに働いてくれる保障はなかった。環境条件の違いから野外では長期間生存できないかもしれなかった。その点は報告書の中でタカハシ博士も指摘していた。また、異星由来の微生物を地球上に解き放つことについては慎重な声も多かった。
だが、地球人たちはわずかな望みに賭け、天敵微生物の野外放出に踏み切った。
しかし、たちどころに侵略者が駆逐されるということはなかった。その後のモニタリングで天敵微生物が野外で生存していることは確認できたが、その効果が目に見えて現れるまではまだまだ時間がかかりそうだった。
後年、あさぎりからもう一つの解決案がもたらされた。
こちらは生態学的なアプローチを取るもので、長年にわたり研究されてきた惑星あさぎりの生態系の仕組みがヒントになっていた。
地球での酸素濃度低下現象の研究から、侵略者だけでなく地球原産の微生物も酸素濃度低下に大きな役割を果たしていることが判明していた。
侵略者は大気中の窒素を固定するが、元来、窒素は地球の生態系では不足しがちな元素だった。
地球の大気の大半は窒素ガスで占められていたが、それを利用できるのはごく一部の窒素固定細菌のみで、他の全生物はそれらが固定した窒素分に依存し、乏しい窒素を獲得しようと苦労してきた。
そこに侵略者が現れ、一挙に大量の窒素分を生態系に供給しはじめた。
それは全地球的な富栄養化をもたらした。
大量の窒素を養分にして藻類が爆発的に増殖し、世界中の土壌や波打ち際をねばねばしとした分厚い有機物の塊で埋め尽くしていった。そして、それが腐敗して大量のバクテリアが発生した。同じ重量あたりで比較するとバクテリアは人間の数百倍から数万倍もの酸素を消費する。さらに、海底においては嫌気性細菌が硫化水素ガスを発生させた。これらが地球の酸素濃度低下を加速したのだった。
だが、あさぎりには大量の藻類の死骸などどこにもなかった。
あさぎりの侵略者も、窒素を固定しそれにより藻類を活発に増殖させている点は同じだった。だが、それは堆積して腐敗する前に、土壌や海底に生息する無数の小動物によって食べ尽くされ、すみやかに取り除かれていたのだ。地球にもミミズやダンゴムシなどの掃除屋の役割を果たす小動物はいたが、あさぎりの掃除屋たちはずっと数が多く、種類も豊富だった。そして、それらの小動物は食物連鎖の上位の動物たちの格好の餌になっていた。食物連鎖はその上に何重にも積み重なり、最終的には生態系の頂点に君臨する超大型生物相にまで達していた。
つまり、あさぎりでは供給された窒素が藻類の段階で滞留せず、掃除屋の働きですみやかに生態系全体に流れ込み、何重もの食物連鎖を通して消費されていたのだ。だからバクテリアの異常発生が起きず大気中の酸素濃度が高く保たれていたのだ。
一方、もともと地球はあさぎりに比べて掃除屋が少なかった。おそらくこれは数世紀におよぶ人類による環境汚染の影響もあるだろう。そこに侵略者が大量の窒素を供給しはじめると、掃除屋が除去しきれない藻類の死骸が蓄積し始めた。それに発生したバクテリアが酸素を大量に消費し酸素濃度を低下させたことで掃除屋の数はさらに激減し、藻類の蓄積とバクテリアの発生をよりいっそう増加させる悪循環に陥った。こうして地球の酸素濃度は暴走するように急降下していったのだ。
あさぎりと地球の運命を分けたもの、それは誰も気に留めないような地味な虫たち、生態系の掃除屋だった。
以上があさぎり探検隊に所属する生態学者マキノ博士が提唱した仮説だった。
この説に従えば、解決策は明白だった。
地球でも掃除屋となる小動物を増やし、腐敗した藻類を除去させればいいのだ。
だが、酸素濃度低下により地球上の掃除屋はその多くが絶滅していた。
ならば、人類が作り出すしかなかった。
腐敗物を餌にする小動物はすべてが死滅したわけではなかった。ドーム都市内部などに少数の生き残りがいたし、それに野外にも元々酸素の乏しい環境に適応して進化してきた種類が生きのびていた。それらをベースにして低酸素環境下でも活発に増殖できる掃除屋を新たに創造するのだ。かつて低酸素適応型新人類を作り出したのと同じように。
過去にも低酸素適応型の生物を作り出し、それによって地球の生態系を回復させようという試みはあったが、その時に生み出されたのはごく一部の種だけで、いくつかの研究機関が散発的に実施しただけの小規模なものだった。当然、成果は出なかった。
だが、今回の計画は各国の政府や研究機関が連携し、はるかに大規模で網羅的で野心的だった。生態系を構築するのに必要な多くの種をまとめて作り出そうというのだ。
バイオエンジニアたちはミミズ、ダンゴムシ、トビムシ、ダニ、ヨコエビ、ゴカイ、線虫、ユスリカ、ハエなど様々な生物にゲノム編集を施し、低酸素適応型の品種を作り出していった。それらの多くは酸素吸収能力を高めるためにヘモグロビンが導入されていたため、血のように赤い体液を持っていた。
低酸素適応型に改良された小動物たちは世界各地の海や川や陸に放流され、そのうちいくつかの種が自然環境への定着に成功した。
まもなくそれらは腐った有機物を餌にして爆発的に増殖しはじめた。水際のぶよぶよした藻類に蛆虫が群がり、ハエやユスリカの大群が雲のように湧き上がってドーム都市外の空を黒くかげらせた。陸上に堆積した腐敗物の山は無数のダンゴムシやトビムシやダニで覆い尽くされた。それは見る者を不快にさせるような光景だったが、彼らこそが地球環境再生のカギなのだった。
掃除屋たちが十分に増えたのを確認した後、計画は次の段階に進められた。
食物連鎖の次の段階、掃除屋を食べる小型捕食者の放流だ。
低酸素型に改変されたアリ、ハチ、トンボなどの肉食性昆虫、それに小型の魚類、鳥類、爬虫類などだ。それらが増殖した掃除屋を捕食して有機物を食物連鎖の次の段階に移動させる役割を果たすのだ。食物連鎖を一段上るごとに大半の有機物は動物が活動するためのエネルギーとして代謝され、消費される。生態系中の過剰な有機物を減らすには、食物連鎖の段数を多く重ねる方が良い。
さらに、死んだ後でバクテリアの発生源になる藻類や植物を減らすため、低酸素型の植物食生物の放流も始まった。陸では蛾の仲間や山羊やウサギなどが放され、海ではウニが放流された。これらはかつて植物を食い荒らし生態系を荒廃させたことから有害生物として駆除された歴史があった。その旺盛な食欲が今度は生態系を蘇らせるため活用されることになったのだ。
それに加え、海ではカイアシなどの動物プランクトンからイワシの仲間や、陸では牛や豚など、人間にとって有用な生物たちも低酸素型に改良された。最終的にそれらは頂点捕食者、すなわち人間に大量の食物を供給することになるだろう。
新人類たちもこの一連の地球生態系再生計画を支援していた。
近い将来、酸素濃度の低下は新人類でさえ生存不能なレベルに達する恐れが高かったからだが、それだけでなく、彼らは生態系再生によるタンパク源の獲得も当てにしていたのだ。
減少する一方の旧人類とは対照的に、新人類たちは人口爆発を迎えていた。旧人類よりも人口が多くなったことで過去のようにドーム都市からの略奪に頼ることができなくなり、全世界で食糧難が問題化していた。炭水化物は農作物から得ることができたが、肉や魚などのタンパク質の不足は深刻だった。もし地球生態系の再生が上手くいけば、彼らの食料問題も解決することだろう。
窒素の供給による富栄養化それ自体は悪ではない。それはバイオマスを増大させ地球上で生物が占める総物質量を増大させる効果があるのだ。
じつは、人類もかつて侵略者と同じ事をしてきた。
二十世紀初頭、人類はハーバー・ボッシュ法を発明し、空気中の窒素からアンモニアを製造する方法を編み出した。それによって大気中から固定される窒素の量は倍増した。アンモニアから合成された化学肥料は農園に撒かれ作物の収穫量を飛躍的に増やした。そして、それは最終的にある生物種のバイオマスの激増をもたらした。人類だ。世界人口は二十世紀はじめの十六億人から、たった百年後の二十世紀末には六十億人を超えるまでに急上昇した。
その結果、誕生したのは全地球的なテクノロジー文明だった。おそらく人口増大がなければ二十世紀に起きた数々のめざましい科学技術の進歩はなかっただろう。
このように、窒素分が適切に行き渡れば、生物の数を増やし世界を豊かにすることができるのだ。
低酸素型に改造された生物たちは空っぽになった地球上で順調に数を増やしつつあった。
だが、すべてはまだ始まったばかりだった。
天敵微生物や低酸素型生物たちの活動が侵略者と拮抗し、やがてそれに打ち勝って酸素濃度を上昇に転じるまでには何百年、いや何千年もの時間が必要だろう。
果たして人類は、酸素濃度が二十%以上に戻り、大空の下、ドームの外で暮らせるその日まで生き延びることができるだろうか。
考えられる未来の可能性は三通りだ。
これらの計画が功を奏しすべてが上手くいった未来。天敵微生物により侵略者が根絶され、同時に低酸素型生物たちによってバクテリアの発生が抑制されることで酸素濃度が少しずつ上昇に転じ、やがて、かつての地球環境が復元するだろう。
逆に、努力むなしく計画がすべて失敗に終わった未来。侵略者の増殖は止まらず酸素濃度はさらに低下し地球上のあらゆる酸素呼吸生物が死滅。地球は嫌気性微生物だけが生きる先カンブリア代の世界に回帰するだろう。
そして、より興味深いのが第三の可能性だ。
侵略者はある程度抑制されるものの根絶はされず、それによって供給される豊富な窒素が食物連鎖を通じて生態系全体に円滑に行き渡る絶妙なバランスが成立した未来。この未来では地球上のバイオマスは現在よりもはるかに増大するだろう。人類がまだ存在していれば世界人口は桁違いに増え、人類は新たな繁栄の時代を迎えるかもしれない。
そして、それがさらに遠い未来、人類絶滅後も続いたとしたら。
もし侵略者が地球生態系の不可欠な一員として恒久的に組み込まれたとしたら……。
その時、地球はあさぎりと同じ超巨大生物の惑星になるかもしれない。数千万年後あるいは一億年後には、低酸素型生物の子孫から進化した超巨獣が大地を闊歩し、超巨鳥が翼で空を覆い隠し、大海竜が大洋を支配する。ひょっとしたら、そんな時代が到来するのかもしれない。
それはさておき、その後もあさぎり星系からのメッセージは続いた。
彼らは後からやってきた地球からの移民を受け入れていった。少々いざこざは起きたようだが、同じ星で生きていく上での共通のルール作りでは何とかコンセンサスを成立させることができた。乱開発の抑制と原住生物の保護、それに特定周波数の使用規制はどのコミュニティも賛同した。惑星の各地に新たに七つの居住区が建設され、人口は少しずつ増えていった。
これから先、あさぎりの人類社会はどうなっていくのだろうか。
彼らは本当にギガバシレウスその他の超巨大生物との共存を続けることができるのだろうか。百七十年後のギガバシレウスの次の繁殖期まで子孫たちに教訓を正しく継承していくことができるだろうか。恐るべき存在のことを忘れ去り、近視眼的で野放図な拡大に走らずにいられるだろうか。
地球人だけでなく、他の惑星に移住した人々も彼らの動向を注視していた。
あさぎりの探検隊のその後に関して、ひとつ興味深い補足がある。
彼らはあさぎり星系の外縁部で宇宙航行能力を持つもう一つの種を発見した。ギガバシレウスの祖先型と推定されるその生物はプロトドラコ・ステラヴィアター。「星の旅人」と名付けられたその生物は、驚くべきことに他の恒星系から飛来したのだった。
あさぎり探検隊はその生物とのランデヴーに成功。その生態と行き先を調査するため背中に記録装置と通信機を取り付けた。
その装置には探検隊メンバーのアップロード人格も搭載されていた。