第109話 その後
あさぎりではギガバシレウスたちの産卵と子育てが始まった。
牧野は高梁とともに子育てに忙殺されながら、あさぎりの自動観測機器から送られてくる映像とデータに夢中になった。
あさぎりに飛来した数千体のギガバシレウスはアルファ、ベータ両大陸のオッドエリアに降り立った。数えきれないほどの巨竜が大平原を埋め尽くす様はまさに壮観の一語に尽きた。彼らはそこで巣作りを始めた。巣とは言っても地面を平らにならし岩石や樹木を取り除いただけの簡単なものだ。だが、数千体の巨竜が同時にそれを行うので、それだけで地形が大きく変わった。
まもなくメスたちは卵を産みはじめた。一体のメスが産む卵の数は十五から二十個程度。直径五メートルの卵は巣の中央を掘り返した穴の中に慎重に埋められた。それから一ヶ月間、メスたちはそこに留まり卵を守り続けた。つがいのオスは別の大陸にまで出かけ、そこでサバククジラなどの巨大生物を捕獲してメスの元に運んだ。
やがて卵が孵った。土中から自力で這い出したギガバシレウスの幼生は大人とまったく異なる姿をしていた。翼はなく、尾部推進器官もない。堅固な外皮もなく無防備な皮膚が剥き出しだった。巨大な芋虫のように脆弱な幼生ができるのは地面を這うことだけだった。
しかし、幼生の食欲は旺盛だった。餌は動物性のものから植物性のものまで何でもよく食べた。子供たちの食欲を満たすため、親たちは世界各地から大量の餌を運んできた。若齢のオニダイダラ、巨大空中浮遊生物、全身に植物を生やしたモリモドキ、積層巨木林の樹冠に生息する大型樹上生物など獲物は様々だった。親がバラバラに引き裂いた獲物を地上に投下すると、たちまち幼生たちが群がった。
幼生は親が運んできた餌だけではなく、巣の周辺に生える奇妙な植物も好んで食べた。それはオッドエリアにのみ自生し、テュポーンの死骸が飛び散った場所でも発芽した例の奇妙な植物だった。以前に近藤が採取したサンプルから、その植物は高濃度の重金属イオンを濃縮していることがわかっていた。おそらく幼生はこの植物から核融合器官の形成に必要な金属を摂取していると考えられた。
近藤はこの植物がギガバシレウスと共生関係にあると推測していた。植物は百年以上かけて地中から濃縮した重金属類をギガバシレウスに提供する代わりに、食べられることで受粉や種子散布を助けてもらっている可能性があるのだという。テュポーンの体内に多数の種子が存在していたことから、幼生期に体内に取りこまれた種子は何十年間もギガバシレウスの体内で生存し続けるのだろう。
莫大な食物を消費しながら、オッドエリアの営巣地を埋め尽くす十数万体の幼生たちは急速に成長していった。
ギガバシレウスの幼生と歩調を合わせるように、牧野の娘、燐音も健やかに育っていった。恒星船という狭い世界だけで育てることに牧野も親として少し不安を感じないでもなかったが、遊び友達には事欠かなかった。隊員たちの子供は増え、無重量状態の船内中央通路や、遠心力により擬似的な重力を発生させた自転区画はにぎやかな声で満たされた。
ギガバシレウスたちの子育ては五年経ってもまだ続いていた。幼生たちは全長五十メートルを超えてもまだ飛ぶことができず、親の世話を必要としていた。
いつまで彼らはあさぎりに居座るつもりだろう。隊員たちの間から不安の声が上がりはじめた。水や食料などの資源は恒星船の再処理設備とナノ合成機でほぼ完全に循環再利用できたので問題はなかったが、それでも先の見えない船内生活に隊員たちは少しずつ倦んでいった。隊員たちはいらだち、彼らの間でトラブルが続発するようになった。
総隊長はこれを危険な兆候ととらえた。事態を打開するため、ギガバシレウスがいてもあさぎりに帰還することができるかの検討が始められた。
無人機による電波実験ではギガバシレウスたちはもはや1.5ギガヘルツの周波数にまったく反応しなくなっていた。その周波数に感受性があるのは電波交接が行われる発情期の前後に限定されていたのだ。それでも慎重を期し、ラグランジュ点での待機はさらに継続されることになった。電波実験はその後にも何度も繰り返され、その都度安全性が確認されたが、帰還をめぐる議論では慎重派がいつも勝利を収めた。居住区壊滅のトラウマはそれだけ根深かったのだ。
しかし、大人社会の閉塞感をよそに、恐れを知らぬ子供たちは恒星船内で心身ともにたくましく成長していった。
ギガバシレウスの産卵から十一年が経過したとき、事件が起きた。
子供たちが着陸艇を無許可で発進させ、あさぎりに向かったのだ。リーダーを務めたのは乾の忘れ形見、矢崎亜矢だった。子供たちの中で最も反抗心が強い彼女は仲間の少年少女五名を率いて暴挙に出たのだった。その中には牧野と高梁の娘、燐音も入っていた。
当然、着陸艇は厳重に管理されていたが、記録を調べるとハッキングの形跡があった。何者かが彼女たちの脱走に手を貸したのだ。その犯人は最後まで見つからなかったが、牧野には見当が付いていた。恒星船社会の現状を打破するためドクターが影で動いたに違いなかった。
亜矢や燐音たちの乗った着陸艇はアルファ大陸に向かった。彼女たちが初めて肉眼で見る惑星あさぎりの光景に目を奪われていたその時、着陸艇の上空を黒い影が覆った。ギガバシレウスだ。空を覆う成体のすぐ下を、ようやく空を飛び始めた数体の子供が付き従っていた。それはもはや幼生ではなく成体とほぼ同じ姿をした亜成体だった。全長百メートルの亜成体は一本しかない尾部推進器官から核融合の青い炎を吐きながら飛んでいた。それは着陸艇のすぐ横を通過した。その一瞬、燐音と亜成体の目が合った。亜成体のギガバシレウスはたしかに燐音の存在を認識しその目をじっと見つめていた。燐音は亜成体とのあいだに不思議なつながりを感じた。そのまま巨竜たちは着陸艇を残し、狩りのために飛び去っていった。その経験はのちに彼女の人生を大きく左右することになる。
まもなく、ドラゴンスレイヤー一機を伴って、別の着陸艇で大人たちが駆けつけた。数日間の惑星全土におよぶ逃避行の末、少年少女は保護されて騒動はひとまず終結した。
だが、この一件でギガバシレウスがもはや人間に攻撃性を示さないことがはっきりとし、ついにあさぎりへの帰還が本格的に始動することになった。だが、すべての卵を一つの籠に盛るなの格言に従い、恒星船はラグランジュ点に留めたまま、半数のメンバーだけが新造した大型着陸艇であさぎりに向かうことになった。そして、アルファ大陸北部付近の孤島に新しい居住区の建設が始まった。そこはギガバシレウスの餌になるような大型生物が生息していない島で、彼らの行動圏から外れていた。
それと同時に、十年以上途絶えていたセドナ丸末裔との交流も再開された。末裔たちは彼らの帰還に驚いた。狂信者セルゲイが儀式で召喚したギガバシレウスに滅ぼされたとばかり思い込んでいたのだ。その後、リーダーの座はセルゲイの手に渡り、村はさらに劣悪な状態に陥っていた。隊員たちの再出現がきっかけとなってセルゲイの支配はあっけなく終わりを迎えた。その後、セルゲイの娘、ニーナが新居住区への亡命を希望し、受け入れられた。その後も若い世代の新居住区への移動は相次いだ。
産卵から十七年後。
全長二百メートルにまで成長したギガバシレウスの亜成体たちは三本に増えた尾部推進器官からプラズマを噴出し宇宙空間にまで飛び上がれるようになっていた。そして、それが巣立ちの時だった。数万体に増えたギガバシレウスたちは一斉にあさぎりを離れ、衛星軌道上に集結しはじめた。ついに第六惑星ダンテに向かう渡りの時季が到来したのだ。
地上の新居住区からは夜空を飛ぶ無数の光点が見えた。光点の数は日増しに増えていった。まるで一日ごとに夜空に輝く星の数が増えていくようだった。やがて、ある日、夥しい数の青い星々の群れは彗星のように長く青白い尾を引きながら同じ方向に向かってゆっくりと移動を開始した。ギガバシレウスの大群は惑星あさぎりを去っていった。
新居住区の自宅の庭に置かれたベンチに腰かけて、牧野多価嗣はそれを見送った。
「……やれやれ、行ってしまったな」大きくため息をついた後、牧野は言った。
「うん、寂しくなるね」隣に座っていた燐音が言った。今では彼女も十七歳の若い娘だった。高梁や牧野と同じ科学者の道を志していた。
「寂しい……か」牧野は言った。
「うん。私にとってはこの星にいるのが当たり前の存在だったから」燐音が言った。
「そんなもんかね。やっぱり新世代の認識は私らとは違うね。私にとっては今でも恐怖の対象だわ。これでやっと一安心できる」高梁が言った。
「おお、もうこんな時間か。明日に備えてそろそろ寝るとするか」
そう言って牧野はベンチから立ち上がった。立った拍子に膝が痛んだ。もう若くはなかった。髪には白いものがかなり増えていた。そろそろ一度目の抗老化処置を受けなければならないな。そう思いながら牧野は家族とともに胞子嚢を満開にしたチャワンカヅラの木の下を通って室内に戻っていった。
牧野たちが立ち去ると、可聴域ぎりぎりの声でセンボンクサビラモドキが静かに鳴き始めた。