表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/116

第107話 歌

 ギガバシレウスについて可能な限りの情報を収集し、それを全隊員にリアルタイムで公開する。

 牧野が出したその要望は許可された。


 恒星船はあさぎりに接近していった。すでに船はあさぎりを目前にして減速中だった。船外カメラはしだいに大きくなっていく青い星と、その二つの月を映し出していた。


 やがて、それが見えてきた。

 あさぎりと月から数十万キロ離れた空域をただよう無数の塵のようなもの。塵はちらちらと光を反射しながら、ひとつひとつの粒子がランダムな方向に動き回っている。

 むろん、それは塵などではなかった。全長千メートルに達する超巨大生物ギガバシレウスが数千体集まった大群だった。巨竜たちは球状星団のような、中心部ほど密度の高いゆるいボール状の大集団を形成していた。


 船外カメラが拡大倍率を上げると、塵の雲のようだったその印象はがらりと変わった。

 それはおびただしい数の巨竜が乱舞する渦だった。巨竜たちは暗黒の宇宙空間を背景に白銀の鱗をぎらりと輝かせ、凄まじい速さで次々に視野を横切っていく。それはぞっとする眺めだった。たった一体だけでも恐るべき存在のギガバシレウスが大集団を形成しているのだ。牧野は古い映像で見たサメの大群を思い出した。もしあの中に恒星船が飛び込んだら、鎧袖一触、いくら暗黒兵器があろうとも瞬時にばらばらに引き裂かれてしまうだろう。



「目標を光学的に捕捉。真空崩壊爆弾、発射準備用意」井関が言った。


 ついに、爆弾発射に向けてのカウントダウンが開始された。大群に向けて打ち出された爆弾はその中心部で起爆することになっていた。爆弾の有効消滅半径内にすべての個体を納めるため、1.5ギガヘルツの電波を出しながら巨竜たちを群れの中心部におびきよせるデコイも同時に数機発射される計画だった。



 目前に迫った自らの運命を知ることもなく、ギガバシレウスたちは今この瞬間を懸命に生きていた。

 巨竜たちははげしく争っていた。争っているのはおもに大群の外側にいる個体だ。すれ違いざまにお互いに翼で斬りつけあい、首をさっと伸ばして相手に噛みつく。外皮が裂け、鱗が砕け散り、真空中に血が噴き出す。だが、相手の命を奪うまでには至らない。勝敗が決すると敗者はその場を去った。

 一方、群れの中心部付近にいる集団はゆったりと遊弋していた。


 おそらく、群れの外側で争っているのがオスで、中心部の静かな集団がメスだ。

 勝者のオスはメスのいる群れの中心部に侵入すると、そのうち一体とつがいを形成した。つがいとなった雌雄二体の竜王はそろって群れの中心部から抜け出した。メスを奪うつもりか、数体のオスがその後ろについてきたが、勝者オスに威嚇されると諦めて引き下がった。つがいは群れの外を二体だけで飛び回った。時間が経つにつれ、こうして群れから離れる巨竜の数が増えていった。

 雌雄二体の巨竜は仲睦まじかった。お互いにぴったりと寄り添いあい、まるで曲芸飛行のように複雑な軌道を描いて飛んでいた。やがて、二体は少しずつ距離を詰めると、お互いに腹部を向け合い、きりもみ回転をしながら一直線に飛んだ。それは二重螺旋をえがいて飛ぶ銀色の矢だった。


「求愛行動だ……」昆虫学者の堀口が言った。


 それはギガバシレウスがはじめて見せる新たな側面だった。これまで牧野たちはギガバシレウスという種を、恐るべき捕食者、人類への脅威という面にだけ注目していた。しかし、今、彼らはこれまでまったく予期しなかった一面、情愛に満ちた姿を見せていた。

 次世代に遺伝子のバトンをつなぐため、ギガバシレウスたちは必死だった。あと数時間でそれが永遠に断たれるとも知らずに。

 否、自分たちが断つのだ。おそらく何百万年、何千万年も続いてきた生命の連鎖を断ち切るのだ。



 カウントダウンがゼロに達した。

 格納庫のゲートが開き、真空崩壊爆弾がゆっくりと宇宙空間に滑り出した。その様子は別の船外カメラに映っていた。金色の爆弾はしずかに恒星船を離れると、ロケットエンジンに点火して加速し始めた。同時に誘導用のデコイも発射された。

 これでギガバシレウスという種の絶滅はほぼ確定した。

 牧野の口から大きな溜息が漏れた。


 牧野は辛かった。だが、目を閉ざすことは許されない。ギガバシレウスの最後を見届けるのが自分たちの務めなのだ。そして、最後の瞬間まで可能なかぎりのデータを取得し、保存しなくてはならない。牧野は自らを奮い立たせた。リモートで利用可能なすべてのカメラと観測機器にアクセスし、あらゆる映像とデータを記録していった。これが見納めなのだ。そして、人類がこの種について情報を得られる最後の機会になるのだ。牧野はその作業に没頭した。



 その時、牧野の耳に歌が聞こえてきた。

 それはギガバシレウスが発する電波を音に変換したものだった。ギガバシレウスたちが敵の位置を探知するレーダーとして、あるいは同種との情報伝達の手段として電波を利用している証拠が得られていた。だから今回もあらゆる周波数で彼らの放つ電波を受信していた。

 その周波数のひとつから、この奇妙で複雑な歌が流れてきたのだ。

 それは牧野がこれまで聞いたことのあるどんな生物の鳴き声とも似ていなかった。それはクジラの鳴き声とも異なり、鳥のさえずりとも異なり、虫の声とも異なっていた。はるか彼方の宇宙の深淵から響いてくるような不気味な低音を背景に、鋭くリズミカルな金属音と甲高い不協和音が混じり合う。それは宇宙空間の虚無と闇の深さを感じさせる、冷たく荘厳で美しい歌だった。こんな歌は地球型惑星というぬるま湯のような環境で一生を送る生物には決して奏でられないだろう。

 発信源はつがいの片方、オスと考えられている個体だった。

 そして、その周波数はギガバシレウスたちを刺激し激怒させる1.5ギガヘルツだった。



 映像とともに、この歌も全隊員に中継されていた。

 歌を聴いた隊員たちが船内ネットを通じて意見交換をはじめた。


「奴ら自身があの周波数を出しています。どういうことでしょうか」航宙士の吉崎が言った。


「たぶん、これが竜王たちの求愛ソングなんだ」堀口が言った。


「……そういうことか。わかったぞ」着陸艇パイロットの小林が言った。

「何がだ」機械整備班の松崎が言った。

「奴らがあの波長の電波に強く反応する理由が。奴らは自分たちの歌を邪魔されたくなかったんだ。だから、その帯域を乱す妨害電波の発生源を排除しようとしたんだ」

「なるほど」


「つまり、こいつらは自分たちの恋の歌を邪魔する輩に腹を立てていたってわけか」平岡が言った。

「意外とロマンチストだな」松崎が言った。


 牧野は隊員たちの空気が変わりかけているのを感じた。ギガバシレウス殲滅すべしで凝り固まっていた船内の世論はあきらかに緩みはじめていた。


「本当にこのまま彼らを滅ぼしていいのでしょうか」セドナ丸の末裔との交渉役をつとめた文化人類学者の鳥飼が言った。


「もう遅い。爆弾は発射されてしまった。今更手遅れだぞ」橘が言った。


「いや、そうでもないぜ。最終的に起爆スイッチを押さないと真空崩壊は発動しない。そして、そのスイッチは総隊長の手の中にある」平岡が言った。


「……平岡の言う通りだ。最終的に死刑執行のボタンを押すのはこの私だ」清月が言った。総隊長は腕組みしながらモニターに次々と映し出されるギガバシレウスの映像を見つめていた。


「真空崩壊爆弾、大群中心部まであと五万キロ」井関が淡々と述べた。


 隊員たちは巨竜の不思議な歌を聴きながら、固唾を飲んで映像を見守り続けた。



「ちょっといいですか」ソフトウェア担当の三浦が発言した。興奮しているのか若干早口だ。

「ギガバシレウスの歌を解析していたんですが、これ、ただの歌じゃないですよ。どうも膨大な情報が含まれているみたいで……」


「詳しく教えてください」牧野は強く興味を引かれた。


「ええ……、いっけん複雑で無秩序な歌に聞こえますが、その電波信号をあるルールに則って変換すると、たった四種類の符号の配列からなるデジタル信号に変わるんです。その配列は単調な繰り返しではなく、かといって完全な混沌、ノイズでもない。明らかに何らかのパターンや構造があって情報を含んでるようなのです。これがそのデータなんですが……。何か思い当たる人はいませんか」三浦は解析処理した歌のデータを公開した。


「彼らの言語だろうか」鳥飼が飛びついた。


「言語ということは、あれに知性があるというのか」地質学者の伊藤が言った。


「おそらく人間の知能とは根本的に違うでしょう。ですが、これまでの戦闘で見せた順応性の高さや学習能力、それに仲間との情報共有から判断して、彼らが言語の使用を含む高い知性を持っていてもおかしくはないと思います」ヨヴァルトが言った。



 だが、牧野は三浦が提示した歌の解析データを見た瞬間、別の考えが閃いていた。

 繰り返される四つの符号、もしかしてそれは……。

 ギガバシレウスの知能をめぐる議論を聞きながら、牧野は歌の解析データを、既存の別のデータ群と比較照合する作業を猛スピードで進めていた。そして、その膨大なデータ群の中に、歌の解析データと一致する箇所が見つかった。

 だが、本当にこんなことがありうるのだろうか。牧野は自分の出した結論が自分でも信じられなかった。歌はまだ続いていた。牧野は三浦にさらなる解析データを要求した。やはり、照合結果に間違いはなかった。


「……これは言語ではありません。ギガバシレウスのゲノム配列の一部です。四つの符号はそれぞれ四種類の塩基に対応しています」牧野は言った。


「何だって」伊藤が言った。


「ゲノム配列の一部に、求愛ソングの内容そのものがコード化されて埋め込まれてるってことですか」堀口が言った。


「わたしもそう思ったけど、どうやら違うみたい」高梁が言った。「三浦さんのデータを確認してみたけど、歌のデータには酵素タンパク質や細胞膜の受容体などの自分の体を作る遺伝子情報まで含まれていたわ。だから、ゲノムの特定部位だけでなく、自分のゲノム全体を電波信号に変えて片っ端から発信していると考えたほうがいいと思う」


「いったい何のためにそんなことを」伊藤が言った。


「わかりませんか?オスが自分のもつ遺伝情報をメスに伝えている。つまり交接、交尾ですよ。精子のかわりに電波を使った」植物学者の近藤が言った。


「はぁ、そんな馬鹿な」伊藤が言った。


 近藤は続けた。

「たしかに、にわかには信じがたいことです。これまで自分の遺伝子配列を核酸とタンパク質以外に変換する生物は知られていません。これはあくまで推測ですが、オスのゲノム情報を受信したメスの体内でその信号は再びDNAへと翻訳され、それがメスの遺伝子と接合して受精が成立するのでしょう。たしかにこの方法ならば、DNAという壊れやすい有機高分子を相手に直接手渡すよりもはるかに便利です。特に宇宙空間はDNA分子を損傷させる紫外線や放射線に満ちていますからね」


 牧野は言った。

「近藤さんの言う通りです。だけど、同時に電波による交接は脆弱性を抱えてもいる。ゲノム情報を伝達している途中で妨害電波を受けると、遺伝情報にノイズが混じってしまう恐れがあるからです。だからこそギガバシレウスは1.5ギガヘルツの電磁波を出す物体に激烈な反応を示したんです。それは彼らのゲノムを変異させ、種族の存続に計り知れない危険をおよぼす脅威だから。だからこそ交接の前にあらかじめそれを排除しておく必要があったんだ」


「つまり、知らないうちに先に彼らを脅かしていたのは、我々だったということですか……」近藤が言った。そして、彼はそれっきり黙り込んでしまった。



 天文班の寺沢が発言した。

「だとすると、繁殖の周期が百七十年なのも理解できますね。それはあさぎりの太陽の活動周期と一致しているんです。ご存じのように恒星には活動周期があって、活動期には大規模なフレアが発生し、様々な波長の高エネルギーの電磁波を星系全体にばらまきます。地球の太陽の活動周期は十一年ですが、あさぎりの太陽の場合、その周期は三十四年です。そして、五周期ごとに、つまり百七十年周期で通常の周期よりもさらに活動が低下する極小期が到来します。そして、ちょうど今がその極小期に当たるんです」


「つまり、ギガバシレウスは太陽フレアによるノイズを避けるため、百七十年に一度、太陽活動が低下し妨害電波がなくなる極小期を選んで繁殖してきたということか」牧野が言った。

「はい、そういうことです」寺沢が言った。


「でも、そもそも、なぜこの周波数の電波なんだろうね」高梁が言った。


 着陸艇パイロットの小林が言った。

「言うまでもないことだ。一番ノイズが少ない帯域だからだよ。実際、二十世紀後半の電波を使った宇宙人探査計画では、この周波数帯を選んで集中的に観測を行っていたくらいだ。その周波数帯は水素Hの出す1.42ギガヘルツと水酸基OHが出す1.64ギガヘルツの間だったことから、HとOHでH2O、つまり水で、そこから水場を意味するウォーターホールと呼ばれていた」


「意外なことに詳しいんだな」松崎が感心して言った。


 隊員たちが活発に議論することで、ギガバシレウスに残されていた謎のいくつかは急速に解明されつつあった。だが、皮肉にもそれは巨竜たちの破滅の寸前だった。



「真空崩壊爆弾、大群外縁部に到達。デコイの電波送信、開始します」井関が言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 電波でDNA情報を送るアイディアは斬新ですね [一言] ノイズ対策なら大気に守られたあさぎりでやれば良い気も
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ